逆襲、柳生雲仙の隠し玉
幻怪衆と尾張柳生一党の激しい闘いは、数々の策略と奇抜な兵器を打破した幻怪衆に優勢に傾いた。切り札の装甲忍者たちが破れ去った今、尾張柳生の頭領・雲仙と残党は孤立した。
それでもなお雲仙の表情に、恐怖や焦りは全く見えない。
「我らはモノノケ狩りを生業としてきた。目的の達成のためには手段は厭わぬ」
うすら笑いの奥に漲るのは自信か。
「負けぬぞっ」
雲仙が指を鳴らす。すると岩に偽装し隠れていた尾張柳生の忍者が急に姿を現した。そのうちの二人が波動封じの網を投げつけながら幻怪衆に襲いかかってきた。
「またそれかいっ、見飽きたっての」
河童の煤が駆けつけ、彼らが投げた網に対して、さらに大きな網を手持ちの筒から発射した。
「ふふ、波動封じ封じっ」
得意げに叫ぶ煤に向かって蝦夷守が呆れ顔で言う。
「なんだそりゃ、もうちょっとマシな名前は思いつかなかったのかい」
「んなコト言ったって、急に思いつきゃしませんってば。名前はいいんです、どうでも。それより、ほら」
より大きな網に絡めとられた波動封じの網をぐいと引っ張る尾張柳生の二人の忍者。思わず引っ張られる煤との間でさながら綱引きの様相。もちろん、鍛え上げられた忍者に河童の腕力は敵うべくもない。
「あら、あらら」
よろめく煤。しかしそのメガネの奥の目がキラリと光った。
「これだから、力に頼る連中は好まないって言うんです」
煤が筒の持ち手の部分の小さなスイッチを押すと、網を伝ってビリビリとした破裂音を伴いながら青い光が広がった。網を必死に握って引いていた忍者二人はビクビクと何度か痙攣した後にその場に倒れ込んだ。
「源内先生の発明品の応用ですよ。こいつのエレキは強力ですからねっ」
網の中に仕込んだ導線に高圧電流が流れる仕組み。
「どうですっ」
鼻高々に胸を張る煤、しかし幻怪衆の面々の表情は固い。
「えっ、ダメですか、気に入らないですか…」
幻怪衆一同は一様に、ゆっくりと首を横に振っている。首をかしげる煤は皆の視線が自分でなくその背後に向いていることに気付いた。
「あっそんなっ」
振り向いた煤が叫んだ。波動封じの網で襲いかかって注意を引き、そのあとの綱引きに気を取られている間に尾張柳生の筋骨隆々たる戦闘兵たちが、避難していたはずの夫羅と仁美を羽交い締めにして喉元に刀を突きつけている。
「ふふふ…」
雲仙が顔を歪ませて微笑んだ。ゆっくりと人質に近づき、手持ちのナイフを仁美の頬にピッタリとくっつけた。
「卑怯な…」
「なんと言われても構わない。目的を達成するためには手段を選ばぬのが我らの流儀」
雲仙のナイフが白くふくよかな頬に食い込む。ふわりと風になびいて産毛が舞った。
「さあ、これは我らの切り札だ。お前たちの選択肢は三つ。見捨てて闘いを挑むか、諦めて武器を置き、死を受け入れるか」
歯ぎしりをする幻怪衆、互いの顔を見合わせる。その様子を見ながら雲仙が言う。
「奇策を労する時間は与えぬ。十数える間しか待たぬぞ。さあ、始める。いち、にい、さん…」
たとえその速さで知られる一刀彫の雅が、全力で斬りかかったとしても間に合うとは思えない。からくりの裕の幻ノ矢は同時に三つの標的を射抜けるが、雲仙の手下はそれを予期してか人間の盾を作って待ち構えている。蝦夷守の銃撃はこの状況下で相手に知られずに弾丸を装填するのは困難。河童の煤の手元には使えそうな小道具は無い、まして政吉にこの窮地を乗りきる術などあるはずもなく。
「しい、ご、ろく…」
時はどんどん過ぎてゆく。数えながら雲仙が嘯いた。
「殺す事が目的の者と、救う事が目的の者では強さに差が出る。その紙一重が生死を分かつ。そういうことだ、ああ、続きを数えるぞ。なな、はち…」
もし、全力で戦いを挑めば、仁美と夫羅が犠牲にならないという保証は無い。そして必ずしも雲仙と討ち取ることが出来るという確証は無い。だがこのままカウントが進めば間違いなく、雲仙は二人を殺害する。どちらも最悪の結果になる可能性が高い。
「きゅう…万策尽きたか、幻怪たちよ」
夫羅と仁美の背後でそれぞれ雲仙の部下が刀を振り上げた。迷うことなく脳天めがけて振り下ろされる。
「じゅうっ…」
バサッと鈍い音。飛び散る鮮血。ぎゃあという叫び声に驚きの表情で振り返ったのは雲仙だった。
「はっ」
荒田川の河川敷を駆け抜けた一筋の影が白く輝く剣を一閃、雲仙の部下たちの膝の裏側の筋を鮮やかに斬り抜いていた。
「救う目的の者が勝つ、最後にゃ。な」
純白の着流しの袖をゆらりとなびかせながら雲仙の背後に立ったのは、はぐれ剣士の差雪だった。そのままの勢いで雲仙に斬りかかる。反射的に雲仙は差雪の方に向かって仁美を突き飛ばした。思わず刀を持つ手をひっこめた差雪。その間に雲仙は飛びのいて幻怪衆と距離を取った。
「誰だお前」
「今日から、いや先日から幻怪衆の仲間入りしたのさ。妖怪狩りの剣士・差雪だ。おまえさんと違って俺は斬るモノノケを選ぶんだ」
「ほう、あの落ちこぼれか」
「その言い方はひでえな、人外と見りゃのべつまくなしに殺しまくってる血も涙もないお前らの方こそ、落ちた狩人じゃねえか」
恐怖から解放されて足腰の力が抜け、横たわる仁美を介抱する夫羅が差雪を見上げて言った。
「き、来てくれたんですね、ありがたい、命の恩人…」
「前も言ったろ、助け合うのはお互い様、ってな」
差雪は夫羅の肩をポンと叩き、再び白い刀を構えて雲仙に近寄る。
「さあ大将。万策尽きたぞ。切り札を失ってもう逃げることさえかなわないだろう、観念せい」
「いや、生憎だが俺はこの程度の修羅場に動じる男でも、諦める男でもない」
雲仙は一度深呼吸し、懐の奥深くに忍ばせてあった鉛箱を取り出した。
「切り札とは、その後にさらなる切り札を用意しておくのが鉄則」
雲仙が特殊なカギを使って幾重に封印された箱のふたを開けると、思わず目を背けたくなるような強い光が漏れ出てきた。
「な、なんだっ」
風か、いや違う。吸い込まれそうでいて、同時に吹き飛ばされそうな、一瞬にして重力が増したような感覚。箱から取り出されたのは煌々と輝く一片の石。雲仙がそっと地面に置いただけで地震のように大地が揺れた。
「尾張柳生は死なず。モノノケ狩りの執念は消えぬっ」
雲仙は腰に下げた大きな槌を振り上げた。その光沢から見て間違いない、これも幻鋼で出来た代物。
「さらばっ」
幻鋼のハンマーが力一杯、輝く石に向かって振り下ろされた。
「ぐああっ」
カーンと云う甲高い破裂音は周囲をぐるぐると回るようにこだましながら徐々にうねりを増す。異様な共振が徐々に耳の奥で不快なハーモニーに変わる。
「な、なんだっ、これは」
一瞬、身体が無重力地帯に入ったように浮き上がった。次の瞬間、はらわたをえぐり出さんばかりの低周波が全身を襲う。同時に視界がホワイトアウトするほどの眩しい光。
「うあああっ」
その場の誰もが、まるで身体が引き裂かれるような電撃を感じた。骨までバラバラに砕けてしまう程の。すべての感覚が麻痺して遠ざかる。
「あう、ううっ」
どれだけ時間が経ったのかわからない。気付くと随分日が高くなっていた。
「どうなった、どうなったんだよ一体」
目覚めた幻怪衆たちは大きな網の中にいた。
「ん、また囚われたってわけ?」
天を仰ぐ蝦夷守、その隣で上体を起こしながら雅が首を振った。
「違うぞ、よく見ろ」
彼ら幻怪衆が尾張柳生得意の波動封じの網の中にいるのは確かだ。だが肝心の雲仙も手下もいない。ただ網の先を握ったままの鴎楽がボロボロの姿で横たわっているだけだった。
「どういうこった…」
首をかしげる一同に向かって幻翁が呟いた。
「あれが、願いの破片の力じゃ…」
「えっ、まさか…あれが我々が探し求める最後の一片」
「ああ、そのまさかじゃ。雲仙が持っていたとは」
「それにしても、何という凄まじい力」
周囲の木々は全てなぎ倒され白煙を上げながらくすぶっている。河原の石も多くは砕けて粉々になっていた。あちこちに横たわる鳥の死骸は、全身の骨が溶けたようにぐったりと潰れている。
「すげえ…しかし、まさかさっきの一撃で最後の一片が粉々に…」
「いや、あんなもんじゃない」
幻翁は覆いかぶさる網から這い出しながら言った。
「ほんの軽い一撃に過ぎん。石の波動と幻鋼の波動の共振が自然界の波動を惹起すればああなる。六つの破片が一体となって力を放出すればあんな程度では済まない。だがそれ程の力なくしては閻魔卿は倒せんのだ」
土埃だらけの全身をパタパタとはたきながら立ちあがった裕が幻翁に向かって言った。
「最後の破片は今…」
「ああ、雲仙が持って逃げたに相違なかろう。ヤツは波動封じの布で全身を覆っていた故、あの波動の衝撃でも耐えられたはず。とはいえ相応の手傷を負ったであろう。早急に雲仙の居場所を探し出し破片を手に入れねばならん」
「我らの次の使命は…」
「ああ、決まった。雲仙の持つ最後の破片、じゃ」
「生きてる、まだ生きてるよっ」
悦花が突然声をあげた。、網の端を持ったままうつ伏せに倒れた鴎楽の背中がかすかに動いていることに気付き、自らも立つのがやっとなほどの度重なるダメージにも関わらず、急いで駆け寄った。
「鴎楽、鴎楽…あんた」
悦花は、ぐったりとしたまま目を開けた鴎楽を抱きかかえた。忍者服がびしょ濡れになるほどに大量の汗をかいている。
「あんたは波動封じの網を私たちにかぶせてくれて…あんたは…」
「いや、俺は大丈夫だ。波動封じの布を身につけているから」
しかし鴎楽の呼吸は浅く早く、荒い。意識も絶え絶えなのか、時折白目を剥く。
「だ、大丈夫じゃないじゃないっ」
叫んだ悦花の視線は鴎楽の右腕に向けられていた。二の腕には深々と手裏剣が突き刺さったまま、腕全体が紫色に変色し異様な匂いを放っている。
「毒…毒だわっ」
悦花はすぐさま手裏剣を引き抜いた。流れ出る血の海の中に、悦花は考えるより前に顔を埋め傷口から毒を吸い出そうとしていた。
「死なないで、お願い死なないで…」
自分の命を救った男を前に、その出自や思想などは悦花の行動を止める動機にはなり得なかった。毒を吸い出す唇がどんどん痺れてくる。悦花の唇もやがてただれて血を流し始めた。
「もう、いい。もういいんだ」
腕を振り払った鴎楽は、駆け寄った裕が差し出した膏薬も拒否する仕草を見せながら、刀を杖代わりによろめきながら立ち上がり、背を向けて歩き始めた。
「ま、待ってよ」
袖を掴む悦花を強く振り切った鴎楽。
「私は柳生鴎楽。モノノケ狩りの戦士、誇り高き尾張柳生の端くれだ…」
もう一度引きとめようと手を伸ばす悦花の手、それをそっと掴んだ雅は振り返った悦花の目を見ながらゆっくりと首を横に振った。
「誰もが、宿命の中に生きている、そういうことだ」
敵対する立場にありながら、何度も命を救ってくれた鴎楽。その温かく大きな背中はどんどん小さくなっていった。
「うっ、ううっ」
流れ落ちる涙。唇から滲む血の味と混ざり合って、やけに苦く感じる。
よろめきながら去りゆく鴎楽、その逆光に浮かび上がった影は、やがて見えなくなっていった。
つづく