宿命
火あぶりの母・雪婆の元に駆けつけ、自らも火の中に朽ちようとしていた雪女。
柳生鴎楽の裏切りとも思える手助けもあって二人を救いだした蝦夷守龍鬼は断崖絶壁と結界に囲まれた山中の隠れ家に雪女親娘を匿った。
「全ての入り口は結界に守られてる。窓の外は断崖絶壁。これで誰も近づけやしねえから、安心しな」
袂から出した草をクルクルッ包んで作った紙巻き煙草をゆっくりと吸い込む蝦夷守。
窓にもたれながら、月が雲間から逃れて晴れ間で輝いているのを見上げた。
「やっと逃げ切った、か」
か弱く光る月を自分たちの境遇に重ね合わせていたのかも知れない。
「しかし、雪女ってのも因果な生き物だよな」
ちらりと親娘を振り返りながら言う。
「嬢ちゃんもいつか、誰かの子を宿し産んで。そしてたった一人、この山ん中で育てることになるわけああ、そうしてこの美しい山を川を、人里を守ってゆく。それが運命ってわけだ」
吹き込んでくる夜風に雪女のサラサラとした髪がたなびく。
「あの…」
潤んだ目が月光を映して輝く。雪女は、その濃い影を落としたほっそりとした肢体を蝦夷守にそっと寄せた。
「どうやってお礼をしたらよいのやら…」
ふっと甘く爽やかな香りに振り向いた蝦夷守。
「ん、お礼か。そうだな、俺はあんたの命の恩人だ、たんまりお宝でも…」
ニヤリと笑う。
「と、言いたいところだが、お前さん達にゃもう何にも残ってないことは知ってるよ。なあ婆さん」
雪女の肩越しに見ると、雪婆はひとまず容態も落ち着いた様子でスヤスヤと眠りに就いていた。
「お疲れだな婆さん、まあ無理も無い。とりあえず色々あったが上手くいったし、楽しませてもらったからな、俺はそれで十分」
安心しきった表情で眠る母親をみて雪女も安堵の笑顔をこぼす。独り言のように呟いた雪女。
「この人が母を、そして私を救ってくれた…」
「ん?」
もう一度振り返った蝦夷守。
「ああ、あんたの母さんは男を見る目がある、そういうこった」
鼻高々に声を上げて笑顔を見せた。その蝦夷守にさらに身体を寄せる雪女。
「あなたは私たち親娘の絆の恩人、心から感謝…」
蝦夷守は外の月を見上げたまま振り向くことなく「もういい」と手を振る仕草。
雪女は下を向いてぎゅっと目を閉じ、声を詰まらせるようにして震えながら言った。
「あの、出来たら。この先、ずっと貴方と…」
驚いて振り向く蝦夷守。
窓の外からは遠い川のせせらぎ、かすかなフクロウの声だけが聴こえる。
静寂がしばし流れた。
「わたしは…」
雪女がゆっくりと顔を上げた。
「貴方を…」
大きく愛らしい目を開く。
ささやかな月の光の中…。
誰もいない。
「あれっ、えっ、ちょっと。ええっ」
部屋を見回したがスヤスヤ眠りこける雪婆以外に誰もいない。
もちろん強固な結界が張られた扉が空いた形跡も無い。
「まさか…」
断崖絶壁に面した窓からスウッと風が吹き込んだ。
吊るしてある風鈴がチリンと愛らしい音をたてて揺れた。
「そ、そんなっ」
窓の外、絶壁の下を覗き込む。
「え、ええっ」
なんと、巨大な緑色の風船が気流に乗ってぐんぐん上昇してくる。
「な、なんなの?」
目をまん丸に驚く雪女。
小屋の高さまで浮遊してきた巨大な風船の下につりさげられた木製の箱には、蝦夷守が乗っていた。その隣で一人の河童が風船を操縦している。
「ひゃっほう」
蝦夷守は雪女に向かって叫んだ。
吹き上げる風が言葉を途切れさせる。
「なあ嬢ちゃん。嬉しいこといってくれるが…残念なことに俺は寒いのが苦手でな」
ニヤリと笑って右手で敬礼の仕草。
「じゃあな」
飛び去ろうとする蝦夷守を乗せた風船。
雪女は思わず窓から身を乗り出した。
「い、行かないで。せめてお名前を、お名前を教えて…」
声の限りに叫ぶ頬を夏の夜風が強く打つ。
手を振りながら遠ざかる蝦夷守が答えた。
「名前、か。ああ、こいつは気球って云うんだ。この河童の煤ってヤツが作った発明品だ」
「いや、そうじゃないんです。そうじゃないんです。あなたのお名前…」
吹き抜ける強い風が、ほんのり優しく感じられた。
みるみる小さくなる気球。
「嬢ちゃんんはまだ男を見る目が無えな。そのうちいい男を見つけな…」
風船はすうっと西の空に吸い込まれていった。微笑みだけを残したまま。
「おいっ煤っ」
気球の上で蝦夷守が煤に向かって声を張り上げた。
「来るのが遅ぇっての。もうちょっとで崖の下でバラバラになっちまうところだったじゃねえか」
呆れ顔の煤。
「は、何言ってるんです。蝦夷さんあなたが勝手に飛び出したんでしょうが」
しゃべりながら怒りが増す。
「無茶すぎます。たまたま通りかかったから良かったものの、どうするつもりだったんですかっ」
頭の皿の上から湯気が立つほどに。
その頭を撫でながら蝦夷守がニヤニヤ。
袂から小さい箱型の装置を取り出した。
「ほら煤、お前さんが作ったこいつだよ、携帯あんていな。ちょうどここまで来てるってのが判ってたのさ」
道具作りの天才・煤が以前作った電磁波感知装置「あんていな」を小型化して遠く離れた電波も収集可能になった最新型。
「ちょっと蝦夷さん。勝手に持ち出したんですね、もう。どうりで、一つ無いって皆で必死で探してたんですよっもう」
「そう怒るな。使用試験は無事合格って証明できたわけだしな」
「いや、怒りますって。最新の道具は勝手にくすねるわ、何の連絡もなしに無茶な飛び出しをするわ、挙句の果てに遅いと怒鳴るわ…」
キッと睨む煤。
「もう知りません、蝦夷さんなんか」
引き続きブツブツなにやら不満げに呟きながら気球の操縦を見事にこなす煤。
「それにしても、なあ」
悪びれない蝦夷守が煤に肩組みして言った。
「寒いのも高いのも俺は好かん。もうちょっと低く飛んでくれよな」
「はいはい…」
「はい、は一回でいいの」
「チッ」
不機嫌そうな煤に追い打ちをかけるように。
「っかしこの気球。この色、なに緑色って…」
堪忍袋の緒が切れた煤、じろりと蝦夷守を睨みながら、操縦桿をぐいと下げた。
「文句言うなら今すぐ降りますかっ、この山ん中に置いてきますよっ」
「いや、あの、ちょっと待て、まて。いい色だ、って。そう言いたかったの。緑色大好き。ほんと」
煤の袂にすがりつく蝦夷守。
気球は一路美濃へ。振り返ると陸奥の美しい山並みはもう指の先ほどに小さくなっていた。
つづく




