血塗られた街
濃尾平野の北端に位置する流通拠点、岐阜の田園地帯は夏祭りの喧騒を一通り終え、落ち着いた日常が繰り広げられていた。
「夏の終わりってのはどうしてこう、なんとも言えず寂しい気分になっちまうのかねえ」
西の空に積乱雲。山の端との境界線は黒ずんで不明瞭。遠くの雷鳴がやけに響いて聞こえてくる。
「ああ重い。でも、これも欲しいなあ」
両手いっぱいの荷物を抱えてフラフラと歩くのは幻怪衆の密偵・夫羅の子飼いの弟子、政吉。
「おいおい、もう十分だっての」
財布を広げようとする政吉を諌めるのは同じく幻怪衆、からくりの裕。
岐阜の街並みを見下ろす稲葉山。その麓は定期市で賑いの最中だ。かつて「楽市楽座」で名を馳せたこの場所は、今でも食料品や織物、日用品が所狭しと並ぶ繁華街。
「だからさ、政吉。いくら食いしん坊が顔を揃えるからって、そりゃ買い過ぎだよ。この時節じゃ余った分があっと言う間に腐っちまうよ」
河童の煤が置いていった情報電信装置「あんていな」が、もうすぐ幻怪衆が集結することを知らせた。
幻魔鏡捜索の花魁・悦花と夫羅親娘チームと、ダイタラボッチ討伐に出向いた一刀彫の雅と煤、蝦夷守龍鬼チームが今日帰ってくる。
「あっ、あまりに楽しみなもんでつい買いすぎましたかね…」
久々に顔を合わせるのが楽しみでしょうがない様子の政吉。彼と裕は、加納での尾張柳生との戦いで全身にダメージを追った幻翁を見守りつつ留守居役を買って出ていた。
「そうそう、これ。天竺渡来の伽哩、もとは薬草だって言いますが大した美味だそうで。英吉利あたりじゃ大人気だとか。買っていきましょう」
「おお、いいねえ。あとは酒か、荷物が多くなるがこいつは欠かせないな」
少々はしゃぎ気味の二人。だがその時、裕の頭に取り付けられた矢がピクリと動いた。
「うっ。こ、これは…」
目には見えない波動のセンサーの役割を果たしている矢が小刻みに震える。波動を発するものからの距離に比例して、その周期は速くなる。
「近いっ」
買い物客でごった返す中央通りが、にわかにざわめきだした。
「な、なんだあれはっ」
黒の装束に身を包んだ一団が横一文字、人垣をかき分けながら颯爽と歩いてくる。否、かき分けているのではない。彼らの醸し出す異様な威圧感に人々は自然に道を空ける。
「相変わらず無粋な匂いだな、人間界というものは」
黒の集団、その中央で先頭を切って足早に歩を進める男が目深にかぶったローブの奥で呟いた。
「そもそも、人間界などという言い方が気に食わん。誰もここの支配者を人間だとは認めておらん」
その小柄な男の後ろを、十名ほどの大男たちが金棒片手に隊列を組み整然と歩いてくる。
「ああ、ああっ」
せむしの老婆が一人、逃げ遅れて往来の真中でうろたえていた。
「邪魔だ」
歩みを止めない黒い隊列。大男の一人は老婆にむかって金棒を振り下ろした。グシャっという音、無慈悲に踏み潰された老婆。彼女が抱えていた買い物袋の中身が散乱する。
「な、なんてことを…」
取り巻く人々に恐怖が走った。無残な光景に卒倒する者、幼子に残酷な光景を見せまいと目を覆い隠す者。その人垣の中から三人、傾奇者風の男達が飛び出した。黒い一団をキッと睨みつける。
「おいおい、ひでえ事しやがるじゃねえか」
年の頃は十八、九。威勢のいい声を上げる。
「俺たちのシマで身勝手な真似は許さんっ」
抜き身をかざした彼らをチラリと見たローブの男が呟いた。
「許しなど元より請うてはおらん」
指をパチンと鳴らすと、背後の大男たちが一斉に飛びかかった。
「ううがっ。ぐふっ。ぐええっ」
ものの一瞬。
「他愛もない…」
三人の傾奇者たちは金棒の餌食となり、真っ赤な血を噴き上げぐしゃぐしゃに潰れた身体を地面に這わせる結果となった。
「そもそも身勝手なのはお前たち人間の方だ」
その時、ローブの男の目がギラリと光った。
「んっ?」
真っ直ぐ前を見据え、ゆっくりと歩き出す。遠くその視線の先には、弓矢を構えた一人の男、からくりの裕。
「覚悟しろ、妖怪め」
矢の先端の照準は寸分違わずローブの男の眉間を捉えていた。
ニヤリと笑ったローブの男。
「ほう」
裕がその目を照準から離さぬままに尋ねる。
「罪も無い者の命を弄びやがって、てめえ何者だ?」
黒いローブの男はひるむ素振りを見せずに真っ直ぐ向かってゆく。
「俺の名はヌラリヒョン」
さっとフードを外した。禿げ上がった頭から黒い妖気が立ち上る。
「人間はすべて、罪深き生き物よ」
裕の弓手に力がこもる。目一杯まで引き絞られた弦。
「いい加減にしろ…」
馬手の親指をパチンと外すと、カタパルトの如く摩擦熱で白煙を上げて弦が矢筈を押し出した。
「罪の有り無しを決めるのはてめえじゃ無え」
ブレることなく一直線、通り道の空気を水蒸気の軌跡に変えて飛んだ幻ノ矢は、しかしヌラリヒョンの目の前で造作も無く指で掴まえられた。
「いや、俺が決める」
ヌラリヒョンは幻ノ矢をポッキリと真っ二つにへし折って踏み潰した。
「なあ、お前さん」
幻ノ矢を見切られ驚いている裕に、ヌラリヒョンが尋ねた。
「幻怪衆、だろ。ひとつ訊くが、お前の仲間の花魁は何処にいる?」
「知らん」
「俺は幻怪衆の花魁を探している。もう一度訊く。何処にいる?」」
裕は首を横に振った。
「ここにはいない。居場所も告げられてない。まあ、もし俺が知っていたとしてもお前なんかにゃ…」
言い終わる前に、ヌラリヒョンは背を向けた。
「ならばここに用は無い。お前なぞ相手するに値せぬ」
仲間を引き連れて帰ろうとするヌラリヒョン、その背中を裕が睨む。
「待てえっ」
矢筒から三本の幻ノ矢を取り出し、同時につがえた。
「俺をナメやがって…」
弦を弾く音がビーンと辺りを揺るがした。同時に三本の矢がうねるように回転しながら。猛烈な勢いで飛ぶ。狙う先は、背を向けたヌラリヒョン。
「ナメてんのはどっちだあっ」
振り返りざまにヌラリヒョン、激しい形相で掌をかざす。真っ黒く渦巻く波動の塊がまるで墨を散らすように飛び広がった。
「なにいっ」
ヌラリヒョンの黒い波動弾は幻ノ矢をすべて飲み込み消し去った。三本とも、跡形もなく。
「ま、まさかっ…」
目を疑う裕を尻目に、勢いの収まらない波動の渦はまるで身体をくねらす黒龍の如く、野次馬たちの中に雪崩れ込んだ。
「ぎゃあああっ」
流れ弾ならぬ、流れ黒波動。運悪くこれに触れた者は皆ドロドロと融解して果ててしまった。悲鳴と怒号が渦巻く。
「言ったろ、お前じゃ相手にならん、と」
せせら笑うヌラリヒョン。
「こいつらと遊ぶくらいで丁度いいだろう」
手下の大男たちに目配せをし、彼らが一斉にローブを脱ぎ捨てると周囲は一気に騒然となった。
「オ、オニっ」
「オニだあっ」
「喰われるぞっ」
渦巻く悲鳴、逃げまどう人々。慌てて将棋倒しになった者を踏みつけて逃げようとする者。苦々しい顔でその様子を見るヌラリヒョン。
「チッ、ゴミのような連中だ…不愉快だ。皆殺しにしてしまえ」
オニたちは金棒を振り回して逃げまどう人々を次々になぎ倒す。バラバラに砕け散った亡骸、その肉片を手当たり次第に貪り、血を舌なめずりする。
「あいつら、許せねえ…」
拳を握りしめる裕の元に、政吉が駆けつけた。
「手伝います、裕さん。戦いましょう」
「無論そのつもりだっ、生きて帰さんっ」
裕は弓の胴を政吉に持たせた。政吉は片膝をついて弓を横向きに頭上で構えた。
「一気にカタをつけてやる」
裕は両手それぞれに三本ずつ幻ノ矢を持つと、政吉に持たせた弓のそれぞれ上弦と下弦につがえ、力の限り引いた。
「いくぞ」」
繊維状に形成された幻鋼の束で出来た弓が美しい引き成りを見せる。裕のゴーグルには襲ってくる複数の敵の姿がロックオンされていた。
「はあっ」
裕の馬手は一瞬青白く波動の光を帯びた。六本の幻ノ矢はまるで生きているように真っ直ぐ進み標的の眉間を勢いよく貫いた。瞬間的に青白い電光が弾け飛び、六体のオニは散り散りに砕け飛んだ。
「あと四体」
地を蹴って高く飛び上がった裕は空中で矢を放つ。まるで空気を足場にしているかのように。一本、二本、三本、目の覚めるような幻ノ矢を速射であっと言う間にオニを打ち砕く。
「裕さん、最後の一体、こいつですっ」
地上で呼ぶのは政吉。最後の一匹の足をグルグル巻きにして動きを封じる、その鋼弦さばきは師・夫羅ゆずり。
「了解だ、政吉っ」
裕は颯爽と降下、その勢いのままに手に持った幻ノ矢を手槍よろしくオニの脳天に串刺しにした。深々と突き刺さった幻ノ矢の波動で敵はワナワナと震えながら粉々になって吹き飛んだ。
「ほう、やるな」
ヌラリヒョンがニヤリと笑った。
「次はこいつと遊んでもらおうか」
懐から取り出した大きな鎌の柄を地面に数回強く打ちつけると、鋭い衝撃波とともに地面の石畳にヒビが入った。その割れ目から黒煙が噴き出す。
「さあ、出番だ」
割れた地面がゴゴッと隆起し、中から巨体の怪物がおずおずと這いあがってきた。
「な、なんだあれはっ」
腹の底に響く獰猛な咆哮を聞きながら裕と政吉が身構えた。
つづく




