伝説に向き合う
全てを見通すと云う伝説を持つ幻魔鏡の手がかりを探して額田の大夫の郷を訪れた夫羅親娘と花魁・悦花。
そこにはかつて幻怪衆の一員であり夫羅の盟友であった飾り職人、島二郎が隠遁生活をしていた。島二郎に協力を要請するが、度重なる無益な戦に嫌気がさした彼は首を縦に振らない。
ピリピリした空気の中、幻怪衆を追い返そうとしていた島二郎は、悦花が首から下げた黒い勾玉の欠片に気付き、声を上げた。
「そ、その勾玉の欠片…」
「えっ?」
闇の帝国との戦いに協力しようとしない島二郎に苛立っていた悦花だったが、ふと肩透かしを喰らったように驚いた表情を見せた。
「あ、これ…これは、母の形見」
「お母さん?」
「い、いや、あたしは会った事もないんだけど。閻魔卿に殺された母が私に遺した唯一の形見がこの首飾りなんです。割れた勾玉なんてちょっと不格好なんですが、これを着けているとなんだか力が湧いてくるような」
夫羅が付け加えた。
「なあ島。この子は鵺姫の忘れ形見なんだ、あの鵺姫の。稲葉山にひっそりと匿われるように産み落とされたこの子は手にこの勾玉を握っていた」
もう一度、確かめるように悦花の胸元に下がる勾玉をまじまじと覗き込んだのち、ため息と共に再び腰を下ろした島二郎はゆっくりと口を開いた。
「究極の護身具。俺の師、緋武有来先生がお作りなさったものだ」
「緋部有来せんせい…?」
「幻怪の直弟子にして究極の道具職人。幻怪直伝の秘法を駆使して武具や防具を作っていた。その最後の弟子が俺だ」
「幻怪直伝の秘法?」
驚く悦花。夫羅はただ目を閉じ頷きながら訊いていた。島二郎は勾玉の欠片に、瞬きも出来ないままに魅入られている。
「噂には聞いていたが…」
悦花は止め具を外し、そっと島二郎に手渡した。
「うっ、うあああっ」
だが島二郎は触れた瞬間に焼けるような感触を手に覚え、また全身をえぐるような衝撃に襲われた。
「間違いないっ、この波動。ああ、まさしく究極の勾玉…」
「どういう事?」
いぶかる悦花。島二郎はチラリと夫羅を見る。夫羅は二、三度頷いた。島が悦花に向かって語り始めた。
「鵺姫さまは幻界大戦の最中、突如現れた救世主。だが幻怪では無い、人間の娘。鵺姫を守るため、幻界の導師たちは持てる力を結集して究極の護身具を作った。いかなる波動の攻撃も跳ね返す、という」
「それが、この…」
「ああ、その勾玉に違いない」
島二郎は悦花を見据えながら続けた。
「だがその究極の護身具、勾玉は割られ、幻界は崩壊した…命からがら逃走した幻怪の一人が死の直前にその技術を、来るべき時に備え人間界の有能な道具職人に伝えた。その職人こそ緋武有来先生」
「あなたが、その最後の弟子…」
「そうだ。俺で最後。なぜなら有来先生と高弟たちは皆殺しにあったからな。俺がまだ鼻ったらしのガキだった時分のことだ。闇の勢力が幻怪の息のかかった者たちを探し出し手当たり次第に殺戮した」
「えっ…」
息を呑む悦花。目を閉じて島二郎が言った。
「俺は恐怖に足がすくんで倉庫の暗がりからその様子を見ているだけだった…ヤツらが去った後、息絶える寸前の有来先生に、幻翁を訪ねるよう言われたんだ、いずれ襲来する闇の勢力に対抗する幻怪衆になれ、と」
「そうして夫羅さんと知り合いに…」
「知り合い、なんてもんじゃねえ。同じ釜の飯を食った兄弟さ。それにしても…」
目を開いた島二郎は、あらためて悦花を食い入るように見入った。
「鵺姫に子がいたとは」
夫羅が頷く。
「俺もつい最近まで知らされていなかったんだ。悦花の存在は然るべき時が来るまで徹底的に隠されていたってわけだ」
「えっ、わたしが?」
驚いたように二人の顔をキョロキョロ見る悦花。
「何故、何故わたしが…」
島二郎が言った。
「それはお前さんが次の救世主になるべき存在だから、だよ。いや、次じゃなく今、と言うべきだな。現に再び出現した闇の勢力に対抗できる力を持ってるのはお前さんしかいない」
夫羅が付け加えた。
「ああ、そうだ。十分に成長するまえに見つかって殺されでもしたら、いや、もっと怖いのは悦花が闇の勢力に取り込まれてしまうことだ。実際高い波動を持ちながら邪悪な誘惑に負けて闇の手先になった者もいる…」
あらためて、悦花は胸元の勾玉の欠片をぐっと握り締めた。
「でも、どうしてこれは、究極の護身具は、割れてしまったんでしょう」
「それは」
夫羅と島二郎、同時に声を発し、夫羅が目配せで語り部を島二郎に譲った。
「閻魔卿だ。ヤツが放った強力な暗黒の波動弾が、勾玉の持つ守護力さえ突き破り真っ二つにした。そして鵺姫の身体をも貫いた…」
思わず息を呑んだ悦花。
「か、母さんが…」
静かに頷いた島二郎。
「ああ。その瀕死の状態で、おそらく最後の力を振り絞って、お前さんが産み落とされた。そういうわけだ。救世主の血を、鵺姫さまは命がけで繋いだんだ」
勾玉の欠片を握ったまま涙ぐむ悦花。しばしの沈黙の後、島二郎に向かって夫羅が言った。
「なあ島。わかってくれ。俺たちは決して戦いを望んでいるんじゃない」
島二郎はじっと目を閉じて聞いている。夫羅が続ける。
「戦いの無い世界にしなきゃいけない。だから、今立ち上がらなきゃいけない。俺たちはこの悦花に賭けてる。永らく続いた戦乱が終わるか、醜い争いが永遠に続くか、今が瀬戸際。力を貸してくれ。頼む、島」
目を開け、夫羅を仁美、悦花と目を合わせ島二郎は静かに頷いた。
「わかった。だが、もう俺は長年の隠遁生活ですぐに戦える身体じゃない。一体どうしろと…」
「幻魔鏡が要る」
島二郎が鋭く眼を光らせた。
「幻魔鏡、それが何か知ってるのか。一体それで何をしようっていうんだ?」
夫羅が答えた。
「閻魔卿はとんでもない兵器で世界を破壊しようとしている。それを食い止めるには『願いの破片』を集める必要があるんだが、その最後の一片が見つからない。すべてを映し出すという幻魔鏡があれば、在り処がわかる」
「たしかに、な」
島二郎は言った。
「幻魔鏡は古代幻界の魔導師が作ったとされる伝説の道具。純度の高い幻鉱石が幾層にも連なり高い波動が秘められてる。そしてその鏡を持つ者の波動と共鳴、共振したとき、時空の歪みを生み鏡面にあらゆる真実を映し出す」
「古代の魔導師ですって?」
「ああ、あの鏡は幻界の神器の一つと言われてる。いや、言われてた。幻怪大戦で無残に破壊され、そのことが幻界の崩壊の原因の一つになったとも言われてるそうだ」
息を呑みながら夫羅が言った。
「それが幻界の乱だな…翁の云う」
「詳しいことは知らん。ともかく、伝説の神器は失われた。だが我が師、有来先生はその存在を信じて長年かけて粉々に割れた破片を見つけ出し、幻怪の生き残りから授かった技法で復元に成功した」
幻怪衆一同は目を輝かせた。
「それが必要なんです。閻魔卿の最終破壊兵器に対抗できる力を持つと言われる『願いの破片』を見つけ出すために、幻魔鏡がどうしても必要なんです。ぜひ私たちにそれを…」
身を乗り出す悦花を一瞥した島二郎。
「あいにくだが」
悦花の表情が曇る。目を反らした島二郎。
「有来先生が闇の連中の襲撃を受けた際、粉々になっちまった。妖怪たちの負の波動と干渉しあって膨大な気流を巻き起こしながら消滅した。だから、もう手に入らねえ」
フッと横を向いた島二郎。その表情をじっと見入った悦花は低い声で言った。
「いえ、あなたは隠している」
ハッと悦花を振り向いた島二郎。その額には汗が流れている。
「な、なにを…」
「島さん、あなたの心の動きが波動に表れているのよ。わたしは幻怪、そんな嘘は通じないわ…まして私は物心ついた時分から遊郭暮らし。人の心の裏も表も見通す術は身につけてきた」
互いの目を見る二人、心の奥底まで覗きこもうと云うのか。先に島二郎が目を閉じ、小さく微笑んだ。
「ふっ、わかるのか。さすがだな、そのへんは母さん譲りってとこか。まあいい。確かにお前さんの云う通り、幻魔鏡の話にゃ続きがある」
緊張の糸が解けたように大きく深呼吸した悦花は、再び腰掛けて冷茶を口にした。
「続き?」
「わずかに残った幻魔鏡の破片を、俺は密かに集めた。それが師の意思を継ぐと考えたからだ。しばらく幻怪衆として戦いの日々を過ごした後、ゆえあっておれは幻翁の下を離れた。その後俺は江戸で飾り職人をしながら幻魔鏡について調べた」
「幻怪衆を辞めて、ってこと?」
首をひねる悦花。島二郎は大きく頷いた。
「ああ、そうだ。力で争い合うのはうんざりだ。戦いは悲しみと憎しみの連鎖を生むだけだ、と気付いたのさ。だがこの世の争いは一向になくならねえ。俺はその糸口を幻魔鏡に見出したんだ」
聞いていた夫羅が笑みを漏らした。
「昔はお前、力が全てだ、なんて言ってたくせに」
「ふっ、お前の醜態を見て考えを改めたのさ。まあそんなことはどうでもいい。ともかく俺は数少ない幻鉱の純鉱石を手に入れ、幻魔鏡の破片の僅かな残りとともに、波動を増幅する筒の中に入れた」
「筒?」
「ああ、小さな筒。万華鏡のようなもんだ。だがその万華鏡はただキレイな絵を描き出すだけじゃない。覗き込む者の念の波動を共鳴させて真実を映し出す。過去だろうが未来だろうが、遠い異国だろうが、時空を歪ませて小さな孔を開ける。その覗き穴が見えるんだ」
「それはまさしく…」
夫羅が呟いた。
「よみがえった幻魔鏡」
つづく