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小説幻怪伝  作者: 蝦夷 漫筆
交わることの無き道
51/122

情(なさけ)か、謀(はかりごと)か

 美濃国にゆったりとそびえる百々ヶどどがみねの中腹にひっそり建つ幻翁の隠れ家は、花火に紛れた何者かによる砲撃に襲撃され焼けおちた。

 幻翁は黒装束の男たちに捕えられ、悦花えっかも崖から転落。だが悦花は一人の男に助けられた。


 挿絵(By みてみん)


 「ど、どうして…」

 「何も言わないで」

 その男が、かつて阿波で心を交わした相手、柳生鴎楽やぎゅうおうらくであることはすぐにわかった。

 「でも…」

 もののけ狩りを信条とする尾張柳生一党の首領の御曹司である彼とは反目する間柄。だが悦花は彼にその身を委ねた。

 もしかしたら負われるその大きな背に、あるはずもない父の記憶を辿っていたのだろうか。

 

 「これで大丈夫だ」

 崖の上に辿りつき悦花を降ろすと鴎楽は座り込んだ。雲間からこぼれるほのかな月明かりに照らされた顔は汗と汚れにまみれている。

 「さあ」

 差し出された竹筒を手に取ると悦花は貪るように水を飲み干した。まだ荒い息を整えながら見回すと、そこは絶句するしかない景色。

 「ひ、ひどいじゃないの…これが、あなたたちの掲げる正義なの?」

 一面焼け野原に未だくすぶる火が煙を上げて焦げた匂いを放つ。崩れ落ちた幻翁の屋敷は原形をとどめず、物置小屋も、庭に植えたひまわりも、井戸も、真っ黒な炭の塊に変容していた。


 無言のままの鴎楽に、悦花が言葉をぶつけた。

 「もののけ狩りなんて言って、ただの人間のワガママよ。自分たちに都合のいいように、支配欲に駆られて殺戮を繰り返してる」

 うつむいたままの鴎楽。

 「いや、そう言うが…」

 「違うなんて言わせないわ。あなたたちのせいでどれだけの血が、涙が流されたか知らないとでも言うの?」

 拳を握りしめながら声を張り上げる悦花に、鴎楽は静かに返答する。

 「それは一方的な見方だ。幻怪と呼ばれるモノノケたちだって正義の名の下に、迷いも無く妖怪たちの命を奪うじゃないか」

 鴎楽は悦花と目を合わせながら言った。

 「私の曽祖父、三代頭領・柳生宗利やぎゅうむねとしは、幻怪と妖怪の争いに巻き込まれて死んだんだっ」

 見開いた目が悦花の心の奥底まで睨みつけているようだ。

 「宗利さまだけではない。その弟、妻子まで猛火に焼かれて息絶えた。唯一生き延びた厳柊げんしゅうさまは生涯かけてモノノケ狩りを誓った。人外許すまじ、と」

 「そ、そんな事が…」

 深い息をしながら頷く鴎楽。

 「モノノケたちにとって所詮人間などは足元の蟻にすぎぬ。踏み潰したところで罪の意識に苛まれることすらなかろう…」

 「それは違うわっ。断じて違うっ」

 悦花は立ち上がって語気を強めた。

 「人間がそうであるように、モノノケだって生きていくのに必死なのよ。私だって、私だって…」

 激昂したせいなのか、疲労の極限から解放された安堵のせいか、意図せず悦花の目が潤んだ。声を張り上げようとする唇が自然に震える。

 鴎楽はそれを見て、ふと我に返ったように声のトーンを落とした。 

 「まあ、いい…ともかく、人間たちは今、己の力に目覚めつつある。神や仏、ましてやモノノケの幻怪などではなく、自分たち人間の力で世の秩序を守ろう、と」

 「それは驕った考えよ、自己中心的すぎるわ」

 「いや、雨風におののき、雷を恐れ、病を祟りだなどと信じ込んだ幼稚な人間の時代では、もうない。この世はこの世の住人、人間たちのもの。誰もがそう思う世になった。モノノケはもと居た世界に帰れ、と」

 言い切る鴎楽、悦花は首を横に振りながら言った。

 「いいえ、どの世界が誰のもの、なんて決まってないわ。まして人間が決められるものじゃない。私は幻怪と人間の間の子。幻界も現世も私の居るべき世界よ」

 座り込んでいる鴎楽の前にしゃがんで対峙した悦花は、目を合わそうとしない鴎楽の顔を見据えて言う。

 「それに、今は現世が危ないのよ。冥界で大きな闇の力が動いてる。邪悪な帝国の閻魔卿が今か今かとこの世を滅ぼそうとしているっていうのに、人間だけで戦おうなんて思い上がってる」

 鴎楽はうつむいたまま舌打ちして答えた。

 「思い上がり、というなら、幻怪が守ってやらなきゃ人間なぞは生きては行けぬ、というそんなあなた方の考えこそ思い上がりじゃないのか?」


 しばし沈黙の時が流れた。山の火も収束し、やっと思い出したように鳴くフクロウの澄んだ声がこだまする。

 「だったら…」

 鴎楽の隣に腰かけた悦花が、目を合わせぬまま呟くように静寂を破った。

 「どうして、どうして助けたりしたの、私を」

 「それは…」

 うつむいたままの鴎楽が言う。

 「あなたなら判ってくれるかもしれない、そう思って…」

 「どういうこと?」

 「私は、モノノケとは圧倒的な武力を楯に、血も涙も無い非情の輩だと思っていた。実際そう訊いていたんだ。しかしあの時、阿波で出会ったあなたは違った。弱さも、優しさも、世の無常も知っていた…」


 二人の顔を打つ風は夏の匂いがした。少し湿って汗くさくて、でもどこか妙に人間味があって懐かしさすら覚える。

 「戦うだけが、殺し合うだけが解決の道じゃない、って。私は父親とは少し考えが違うんだ。無用な争いを避けて、共存できるものならそれが未来に続く正しい道じゃないかと思ってる」

 「そう、ね…」

 悦花はその風に顔を上げ、言った。

 「戦うだけが未来じゃない…そして、そう。確かに私は弱くてちっぽけ。ええ、両親は闇のモノノケに殺され顔さえ覚えてない。住むところも奪われ、ずっと一人ぼっちだったわ…」

 かすかに微笑む頬に涙が伝う。 

 「他のみんなが羨ましく思えたっけ。だから私は、強くなろう、って決めたの。いや、強くなるしかなかったの。強くなればみんな私を認めてくれるに違いないって、そう思ってた」

 無言のままの鴎楽、悦花は振り向かずに続けた。

 「ええ、強くなったわ。戦いは、ね。でも戦いと復讐が自分の生きる証だって思ってたけど、それが私の心を満たすことは決してないのかも知れないな…」

 「ああ」

 手持無沙汰がそうさせるのか、揺れ動き落ち着かない心がそうさせるのか、足元の小石を拾っては軽く投げて見せる鴎楽。

 「戦いは憎しみを生む。憎しみがまた戦いを。そんな醜い負の連鎖は誰の心だって満たしてくれないさ」

 「そうね…」

 悦花はふと、袂から黒い布切れを取り出した。丁寧に折りたたまれたその布を、そっと鴎楽に手渡した。

 「こ、これは…」

 「ええ」

 阿波で手負いの悦花を介抱したとき、包帯代わりに、と巻いてくれた鴎楽の着衣の一部。悦花の手に触れ布を受け取る鴎楽。

 「そうだな、憎しみは憎しみを生む。優しさは優しさを生む」

 振り向いた悦花と目が合う。その笑みは少女のような無垢な、透明な美しさを湛えていた。

 「優しさが、絆が私の心の渇きを癒してくれる、今わかった気がするわ…」

 思わず布ごと悦花の手を握る手に力がこもる。

 「絆…うん、君となら…」


 すうっと夏のぬるい風に混じって冷やかな空気の流れが舞い込んできた。

 「そ、そうだ」

 思い出したように鴎楽。

 「ここは危険だ。おそらく父上が戻ってくるに違いない。一人は捕えたが、もう一人、あなたを見つけるまではこの周辺を血眼になって探すはずだ」

 何事も無かったように立ち上がった鴎楽。まるで衣服に付いた埃を落とすためであるかのように握った手を離し、南に面した森を指差す。

 「当初の作戦では柳生の手の者たちは北東に続く獣道を下山する手はずになっている。待ち伏せしているやも知れぬ、南側の道を通ってまずは麓まで」

 「わかったわ」

 真っ暗な山道。互いの顔は見えないが、鴎楽は悦花の笑顔を想像していた。それは悦花も同様であった。

 「この世で『正しい』って、何なんだろう」

 「さあ、そんなものは何のかも知れないね。みんな結局、自分にとって都合のいい理屈を語っているだけなんだよ」

 「難しいことはわからないわ。でも、今ここにある絆、そしてそこから湧いてくる心地よさだけは、少なくとも私にとって正しい事よ」

 「ん、ああ。僕にとっても、な…」

 川に面した森をゆっくりと歩く。木漏れ日ならぬ、木漏れ月が淡く、蒼く、二人を照らす。ところどころぬかるみを越えながら、気付くと二人はまた手を握って背の高い森の下草が生い茂る森を南に下ってゆく。


 「そうだ、さっきの」

 鴎楽が歩をゆるめて言った。

 「さっきの…?」

 「どうして助けたのか、って訊いたよね」

 「ええ…それがどうかしたの?」

 もう山の三合目あたりまで下った窪地で鴎楽が振り返った。

 「戦うだけが未来じゃない、って判ってくれると思った、って」

 「ええ、聞いたわ」

 「それも本当なんだけど、実は、あなたを死なせたくない、あなたの美しさが私を…」

 その時、不意に頭上の木々にバサッという音が鳴り響き、わずかな月明かりさえ遮断され全くの暗闇に陥った。

 「えっ、何、何っ」

 戸惑う悦花はうろたえ、ついさっきまで握っていた鴎楽の手を探す。だが手が動かない、いや足も動かない。動かそうにも袋のような布を頭から被せられて自由がきかない。

 「なんなの、なんなのこれっ」

 悦花を包む黒い布は内側に強固な網が裏打ちしてあり、べっとりと粘り気のある液体が塗られていた。これでは身動きが取れない。

 「はああっ」

 ならば、と全身に波動を漲らせる悦花。渾身の力で呪縛を解こうとするが、波動の光は粘着する液体に吸い込まれるようにして消え失せてしまった。

 「ま、まさか…」

 外から聞き覚えのある声が。

 「さあ嬢ちゃん、顔をみせてもらおうか」

 ごつい短剣が切り取った目の前の布の穴、そこから黒装束の男が覗きこむ。

 「悦花、だな。噂じゃ相当な手練と訊いたが、他愛ないものよ、ふふふ」

 せせら笑う男は紛れもない、柳生雲仙。その隣には鴎楽がキョロキョロしながら立ちすくんでいる。雲仙はそんな息子の肩を叩いて言った。

 「よくやったぞ我が息子、鴎楽よ。お前にしちゃ上出来の名演技だったな。ははは」

 悦花の中で、何かが壊れる音がしたように思えた。同時に胸の奥、いや腹の奥から火傷しそうなほどに熱いものがたぎるのを感じた。

 「おのれっ、おのれ鴎楽っ、騙したなあっ」

 その口を塞ぐように雲仙が悦花の顔をむんずと掴んだ。

 「浮かれた気分のまま死なせたかったが、残念だな。もう一人のジジイとともにお前らには囮になってもらう。明日には幻怪皆殺し、だ」

 波動を声にして放とうとするが、全身を波動封じの粘液で包まれてはもはや声さえもまともに出せないほど。観念できない悦花はひたすら全身をくねらせてもがく。だが網がますます身体に食い込む。

 「ちょっと、ちょっと待って」

 血相を変えて悦花の前にやってきた鴎楽が声を張り上げた。

 「違う、違うんだ、これは…騙すつもりなんて」

 じっと鴎楽の目を睨みつけたまま、悦花はペッと唾を吐きかけた。見ていた雲仙があざ笑う。

 「ははは、本気になりおって小娘が、いい気味だ。それにしてもよくやった、さすが我が後継者」

 困惑しながら右往左往する鴎楽を尻目に、袋詰めの悦花は大八車にそのまま乗せられて険しい山道を下ってゆく。

 「さあ、神も仏も要らぬ。信ずるは己の力のみ。これこそが『人間の未来』だ」

 幻怪と人間、境遇は違えど同じ理想を抱いたと思ったのも束の間。磁石の同極の様に似ているがゆえ、近づけば近づくほど遠くに弾き飛ばされる二人。

 囚われの悦花を乗せた大八車と意気上がる尾張柳生の面々は夜半のうちに美濃国・加納藩に辿り着いた。

 夏祭りの賑いも冷めやらぬこの城下町の武家屋敷が立ち並ぶ一角に、尾張柳生のアジトである忍者屋敷が存在した。

 「さあ、明朝までの命。せいぜい惜しむがよい」


つづく

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