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小説幻怪伝  作者: 蝦夷 漫筆
魔鏡を巡る攻防~木曽路編
67/122

幻魔鏡が映した未来

 裏木曽の山賊、那喝均蔵なかつきんぞうは幻魔鏡を欲しいと懇願する幻怪衆の悦花えっか夫羅ふら親娘を前に語りだした。


 「幻魔鏡を覗き込んだ俺には、本当の未来が見えた。あれが、あれが真実だ」

 「真実とは…?」

 均蔵が低く呟いた。

 「破滅だ」

 「…どういうことだ、負けると云うのか俺たちが」

 しばし無言の均蔵だったが、ゆっくりと語りだした。

 「それはわからない。幻魔鏡は物事を断片的にしか見せてくれない。まあ、俺の波動の力が足りんだけなのかも知れないが…」

 均蔵は葡萄酒の香りを愛しむように口に含みながら続けた。

 「この葡萄酒は、遠く仏蘭西から取り寄せたもの。その仏蘭西で先日反乱が起きた。搾取される民と朝廷の醜い争い、ちなみに反乱する民を率いるのはかつて仏蘭西で皇帝を名乗りながら、その圧政によって座を奪われ死した男の子孫」

 「何が言いたい?」

 「人は醜い争いから逃れられん。幻魔鏡は、覗き込む者の波動すなわち命を削り取りながら未来を見せる。だが常にそこに映し出される未来は、いくさや殺し合いしかない」

 夫羅が反論する。

 「そりゃ人間が生きるうえで少々のぶつかり合いは…」

 「少々だと?」

 均蔵が夫羅の言葉を遮った。

 「そんな生易しいもんじゃねえ。この世のありとあらゆる場所で、女だろうが子供だろうが無残に切り刻まれていく。そして街ごと、いや国ごと吹っ飛ぶような爆裂弾がすべてを壊す。キノコの化け物みたいな煙の下で毒の雨を喰らい、お天道様は姿を消す。死の荒野が延々と続く大地に変わり果てる…」

 「そ、そんな…しかしいつ…?」

 「わからねえ。明日なのか、百年先か、一万年先か。だが、この世は常にむごい殺し合いが続き、永遠に人は苦しみから逃れられないんだよ。それこそが真実」


 挿絵(By みてみん)


 「いや、違うね」

 しばらく黙って聞いていた悦花であったが、ゆっくりと口を開いた。

 「それは、あんたの心が見せる未来」

 「いや真実だ。焼け野原の中、僅かに残った人間たちも互いに殺し合い奪い合い絶滅する。累々たる屍の上をウヨウヨと這いまわる蟲だけが生き残る暗闇の世界が待ってる。これは変えられない真実」

 葡萄酒を飲み干す均蔵。

 「あの鏡が間違った未来を見せることはない。俺はあの鏡を手に入れてから何度も試した。賽の目、伏せた花札の柄、隠された財宝…実際そのお陰で俺はこれほどまでの財を為したんだ。すべてに連戦連勝だった」

 「だった?」

 夫羅が首をかしげた。均蔵が答える。

 「ああ。だが、俺は異変に気付いた」

 「異変?」

 「幻魔鏡を覗き込むたびに、どんどん老けてゆく、力が落ちてゆく。あれは見る者の波動を吸い取る魔の鏡。そして、最後はただおぞましい阿鼻叫喚の終末戦争だけしか見えなくなった…」

 夫羅はゴクリと唾を呑んだ。均蔵が頷く。

 「そう。未来の地獄絵図は誰にも変えられない。ゆえに、今をただ受け入れるのみ。俺は山賊の縄張り争いからも手を引いた。この山奥で細々と馬を育ててひっそり生きてゆくのさ」

 「くだらん…」

 悦花が小声で言った。均蔵が耳を傾けた。

 「ん、なんだと?」

 「くだらん、って言ってんだよおっさん。鏡はあんたの醜い心を投影しただけだ。真実なんかじゃない。コソ泥ふぜいが見る夢なんてのはせいぜいそんなもんさ」

 「いや確かに鏡は…」

 「あんたに見えた未来は、あんたの心が見せた未来。わたしの未来じゃない」

 鼻で笑い飛ばす均蔵。

 「ふっ、わかったような事を。小娘が。いいか、幻魔鏡は一度だって間違ったものを見せたことはないんだ。知らぬ者が語るな」

 「物事は見る者によって全く違って見える。同じものを映し出していても、お前さんの汚い心にゃ汚いものにしか見えないってことだよ」

 そっぽを向いた均蔵。

 「勝手にやってろ、正義の味方ごっこを、な」

 「あんたこそ、この箱庭で勝手に腐ってればいいさ。でもね、この子の未来はどうなるのさ」

 悦花は、すっかり怯えている仁美を指差して言った。

 「あんたが不貞腐れるのは構わない。けれど、この子たちの未来は誰が守ってやるんだい。いつやってくるかわからない終末におびえて今を投げ出すなんて愚の骨頂」

 「ううっ…」

 均蔵はチラリと振り返った。肩を震わせ、目に涙を浮かべて怖がる仁美の姿に、かつての自らの娘・由梨の姿を見たのかもしれない。悦花は続けた。

 「大河の一滴は決して逆流しないわ。でも、すべての滴が向きを変えれば、どんな大河も流れを変える。小さな未来を積み重ねれば、大きな未来も必ず変わる。それを見せてやるのが大人の使命ってもんじゃないのかい?」

 「ちっ…」

 またしてもそっぽを向いた均蔵。手酌で注いだ葡萄酒をぐいと飲み干す。

 「んなのは絵に描いた餅…」

 ため息をもらす幻怪衆たち、その前をサッと通りすがったのは由梨だった。早足で近づき父親の前に立った。ふと見上げた均蔵の頬をパシンと叩き、声を張り上げた。

 「父さんっ、目を覚ましなよ。昔の、あの頃みたいな父さんに戻って…」

 転がるワイングラス、こぼれた葡萄酒はまるで流れ出た鮮血のよう。その上にポタリ、ポタリと澄んだ雫が垂れ落ちる。

 「お、お前…」

 見上げた均蔵は娘の潤んだ目を、噛みしめた唇を見た。


 「もう俺は、俺は…」

 均蔵は洋卓に顔を伏せた。夫羅が尋ねる。

 「何が、何があった…?」

 「父さんは、もともと幻翁さまの弟子だった」

 「えっ、じゃあ幻怪衆の一員…」

 均蔵は顔を上げた。

 「ああ。もともと俺は尾張柳生の一員だった。だが雲仙はある時から強硬な殺戮者に変わってしまい、ついて行けなくなった俺は、同じく雲仙と袂を分かった穏健派、恵那の天膳が開いた恵心塾に身を寄せた」

 「恵心塾…妖怪との共存を図りつつもその妖怪に皆殺しにされたという…」

 「ああ、だが俺はその事件が起こる前に幻翁の元に修行に出されたんだ。生来気の荒かった俺をなんとか一人前にしようという天膳の計らいでな」

 由梨は言った。

 「その頃、わたしが生まれた。物心ついた頃、父は希望に燃えた戦士だった。誰よりも、輝いていた。でも、幻魔鏡が全てを変えてしまった」

 「幻魔鏡が?」

 均蔵は洋卓をドンと叩いて言った。

 「ああ。偶然か必然か、山賊たちの噂を聞きつけた俺は封印された幻魔鏡を見つけちまったんだ」

 均蔵は語った。幻魔鏡が未来を見通すことを知り、その力を利用してやがて幻翁さえ出し抜くようになったこと。その力に酔い、その力で富を築き、幻翁からも離れ、山賊たちを従えて無法の限りを尽くしたこと。

 「だが、彼らを救えなかったんだ…」

 均蔵が幻魔鏡を覗く度に、奇妙な光景を見るようになった。妖怪たちになぶり殺される者たちの姿を。それが恵心塾に起きるであろう悲劇だと知った時には手遅れだった。

 「無数の骸の前で、おれはただ泣きわめくしかなかった。今さら幻翁のところに戻る事も出来ず、そのまま山賊稼業の日々を過ごした。だが…」

 その後、均蔵が幻魔鏡を覗きこむと必ずこの世の終末が見えるようになった。その鮮烈な光景が頭から離れなくなり、悪夢にうなされ毎夜飛び起きるようになった。

 「もう何のために生きなきゃならないのか、俺は見失った。すべてを狂わせあの鏡を、俺は再び封印し、世捨て人となったんだ」


 夫羅が尋ねた。

 「じゃあ、幻魔鏡は…」

 「ああ、ここにはない。恵那峡谷にある大きな岩、通称『笠岩』の下に埋めた。もう二度とあれを掘り出す事はない、と誓ったが…」

 夫羅が均蔵の目を見据えて言った。

 「幻魔鏡こそが、今唯一の希望の光だ。俺は今からそこに向かう。どうする、均蔵」

 ふと均蔵が目を逸らした。

 「お、俺は…」

 駆け寄って由梨が声を張り上げた。

 「父さん、もう一度あの鏡に向き合って。まだ手遅れじゃないわ。父さんが失ったものを取り返すのは今しかない。あの頃の、私が心から誇りに思う父さんを取り戻して」

 「そうだな…」

 均蔵は由梨の目をじっと見た。

 「大河の流れを変える一滴、とやらに、俺もなってみようか…」


 悦花は立ち上がり、あらためて深々と頭を下げた。

 「お願い致します。幻魔鏡を使って、なんとしても我らの切り札『願いの破片』の最後の一片を探し出さなければ、この世は闇に包まれてしまいます。ぜひあなたの力が必要です」

 「ああ」

 均蔵も立ち上がり、手を差し伸べた。

 「この均蔵、そして那喝一家、もう一度夢を見てやろうじゃないか。今度は悪夢にゃしない」

 悦花はその手を強く握った。

 「だがな」

 均蔵が眉をひそめて言った。

 「この一件、そう簡単には行かぬやも知れぬ。なにしろここ数日、不穏な動きが目立っているからな」

 「不穏な動き?」

 「ああ。二日前には、それこそ尾張柳生の手の者と思しき忍が屋敷に侵入した。蔵を荒らしていたゆえ物盗りかと思ったが、あの紋章は間違いない。尾張柳生だ」

 「えっ、尾張柳生の組織は先日崩壊したはず…」

 「いや、俺もかつては在籍したんだ。あの紋章を見紛うはずがない。若く、右腕に傷を負った忍であった。しかと確認したわけではないがおそらく単身乗り込んで来た様子だったが」

 悦花は目を見開いて均蔵に詰め寄った。

 「柳生の、右腕に傷ですって、もしやそれは雲仙の跡継ぎの?」

 「いや知らん、そこまでは知らん。俺も雲仙と袂を分かって随分になるから…」

 その時、屋敷の裏手の庭園で大きな音がした。ガシャーン、とけたたましい音。続いて均蔵の手下が血まみれになって屋敷に駆け込んだ。

 「頭領、曲者、曲者が…」

 「曲者だと?」

 「天狗です、あれは間違いない…」

 意識を失ったその手下を悦花と仁美に介抱を指示し、均蔵と夫羅はすぐさま庭に出た。

 「ううっ、なんという」

 均蔵の部下の衛兵たちが無残な亡骸となって横たわっていた。おびただしい血が苔の上をゆるやかに流れ広がる。

 「あっ、あれかっ」

 バサバサッという音とともに生垣を超えて逃走する幾つかの影。夫羅が咄嗟に懐の匕首を投げつけたが、敵はかなりのスピード。宙を舞うようにして飛び去っていった。均蔵は落ちていた羽毛を拾い上げて呟いた。

 「山天狗…この羽根は間違いない。上古井村あたりを棲みかにするが、元来人に悪さをするような連中じゃない」

 「闇の勢力がここにも及んでいる、ということか。しかし何故」

 「おそらく幻魔鏡が狙い。我々が切り札を手にするのを是が非でも食い止めようとするに違いない。我らの話を聞かれたか…」

 「先を越されるぞ」

 均蔵は夫羅の目を見て言った。

 「こうなったら俺たち那喝一家もこのまま引き下がるわけにはいかない。ああ、この命くれてやろう」

 急いで戦支度を調えた那喝一家の手練たちと幻怪衆は、幻魔鏡が隠されている恵那の峡谷を目指した。


 日が翳ってきた。西から橙色に染まりゆく空で、鱗雲の光沢が金属のように鮮やかに浮かび上がってくる。涼しさを増す夕刻の風に吹かれ聞こえてくる蝉の声に混じって、秋の虫たちの美しい声。

 「あっ、姉ちゃん、見て。見て」

 仁美の声に振り返った悦花は丘の上から眼下の景色を見下ろした。曲がりくねった木曽の渓流の両脇にそそり立つ岩壁は神々しく、色付き始めた木々の葉を柔らかな夕陽が照らしていた。

 「きれい。本当にきれい。この景色、わたしたちがしっかり守るわ」

 奇岩・笠岩に向かって歩を進める一行。その根元に埋まっているという幻魔鏡は、一体どんな未来を描き出すのか。もうすぐ陽が落ちる。


つづく

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