火あぶりの雪婆
雪女を狙う尾張柳生一党、光る石を狙う妖孤の軍その両者を騙して鉢合わせにすることにまんまと成功した蝦夷守龍鬼は、隠れ家の雪女に会い、第五の「願いの破片」を手に入れた。
雪婆との約束どおり雪女を逃がし匿おうとするが、当の雪女が、雪婆を助けてと訴え、逃げるどころかその場にうずくまって動かなくなってしまう始末。
「お願い、母さんを、母さんを助けてっ」
蝦夷守は焦っていた。いつ策略がバレて尾張柳生一党や妖孤の恐ろしい軍団がやってくるかも知れない。一刻も猶予は無い。
「いいか、もう諦めろ。どっちみちあんたの母さんはあと数日の命。寿命ってヤツにはだれも逆らえないんだ、妖怪だろうが幻怪だろうが、な」
首をもたげて泣いたまま動こうとしない雪女に向かって蝦夷守は続けた。
「だから、それを悟ったから、だからこそ母さんはあんたに望みを託したんだ。いいか、判ってやるのが娘の務めだ。ヘタ売ってあんたにまで危害が及んだら全てがお終いだ」
「でも、でも…」
足元はすっかり雪女が流した涙が作った氷に覆われている。
「なあ嬢ちゃん」
蝦夷守は雪女の正面に座って話しかけた。
「これは宿命なんだよ。あんたの母さんの母さんも、そのまた母さんも、皆そうやって守って来たものがあるはずだ。それを壊すようなことしちゃいけない。な、嬢ちゃん。あんたもいつか、こうやって自分の命と引き換えに娘を守ってやらなきゃならない日がいつか来る。そうやって全ての命は、命を繋いでいくもんさ」
蝦夷守が雪女の手を掴む。
「さあ、ほら判ったかい、いい子だ、いくぞ」
その手を再び振り払う雪女。
「嫌だっ、嫌だそんなの、嫌だあっ」
またしても地に伏せ嗚咽の声を張り上げる雪女、蝦夷守は呆れ怒りの表情で突き離した。
「いい加減にしろっ」
大声で言い放つ。
「だいたい俺はあんたの母さんを助ける約束なんかしてないし、あんたをこうやって助け出すのだって必死だったんだ。俺がいなきゃ今頃あんたも焼かれて死ぬか妖孤の奴隷にされてたんだぞっ」
泣き伏せる顔を無理やり引き起こす。
「今さら俺の努力が無駄になるような真似が出来るかっての。せっかく石だって手に入れたんだ、もう俺がやるべきことはやった」
雪女は噛みしめていた唇を大きく開け、怒りの矛先を蝦夷守に向けてきた。唸り声と共に吐く息が触れるもの全てを一瞬にして凍らせる。
「馬鹿野郎っ」
すんでのところで避けた蝦夷守が叫ぶ。
「勝手にしろっ。ガキの戯言に付き合ってるヒマは無え、俺は帰るぜ。もうやることやったし目的は果たした。ここに用は無い、あんたは好きにしろ。もう知らん」
ペッ、と雪女が座り込む目の前に吐き捨てた唾が一瞬にして凍りついた。
両手を地面に叩きつけながら泣きじゃくる雪女を振り返る事もなく、蝦夷守は峠の合間を抜けるように、南へと帰路を急いだ。
烏峠に燃え盛る戦の炎が赤く染める夜空を、雪女がじっと見上げる。
同じ頃、盛岡・会所場横町の刑場にも濛々たる炎が上がっていた。
「さあ、こっちだ」
尾張柳生一党の盛岡待機部隊と当地の役人たちは地下牢から雪婆を手枷のまま引きずり出した。
「さあ、こりゃ見ものだ」
うすら笑みを浮かべる役人たちは雪婆を特設された丸太小屋に引きずってゆく。その中には十字に組まれた白樺の木材。
「この辺で獲れる白樺は良く燃えるぞう、ヒヒヒ」
尾張柳生の兵士もニヤニヤと笑っている。雪婆を白樺の十字架にガッチリと括りつけると、金だらいの中のドロドロとした液体をその頭からかけてびしょ濡れにした。ツーンとした匂いが鼻を突く。
「フフフ、南蛮伝来したばかりの燃える油だ。こいつの前では氷の吐息とて無力。悲しいか、あ?」
当時輸入されたばかりの石油は従来の「灯し油」である菜種油や魚油、綿実油に比べ燃えやすさは十倍以上。
「まあおのれの運命を嘆くがよい、雲仙さまの命には逆らえんからな」
鼻で笑う尾張柳生の兵士と役人は、次から次へと石油の灯し油を雪婆にぶっかけた。油まみれで息もできない雪婆だったが、火打石で足元から点けられた火に思わず身をよじらせながら悲鳴を上げた。
「ぐあああっ、あああっ」
その身は溶けだし、足の指の骨が見え始めた。あまりに大量の油は雪婆と十字架だけでなく、それを囲う丸太小屋にまで引火し黒々とうねりながら天を衝く煙を巻き上げ始めた。さらに周囲の草木にまで火は燃え広がり、たちまち役人たちもその場から逃げだすほど。
「ぐっ、ぐああっ」
苦しさに顔をゆがめる雪婆。身体中から水蒸気を激しく蒸発させながら泣き叫ぶが、すでに燃え上がった火は丸太小屋まで崩し始めた。
一面が火の海。
「ぐっ、ぐほっ」
白樺特有の黒い煙が辺り一面を覆い、役人や尾張柳生の兵士たちも思わずその場から逃げだすほど。
灼熱の陽炎が揺らす僅かな視界の中にじっと立ちつくす影を見て、雪婆は思わず声を上げた。
「あっ、ああっ」
か細い声が火の海にこだました。
「母さん、お母さんっ」
裸足の若い娘は、滝のように流れ出る汗、いや自身を溶かす炎の中で叫んだ。
「お母さん、今助けてあげるからね」
雪婆も叫んだ。
「来るなっ、来るな雪娘よ」
もはや水分を相当に失い、声にならぬ声を必死に絞り出して。
「これは運命じゃ、お前は生きねばならぬ。独り強く、生きていかねばならぬ」
危険を顧みずに駆けつけた最愛の娘への精一杯の言葉を遮るように、バチバチと白樺が火花を散らす。
業火の中を恐るおそる、雪女は火に包まれた母に向かって歩む。
雪婆がさらに叫ぶ。
「来るなっ、今すぐ逃げるのじゃ」
「いやっ、いやよ。私のお母さんだもの…見捨てるなんて」
やがて悲痛な叫びは炎にかき消されてゆく。
ついに丸太の小屋が崩落し始めた。火のついた丸太が折り重なるように倒れて雪女の行く手を阻む。
「お母さん、お母さん…」
熱に精気を奪われて倒れ込んだ雪女の身体から真っ白な水蒸気が濛々と立ち上り始めた。
「に、逃げろ、逃げるんだ…」
もはや声も出ない雪婆、その口の動きがそう語っていた。両脚はすでに熱でドロドロに溶け始めている。
無残な最期を見たくないと云う気持ちがそうさせたのか、雪女自身の気力も尽きたのか、猛火の中で雪女は倒れ伏せた。
「ううっ、ううう」
崩れ落ちた雪女の手から、はらりと落ちた手紙。母親である雪婆からの、子への思いが書きつづられた氷の親書。燃え盛る火の中で、その手紙の周りだけは、まるで何かを守っているかのように周囲を冷気で凍てつかせていた。
「か、母さん…」
遠のく意識、向こうで陽炎に歪む母の姿も炎の中、遠くに霞んでゆく。
数多くの想い出をかき集めるように雪女は炎の中で回想していた。おそらく雪婆も同じだろう。
こぼれおちた母の手紙に届かぬ指先が震える。
ゆっくりと目を閉じてゆく。
「…ったく」
薄汚れた西洋靴が、横たわる雪女の目の前に。
「えっ」
装飾品をジャラジャラ着けた手が、落ちた手紙を拾いあげた。
「面倒くさい女だ…」
しゃがみこんで雪女の顔を覗き込む。
「オトナを困らせるんじゃねえ、っての。嬢ちゃん」
「あ、あなた…」
手紙を拾いあげたのは蝦夷守だった。
「なんて冷てえんだ」
手紙をくるくるっと丸める。雪婆が最後の妖力を振り絞ってしたためた手紙はまだ激しい冷気を宿している。持った手から袖までが一瞬にして凍りつくほど。
「さあて」
丸めた手紙は冷気の塊。
「ちょうどいい」
手にした蝦夷守はひょいと構えて大きくワインドアップから、遠くの十字架に燃える雪婆目がけて投げつけた。
「ここは迷わず、直球で勝負、だな」
丸めた手紙が投じられた。蝦夷守はすぐさま腰元のフリント銃に手を掛けた。
すでにコックポジションにしてあった撃鉄を引き金を引いて作動させる。
「どんなもんだい」
銃弾はまるで糸に引かれたように真っ直ぐ、丸めた氷の手紙に飛んでゆく。
「当たり(ビンゴ)だ」
氷の手紙はパーンという破裂音を放って四方に砕け散り、冷気が一気に放出された。
「しかし…」
ふう、とため息をついた蝦夷守。
「俺はこんなキャラじゃねえんだがな」
燃え盛る炎は、強い冷機の放出によって、その揺らめきを形に残したまま樹氷のごとく凍てつき固まった。
氷玉の軌跡に沿って出来た白銀の道。すっくと立った蝦夷守はニヤリと笑みをこぼすと、真っ直ぐ十字架に向かって走り出した。
「出来た娘さんじゃねえか、婆さん」
蝦夷守は、ぐったりと意識を失いかけていた雪婆の顔をパンと軽く張った。
雪婆が目を丸くして驚く。
「お前、お前さん…」
「また会うとはな。あんたの言う通りにしたんだが、ああ、全て上手くいったさ。だが娘さんが優し過ぎるんだ」
雪婆も笑みを漏らした。
だが、肝心の縄がなかなか解けない。
「な、なんだこの縄は。やたらガッチリしてやがる…」
「こいつも封じの縄だ。妖力を以てしても解けぬ、切れぬ縄だとヤツらは言っていた…」
蝦夷守は焦る。
「そりゃマズい…こうしてる間にまた火が勢いを増す」
一向に解ける気配のない縄。
「おいおいヤバいぞ、尾張柳生が戻って来るぞ…んっ?」
すでに、背後に忍び寄っていた影。
「うあっ」
蝦夷守が振りかえると同時に、その影は大きく振り上げた忍者刀を真っ直ぐ下に振り下ろしていた。
「しまった」
慌てて身を反らした蝦夷守。
だが、狙いは雪婆を括りつけている縄にあった。
「えっ」
バサリと切り落とされた縄が地面に落ちる。
驚く雪婆、そして蝦夷守。
「お前、大将の息子…」
「鴎楽です。親父には内緒にしていてください」
「どうしてまた…」
「殺し合うばかりが、憎しみ合うばかりが道じゃない」
にっこりと微笑んだ鴎楽は、他の忍たちが近づくや、黒覆面で顔を隠してサッと飛び上がり去っていった。
「カッコつけやがって…」
「さ、俺たちも早くズラからねえとな」
近くの井戸水から桶いっぱいの水を汲んで雪女にかけて精気を取り戻させると蝦夷守は、長羽織で雪婆をくるんで背負い、その場を去った。
人目を避けるように街道を外れて獣道へ。
「半刻ほどで目的地だ」
あちこちから聞こえる怒号を遠くに、蝦夷守と雪婆、雪女は盛岡の北西の山中にある末代窪山の社に辿り着いた。
「見ろよ、絶好の隠れ場所」
得意げに話す蝦夷守。
確かに、東の崖は険しく切り立ち眼下には北上の曲がりくねった流れ。その他三方は鬱蒼とした原始林に囲まれている。今では獣でさえ寄りつかない社。
「さあ、ここなら」
雪女親娘を中に入れると蝦夷守は、腰に下げた手拭いを幾つか取り出し、これに雪女の吐息を吹きかけさせて氷の枕を作り、焼けただれた雪婆の全身にあてがって冷やした。続いて外に出た蝦夷守は懐から取り出したお札を社のあちこちに貼った。
「これで大丈夫だろ」
戻ってきて一息。
「俺の仲間に札売りがいてな。波動で結界を貼るお札を持ってるんだ。それを三方に張ったから安心しろ。しばらくほとぼりが冷めるまでここに身を隠すんだな」
三人は月明かりの中、ようやく安堵のひと時を得た。
つづく




