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小説幻怪伝  作者: 蝦夷 漫筆
魔の鏡を探せ~大府編
63/122

勾玉の島二郎

 一面に広がる水田。その穂先は少しずつ緑色から黄金色に変わりつつある。晩夏ののどかな田園風景を歩く花魁・悦花えっか、そして幻怪衆の密偵・夫羅ふらとその娘・仁美ひとみ

 「今年ったらいつまでも暑いな」

 夫羅が流れる汗を拭いた。地平線の向こうにそびえる入道雲が焼けつく陽光を反射して藍色の空に際立っている。あぜ道の花をちぎって愛らしい腕輪をつくって見せびらかせながら、仁美が不意に悦花に問うた。

 「ねえ、お姉ちゃん。あの腕を怪我した忍者のお兄ちゃんは何処に行っちゃったの?」

 言うまでもない、尾張柳生の御曹司・鴎楽おうらくのこと。宿敵でありながら思いを寄せる悦花を救う代償として、彼の父親である雲仙うんぜんの毒手裏剣を腕に受け、瀕死の状態のまま独り立ち去ったまま。

 「さあね…」

 気にしない素振りをすればするほど、案じているのが見てとれる。仁美が心配そうに言う。

 「顔色だいぶ悪かったし」

 「一応あれでもしのびらしいから、大丈夫なんじゃないの」

 そっけなくいう悦花を見てフッと笑みをこぼした仁美。子供とは意外と鋭く心の機微を見抜くもの。

 「お姉ちゃんは、あのお兄ちゃんの事、実はす…」

 慌てて仁美の口を塞いだのは夫羅。

 「これこれ」

 その手を払って口を尖らせた仁美。

 「だってあたし見たもん。お姉ちゃんの煙管の中にお手紙が入ってたの。知ってるわあたし。『コイブミ』って言うんだよあれ。お姉ちゃんそれ見て笑ったり泣いたり…」

 聞こえない振りの悦花は懐の煙管をギュッと握りしめていた。その後ろ、眉をひそめた夫羅は悦花に見えないようにシーッと人差し指を立てて仁美を睨んだ。慌てて話題を変えるように夫羅は悦花に尋ねた。

 「そう言えば翁、大丈夫ですかねえ。だいぶ参ってたようですが…」

 「ひろがついてるからね。ああ見えて薬師としての腕も確かだから。今頃は長森ながもりの隠れ家で手当てを受けているはずよ」

 「で、ですよね…」

 「ひとの心配より、私たちは私たちの任務を」

 「おっしゃる通り…」


 ここは額田のあがた大夫おおぶの郷。

 加納の戦いの後、一刀彫の雅、蝦夷守龍鬼、河童の煤は遠淡海の怪物退治に出かけ、からくりの裕が政吉まさきちと共に幻翁げんのおきなの手当てと留守番をする間、悦花と夫羅親娘は知多半島を南下していた。

 「手掛かりは唯一」

 夫羅が言うように、姿をくらました雲仙が持つ「願いの破片かけら」最後の一片を探すためには、幻魔鏡げんまきょうを手に入れる必要がある。

 「ねえお父さん、今から会いに行く人がその幻魔鏡っていうのを持ってるわけ?」

 「違う違う。あいつが持ってるわけじゃない。もともと幻魔鏡は幻界にあると云われた伝説の逸品。その復元に成功したといわれる職人が武蔵の国にかつていた。今から会う男はその弟子だったんだ」

 「じゃあその人に頼めばまた作ってもらえる、ってこと?」

 夫羅は首を横に振る。

 「それも違う。もう幻魔鏡は作れないらしい。だが俺はあいつがその破片の一部を持ってると訊いたことがある」

 がっかりしたようにうつむいた仁美。

 「なんだ…大丈夫なの、そんなおとぎ話みたいな…」

 悦花がため息をつきながら言った。

 「そんな話にさえすがらなきゃいけないくらいに状況が逼迫してる、ってことなんだよね…」

 夫羅が相槌を打つ。

 「ああ、わずかな手掛かりでも手に入れなきゃ」


 強く照りつける日差しの中、大夫の郷の若い衆は村祭りの準備に忙しいと見える。神輿の手入れ、踊りの稽古、山村に鳴り響く太鼓のリズム。

 「確かこの辺り…」

 賑わいからやや遠ざかった郷の外れ、水車小屋の脇で、木陰に座して黙々と薪割りに勤しむ男を見つけた。

 「おお、暑いのに精が出るな」

 夫羅が男に声を掛けた。

 「ん?」

 男はチラリと振り返った。厳しい表情。ナタを振る手を止めぬままに、ぶっきらぼうな言葉。

 「ああ、薪割りに暑いも寒いも関係ねえからな」

 「なに、あの人、感じ悪いっ」

 思わず口に出した仁美を睨む夫羅。薪割りの手がピタッと止まり、男は腰にぶら下げていた布で額を拭いながらゆっくりと立ち上がって振り向いた。

 「お嬢ちゃん…あんた…」

 しかめるような険しい目に気付いて少し後ずさりした仁美、その顔を覗き込むようにして男は言った。

 「もしかして、仁美ちゃん。仁美ちゃんかい。大きくなったなあ」

 「あ、あっ。え、えっ?」

 戸惑う仁美。

 「あたしを知ってる、の?」

 「ああ、まだやっと首が据わった赤ん坊だったがな、俺の知ってる仁美ちゃんは」

 急に笑顔をみせたその男と目が合って、仁美もわずかに微笑んだ。その様子を見ていた夫羅が再び声を掛けた。

 「久しぶりだな、島。ああ『勾玉の島二郎』と呼ぶべきかな…」

 男は敢えて目を逸らすように、再び座して薪割りを始めた。

 「なあ、俺たちはもう会わねえ、って約束だったんじゃねえのか。ん、暴れん坊の夫羅さん、よ」

 小さなため息をついて夫羅が言う。

 「そんな名前で俺を呼ぶのは今やあんたくらいだよ。ちょっとだけ、ちょっとだけでいいんだ。話を訊いてくれ」

 「ふっ、お互い若かったってわけだ。坊夫羅ぼうふらなんて仇名だったな、あんた」

 日焼けした浅黒い肌に、玉のように吹き出る汗を水車の隣に湧く水でザーッと流した島二郎は一行を屋敷の中に案内した。

 「さあ、こっちへ」


 真夏でも風通しがよく、屋敷の中は案外涼しい。簡素な板の間に腰かけた三人に、冷たい湧水で入れた茶を出しながら島二郎は言った。

 「ああ、久しぶりだ。もう十五年は経つか…俺は島二郎。かつて飾り職人だったが、今はこうして郷の日用品を作ったりして日銭を稼いで暮らしてる。夫羅の古い友人だ」

 冷茶をすすりながら夫羅が言った。

 「そして、幻翁の弟子、幻怪衆の戦士…」

 島二郎が言葉を遮る。

 「それは昔の話。もう足を洗ったのさ」

 二人の間にある張りつめた空気に、悦花も仁美も口を挟む余地はなさそうだ。

 「確かに俺は…」

 ゆっくりと島二郎が語った。

 「戦いに身を置いたさ。そしてそこで、たくさんの血を、数多くの涙を、幾つもの別れをこの目にした。戦いとは、悲しみと憎しみを膨らませる愚かな行為」

 「そう言うが島、あの頃俺たちは…」

 再び夫羅の言葉は島二郎の強い口調に遮られた。

 「どう言おうが結果は同じさ。どんな大義名分も、殺し合いを正当化する事なんて出来やしない」

 夫羅を軽く睨みながら続けた。

 「誰かを救うなんてのは思い上がり。誰かに頼ろうなんてのは甘え。どっちも間違いの元だ。殺生は決して未来を作らねえ、なあ夫羅。あの時も俺たちはこんな話をして別れたはずだぜ」

 屋敷の中を拭きぬける風がやけに涼しい。

 「わかったかい。じゃ茶を飲んだならさっさと帰んな」


挿絵(By みてみん)



 目を合わさぬまま席を立った島二郎。しばらく黙していた夫羅が声を上げた。

 「ああ、そうさ。お前さんの言う事は正論。間違いねえ。だがな、今俺たちが傍観者を決め込んだら、これまで以上の血が流れる。これまで以上の悲しみがこの世を覆い尽くす。お前の力が必要…」

 「正論?」

 島二郎が目を剥いた。

 「自分を正当化してるのはお前さんさ。妖怪やオニなら殺したって構わねえ、ってのか。そりゃ都合良過ぎるぜ。自分たちだけが正義って何故言い切れる?」

 「うう、相変わらず頑固なやつ…」

 うつむいた夫羅に吐きつけるように島二郎は言った。

 「いくさなんてのはな、ほんの一握りの腹黒い連中が私腹を肥やしたいために尤もらしい大義をとってつけて始めるもんさ。そんなのに付き合って罪なき者たちが大勢死ぬことは無え」

 「でも…」

 急に、舌足らずな細い声が荒々しいやり取りに割って入った。

 「おじちゃんは、好きな人とかはいないの?」

 島二郎をじっと見上げて問う仁美の表情は無垢。そこには何の含みも誘導もない。

 「え、あ…あ?」

 思わず睨むように仁顔を覗き込んでくる島二郎に、仁美がさらに問う。

 「好きな人が襲われても、好きな人が殺されそうになっても、戦わないって言うの?」

 「そ、それは…」

 「ふうん、いいよ。おじちゃんはここで不貞腐れてればいいよ。あたし戦うもん。もうすぐ怖いモノノケが襲ってきたら、あたしが戦うもん。大好きなお父さんを、お姉ちゃんを、みんなを守らなきゃ…」

 「おいおいお前みたいな子供になにが判る…」

 急に悦花が立ち上がった。

 「聞いて、聞いて下さい、島さん。あなたが経験した苦しみは、ええ、私たちには到底判り得ないのかもしれません」

 確かに、島の表情から、その発言の裏に秘められたあまりに深い悲しみと思慮は十分すぎるほど伺えた。しかし悦花はさらに声を上げた。

 「あなたが言うように、戦いは無益、そこに勝者も敗者もない。ただ皆が罪を背負うだけ。でも、今、白旗を上げてしまったら、この世は永遠の苦しみに満ちてしまうんです。未来のために私は罪を背負う覚悟が出来ています」

 「あ、あんたは…?」

 島二郎は怪訝そうに悦花を見た。

 「その首飾り…」

 悦花は構わず続けた。

 「あなたもかつて幻怪衆だったならご存知でしょう、閻魔卿。彼がこの世の全てを破壊する超破壊兵器を完成させようとしている。それを食い止めなければならないんです、あなただってこの世に暮らす一員なら知らんぷりで過ごそうなんて…」

 島二郎はゴクリと唾を飲み込み、一呼吸置いて言った。

 「わ、わかった。しかし、その首飾り、その勾玉の欠片をどうやって手に入れなすった?」


つづく

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