別れ、そして次の風
頬を撫でてゆく風の涼しさが、もう夏が終わったことを告げていた。
「幻翁さま…」
幻怪衆・花魁の悦花が碧く高い空を見上げる。激しかった雨は止み、筆でなぞったような白い雲がゆっくりと流れてゆく。
幻怪衆、久々の集結は悲しみに満ちたものになった。幻翁の死を、今だ誰も受け入れらずにいた。
「俺が…」
からくりの裕は河川敷に腰かけて呟いた。圧倒的な力を持った敵、ヌラリヒョンと美濃太右朗の襲撃による傷が余計に疼く。
「俺が守らなきゃいけなかったんだ…」
「いや、裕さんだけが責められることじゃない」
政吉の言葉を、一刀彫の雅が遮る。
「だが、何故持ち場を離れた?」
浪人笠の奥で唇を噛む。
「翁と言えども、あの傷では襲われたらひとたまりもない事は判っていたはずだ」
裕は視線を逸らす。小さな工具で相場銅の修理をしながら、河童の煤が言った。
「まあ、その場に誰がいたところで、結果は同じだったかもしれませんがね…」
雅は小さく、何度か頷いた。
「まあな。そうかも知れん。とにかく無念でならんのだ」
「俺だって悔しいさ。いや翁に世話になった者なら誰だって悔しくて仕方がない。だろ?」
腕組みをして紙巻きに火をつけながら、密偵の夫羅が言った。その隣で娘の仁美が目に涙をためている。
「おじいちゃん…こんど十三参りに連れてってくれるって約束してたのに…」
「ああ。やり残したこと、色々あっただろうに…私も翁に教わらなきゃいけないことがまだまだあった」
悦花の声が虚しく響いた。そこへ走ってやってきたのは蝦夷守龍鬼。
「しかし、な」
汗を顔に滲ませ、両腕いっぱいに露店であつらえた花を抱えて。
「悩んでてもしょうがねえ、ま、花の一つでも添えてやろうじゃねえの」
雨後の濁りが残る木曽川の河川敷。気温以上に風が冷たく感じられた。瓦礫は何も語らない。幻翁が身に着けていた腕輪がひとつ、ぽつんと落ちていた。
「ああ、もう厄介な弟子の面倒を見なくて済みますね。薄気味悪い妖怪たちと戦わなくて済みますね。ゆっくりと休んで下さい、幻翁さま…」
それぞれが花を手向け、それぞれの想いを胸に、それぞれが手を合わせた。
「あっ」
フッ、と風が吹いた。どこか懐かしい匂いを運んできた、季節外れの暖かい風。まるで幻翁の波動がこの場にうっすら残っていて、風に乗って語りかけてきたようにも思えた。
「翁の意志は…」
悦花が口を開いた。
「継がなきゃ、ね」
「ああ」
一同は頷いた。
「だが…」
雅が険しい表情で言う。
「現実は厳しいぞ。翁がいなくて俺たちは戦っていけるのか」
「そうだな…そして」
裕はうなだれたまま。
「強いよ、敵は。俺と政吉の二人がかりで、全く歯が立たなかった。完敗、ああ完敗だよ。悔しいけどな」
「まあ、そうだろうな…」
紙巻きを丸めて火をつける蝦夷守。
「だいたい、切り札の『願いの破片』も揃う見込みが全く無しってんじゃお手上げだ」
「勝算なし、ですかねえ…」
頭の皿を湿らすために手拭いを川に浸そうと身を乗り出したが、その濁りに顔をしかめて諦めた煤が呟いた。
「ああ、こりゃ諦めるしかないな…」
「こうしている間にも…」
河原の石を拾っては川に投げ、ピョンピョンと水面を飛ぶさまを見るでもなく、見ないでもなく。夫羅が小さな声で。
「冥界の連中はとんでも無え最終兵器とやらを完成に近づけてんだろうな」
「ふうっ…」
一同は首を垂れ、ため息をついた。
「うっ、うあっ」
いきなり石つぶてが飛んできた。次々に、一同を狙って大小の石が飛んでくる。
「ちょっとっ!」
「何だ、何するんだっ」
一同は慌てて頭を抱え込んだ。
「あんたたちっ、オトナでしょっ」
目一杯のコワい形相をした仁美。黙って小屋の残骸に手を合わせていた幼子は、その小さな手で石をとり、諦めてうつむく幻怪衆を一喝した。
「そんなじゃ、おじいちゃん今頃カンカンよっ」
「あっ、その目…」
悦花が思わず見入った仁美の目が、なぜだか幻翁その人の目に見えた。うっすらと光を帯びたように。その仁美が一層大きな声を上げた。
「負けそうだから逃げる、なんてかっこ悪い。あたし一人でも戦うわ」
「ひ、仁美ちゃん…」
一同は顔を見合わせた。
「まあ、確かに…」
夫羅が言う。
「一度は捨てた命、今さら惜しいってわけじゃねえがな」
「ん、そりゃ俺だってそうさ」
「間違いねえ」
悦花が幻翁の腕輪を拾いあげて言った。
「ああ。命が惜しいならとっくに逃げ出してるよ。あたしたちゃ言ってみれば全員、翁の子供みたいなもんだ。仇打ち、しないわけにゃいかないね」
煤が頷いた。
「翁の仇だけじゃねえ。俺たちみんな、ヤツらには腸が煮えくりかえるような思いをさせられてんだ。だからこそ翁に導かれたってわけだからな」
「ああ、このまま尻尾巻いて逃げちまったら…」
裕は拳をぐっと握りしめた。
「永遠に後悔することになるわな」
雅と蝦夷守が顔を見合わせた。
「まあ、俺たちは…」
「戦うことしか能が無えからな。もうちょっとの間、つるんで妖怪退治ってのも悪くない」
夫羅がそっと仁美の肩を抱いた。
「皆同じ気持ちってことだな、つまり…」
悦花が、幻翁の形見の腕輪をそっと自らの腕にはめた。
「そう。宣戦布告だよ、あらためて」
その腕を高く掲げた。
「もう一回訊くが、命が惜しいってやつ、いるかい?」
一同は首を横に振った。幻翁の形見は悦花の腕で仄かに光を帯びた。まるで生きているように、脈打つように。
「ほうら」
皆の顔を見渡しながら悦花が言った。
「これが答えってわけだ。翁も喜んでる」
少し、日が差してきた。
それぞれの思いを胸に、閻魔卿の黒い波動の火がくすぶる瓦礫連なる河原で、ガッチリと手を重ね合わせた幻怪衆の面々は、突如堤の上からの声に振り向いた。
「誰だっ」
つづく




