欲望が渦巻く虚像の王国
越後の「光る石」は莫大な金鉱だった。
薬師くずれ、まむしの伊蔵は毒薬をばら撒いて「祟り」を演出、自ら解毒剤で治癒せしめるという自作自演でカリスマとなり幻怪を騙って金坑に王国を築いていた。
生贄となる娘を尾行しその王国に辿り着いた一刀彫の雅とからくりの裕は、金山の輝きに目を奪われた隙に捕えられ、まむしの伊蔵が調合したという麻薬を飲まされて意識朦朧となってしまった。
「ふふふ、この『神の水』を呑んだが最後、もうお前達も奴隷だ。この水なしには生きていけない身体になったのよ」
せせら笑う伊蔵。
手下が雅と裕を連行し坑内へ。
「さあ、掘れ。働けいっ」
容赦なく鞭が飛ぶ。
「あ痛っ、うぐう」
よろめく裕。ふらつく足元のまま巨大な金の鉱脈に向かって鶴嘴を振る。同様に、数多くの人足たちが奴隷化して働かされていた。いずれも衰弱し身体のあちこちに傷跡が。ここでの労働がいかに過酷かを物語る。
「はは、ああ、イイ気分じゃねえか。ああ、いい」
千鳥足のまま、その場に座り込んでしまった裕。
「ちっ、すっかりラリっちまいやがって…薬が効き過ぎたか」
大きな体の監視役はチッと舌打ちをしながら裕の身体を抱き上げて立たせ、目を覚ませとばかりにもう一度大きく鞭を振りかぶった。その時、裕の目がギラリと光った。
「痛え、って言ってんだろ。聞こえてねえのかバカ」
パシッと手を打ち鞭を弾き飛ばしてそのまま監視役の腕を折りたたみ、背後に回って足を刈り、地面に這いつくばらせた裕。
「調子に乗るんじゃねえよ」
拾いあげた鞭で男をがんじがらめに縛って身動きできないようにした。男が腰から下げていた手拭いで口を塞いで。
「ぐっ、ぐううっ」
「ふっ、驚いたかい。俺も薬にゃ詳しいんだ。正体失くす前にあらかじめ解毒薬を飲んでおいたのさ」
ジタバタする監視役を岩陰に隠した裕はサッと雅の元に駆け寄った。
「ああ~いい気分だ」
雅は上機嫌。さすが、刀を鶴嘴に持ち替えてもその鋭さは変わらず、あっと言う間に金の山を掘り出していた。裕が袖を引く。
「おい一刀彫、いい気分になりやがって。ほら、いい加減目を覚ませっての」
焦点の定まりきらない目のままの雅。
「もう、仕方ねえなあ」
裕は雅の顎をつかんでぐっと口を開かせ、解毒剤を放り込んだ。むせそうになる雅の鼻をつまんで無理やり水を流し込んで飲ませた。
「ゲッ、ゴホっ。な、なんてこと、しやがる…」
フラフラしながら闇雲に鶴嘴を振り回す雅。裕もあやうく腹に大きな穴を開けられるところだった。
「おいおい、俺だよ俺。さあ、早くズラかるぞ」
「あ、ああ。ああ、ん?」
雅が少しずつ、正気を取り戻した。
「そうか、あの水を飲んで俺は」
「ああ。せっかく前もって解毒剤を渡しておいたのに。飲まなかったのか。すっかりラリっちまいやがって。もう」
「まあ、何事も経験だ」
呆れる裕を尻目に雅は悠然と、坑内を奥の間に向かって歩き始めた。
「おい一刀彫、どうしようってんだ」
「まず商売道具を返してもらおうじゃねえか。それに、このまま逃げ帰るのもシャクな話。だろ、からくりの」
「ふふ、それもそうだな」
二人は顔を見合わせてニヤリと笑った。
「さて」
雅と裕は坑内、奥の間の手前に無造作に置かれた略奪品の中からそれぞれの武器を見つけて身に付けた。雅は崇虎刀を抜き、朝日に光る切っ先で次々に牢の鍵を壊して扉を開け放った。
「ほうら」
裕は倉庫に侵入して奪った解毒剤を次々に囚われの奴隷たちと生贄の娘たちに手渡して飲ませた。みるみる精気を取り戻した彼らを雅が誘導して出口に導く。
「さあ、逃げろっ」
裕は金鉱掘りに従事させられる男たちにも解毒剤を配って回った。みるみる息を吹き返す男たち。
「おおっ、やっとここから抜け出せるっ」
しかし、こんな騒動を黙って見過す伊蔵ではない。
「こらあっ、何をしておるっ。捕えよ、捕えよ」
解き放たれた男たち、そして女たちは我先にと金塊を奪って逃げようとする。
「俺のもの、俺の金だっ」
伊蔵は手下たちに檄を飛ばした。
「逆らうものは殺せっ、構わん、殺れいっ」
逃げまどう者たちを追いまわして長ドスで斬りつける。けたたましい叫び声が坑内に充満した。
「何をやっているっ」
しかし暴徒と化した連中の前には太刀打ちできない。遂には、伊蔵の手下さえも金塊を奪い逃げ出しはじめた。
「これが人間、というものの本性か…」
茫然とする雅と裕。その目の前で、人間同士がもはや敵も味方もない、ただ金の魔力に見入られて奪い合い、踏みつけあい殴り合い、ついには伊蔵の手下を殴り殺してドスを奪いあい、殺し合いを始めた。男も、女も。
「人間を守れ、とは幻翁の教えだが…こんな連中か人間てのは」
目を覆うような光景。金塊にしがみつく女。ドスを振り回す男。伊蔵を裏切って金塊を盗む手下。金塊を持った女を踏み潰して奪う男たち。金を抱えた男をドスで刺し殺す女…。
「どうする、これ」
雅と裕が苦い表情で顔を見合わせたとき、伊蔵の甲高い声が坑内に鳴り響いた。
「お前ら、お前らっ、皆殺しだあっ」
激しい爆裂音の連続が耳をつんざく。伊蔵は束ねられた金属の筒を構え、そこに取り付けられたハンドルをぐるぐると勢いよく回している。
「あれはっ」
猛烈な勢いで次々に弾きだされる鉛の弾丸。飛び散る無数の薬莢。海の向こうで開発されたばかりの殺戮兵器、ガトリング式銃だ。金山の莫大な利益で幕府にも見つからぬよう輸入した代物。
「ひ、ひゃああっ」
坑内はさらに阿鼻叫喚の地獄絵図の様相。坑内を埋め尽くした暴徒たちは次々に血飛沫を上げながらその身を粉々にして撒き散らしてゆく。
「ひ、ひでえ…」
歩くとピチャピチャと音を立てるほど、もはや坑内は血の海になっていた。雅と裕は目配せをして伊蔵に迫った。ガトリング式銃の豪雨の様な弾丸を避けながら少しずつ間を詰める。
「なあ伊蔵、『幻怪』なんて名乗ってるそうだが、てめえみたいな外道に騙られちゃいい迷惑なんだよ」
「ん?」
「本物の幻怪は、俺だ。俺たちだ」
雅が言い放つと、裕はぐっと身をかがめて素早く弓を構え、幻ノ矢を放った。ガトリング式銃のハンドルを吹き飛ばして弾丸の雨を止ませた。
「ううっ」
目を見開いた伊蔵、その頭上に飛び上がった雅が降りざまに紊帝の剣を抜き真っ直ぐに振り下ろした。
「あ、ああっ」
伊蔵の目の前、雅の波動を受け帯電したように光る紊帝の剣は激しい火花を散らしてガトリング式銃を真っ二つに斬り裂き青い炎とともに融解させてしまった。
「バカな、バカなッ」
観念しろ、と詰め寄る雅を睨みかえした伊蔵は、さらにゆがんだ笑みを浮かべた。
「幻怪だろうと、なんだろうと、もはや関係ねえ」
伊蔵は足元に置いてあった大きなボンベを抱え上げるとその口の弁を開けた。瞬時に真っ白い気体が飛び出しシューシューと音を立てながら坑内を満たしていった。
「ここは誰にも渡さん、この金は誰にも渡さんぞっ」
坑内で生き残った人々は次々に顔面蒼白になって倒れていった。伊蔵がぶちまけたのは毒ガス。
「みんな死ね、死ねえっウヒヒヒ」
「うう、ううううっ…」
金塊を抱えたまま逃げ出そうとしていた人足や伊蔵の手下は口から泡を吹き痙攣して白目を剥き転がってもだえ苦しみだした。
「逃げろ、早く逃げろっ」
雅と裕は白いガスの中、なんとか金坑から逃げ出すことに成功した。
息を切らしながら雅が言う。
「所詮は人間なんてみんなあのザマだ。どうしようもねえ生き物だな。なあ、裕」
「ああ…しかし…」
「なんだいお前、つい昨日言ってたのはお前じゃねえか。人間も悪じゃねえのか、って」
「だが人間という存在そのものが悪とか善とかじゃねえ。そう思うんだ。誰しも最初は無垢。人間が悪というなら、そういう行動をさせるもっと大きな悪が、その根っこだ」
「…なんだかわかったような、わからんような」
「存在に善悪は無え。評価されるべきは、行動のみ。だからこそ、ほんの僅かでもこの世にゃ救いがあるってことだ」
そう言うと裕はガスマスクで口と鼻を覆い、猛毒の霧の中に再び身を投じた。
「おい、起きろ。これで口と鼻を覆うんだ」
裕は毒ガスの中、まだ息のある者たちに自らの袖を破いて水を含ませて手渡しながら、いくばくかの手持ちの解毒剤を分け与えて介抱して回っていた。
「くくく、甘い」
白い霧の中に光る眼。伊蔵は自らの顔を手拭いで覆いながら銃を構え、裕に近寄った。
「わざわざ戻って来やがって」
伊蔵の構えた銃が火を噴いた。
「うぐっ」
肩を撃ち抜かれた裕がうずくまる。
「甘いんだよお前さん。そんな優しさを見せるから…」
裕の脳天に突きつけられた銃口。引き金に掛けた指に力が入る。
「いや違う」
瞬間的に裕は、逆にその頭を前に突き出した。強烈な頭突きを喰らって手元が狂った伊蔵の銃弾は裕の頭をかすめた。そのままバランスをくずして伊蔵が倒れ込む。
「カッコつけやがって…」
伊蔵は倒れながらも再び裕に向けて銃を構える姿が見えた。しかし伊蔵は毒ガスの白い霧の切れ間に、すっくと立ち上がって矢を構える裕の姿を見た。
「カッコつけてるんじゃない、甘いわけでもない。優しさは…」
裕の腕の筋肉がブルッと震えた。ギリギリまで引かれた幻ノ矢が白い霧を晴らすように気流をうねらせながら伊蔵に向かって真っ直ぐ飛んだ。
「強さ、だ」
伊蔵の眉間を、幻ノ矢が貫いた。
「あは、あ、あは」
伊蔵は狂った笑いを浮かべたまま、薄れゆく意識の中で叫んだ。
「誰にも、誰にも渡さねえ…」
命が途絶える寸前、伊蔵が引き金を引いた銃から飛び出した弾丸は坑内の爆薬庫を直撃した。
「まずい、まずいぞっ」
激しい爆裂音。連鎖反応のように次々に爆薬が猛火を噴き出した。金鉱の掘削用に貯蔵された大量の爆薬が山全体を揺るがす。
「俺の、俺の金…」
うわごとのように繰り返しながら息絶えた伊蔵の開ききった瞳孔は一体なにを映し出していたのか。ともあれ彼が固執した金山は一気に火に包まれ、爆発の衝撃で岩盤に無数の亀裂が走った。
「崩れる、山が、崩れるっ」
ガラガラという音が山のあちこちで鳴り響いた。けたたましい地鳴り、あらゆる亀裂から飛び出す噴煙。ついに貯蔵庫にあった全ての爆薬に引火した。
「う、うあああっ」
爆音とともに金山は崩れ落ちた。眩いばかりの黄金色の粉塵が舞いあがり、キラキラと朝日を反射しながらダイヤモンドダストの如く舞い、降り注ぐ。
「裕っ。裕っ」
崩れ落ちた金山の外で、雅が声を振り絞った。
「頼む、頼むから…」
崩れた岩を一つずつ崇虎刀で割ってはその下を必死に探す雅。
「裕っ、お前はこんな程度で死ぬヤツじゃねえじゃねえかっ」
叫びながら岩をどかす雅の顔に汗が滲む。いや、汗ではないのかも知れない。
「こらっ裕っ。早くでてきてそのニヤけた面を見せやがれっ」
「ニヤけた、は余計だろ、一刀彫の」
ガラガラッと音がして、雅の背後の岩の隙間から手がニュッと飛び出した。
「はあっ」
安堵のため息をつきながら、雅がその手を引く。傷だらけの裕を抱き起こす。
「まあ、お前がこんなとこで死ぬわけねえとは思ってたが…」
「当たり前だ。ん、もしかしてお前、ちっとは俺のこと心配したってか。ははは」
笑ってみせる裕の肩を軽く叩いた雅。
「まさか。昨日の宿代、俺が貸したまんまだからな。せめてそれくらい返してもらわねえと」
「ああ、こんな土埃まみれになっちまったからもう一度、温泉にでも浸からねえとな。しかし金山も埋まっちまったから支払いは自腹になっちまったな」
すっかり日も高くなり、二人は山道を再び里向かった。
「しかし、これで神の石の伝説も消えた、ってわけだ。村の連中がどう理解することやら」
「知ったこっちゃねえよ。だいたい神の石だの祟りだの、所詮は人間たちが生みだしたマヤカシだ」
「ああ、人間はわからねえことをすぐに神だの何だのと言いだす。でもってわからねえのをいいことに、そこにつけこむ商売人が出てくる」
「人間の強欲ってのは妖怪よりもひでえもんだな…」
里が見えてきた。温泉の湯けむりが揺らめいている。
「まあ、神も祟りもこれでいなくなって、元通り、当たり前の日常が戻ってくるんだろうな」
「ああ、そうだ。だが、いつかまた誰かがあの金脈を見つける」
「そして再び、醜い争いが起きる…」
湯の匂いが少しばかりツンと鼻を刺す山間の村。行き交う人々は誰もが余所行きの笑顔のまま。
その奥底にある生々しい欲望を隠したまま、日々を淡々と暮らしているように見えた。
つづく