聖戦は喧騒の中に
ダイタラボッチ討伐の帰路、東海道・赤坂の宿の花街で祝杯を上げた幻怪衆、一刀彫の雅と蝦夷守龍鬼、そして河童の煤は激しい戦いの日々を忘れるかのように、ひと時の享楽の渦中にいた。
しかしそれも束の間、煤は黒ずくめの集団に拉致されてしまった。
河童王族の末裔である煤を敵視し「聖戦」を唱え河童族のクーデターを画策した組織、黒の旅団の総帥・ザヒム=ディ・アクラの息子ワンバを名乗る男は煤に対し、虐げられた黒河童族の遺恨を説き、奇妙な術で煤を翻弄しようとしていた。
煤の両肩を掴み、真っ赤に光る眼を直視させたワンバ。
「さあ、煤よ…」
すでに煤は魂が抜き取られたかのように目をうつろにさせている。
「遠い記憶を呼び起こせ…」
耳鳴りがする。強い頭痛が脈打つ。ぼやけてゆく景色の中に、どこか懐かしい風景が見えてくる。
「そうだ、それが我々の本来の姿」
遠くでワンバの声が聞こえる。目の前には楽園が広がっている。河童たちが幸せそうに暮らす、笑顔の絶えない平穏な日々。
「だが我らはやがて『出来そこない』と烙印を押された。そして虐殺の対象になった…」
楽園が破壊されてゆく。次々に上がる火の手が、逃げまどう河童たちを包んでゆく。面白半分に、河童たちが惨殺されてゆく、その光景には吐き気を催し、思わず目を背けたくなる。
「だが、目を反らす事は出来ぬ」
ワンバの声がこだまのように響いてくる。
「我らをこんな目に遭わせたのは人間。この世の支配者を気取り、先住民の我ら河童たちを根絶やしにしようと殺戮を繰り返した。裏で糸を引いているのは、幻怪たち…」
思わず目を閉じる煤、しかし無残な光景は消えない。胸をかきむしられる様な河童の子供たちの叫び声が耳から離れない。
「うあ、うああああっ」
煤はその場にうずくまった。涙があふれる。ワンバの声が耳を刺す。
「さあ、目に耳に焼き付けろ。この歴史から逃れることは出来ないんだ」
恐怖、悲しみ、悔しさ、怒り、様々な感情が一気に雪崩を打って流れ込んできた。全てを押し流すように、煤の心をさらって虚無に変えてゆく。
「さあ、思い出せ。煤」
強く、自信に満ちたワンバの声が語りかける。
「俺たちの敵は誰だ。お前が憎むべき相手は誰だ、さあ」
「に、に…」
煤の唇が震える。ワンバがぐっと強く煤の肩を抱く。
「そうだ、さあ。しっかりとお前の、俺たちの敵を教えてくれ」
「にんげん…」
ニヤリと笑うワンバが煤の耳元でそっと囁いた。
「そうだ、いいぞ煤。そして、その背後にいる幻怪。ヤツらを消し去らなければ、河童の栄光の日々は戻ってこない。これは我らが遠い祖先から与えられた運命なのだ。俺たちの手で、一族に誇りを取り戻そうではないか」
深く、強く、何度も、煤は頷いた。
「ど、どうすればいいんだ…俺は」
か細い煤の声にワンバが答える。
「同胞よ、聖戦を始めよう」
「聖戦…?」
ワンバが煤の肩に手を掛ける。
「ああ、お前さんが幻怪衆と昵懇なのは判ってる。それを利用しない手は無い。ああ、簡単なこと。いつものように、仲間の幻怪に近づいてくれればいい」
「あ、ああ。でもやっぱり俺は…」
再び鋭い目を光らせたワンバ。
「煤。もう一度俺の目をよく見ろ。いいか俺たちは同胞、忘れるな…」
カッと光る赤い目。またしても急に視界がぼやけ、周囲のざわめきが遠のいてゆく。まるで何か心地いいぬくもりに包まれたような感覚。
「ここがお前の帰る場所だ。もうすぐそこに帰れるんだ。素晴らしいところだ」
「あ、ああ。そうだな…なんて美しい、なんて穏やかな」
ワンバはそっと煤に金属製の首輪を取りつけた。
「さあ、お前がその楽園に帰るための鍵を、取り付けてやった。安心しろ、お前はそのまま仲間のところに行くだけでいい。その後は永遠の楽園と無上の平穏がお前を待ってる」
「あ、ああ。そうか…そりゃいいな…」
煤の目はもはや焦点も定まっていないように見える。半開きの口が浅く速い呼吸に合わせて震え、立つ足元もおぼつかない。
「ふふ、可愛いもんよ」
不敵に笑うワンバに、手下の黒服が尋ねた。
「頭領、一体あいつに何を…?」
「幻惑の術。古来妖怪たちが培ってきた技の一つよ。自分は高等で賢いと思っている輩に限って引っ掛かる。狸や狐でさえ使いこなす初級の技術だがな」
「で、あの首輪で何をしようと?」
「あの首輪に付いてる小さな玉、あれは爆裂弾だ。煮屠蝋と云う南蛮渡来の強力な爆薬が仕込まれてる。一発で周囲五間は吹っ飛ぶ。あいつが幻怪衆に近づいた時、この起爆装置を押せば…」
顔を見合わせ、ワンバと手下はニヤリとした。
「生きる爆弾、ですな」
「これほど確実な爆弾は無え。自爆殺戮、だからな」
ワンバは手下に命じ、念の為、と煤の持ち物全てを取り上げた。
「ん、通信機器か、これは。なんだこの覚書は、やたら難しい算術の式じゃねえか。あとこれは…しかし流石だな、河童族の優秀さが判る」
感心するワンバ。手下が問うた。
「なんでまた持ち物を」
「万が一、術から醒めた時の為だ。もっとも、抵抗など出来るはずもないがな。俺がこの起爆装置に手をかけりゃ首どころか身体中バラバラだ」
サディスティックな笑みを浮かべたワンバが煤の背中をポンと押した。
「さあ行け、お前の自爆攻撃で幻怪たちを消せ」
起爆装置を舌なめずりする。
「積年の恨み、ここで晴らす。そして閻魔卿さまも俺の力を認めざるを得まい」
人は、ひとが何をして何を考えどう生きているのか、道端の石ころほどにも思いを巡らせないもののようだ。
花街に鳴り響くお祭り騒ぎ、賑やかな歌。色っぽい女郎たちの肌も、チカチカと光る鮮やかな提灯の明かりも全ては他人事。通りすがる人々は残酷なほど自分以外には無関心だ。
うつろな目の煤が、喧騒の中をただ歩く。ときどきよろめきながら、自分を奮い立たせるように。向かうのは旅籠・橋衛右衛門鱒屋。
「復讐…聖戦…」
呟く声もかき消されてゆく。人ごみに紛れるように、きっちり三間おいてワンバと手下の黒服たちが後をつける。
「さあ、煤。行くんだ、生体爆弾よ。幻怪を殺せ、闇の帝国に立てつくヤツらに最上級の痛みと恐怖を与えてやれ」
中心街に近づくにつれ増す賑わい。もうそこの角を曲がれば旅籠が立ち並ぶ通りは目の前だ。
「俺は…おれは…」
煤は呪文のような呟きを大きくさせながら早足で、灯篭のある角をサッと曲がった。駆け足気味でついてゆくワンバと黒の旅団。
「ん?」
道行く人々の中、煤が振り返って立っていた。
「なあ、ちょっとお願いがあるんだが」
「ど、どうした。煤っ」
立ち止まって驚くワンバ。行き交う人々は気にとめる様子もなく。通りがかりのほろ酔いの男は女物の浴衣に身を包み南部牛追い歌を口ずさんでいる。
「いな~か~なれ~ども~よ~」
しばしの沈黙を煤の一言が破った。
「ワンバさん、なあ」
「ん、ん?」
生気を取り戻したような煤の目が笑みを浮かべていた。
「死ぬのは、あんたの方だ」
一瞬、たじろいだワンバ。
「なにっ、術が解けたかっ。だが…」
慌てて起爆装置を取り出す。
「バカめ。その首、今すぐ吹っ飛ばしてやるっ」
煤を睨みつけたワンバは、しかしすぐに顔を引きつらせた。
「お、お前は・・・?」
さっき通りすがったはずのほろ酔いの男が、煤の横に立っていた。女物の浴衣の袖の先から覗くフリント銃。片目には眼帯。
「通りすがりの酔っ払いだ」
ニヤニヤしながら煤と顔を見合わせた。銃身をそっと撫でた蝦夷守。
「ああ。こいつの方は、なあに。シラフと変わらんさ」
ひょいと突き出した銃口、パンッという破裂音とともに飛び出した鉛玉がワンバの手をはじき飛ばした。
「うがっ」
転がった起爆装置は人ごみの中へ。
「ど、何処へ行ったっ」
赤い灯篭が作る濃い影と道行く人々の足元が、転がっていった起爆装置を見つけ出すのを困難にしていた。唇を噛むワンバ。
「ええい、こうなったら…」
怒りの形相を露わにしながら、湾曲した鋭い剣をかざして突進してきた。
「なんだ今度は力づくってか」
煤は咄嗟に菅笠を投げつけた。鋭く回転しながら飛ぶ菅笠はまるでブーメラン。たじろぐワンバ。その間に蝦夷守は銃に次の弾を込めようとする。
「あっ、あれっ」
だが酔いのせいか手元がおぼつかない。煤の菅笠を剣ではじき飛ばし、ワンバは目の前に迫る。
「酔っ払いめっ、鈍いんだよっ」
高々と掲げ上げられたワンバの剣は、しかし、力なく地面に落ちた。
「ぐっ、ぐあっ…」
白目を上転させ虚空を見上げながら崩れ落ちるワンバ。その背後には、浪人笠をかぶった剣士が立っていた。
「黒河童めっ、鈍いんだよ」
背中から深々と雅の崇虎刀に胸を突き抜かれたワンバは、どす黒い血ヘドを吐き散らして息絶えた。
「ほら、大将は死んじまったぜ。どうする、ザコさんたち」
ワンバの手下に挑発するような蝦夷守が言う。
「聖戦に、どうするもこうするも、無い」
黒の旅団はひるまない。
「我らは死を恐れぬ黒の旅団。ああ全員道連れにしてやるっ、行くぞ、狙いは爆裂弾だっ」
「えっ」
驚く幻怪衆三人を取り囲み、黒河童の暗殺団は一斉に襲いかかってきた。
「煤っ、上を向けっ」
雅が叫んだ。言われるがままに真上に向いた煤の首元を崇虎刀が風を切りながら一閃。
「ひいっ」
煤に取り付けられた首輪は断ち切られ、爆裂弾がふわっと宙に舞い上がった。このまま落下すれば皆吹っ飛ぶ。雅が叫ぶ。
「蝦夷のっ」
弾を込めるのに手間取っている蝦夷守を見て雅が舌打ちした。
「チッ、だから飲み過ぎだっていうんだ。煤、肩を借りるぞっ」
言うが早いか雅は煤の肩に足を掛け踏み台にして飛び上がった。落下してくる爆裂弾に崇虎の峰を合わせて滑らすように方向を変え、再び空高くに弾き飛ばした。
「さあ、準備完了」
ニヤリと笑った蝦夷守が銃口を天に向ける。
「見っけた。あれだな」
火を吹いた銃口から飛び出した鉛玉は、夜空を切り裂き、やがて爆裂弾に追いついた。満点の星空に、激しい音と共に眩い光がぶちまけられた。
「どうだい」
「おっ、いいねえ。綺麗だねえ」
一斉に人々が空を見上げる。
「今ごろ花火とは、粋だねえ。たまやああっ」
「大きいねえ。かぎやあっ」
人々の笑顔が明るく照らし出された。
「うがっ」
「ぐうっ」
「ぐへっ」
人々が空の光に目を奪われているその刹那に、雅の崇虎刀の切っ先が二閃、三閃と鮮やかに光を反射して弧を描きだした。
「さすがっ」
銃口からの硝煙をフッと吹き消しながら感心する蝦夷守。
「今のは速かった」
「いやいやまだまだ」
着地した雅はカチン、と刀身を鞘におさめた。
「本気出したらこんなもんじゃねえよ」
ガサッという音。雅の背後で黒の旅団の殺し屋たちは皆、胴体を真っ二つに切り裂かれて地に這った。
「長居は無用」
「ああ、いい言葉だ」
三人はそそくさと花町を後にした。
「おい、ちょっと休もうぜ」
矢作川に掛かる大きな橋の下、一行は腰を下ろした。
「あっ」
煤が急に声を上げた。
「どうしたっ?」
「翁から預かった旅費、全部旅籠に置いてきちまった…それに、せっかく今晩の旅籠の泊まり賃払ったのに、結局無駄になっちまった」
がっくりと肩を下ろす煤。
「一番いい部屋とってたってのに…荷物運んでくれるお姉さんキレイだったのに・・・」
雅と蝦夷守は、ふう、とため息をついて煤の肩をポンと叩いた。
「まあ、仕方ねえさ」
「なあ、こんな日もあるってことよ」
にっこり笑顔でそれぞれ懐から取り出したのは一升瓶。
「ほれ、蓬莱泉」
「ほれ、孝の司」
煤も笑みを漏らした。
「いつの間に…ま、いいですよね。全財産置いてきたんですから、お土産ってことで」
戦いの疲れを癒す橋の下での美酒の宴、朝日が射す頃は三人とも夢の中にいた。
つづく