巨人ダイタラボッチとの死闘
遠淡海で群れを為す水棲オニたちを退けたと思ったら、湖に似つかわしくない巨大な波が二度、三度。潜水艇・河童丸の船内に避難し、新兵器「相場銅」のモニター画面を見た雅が息を飲んだ。
「見ろ」
蝦夷守と煤も画面を覗き込んで声を上げた。
「こりゃヤバい、湖に棲む巨大生物現る、って感じだな」
「けっ、まるでインチキ瓦版のネタじゃねえか、それじゃ」
「いやいや、それがインチキでもねえぞ、今回は」
湖底で暴れ回る大きな影を河童丸の船底の波動センサーが捉え、相場銅の画面に映し出していた。
「一旦潜行しますっ」
煤が操舵棹は操舵棹を引き下げ、緑色の艦を遠淡海の底にもぐりこませる。
「いや、ダメだ。中も激しい水流に引っ掻きまわされてる」
雅が言うように、湖面の波だけでなく、水中でも渦を巻くような水流が起こっており、船は右に傾き左に傾き。
「こりゃ危ねえぞ、一時退避ってとこだな」
蝦夷守の言葉に煤と雅も顔を見合わせ頷いた。煤は動力ハンドルを目一杯回してカラクリ仕掛けのモーターを全力で駆動させる。
「まずは体制立て直し…」
生きているような激しい湖底の水流に抗うように、湖の出口目指して南下を始めた河童丸だったが、急におおきなうねりに巻き込まれた。
「うあっ、なんだっ」
「うおっ、船ごと持ってかれるぞっ」
急に吸い上げられるように船は持ち上がったかと思ったら、今度は重力を失ったかのようにフワリと沈む。木の葉のように、とはこのことか。やがて船は岩礁に何度も船体をぶつけ左右も天地もわからない状態に。
「あたっ、あ痛たた…」
シェイクボトルの様になった河童丸、気付くと遠淡海の北、猪鼻湖の湖岸に船体をすっかり乗り上げていた。
「ああ、まだ目が回ってる…」
天蓋を開け蝦夷守、続いて雅が外に出た。
「少しばかり休むぞ」
「ああ、久々の船酔いだな、こりゃ。さっき食ったウナギが飛び出てきそうだ。二杯も食っちまったからな…オ、オエエ」
さっきまでの湖のうねりはまるでウソのよう。穏やかな日差しが降り注ぐ中、二人は岸辺の岩にもたれかかって一息ついた。
「しかし、ありゃ何だったんだ」
雅は懐から出した煙草の葉を紙切れに丸めて紙巻きを作り、腰に下げた火種を取り出す。
「今流行りのダイオウイカだ、多分。ふああ」
適当な事を呟きながら欠伸をする蝦夷守。燦々と降り注いでいた日光が、ふと途切れる。
「ふああ、ん、曇っちまったか?」
大きく伸びをしながら、翳った陽を振り返るように仰ぎ見た蝦夷守のあくびが途中で止まった。
「あ、あ…ちょ、ちょ…」
口を開けたまま、振り返ったままの蝦夷守が隣の雅を突っつく。
「んだよ、ちょうちょ、か。んなもん勝手に飛ばせとけ」
火種を風下に身をかがめる雅が、やっと火の点いた紙巻きを咥えて言う。
「ん、なんだい、そんな珍しいちょ…」
同じく、振り返って見上げた雅も口をポカンと開けたまま動きを止めた。
「で、でかいな」
「ああ、でかい」
二人が見上げた視線の先には、まさに天を衝く巨人。
「でか過ぎだろ、こいつ」
真夏の太陽を遮ったのは雲ではなく、この巨人であった。
「高徳院の長谷の大仏っさんってこのくらいだったか?」
大きさはともかく、風体は大仏のような穏やかなものではない。黒緑のヌルヌルした肌にびっしりと藻を生やした顔には大きな一つ目が血走っている。禿げあがった頭に憤怒の血管が幾つも浮き上がり、巨大な牙がギリギリと歯ぎしりしている。
「こいつって、確か…」
顔を見合わせる雅と蝦夷守に向かって、岸の河童丸から天蓋を開けて顔を出した煤が、相場銅で調べた資料画面を見ながら叫んで教えた。
「ダイタラボッチ、ダイタラボッチだよ、こいつっ」
古代から、人を食い田畑を荒らすと伝承される、凶暴極まりない巨人。
「わお。これが、あの有名な伝説の…」
感心しながら見上げる蝦夷守の肩を叩いて雅が言う。
「そんな感心してるヒマあるっけ?」
「いや、無さそう…」
話している間にダイタラボッチが上げた右足は、二人を潰さんばかりの勢いで踏み降ろされた。
「あらっ。凄いのね、さすが伝説」
避けた二人がいた砂浜は大きく凹み、もたれかかっていた岩は粉々に砕けてしまった。
「だから感心してるヒマないんだってば」
また踏みつけようと足を上げるダイタラボッチ。これに踏まれたらさすがの幻怪も命は無い。
「どうする?」
各地で様々な妖怪たちと戦ってきたはずの雅と蝦夷守だが、こんな相手は初めて。
「とりあえず…」
「とりあえず?」
「三十六計…」
「逃げるに如かず、だな。こりゃ」
ドシーンという地響きを立てるダイタラボッチの踏み付けから逃げまどう二人。湖沿いに岸を南へ、走る、走る。
「げっ、意外と速いじゃんこいつ」
大きいイコール鈍い、という印象は早速裏切られ、二人は砂に足元を取られながら必死で逃げまどう羽目に。ダイタラボッチが通った後は、美しい松並木もすべてなぎ倒されて荒野の様に。
「ぐあああっ」
大きな身体から、大きな咆哮。振り回す腕が起こす風に巻き上げられそうになる。時々交差したり、ジグザグに走って逃げる二人にどんどん迫る巨人。
「おい、策士だろお前、なんか無えのかっ。策は」
走りながら雅が叫ぶ。
「なんだ急に頼りやがって」
同じく走りながらの蝦夷守は少々息が上がって来た。少しばかり眉間をしかめて大声で返す。
「巨人相手の戦闘か。まあ、前例に倣うのが得策かな」
「どんな前例があんだよ、こんな巨人と戦うなんて」
「ほら、あれだよあれ。一寸法師」
思い出そうと首を捻りながら雅が尋ねる。
「ん、どうやって倒したんだっけ一寸法師」
呆れたように蝦夷守。
「これだから物を知らないヤツは…ガキでも知ってるっての。敵の腹の中に入ってだな…」
走りながら、しばし無言の二人。
「…」
雅が言う。
「ない、な」
「ああ、ない。少なくとも俺はイヤだな」
「俺もだ」
どんどん近付くダイタラボッチ。ついに振り下ろされた腕が二人の背中をかすめる距離に。叩きつけられた地面が揺れる。
「どうする?」
「もう、俺走るの面倒になった…」
ゼエゼエいいながら蝦夷守。雅も言う。
「俺も」
二人は顔を見合わせる。
「じゃあ…」
急にピタリと足を止めた二人が踵を返す。地面を揺らしながら迫ってくるダイタラボッチに向かって突進、その巨大な脚の間、股ぐらを二人は通り抜けた。
「ぐうあっ?」
大きな体では急には止まれない。ダイタラボッチが身体を屈めて股の間から後ろに通り抜けた二人をうかがう。右の足元に雅、左に蝦夷守が抜き身を振り上げていた。
「せえのっ!」
二人はダイタラボッチの両方の踵付け根の部分を斬りつけた。ブチッという鈍い音、そしてダイタラボッチは両脚の力が抜けたようになって崩れ落ちて膝をついた。
「むふふ、アキレスの筋を斬られたら、古代南蛮神話の英雄でさえ動きを止めて命を落としたという…」
刀を掲げ得意げに語りだした蝦夷守、しかし直ぐ表情を青ざめさせた。
「なんだこの怪物、神以上ってわけ?」
二、三度よろけて立ち上がれないと見るや、膝をついたまま二人に向かって巨大な腕を振り下ろしてきたダイタラボッチ。またしても逃げ回ることになった雅と蝦夷守を追うスピードは四つん這いと思えないほど。
「まじかよ」
湖岸の巨木でさえ、この怒れる巨人のパンチ一撃で根こそぎ吹っ飛んでしまう。もし直撃したら全身骨ごと木端微塵間違いなし。
「なんだか勝てる気がしなくなってきた」
「おいおい、滅多なこと言うもんじゃねえよ」
二人とも肩で息をし始めた。目一杯斬りつけたところで巨人にとってはかすり傷。鉛の銃弾も小石が跳ねた程度のダメージと言ったところか。
「まさしくバケモノだな、こりゃ」
逃げ回りながら頭を抱える二人を、倒された松並木の陰から呼ぶ声が。
「おおい、ちょっとちょっと」
身を隠して手招きするのは煤。
「ん、何だこんな時に」
駆け寄った雅に相場銅の画面を見せながらヒソヒソ話。横目で見た蝦夷守が叫ぶ。
「ちょっとお前ら、おいおい。まさか俺を置いて逃げ帰る相談じゃねえだろうなっ」
呆れた顔の雅が答える。
「ああ、それもいいかと思ったんだがな。まだ返してもらって無え貸しがあるんでな」
煤と顔を見合わせて頷いた雅は、蝦夷守のもとに駆け寄った。
「いいか、煤が言うには…」
小声で作戦会議。
「…てなわけだ、よろしく」
蝦夷守の肩をポンと叩いて走り去った雅。口をあんぐり開けて煤を振り返る蝦夷守。
「まじ、それ?」
ニッコリ笑ってウィンクした煤が答えた。
「まじ、です」
「そうか、そうだな…」
蝦夷守は刀を構えダイタラボッチに一人対峙する。
「やーい、デクノボー、バーカ、おたんちん、ええっと、このブタ野郎、あと、んーっと、チビ、あ、違うな」
あらん限りの語彙を振り絞って罵倒する。
「一つ目っ、あ、俺もか」
それらの意味を理解したかどうかは定かではないか、とにかく目の前でチョロチョロといきがる蝦夷守に向かってダイタラボッチは四つん這いのまま大きな腕を振り回して攻撃してきた。
「おう、ちっとも当たらねえぞ」
蝦夷守は巨人を挑発しながら湖の方に誘導してゆく。その間、雅は全力で走って猪鼻湖の北にある大明神山へ。頂上に立ち、紊帝の剣を高々と掲げた。雅が力を振り絞って全身の波動を紊帝の剣に託すと、みるみる黒雲がその上空に集まり渦を巻き始めた。
「おう、来たか」
穏やかだった空は一転荒れ模様、鋭い稲妻の筋が紊帝の剣の切っ先目がけてガラガラと音を立てて集まり始めた。
「ぐ、ぐうっ」
雅の身体まで貫く雷撃。紊帝だけでなく、雅自身も強く帯電して光を帯びてきた。
「待ってて下さいよ。さあ、こっちも…」
一方、煤は岸辺で自家製の大きなエレキテル発電機のハンドルを必死に回す。蓄電箱にどんどん溜めこまれる電気がブンブンと唸りを上げる。
「さあさあ、まだだ。遊び足りねえぞ。でっかいの」
大暴れするダイタラボッチ、振り回すパンチをなんとかかわしてしのぐ蝦夷守だったが、湖まで辿り着いたところでダイタラボッチが湖面を叩きつけた水しぶきにひるんだ隙に、身体ごとむんずと巨大な手に捕えられてしまった。
「あ、あ、あ痛たた。てか、おい。俺は高いとこは好きじゃねえんだっての」
湖の上、ダイタラボッチは膝をついているとはいえ、持ち上げられた高さはゆうに三階の屋根ほどはある。
「降ろせ、降ろせっての」
ダイタラボッチの太い指は蝦夷守の太腿ほどの大きさ。これが全身をギリギリ締めつけるのだから呼吸さえままならない。あばら骨が軋む音が聞こえる。そのまま蝦夷守を食いちぎろうと巨人の鋭い牙の生えた口が迫る。
「待て待て、俺なんかより、この辺じゃ美味しい海苔が採れるんだ、そっちにしときなよ」
蝦夷守は必死に腰元のフリント銃に手を伸ばしたが、銃口が自分の腹を向いていては引き金を引くわけにはいかない。
「まだ…まだか…」
山の頂上で紊帝を構える雅は、すでに剣先に集まった稲妻の帯電で全身から煙を噴き上げていた。手が、肩が、足がプルプルと震えだした。笠の下で目が真っ赤に血走っている。
「もう少し、もう少しっ」
湖岸、煤の手元のエレキテルの蓄電メーターはあと少しで赤の表示のなされた域に達しようとしている。
「来る、もうすぐ来るぞっ」
真夏の遠淡海に突如発生した黒雲と雷雨は、大気と水面の急激な温度差を生み、真っ白な霧を発生させ始めた。まるで冬の湯治場で冷たい外気に濛々と蒸気が舞い上がるように。
「もうすぐ、もうすぐ…」
山頂の雅、すでに帯電容量を超え身体のあちこちから放電し始めた。皮膚のあちこちが裂けうっすら血が滲みだす。蝦夷守はダイタラボッチの巨大な手の中で一本また一本とあばら骨が折れてゆく音を聞いていた。
「あっ」
視界もままならない程に湖を覆った蒸気の霧に、黒雲の隙間から一瞬、眩い太陽が顔を出した。
「来るっ」
強い日差しの閃光が湖面を突き刺し、水面から一筆で描いたように七色の虹がサーッと鮮やかに描き出された。蒸気の霧が陽光を反射し一斉にキラキラ輝きだす。
「見てろっ」
煤が蓄電器いっぱいに溜めこんだ電流を、太陽エネルギーを浴びて蒸散する霧に向かって一気に放出すると、湖上に大量のプラズマが発生した。さらに煤は相場銅に繋いだ銅線の端子を湖上のプラズマの塊の中に突っ込んだ。
「これぞ新兵器、優越微。相場銅のあらゆる情報を微弱電流として優先的に送り込むってわけよ。このプラズマが相場銅の巨大な画面になるっ」
手元の相場銅を指でクイッ、クイッと操作すると、湖上の巨大なプラズマスクリーンにはまるで実物かと見まがう程の巨人像が出現した。しかも相場銅から優越微端子を通じて自由に動きを演出できる。
「ぐあああっ」
ダイタラボッチが吠えた。野生の習性か、突如目の前に出現した巨人のホログラムに向かって威嚇する仕草。ひるまぬプラズマの巨人に向かってダイタラボッチは突進し始めた。
「蝦夷さん。さあ、さあ逃げて」
煤の叫び声に、気を失いかけていた蝦夷守が目を覚ます。
「うう…こうなったら仕方ねえな」
腹に押し付けられているフリント銃の撃鉄を起こし、引き金を引いた。激しい破裂音、飛び散る鮮血。漂う硝煙の匂い。
「い、痛ってえっ。痛ええっ」
蝦夷守自身の腹の肉をえぐった銃弾はそのままダイタラボッチの手のひらを直撃した。一瞬、ひるんだダイタラボッチが蝦夷守を掴む手が緩む。
「今だ、飛び込めっ」
「だからさ、高いとこ苦手なんだっての…」
「好き嫌い言ってる場合じゃないっ」
「ええいっ」
目もくらむ高さから湖面にダイブ。激しく上がる水しぶき。
「潜れっ、早く潜れっ」
「なんだよ命令ばっかりだな」
「いいから早くっ」
煤の声に従い蝦夷守は湖深くに潜り込んだ。同時に山頂の雅が紊帝の剣を湖上のプラズマに向かって振り下ろした。激しい稲妻の集合体が湖に突き刺さった。
「ぐあああっ」
悶えるダイタラボッチを、沸騰した湖水の水蒸気の柱とプラズマ放電が包み込む。
「さあ、とどめの一発」
煤が取り出したのは五尺玉。特性の爆薬が詰め込まれたこの花火玉をポーンと上空に投げ上げると、煤の得意技、蹴鞠の右足ボレーキックで花火玉をプラズマの中に喘ぐダイタラボッチ目がけて蹴り込んだ。
「ぐ、ぐふあっ、ぐあああっ」
「試合終了、てなとこですな」
煤が眼鏡の奥の目をニヤリと光らせた瞬間、蹴り込まれた花火玉は湖上のプラズマスクリーンをサッカーゴールの網の如くに揺らせた。ダイタラボッチに衝突した花火玉は炸裂し、帯電した湖上の空気全体が一気に引火、爆発した。
「ぎゃああっ」
激しく渦を巻く爆風、眩い閃光。焼けただれた匂いを残し、ダイタラボッチは跡形もなく消え去った。
「す、すげえ…」
仕掛けた煤でさえ腰を抜かすほどの爆発威力。プラズマ粒子に端子を突っ込んでいた相場銅はすっかりショートして焼け焦げていた。しばし呆然と、まるで何もなかったように穏やかになった遠淡海を眺める煤。
「やったな、煤。しかし今回は俺もこたえたぜ…」
フラフラと山を下りてきた雅、自慢の作州絣のあちこちが黒く焼け焦げ、毛穴からは地を滲ませている。
「ええと、あいつは…」
きょろきょろとあたりを見回す。
「ぷはあっ」
湖の中から顔を出した蝦夷守を見つけて煤と雅はホッと胸を撫で下ろす。
「おお、大丈夫か」
「もう、もうダメだ…」
弱々しい足取り。雅と煤の心配そうな顔を見て、蝦夷守がニヤッと笑う。
「ほら、もう完全にダメだ…」
手に持った烏帽子はすっかり焼けてボロボロに。
「ああ、こっちは大丈夫だけどな」
自分で脇腹を押さえ、グキグキッと捻って見せる。
「こう見えて骨継ぎの心得もあるのよ。ほら、あれっ、なんだか反対だ間違えたか…」
うずくまる蝦夷守、呆れて背を向けた煤と雅。
「さあ、どうやって帰る。船はもうダメだろ」
「そうですね…ま、僕らいい仕事したってことで、今回はのんびり道中楽しみながら帰りますか」
「たまにゃそれもいい」
「あ、さっきの爆発でさ、湖のウナギがちょうどいい感じに蒲焼きになったんじゃねえか、拾って帰ろうぜ…」
黒雲の去った遠淡海の水面は、再び葉月の日差しに照らされて美しく輝いていた。東の空をみると七色の弧がくっきりと空に架かっていた。
ほんの少しだけ、それは希望という言葉を三人に思い起こさせた。
つづく。