失われた「願いの破片(かけら)」
幻翁が答えた。
「その通りじゃ。だが暗黒帝国に対抗し得る幻怪達たちは残念なことに死に絶えた。『幻界の乱』の際にな。ゆえに我々が力を結集し挑まねばならぬ」
煙管の紫煙をくゆらせながら悦花が言った。
「どうするんだい」
「力を合わせるより他ない。人間や大地や草花、虫けらに至るまで全ての波動の力を結集して、な」
話を訊いた仁美は困惑していた。
「あ、あのう、話せばわかるよ。戦いなんて良くない。悲しくなっちゃうだけだよ。閻魔卿っていう敵はそんなに恐ろしいの?」
「お嬢さん、閻魔卿には話し合いなんか通用しないんじゃ。残念だが事実だ。ヤツは怒りと恨み、憎しみで出来ている怪物になっちまった。破壊の他に生きがいを失った彼に和平や共存は通じない。そして閻魔卿は間違いなく強い。闇の力を手にしたあいつはもはや手に負えぬ」
うつむいて語る幻翁の右手の拳は強く握り締められ震えている。
「ああ、ヤツの事は誰よりわしが一番よく知っておる。ヤツを倒さねば、多くの悲しみがこの世を覆い尽くす。そして永遠の苦しみが続くだろう」
フーッと大きくため息をついて幻翁は続けた。
「わしはもう歳だ。六百年前とは違う。今のわしではカスリ傷しか与えることは適わんじゃろう。返り討ちが関の山、ゆえに、なんとしてでも皆の力が要る。この世を守り抜くために。わかってくれ」
「幻のオヤジがこう言うんだから、な。考えてても始まらねぇだろ、さっさとやることやろうぜ」
窓にぶら下がっていた錆び着いた枝切り鋏で爪を研ぐ蝦夷守が気だるく言うと、すぐさ裕が続けた。
「西へ七十里、讃岐山脈の断層に不穏な動きが。おそらく東南海全域の波動の乱れに関係します。そこへ向かうべきかと」
幻翁は大きくうなずいた。
「いかにもさすがは裕。一刻も猶予は無い」
一部始終を聞いていた煤が口を開いた。
「いくら幻怪さんでも美濃から讃岐は長旅だ。だがこの煤めが作った高速船河童丸なら一日と掛からず讃岐までお連れしますぜ」
「よし、ほらモタモタしてんじゃないよっ」
せかす悦花に袖口を引っ張られ一刀彫と蝦夷守を見てフッと笑ったのち、翁は言った。
「夫羅そして仁美、お主らはわしと一緒に現世の力を取りまとめるぞ。情報を集め戦士たちを募る。暗黒帝国は恐怖が力の源だが、我々は希望の力で立ち向かうのじゃ。国中に散らばる『願いの破片』を集めねばならん」
「願いの、破片?」
一同が口をそろえて尋ねた。
「かつて、幻怪の大戦と呼ばれた激しい戦があった。光の幻怪たちと闇の妖怪たちが世界を二分して争ったおぞましい戦いじゃ」
神妙に聞き入る一同。懐かしそうな、しかし険しい表情の幻翁。
「大戦の雌雄を決したのが、幻怪戦士の切り札『願いの破片』なのじゃ。太古の昔、幻怪たちの祖先が恐ろしき妖怪を倒すため、波動の力を究極に集めた守護の石」
「幻怪たちの祖先、とはまた…」
驚いたように言葉を発した裕。ちらりと見やって頷いた幻翁が語った。
「ああ、まだ人類も存在していなかった時代。古代の幻怪たちはその石の力でこの世を闇の帝国から取り戻した。力の集中を避けるため、その石は分割され、崇高なる志をもつ六人の幻怪に分け与えられた」
「そ、その石さえあればっ」
幻翁はうつむいて首を横に振った。
「幻界の秩序がことごとく崩壊した『幻界の乱」の際、すべて失われたのじゃ。この世界に散り散りになってしまい、その在り処は誰も知らぬ」
「そ、そんなおとぎ話みたいな伝説に頼るなんて馬鹿げてる。第一、誰も存在さえ知らないものを探すなんて」
仁美がそう嘆くのも無理はない。
「たしかに…」
夫羅も首をかしげて聞いている。
「ふふふ」
しかし、幻翁はニヤニヤと笑って言った。
「そう言うと思ったよ、お主ら」
懐深くに手を入れてごそごそと探す幻翁。
「ならば、これを見れば信じるかな」
ゆっくり取り出した手のひらほどの大きさの石。
「あっ」
目を丸くして驚く一同の前でその石はやや青白く光を放っている。まるで呼吸をするかのように光がゆっくりと強くなったり、弱くなったり。
「ここにひとつ、確かに存在する」
幻翁は力強く言った。
「あと五つ、どこかに必ずある。六つ集まれば眩いばかりの光を放ち、究極の力を生む出す」
「わかりました。幻翁の言う事に間違いがあったためしはない。我ら必ずや、残り五つの『願いの破片』を集めてみせましょうぞ」
密偵・夫羅が声を張り上げた。呼応するように幻翁も声を強める。
「かならず、必ずじゃぞ。よし、この破片を持って行け。他の破片に近づけば光が強くなり遠ざかれば弱くなる。それが唯一の手掛かり。そしてこの男を連れて行け。わしのもとで働いておる幻術師見習いじゃ」
古びた衝立の後ろから現れた黒装束が深々と頭を下げた。
「お初にお目にかかります。政吉と申します。皆さまのお手伝いをさせていただきます。何なりとお申し付けくださいませ」
幻の翁は言った。
「さあ、心してかかれ。すでに戦は始まったも同然」
つづく