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小説幻怪伝  作者: 蝦夷 漫筆
交わることの無き道
52/122

牢にて、処刑を待つ

 百々ヶ峰の幻翁げんのおきなの屋敷が襲撃された。「モノノケ狩り」を身上とする殺戮忍者集団・尾張柳生一党の仕業。山の中腹が猛火に包まれる中、幻翁は囚われの身となった。

 崖下に転落した悦花えっかは自身の武器・大煙管を岩盤に突き立て一命を取り留めた。尾張柳生の跡取り息子、鴎楽おうらくは密かに彼女に思いを寄せており、救出し逃走を手引きする。

 だが待ち構えていたのは尾張柳生の捕り網。波動封じの網の中で身動き出来ぬまま悦花は、優しさを餌に自分を罠にはめた鴎楽に怒り、そんなつもりではなかったと弁明する鴎楽の顔に唾を吐きかけた。

 捕えられた幻翁と悦花は美濃国・加納城下にある尾張柳生一党のアジトに連行された。


 「地下牢へ。明朝二人を処刑する」

 頭領・柳生雲仙やぎゅううんぜんの命で二人は「波動封じ」の縄によってがっちりと縛り上げられた。屋敷の東端と西端、二人は遠く離れた牢にそれぞれ一人ずつ収容される手はずになっているようだ。

 「悦花よ、心折れるでないぞ」

 別れ際に小さく呟いた幻翁は、すぐさま「黙れ」と背後から強く蹴りつけられながら連行された。

 「さあ、嬢ちゃんはこっちだ。ああ、このまま殺すにゃ勿体ないな」

 体臭のきつい不精髭の大男が、にやけた気色悪い顔を擦り寄せてくる。もう一人が急かす。

 「おいおい、滅多な事したら親方さまにお仕置きされちまうぞ。だいたいこう見えてこやつはモノノケ、下手に近づくと食い殺されるかも知れんぞ」

 「おお怖い怖い、早えとこ始末しねえと人間さまが家畜にされちまうってか、ははは」

 二人は、まるで獣のように悦花の首を縛った縄を引いて牢獄に放り込んだ。

 「さ、残念だがこの縄は解いてやれんがな、嬢ちゃんは恐ろしいモノノケ、何しでかすかわからねえからな。朝までのこの世の見納めが監獄とは申し訳ねえが、まあ諦めてくれ、がははは」

 無粋で反吐が出るほどにいやらしい男たちだったが、遠ざかって独りになるとそんな声でさえ恋しく思えるほどに重苦しい空気に包まれる。 

 夏でもひんやりとした石造り、天井から落ちる地下水の雫が肌を濡らし一層寒さが増す。いや、実際に身体が冷えるだけではなく彼女の心にぽっかりと空いた穴を通り抜ける風が、その一番の原因かも知れない。

 「うっ、うっ」

 なぜかだろう、涙が溢れてくる。分厚い鉄格子に閉じられた牢内の嗚咽など誰にも聞こえるはずなどない。空気穴から漏れ出るかすかな月光が、ひょっこり迷いこんだ夏の蚊の不規則な動きを照らしている。

 「これが、これが運命というものなの…?」

 自分の吐息が反響する以外の物音は聞こえず、ひたすらに空気の重さだけがのしかかる。尽きる命の待ち時間の演出とはかくも粗末なものなのか。

 「えっ」

 不意に静寂が破られ、誰かが階段を下りてくる足音が聞こえてきた。冷えた石畳の床をタン、タンと一定のリズムを刻みながら大きくなる。鉄格子の外、続いてフワッと微かな温かみと同時に蝋燭の柔らかな光が牢内を橙色に染めた。

 「な、なんなの、誰?」

 揺れる炎に映し出されたのは、牢の前に立ち尽くす黒覆面の男。だがその物憂げな眼は、中身が誰なのかを悦花が知るには十分であった。

 「鴎楽…最低だよ、あんた。哀れな私をわざわざ見物に来たってのかい。ああ、あざ笑いたいなら笑えばいい」

 キッと睨みつける悦花。間を置いて鴎楽も口を開いた。

 「信じてくれ、誓って言う。私はあなたを騙したりはしていないっ」

 まるで懇願するような目が、悦花を逸らさない。

 「あなたを助けたのはまさしく本心、それ以外の何物でもないんだ、わかってくれ」

 鉄格子をぐっと握り強い口調で言い放つ鴎楽だったが、悦花は冷たく見据えた目を離さぬままゆっくりと首を横に振った。

 「いいや、言葉など信用できないわ。人間はクズ、その人間の中でもあんたは最低のクズ」


挿絵(By みてみん)


 目を見開いて食い下がる鴎楽。

 「いいや誓って言う。あれは本心、あなたを救いたい一心。事実、あの時私が手を差し伸べなければあなたは崖から落ちて命を落としていたはず。あの状況に策略などあるはずもない。純粋に、純粋に私はあなたのことが…」

 一段と声を張り上げた鴎楽だったが、悦花は冷たい笑みを浮かべて言葉を遮った。

 「またそうやって私を騙すのね。いい、あんたらは囮を必要としてる、だから私を生かしておく必要があった、そういうことでしょう、卑劣よ。人間は卑劣」

 悦花も声のトーンを上げた。ゆらりと揺れる蝋燭の火。唇を噛みしめながら鴎楽は鉄格子の間から手を伸ばし、縛られたままの悦花の腕を掴んで引き寄せた。

 「聞いてくれ、頼むから聞いてくれ」

 不意に、二人の目と目が間近に合った。吐息さえも感じる距離。

 「わ、わたしは…」

 鴎楽の声が上ずっている。呼吸も荒くなる。

 「私はあなたの事が…」


 目を見開いて叫んだ鴎楽の声を遮るガシャーンという大きな金属音。悦花が振りきった鴎楽の腕が蝋燭台にぶつかりけたたましい音を立てた。蝋燭は濡れた石畳の床の上でジリッと火を失った。

 「いい加減にしてっ」

 再び牢獄は暗闇に包まれた。

 「今さら誰も、誰の言葉も信じられないわ」

 かすかに差し込む月光さえも避けるように暗がりに身を置いてしゃがんだ悦花。

 「だいたい…あんたはコドモ。お父さんに逆らう事も出来ないガキじゃないの、口でいくらキレイゴトを並べたところで結局最後は親の言いなりになる。ええ、わたしは明日死ぬのよ」

 暗がりで悦花の目がギラリと光った。

 「見せかけの優しさなんて、余計に相手を苦しめるだけなのよ。わかったらさっさと帰んな、坊や」

 視線を外しうつむいた鴎楽は、しばしの沈黙の重みを噛みしめ、無言で立ち去った。

 「ああ、あんたらの思惑通り、仲間が私たちを助けに来るさ。たとえ罠だと判っていても、ね。あんたみたいな嘘つき坊っちゃんの情けを受けるくらいなら、ああ、仲間と討ち死にする方を選ぶよ。消えな」

 悦花の言葉を背に受け、振り返らぬままに鴎楽は冷たい階段を上って消えていった。 

 ふと気付くと牢内の暗がりの中、扉の足元にささやかな月光にキラリと光るものが。悦花の大煙管がそっと置かれていた。岩場で助けられた時、鴎楽が岩に刺さっていたのを引きぬいて取っておいたのであろう。


 夜明け。

 波動封じの縄によって後ろ手に縛られた悦花が処刑台の上、紅の朝日に染まってゆく。足元にはたくさんのたきぎが点火を待つ。

 「お、翁…」

 悦花の隣には同じようにくくりつけられた幻翁がぐったりとうな垂れていた。目も開かぬほどに腫れた顔、身体中の傷。仲間の居所を訊き出すための拷問を受けたのだろう。

 「おお、悦花…」

 目が合うと、力ない笑みをこぼす。

 真っ黒な忍者服に身を包んだ物々しい男たちが長い影を引きずって整列した。いよいよ、モノノケ狩りで名を馳せた尾張柳生一党による幻怪の公開処刑が幕を開ける。


つづく

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