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小説幻怪伝  作者: 蝦夷 漫筆
魔鏡を巡る攻防~木曽路編
66/122

中山道の山賊、那喝一家

 瑠璃紺るりこん色の空、山の端から盛り上がる白い雲の合間にはところどころ、もう鱗状の雲を見かけるようになった。

 石畳の美しさに心奪われる中山道、馬篭まごめ宿本陣前の立て札に留まる蜻蛉とんぼはもう茜色に染まっている。

 「北上するにつれちょっとずつ、風が冷たさを増すな」

 大夫おおぶの郷で、退役幻怪衆の島二郎からの情報を得、千里眼の伝説を持つ幻魔鏡を求め、那喝なかつ一家の縄張りである木曽路に入った幻怪衆、花魁の悦花えっかと密偵の夫羅ふら親娘。


 「それにしてもやたら厳しいじゃないの、この辺りの関所の検問」

 悦花がうんざりした様な顔でため息をついた。

 当時、お遍路を装いさえすれば大概の国境の関門も怪しまれることは無かったと云う。だがここではそうはいかないようだ。夫羅が説く。

 「この辺りは山賊たちが幅を利かせてる土地だ。中にゃ倒幕派に大量の武器を流してる組織もあるっていうから公儀の目も厳しくなるってもんだ。今から会いに行く那喝一家も山賊の集団さ」

 「山賊ねえ。古今東西、身勝手な武力組織が絶えることはない、ってわけか」

 悦花が呆れたように言った。

 「人間てのはどうしようもない生き物だねえ…」

 苦い顔の夫羅。

 「おいおい、人間とひとくくりにしねえで欲しいもんだ。あ、そこを左だ。その小路」

 摺鉢すりばち山を右手に、後山を左手に仰ぎながら沢に沿って北上する。島二郎の手描きの地図を広げながら夫羅が道案内。

 「ずいぶんカラスが多いな、この辺り。確かこれが…大滝河」

 ひんやりした風が美しい渓谷を通り抜ける。すでに橙色に色づく葉があちこちで季節の変化を主張する。

 「ええと、らせんの滝、霧ヶ滝、そして天河滝…もうすぐだっ」

 美しい渓谷の左右に荘厳な滝が並ぶ。田立ただちの滝と言われる名勝の深部、不動滝の横のジグザグした岩場を登る。

 「うわっ、滑るっ」

 幼いながら山歩きになれた仁美でも、急でかつ苔むした岩場は難関。夫羅がしっかり手を握り岩場を登りきったところにある龍ヶ瀬に辿り着いた。

 「綺麗ねえ」

 実に澄んだ流れが棚田のような岩肌を滑らかに、リズミカルな音を立てながら流れ落ちてゆく。そんな名瀑に見とれている暇も無く、一行はこの岩場の奥にある那喝一家の隠れ家を探した。

 「あれだ。あの屋敷、間違いない」

 小路を降りて行ったところに鬱蒼とした木々に囲まれた庭園、その奥にちょっと古風な門構えが見える。中山道木曽路の一帯に知られた山賊、那喝一家の本拠地だ。


 「山賊、こわい山賊。その親分ってどんな人なんだろう…」

 不安がる仁美。島二郎から訊いた情報の覚書を見ながら夫羅が答える。

 「那喝一家…かつてはあの尾張柳生とも派手にやり合ったらしい。だが数年前から傘下の遊馬ゆま一家にその利権を譲って表舞台から姿を消した」

 チャートの岩盤構造に囲まれるようにしてその屋敷は存在した。古風な田舎流儀、合掌造り。


 「誰もいないな…」

 ひっそりとした山間、木々から滴り落ちる露の音だけが澄んで響き渡る。夫羅が屋敷の扉に手を掛けた。

 「はあっ」

 その時、頭上から風が吹いた。いや、自然現象ではない。目に留まらぬ速さで振り下ろされた刀の切っ先が巻き起こした風。

 「ひいっ」

 思わず夫羅が目をつむる。目の前にギラリと光った刃をすんでのところで食い止めたのは悦花の煙管だった。夫羅の背後から波動を込めてぐいと伸びた煙管が刀を跳ね返した。

 「チッ」

 扉の上の木にぶら下がっていた刺客がサッと飛び降りた。璃寛茶りかんちゃに染められた忍者服が突進してくる。同時に飛び上がった悦花が夫羅の頭上を越え刺客の前に立つ。

 「いきなり何だいっ」

 答える素振りなど見せずに刺客は斬りつけてきた。下段から上段、左右に打ち分け悦花を後退させる。

 実戦的。最小限の軌道で悦花の首筋を、脇腹を次々に狙ってくる。

 「調子に乗りやがって…」

 足元を狙ってきた一撃に煙管を合わせる。カーンという甲高い金属音を響かせて刺客の刀が跳ね上がった。思わず刀を取ろうと飛び上がる刺客、それより一瞬早く宙に飛んだ悦花。

 「失礼だよっ、客人に対してさ」

 振り下ろした煙管の先から電光のように鋭い波動が放たれた。刺客は覆面を斬り裂かれ、全身に強い衝撃を受けて倒れ込んだ。

 「うああっ」

 「お、お前っ」

 破れた覆面。刺客の顔を見て悦花が声を上げた。

 「女かっ」

 「お前だって女だろう、何を驚くことがある」

 めげずに立ち上がって再び悦花に襲いかかろうとする刺客の長い髪が揺れる。

 「ちくしょうっ」


 手裏剣を持ち振りかざした刺客の手は、屋敷の奥から聞こえた大声で動きを止めた。

 「なんだ、何事だっ」


挿絵(By みてみん)


 やけに眼つきの鋭い男が姿を現した。一件簡素だが上質にあつらえられた着物。

 「無粋な。目が合えばすぐ刃をかざす、これだから人間は野蛮だ」

 「誰だ、お前は」

 男は幻怪衆に向かって名乗りを上げた。

 「俺は那喝一家の主、均蔵きんぞう

 そして大声で女刺客を諌めた。

 「こらっ、またか。客人にいきなり襲いかかるなと何度も言ってあるだろう」

 「しかし、お父様…」

 顔を見合わせた幻怪衆。

 「お父様?」

 「ああ、これは俺の娘だ。ちょいと血の気が多くて困っておる。さあ、謝りなさい由梨ゆり

 女刺客はバツがわるそうにペコリと頭を下げた。

 「ご、ごめんなさい」


 「ところでお主らこんな山奥まで何しに来た」

 均蔵の鋭い目が幻怪衆に向けられた。一歩前に出て夫羅が答える。

 「幻怪衆、夫羅と申す。貴殿が持つ鏡に用があって参った」

 均蔵は口角を上げた。

 「ほう。夫羅、か。名前を聞いたことがあるぞ。翁の弟子だな」

 「なら話は早い。鏡だ、わかるな」

 「ふっ、幻魔鏡のことか。だが話はそう早くはないぞ、まあ入れ。さあ由梨、客人を案内せい、やんちゃ娘め」


 女と云うものは、出で立ちが違えばこうも印象が変わるものか。いや、心の変化が出で立ちに現れるのか。

 「さあ、こちらでございます」

 短くまとめた百塩ももしお茶の髪がふわりと薫る。均蔵の娘に先導され、屋敷内の広間に通された幻怪衆は思わず目を見開いた。

 「なんと豪奢な…」

 外見からは想像もつかない。南蛮渡来の調度品に絵画がずらりと並ぶ、まるで王侯貴族の部屋だ。大理石の洋卓には色とりどりの果物が並んでいる。

 「たいしたもんだ…」

 「山賊がいい暮らしをするのは当然だろう。そうでなきゃこんな危険な仕事は割に合わん」

 均蔵は一人一人に葡萄酒を注いで回った。興味津々に匂いを嗅いだ仁美が思わず顔を背ける。

 「ああ、お嬢ちゃんにはまだ早いな。おい、この子には酒じゃない、絞り汁を持ってこい」

 「なあ、均蔵さんよ」

 貧乏ゆすりしながら夫羅が言った。

 「もてなしはいいんだ。それより早く幻魔鏡を…」

 「ん、なにをそう慌てる。この世も人も儚い、生き急ぐは死に急ぐこと、そうではないか?」

 「儚いからこそ、精一杯走るんだよ。まあいい禅問答なぞしている暇はない。幻魔鏡が必要なんだ、今すぐに」

 目を閉じて首を横に振る均蔵。

 「で、その幻魔鏡で何を見たいんだ」

 「あるものを探してる。幻魔鏡でなきゃ見つけられない。それでこの世が救われる」

 「この世を救うだって?」

 「ああ、今冥界から闇の勢力が迫ってる。幻翁を知っているのなら、閻魔卿の噂くらいは訊いた事があるだろう、もう残り時間が少ないんだ」

 身を乗り出す夫羅を一瞥し、フッと鼻で笑う均蔵。

 「ふっ。何を思い上がった…」

 「いやこれは真実」

 「真実? 真実なら俺も知ってる」


つづく

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