妖怪魚人・岩魚太夫あらわる
幻魔鏡を在り処が恵那峡谷であることを木曽路の山賊・那喝均蔵から聞きだした幻怪衆・悦花と夫羅親娘は、均蔵を伴って現地に向かったが、いち早く到着していた山天狗たちの襲撃を受けた。吊り橋からの転落では一命を取り留めたが、敵に囲まれてしまった。
「残念だったな、諸君」
闇夜に光る二つの魚眼。姿を現したのは魚類の頭部をもつ妖怪だった。強い邪気が周囲を覆う。
「あいつは、岩魚太夫…」
夫羅が呟いた。
「かつては人間を助けたりご馳走を振る舞ったりする岩魚坊主と呼ばれる種族の一員」
「そんなヤツが何故」
悦花の問いに夫羅が小声で答えた。
「多くの犠牲を払って水害から人間の村を救ったものの、その後モノノケとして迫害に遭い住処を追われ人間を恨むようになった。その邪念が負の波動となって増幅され閻魔卿に取り込まれたに違いない」
岩魚太夫が低い声で言った。
「物事の経緯などどうでもいい、必要なのは結果だ。そしてその結果は、ああ君たちには残念だが、俺の勝ちだ。お前たちが探し求めたものは、これだろう。ふふふ」
一方の手に杖、そしてもう一方の手には虹色に光る万華鏡が握られていた。均蔵が思わず叫んだ。
「あれはっ。まさしく幻魔鏡」
まるで生きているように、呼吸しているかのように幻魔鏡を包む光のオーラが拍動している。
「しかし、サカナ野郎。お前さんもバカだな」
夫羅が笑みを浮かべて言った。
「大事なお宝を手にしたらさっさと親分のところに尻尾振って逃げ帰りゃいいものを、ノコノコ見せびらかしに出てきやがって」
岩魚太夫が言い返す。
「バカはお前らだ、知らんのか。幻怪衆の花魁は今や冥界でも一、二を争う高額の賞金首だ。みすみす見逃す手は無かろう」
悦花は岩魚太夫を睨み返した。
「ふっ、光栄だね。そんな格別の扱いをいただいて。だが、勝てるとでも思ったのかい?」
「負ける戦はしないんだよ、おれはっ」
岩魚太夫がサッと杖を持つ手を挙げた。一斉に周囲の山天狗が襲いかかってきた。狙いはもちろん悦花。
「けっ、田舎天狗ふぜいがっ」
波動で伸び縮みする幻鉱製の大煙管が光った。次々に脳天を割られて山天狗たちは倒れてゆく。だが次から次へと鋭い爪をかざしてくる敵にじりじりと後退する悦花。
「こうなったら」
押し寄せる山天狗の群れを引きよせる悦花は、ついに大勢に取り囲まれてしまった。
「はあああああっ」
その中心から悦花の野太い声が地響きのように唸りを上げた。同時に強い閃光が取り囲む山天狗たちの身体を貫く。
「ぐはああうっ」
まばゆい光輪は光と炎をうねらせながら悦花を中心に同心円に広がった。
「あれはっ」
頭に巻いた波動抑制の「封じ布」を外したフルパワーの悦花がけたたましい声に乗せた強力な波動は、その通り道にあるものは分子構造まで粉々に分解してしまう。
「伏せろッ」
夫羅の叫びに幻怪衆一同が身を屈めた。悦花が放った光の輪は彼らの頭上をかすめ、河原の石を次々に粉砕しながら高熱と白煙を伴って遠くまで闇夜を照らしながら蒸散した。
「ふふ、いい声だ」
波動をひょいと飛び越えてかわした岩魚太夫が不敵に微笑んでいる。
「よし、今だっ」
夫羅は屈みこんだ姿勢から、岩魚太夫めがけて鋼線を投げつけた。らせん状に伸びる鋼線の先端。
「甘いっ」
だが岩魚太夫はサッと身体をのけぞらせて鋼線をやり過ごした。
「そんなチンケな技では俺は倒せんぞ」
夫羅が叫んだ。
「ああそうだろう。だがお前を狙ったわけじゃない」
クイっと手元を引き寄せると、伸びきった鋼線は再びらせんの軌道で夫羅の手に戻る。その際、岩魚太夫が手に持った幻魔鏡に先端を巻きつけながら。
「もらったあっ」
しっかり幻魔鏡に巻きついた鋼線を手繰り寄せる夫羅、奪還に成功した。さあ、と均蔵に目配せ。
「でかしたっ」
均蔵は手に持った煙幕弾を投げつけようと手を振り上げた。それは山賊稼業には欠かせぬ目くらまし。
「ちょ、ちょっと待って」
悦花がその手を制した。
「あ、あれをっ」
悦花の視線の先には仁美。岩魚太夫が持っていた杖は、実は彼の武器である釣竿だった。飛び出した糸が仁美の首に何重にも巻き付き、先端の毒針が頚静脈を貫かんとしている。
「く、くるし、い…」
みるみる顔を紫色に変色させる仁美。
「仁美いっ」
身を乗り出して叫ぶ夫羅を横目に見ながら、岩魚太夫があざ笑うように言った。
「特製の毒薬が塗ってある、これが刺されば娘は三日三晩苦しみ抜いた末に死ぬことになる」
「卑怯だぞっ、岩魚太夫っ」
「卑怯で何が悪い、これは戦だ。さあ、返してもらおうか幻魔鏡を」
釣竿を持つ手に力を込める。さらにキリキリと締まってゆく釣糸。悦花はひそかに大きく息を吸い込んだ。岩魚太夫はそれを見逃さない。
「来るかっ、波動かっ」
「はああああっ」
再び悦花の声の波動が発せられた。今度は真っ直ぐ岩魚太夫に向かって光の直線がうねりながら突き進む。
「そう来ると思ったよ、ふふ」
岩魚太夫が背負った大きな黒い盾を前にかざした。
「波動声術、破れたりっ」
眩い光の波動はその盾に衝突した瞬間、まるで吸い取られるように消えてしまった。
「なにいっ」
狼狽する悦花を、盾の横からひょいと顔を出した岩魚太夫があざ笑うように言った。
「この盾は魔鉱石。両面宿儺さまから戴いた逸品よ、お前の波動など恐るるに足らぬわ」
「魔鉱石…」
夫羅が呟いた。
「古代の幻冥戦争が残した遺物、波動鉱石のうち、幻鉱石と対をなすと言われる物質。つまり幻怪の波動の逆位相の波動を強く帯びているため、波動攻撃は干渉によって無力化されてしまう。魔鉱石が本当に存在したとは…」
呆気にとられて立ちつくす悦花に向かって突進した岩魚太夫は鋼鉄製の靴で思いっきり悦花の腹を蹴りあげた。
「ぐあっ」
血ヘドが飛び散る。次は悦花の喉を激しく蹴りあげた。身体をのけ反らせて吹っ飛んだ悦花の顔をさらに踏みにじる。
「ふふ、もうこれで声も出まい」
岩魚太夫の命を受けた手下の山天狗たちは悦花の身体を、口までぐるぐる巻きに縄で縛り上げた。
「もう手も足も出まい、悦花。お前を閻魔卿の元に連行する。計画通り、いや幻魔鏡の見せた未来図通り、と言うべきかな」
仁美は毒針を喉元に突きつけられたまま。反撃の出来ない夫羅から奪い取った幻魔鏡を受け取ると、岩魚太夫は高笑いした。
「がははは。すべてこいつが教えてくれた」
岩魚太夫は幻魔鏡をを得意げにひけらかし、覗きこみながら語り始めた。
「お前たちが吊り橋から現れることも、戦法も、全てこいつが俺に見せてくれた。すべてはその通りになった。そして花魁が血ヘドを吐いて倒れる姿まで、な」
岩魚太夫は幻怪衆たちの動きを、幻魔鏡を使う事で事前に知り得ていたというのだ。
「ちくしょう、全ては読まれていたのか…」
幻怪衆は唇を噛んだ。
つづく




