神の石、の秘密
願いの破片を求める彼ら幻怪衆、一刀彫の雅とからくりの裕は「光る石」の噂を訊きつけて越後の山間の寂れた温泉郷にやってきた。
なんと「幻怪」であるという男が山に棲み「神の石」を使って人々の病を癒すというではないか。
しかし一方でその「幻怪」は午の日ごとに村に生贄を要求するという。断った者には祟りがある、と云うのだ。
早速今宵の生贄、関乃屋の娘の一行を尾行した。向かった先は蛇崩山。
「お、おいなんだありゃ」
思わず大声を上げそうになった裕の口を雅が塞ぐ。生贄を出迎えた白装束の男たちが闇夜に並ぶ姿は異様な佇まい。
「よし、付き添いはここまでだ。村へ帰れ。ここから先は俺たちが連れてゆく」
付き添いの父母はいつまでも手を離そうとしない。苛立つ白装束の一人がその手をピシャリと叩いて今生の別れに涙する親娘を引き離した。
「帰れ、と言ったのが聞こえなかったか?」
覆面の隙間から覗く鋭い眼光に威圧され、来た道を戻る関乃屋夫妻と付き人。白装束たちは娘の手を引いてさらに山の奥を目指して歩き始めた。
「どこまでいくんだ…あいつら」
夜半も過ぎた真っ暗な山中。時折不気味な声で呼ぶかの如き啼き声を響かせるフクロウたち。月明かりが仄かに木々を照らす。
どれだけ歩いたことだろう、若い娘には堪える距離だが時折休憩しながら山道をひたすら東に進み、すでに東の空はわずかに白んできている。後をつける雅と裕にも若干疲労の色が見えてきた。
「もうすぐ夜明けじゃないか…」
関川の宿から荒川の渓流沿いに東へひた歩いた一行は蛇崩山の中腹を南に下り、そこから盆地に足を踏み入れた。東から昇る朝日の光が差し込む。
「うおおっ」
再び大声を発しそうになった裕。だがその口を塞ぐ雅も、蛇崩山の窪地の東斜面の崖に現れた光景に思わず目を奪われ口をあんぐりと開けていた。
「な、なんと…」
崖全体が眩しく美しく、そして妖しく輝きを放っていた。朝焼けをそのまま映す山吹色の光沢が、盆地に生える木々の葉一枚一枚を照らし出す。
「光る石、ってのは…」
確かに、光る石、であった。
「金だよ、おい。崖の岩肌全部が、金だよ、おい」
「ああ、ここは金山なんだ」
美しく光る崖の岩盤下の方には金を切り出す人足の影がちらほら見える。
「っかし、こいつあ大したお宝だ。佐渡に勝るとも劣らねえ。これだけの金がありゃお江戸の幕府だってひっくり返せるぜ」
雅の言葉にうなずいた裕も、若干興奮気味だ。
「ああ、これほどの金っ。ん?」
裕は首筋にひんやりとした感触を覚えた。
「わかったわかった、そう何度も俺の口を塞がなくても…」
振り向いた裕は息を呑んだ。彼の首筋には白装束の男が構えた刀の切っ先がピッタリと当てられていた。雅はすでに羽交い締めに遭っている。「お前がデカイ声を出すからだ」とばかりに呆れ顔で。
「何物かはわからぬが…お前ら」
白装束の男たちは雅と裕から武器を取り上げ、二人を岩の前に両手を上げて立たせた。もちろん首筋には鋭い刀を当てたまま。
「黄金の輝きに魅せられて隙が出来たな、無理もない」
ニヤニヤを笑う白装束。
「まあよい。お前たちはこれからもっと間近でこの黄金を見ることになる。ああ、ずっと、だ。一生ここで金掘り人足として働いてもらおう」
背中から刀の先で突かれるようにして二人は両手を高く上げたままゆっくり盆地へ下りてゆく。顔を見合わせ、フーッとため息。
黄金の崖の下、真ん中には大きな穴が開いており、奴隷人足たちが慌ただしく行ったり来たり。中で採掘した金塊を大八車に乗せ、汗を流しながらせっせと運び出していた。
「夜昼かまわず掘り続け、か…」
ボヤく裕をあざ笑いながら白装束の男が言った。
「ああ、大抵の男はひと月も持ちゃしない、ふふふ」
ゴクリと唾を呑んだ二人は、鉱脈のトンネルの反対側の崖のほら穴に連行された。ここはどうやら奴隷人足を置いておく牢獄らしい。
図体の大きな牢番が出迎えた。
「さあ新入りさんよ、この中でちょいと待っててくれ」
さっそく薄暗いほら穴の中、檻に囲まれた房に放り込まれた。
「ふふふお前ら、なかなかいい武器持ってんじゃん。こいつは高く売れるぞ」
牢番は取り上げた武器を撫でまわしながら奥の部屋に入っていった。
「参ったな…」
座り込んだ裕。隣の雅が呟く。
「全くだ。お前のドジっぷりには呆れるよ」
「ちょっと待て、俺じゃねえだろ」
「いちいち驚いて声出すお前のせいに決まってるじゃねえか」
「いやあっさり刀を取られるお前が…」
ブツブツ云い合う二人を、牢の奥から笑う年老いた男がいた。
「ふふ、若いの。お前さんたちも終いだな。諦めろ、ここはこの世の地獄じゃわい」
しゃがれた声の持ち主はすっかり禿げ上がり、ボロボロの布一枚を身体にまとってうずくまっていた。気付いた雅が尋ねた。
「ん、人足奉公が地獄、というのか。まあいい、俺たちはそこまでヤワじゃない。ところで、神の石があるって訊いたが、どこにあるんだ。そして幻怪と呼ばれる男は…」
高笑いしながらしゃがれ声の老人は雅の言葉を遮った。
「あは、あははバカだなあお前ら」
「バカとは何だバカとは」
いきり立つ裕。「まあまあ」と制した雅が言った。
「とにかく麓の村じゃそういう話になってる。ああ、みんなそう信じてるさ」
「ふっ、他愛もない」
少し間をおいて、老人は苦々しそうに口を開いた。
「神の石だの、幻怪だの、おとぎ話もいい加減にしろっての。いいか、ここを仕切ってる男、あいつはな、まむしの伊蔵っていう外道だ。奥の部屋で王様気取りのくそったれさ」
「伊蔵…ううむ、どこかで訊いた名のような…」
頭をかしげる裕を横目に雅。
「そんな名前、どこにでもあるさ。しかしじいさんよ、その、まむしの伊蔵はどうやってここの主に」
やや虚ろに、しかしギラギラと目を輝かせて老人が言う。
「神の水、だ。伊蔵はここの全員に神の水を飲ませる。お前たちももうすぐ、な。あれを飲んだらもう最高の気分さ」
「ほう、酒かなんかか。この辺りにゃいい酒があると訊いてる」
「バカ言うな、そんなもんじゃねえよ。ありゃ神の水じゃねえ、魔性の水だ」
「魔性の…」
「ああ、飲んだが最後、あの水なしでは生きていけねえ身体になっちまうんだ。判ってる、判ってるんだがあの水を飲んだ時の、あの最高の気持ちよさが忘れられないんだ」
話すだけでもう恍惚の表情を浮かべる老人。上目づかいの目はますます虚ろになる。
「だから、誰も逆らいなんかしねえ。もちろんこの俺も、さ。シャバで苦しい毎日を過ごすくらいなら、ここで。ああ、奴隷だって構わねえ、あんないい気分を毎日味わえるなら、な」
雅と裕、顔を見合わせる。
「じゃあ、生贄の娘たちは…」
「ああ、当然。伊蔵の慰み者さ。だがあの娘たちも神の水の虜だ。まあ考え方によるが、貧しい村で一生百姓暮らしより、ここで遊んで暮らせるんだから案外極楽かもな、ひひひ」
眉をひそめた裕がスッと立ちあがって老人に近づく。老人は睨み返した。
「なに正義の味方ぶってんだよ、新入り。お前らこそ、清貧なんてバカげた幻想の奴隷じゃねえか」
老人は吐き捨てるように怒鳴って、手にした杯を裕に向かって投げつけてきた。サッと目の前で受け止めた裕。
「うっ」
その杯に残ったわずかな「神の水」の匂いに気付いた裕は、あらためて杯を指で拭って舐めた。
「これは…」
「ど、どうした?」
雅が尋ねる。裕は振り返って答えた。
「阿片…いや、もしかしたらもっと強力な麻薬。相当に純度が高く精製されてる。確かにこれを飲まされたら心身ともに奴隷になるのも無理からぬ事。伊蔵とやら、かなり薬に詳しい男と見た」
「ほう、流石だな」
雅が感心するはず、裕は薬師の心得がある。
「と、なると…例の祟りってのも眉唾もんだな。蛇か河豚か、あるいは異国の蛙から抽出した血液毒の可能性がある。井戸か、川の上流からちょいと流せばあの症状が出るのば間違いない」
「そうか、当然自分が調合した毒だけに、解毒もお手の物」
「ああ、それで治してみせて奇跡を演出する、ってわけだ。生贄を差し出した家に配る小判なんぞ、この金山からみれば取るに足らぬこと。なかなかの手口よ」
妙に感心する二人、その背後でガチャン、と音がして牢の扉が開いた。
「ああ、察しの通りだ。お前らなかなか賢いじゃねえか。だがもう手遅れだ、さあ、出ろ」
振り向くと山伏風の男。「幻怪」と書かれた鉢巻きの下、顔中にただれた無残な痕が痛々しい男が不敵に笑っている。
「俺が伊蔵。まむしの伊蔵だ」
「さあ来い」
伊蔵は雅と裕を奥の間に誘導した。黄金の椅子に腰かけた伊蔵が言う。
「お前ら、察しが良いな。公儀密偵か…まあいい、お前らが誰だろうと、ここで奴隷暮らしになる」
背後から牢番に押さえつけられて無理やり座らされた雅と裕、それぞれの目の前に薬杯が置かれた。
「さあ、飲んでもらうぞ。神の水だ」
険しい表情の二人の前に立ちはだかった伊蔵が言った。
「なあに、お前らが想像するほど悪いもんじゃねえぞ。だいたい今の浮世暮らしが幸せと言えるか?」
二人の顔をまじまじと覗きこむ。
「朝から晩まで働かされて、バカに高い年貢を納めるだけの人生。米も酒も金も女も、富と云う富を握ってるのはほんの一握りの役人と商人ばかり。しかもそいつらは生まれた時から富を手にする境遇が用意されてるとくりゃ、どうだい」
薄笑いの伊蔵が続ける。
「考えてもみろ、くたびれて身動きできない年寄りになるまで馬車馬のような人生なんて生きる意味も無いだろうが。ここには快楽がある。労働さえすれば、神の水が無上の快楽をお前たちに約束する」
その口ぶりを聞いていた裕がハッと声を上げた。
独特の越中訛りに聞き覚えがある。
「お、お前。新川の伊蔵、そうだ間違いない。八尾の抄安先生の門下で最高の頭脳と云われたが、師殺しでお尋ね者になった…」
「ほう、なぜお前、俺のことを…」
「俺もかつては抄安先生の弟子だった。蝮の毒を使う弟子に殺害されたと訊いたのは、俺が加賀を出てから二年後のこと」
裕の顔を、ただれて傷だらけの瞼の奥の目が覗き込む。
「ふっ、するとお前は俺の兄弟子ってことか」
目を閉じて伊蔵が言った。
「ああ、いかにも俺は当時最高の薬師だったさ」
ゆっくり立ち上がり、懐かしむように語る。
「洋の東西問わずこの世のすべての薬の知識を得た。それで御典医の声がかかった。努力は報われる、あの頃俺は理想に燃えていた」
「そんなお前がなぜ…」
「藩に莫大な賂を献上していた薬の卸業者の小林屋が己のバカ息子を強引に御典医に推しやがった。異を唱え、さらに賂の証拠を握った抄安先生は不正を訴え出ようとしたところ、小林屋が雇った殺し屋に消されたんだ」
「殺し屋に…?」
「ああ、そしてその罪はその場に居合わせた俺に着せられた。ヤツらは俺のノドを潰した上に、二度と調合が出来ぬように、とこのザマだ」
伊蔵が見せた右手は指が失われていた。狂おしい笑みを浮かべる伊蔵。
「俺が甘かったんだ。世の中キレイゴトだけじゃないんだって、俺は学んだ。程なく駆けつけた捕り方から必死に逃げたさ。捕り方の連中も同じ穴のムジナ。どうせ獄門台は避けられねえ身、必死に山に逃げ込んだ。痛みと悔しさと無常感が俺をぐちゃぐちゃにした…」
「そうか…そんなことが」
深い息をつく裕の顔をジロリと睨んだ伊蔵。
「憐れみなど要らん。俺はむしろその出来事に感謝しているんだ。お陰で俺は強くなった。逃げ込んだ山中、空腹で動けなくなった俺はマムシに噛まれ、死を覚悟した。そこに通りかかった老人が俺を助けたんだ」
「どうやって…」
「老人はマムシの解毒剤を、同じくマムシから抽出した。そして奇妙な丸薬で俺の声を取り戻させた。そいつはすぐに立ち去ったが、あとで『幻怪』と呼ばれる仙人だと山の住人から教わった」
「幻怪…老人…?」
「よくは知らん。だが俺は幻怪って響きが気に入ったのさ。この名を出せば田舎もんはすぐ騙される。いや、そんなものにすがりたくなるほどにこの世はいい加減で不満だらけってことだがな」
「とにかく…」
伊蔵はふたたび腰をおろし裕の前に顔を突きつける。
「俺は人の心の闇を知った。そしてその闇に入り込んで生きるしかなかった。人相書きが出回る中、俺は顔を焼き、この無様な手であらゆる薬を調合した。血が滲む手で、神の水の精製に成功したんだ」
意地の悪そうな笑みを浮かべて。
「そして土壌を調べるうちにこの金脈を見つけた。上杉公ですら探しだせなかった、佐渡を上回る金鉱。ここは俺の王国、ここで俺を追い落した人間どもへの復讐を誓ったんだ」
裕が叫んだ。
「復讐?そりゃ違うぞ、伊蔵。相手を間違えてるっ」
「いいや違わないさ。こんな顔、こんな手、こんな生き方を強いたのはこの社会。それを食いものにしてやるのさ。この世はな、先に食わなきゃ食われる側になるだけだ。ああ、この世を俺のエサ場にしてやる」
伊蔵は手下に目配せをした。雅と裕は背後から羽交い締めにされ髪の毛を掴んで上を向かされ、万力のような牢番の手の力で無理やり口を開けさせられた。
「神の国へ、ようこそ。ふふふ…」
伊蔵のゆがんだ口元が笑う。薬杯に並々と注がれた「神の水」は雅と裕の口の中に一気に放り込まれた。鼻をつままれてはもう、飲み込むしかない。
「はうっ、ぶはあっ」
スウッと、何かが脳天から抜けてゆくような感触。不意にぼやけてゆく景色。鼓動が高まり、血が逆流するよな高揚感。しかし不思議と穏やかな気分。なんだか妙に笑いさえ込みあげてきた…
「うは、あはっ。ほほほ」
緩んだ笑顔で横たわり身体をくねらせる雅と裕を見下ろす伊蔵が呟いた。
「さあ、身も心も我が奴隷」
二人は牢番が持ってきた鶴嘴を手渡された。そのまま金坑へと連行されてゆく。
「ああ、そうだ新入りたち。お前らの為に言っておくが神の水は一日も飲まずに過ごせば気が狂って死ぬ。そんなわけで、残念だが逃げだす事は出来んのだ。覚えておけ」
伊蔵の声が金山の谷間に響いた。
つづく