妖孤と柳生の対決、そして雪女は
雪女を狙う尾張柳生と、光る石を狙う妖孤の軍団。
両者は蝦夷守龍鬼の策略で鉢合わせになり、激しい戦いが始まった。
互いが矢を撃ち尽くすとあとは白兵戦。灼熱の火炎に包まれた草原で両陣営がもつれ合う。
「ヤツらの力を封じてしまえッ」
雲仙が忍者刀で次々と襲い来る妖孤たちを切り捨ててゆく。
尾張柳生の秘術「波動封じの蜘蛛の糸」が、飛び上がった妖孤たちをぐるぐる巻きにして地に這わせる。加えて容赦なく浴びせる火焔攻撃。
「焼きつくして灰に変えてしまえ」
炎の中に悶絶しながら朽ちてゆく妖孤たちを踏み潰してゆく雲仙、その眼前に一人の妖孤が立ちふさがった。
「図に乗るな、人間ごときが」
「うっ、お前は」
身構える雲仙と目が合う。先に飛び出したのは妖孤。
「はっ」
速い。ぐっと身をかがめて背中の長刀を抜き、交差するように振り下ろした。反射的に身を反らして倒れ込みながら避けた雲仙の両頬にそれぞれ、一筋の血の線が描かれた。
血をぬぐいながら睨み返す雲仙。
「女狐か…」
「我が名は玉藻前」
九本の尾をパッと広げて飛び上がった妖孤は立ち上がろうとする雲仙に斬りかかった。
「誰だろうと所詮は人外」
雲仙は懐から波動封じの捕り網を投げつけた。傘を広げるように、光沢のある網が宙に開く。
「妖力だけが力、ではない」
妖孤は一本の刀で巻き取るように捕り網を奪い、その刀ごと投げ返す。かわした雲仙はカウンターで手裏剣を投げつけた。
「ふっ」
唸りを上げて飛んでくる十時手裏剣をほんの一寸、顔の動きだけでかわし表情さえ変えぬ妖孤は降り際にもう一本の剣で真っ直ぐ斬り下ろす。
「はあっ」
雲仙はマントを翻して目くらましにしながら横に飛び退き、隠し持っていた吹き矢を放った。同時に何本もの小さな毒矢が妖孤めがけて飛んでゆく。
「小賢しい」
まるで一本一本が意思を持って生きているかのような九本のフサフサした尾が毒矢をそれぞれ絡め取って跳ね返す。
「しぶといな」
雲仙は袂から鶏卵大の白い球体を取り出し投げつけてきた。妖孤は目の前に迫るその球体に刀を正確に合わせ、峰で打ち返す。
「何っ」
ところが球体はそこで激しい音と共に破裂した。爆薬を詰め込んだ球は火花を散らして妖孤を吹き飛ばし、同時に激しい電場が発生し、幾筋もの小さな稲妻が妖孤の全身を包む。
「う、ううっ」
妖孤が、高圧に帯電した刀から手を離した瞬間、雲仙の手下の忍者たちが草むらから、取り囲むように一斉に飛び上がった。
「終わりだ、伝説の妖孤め」
しかし雲仙がほくそ笑んだのも束の間。
「ふっ」
妖孤の薄紫色の瞳がギラリと輝くと同時に、両手の鋭い爪がスッと伸びた。その爪は月光を反射して無数の光の筋を瞬時に描き出した。
「人間など、所詮この程度よ」
幻想的とすら思える美しい残像が消えぬ間に、妖孤に群がった雲仙の手下たちは斬り口も鮮やかに、皆真っ二つに斬り裂かれて地に落ちていた。
月明かりに映える血の噴水をバックに妖孤は九本の尾を羽ばたかせるように操ってゆっくりと着地した。
「お返しだ」
妖孤がパンと手を叩くと、手下の妖孤たちが雲仙を取り囲んだ。不規則に飛び跳ねながら右回り、左回りとすばしっこく動きつつ雲仙を囲む円の半径を縮めてゆく。
「殺れっ」
九尾の合図で一斉に飛び上がった。それぞれの妖孤を背後から照らす月の光がフサフサとした狐の毛が風に揺れるのをスローモーションのように照らし出す。剥き出しにした牙と爪が雲仙を切り刻もうと迫る。
「ケモノごときっ」
雲仙は腰元の袋から片手いっぱいに握った黒い粉を空中にぶちまけた。同時に一方の手で腰に下げた鎖鎌を取り出して一端の分銅を持って宙に放り投げ、研ぎ澄まされた鎌で空中にぐるりと大きな円を描いた。
「知恵こそ我ら人間の強さ」
宙を舞う鉄粉と火薬の微粒子の中を、硫黄でコーティングされた鎌の刃が猛スピードで通り抜けるとその摩擦で連鎖反応的に連続した爆発が起こり、雲仙の頭上を猛火で覆った。
黒煙の中からボタリボタリと真っ黒焦げになった物言わぬ妖孤の遺骸が落下し粉々に崩れていった。
「くっ」
唇を噛む九尾、対する雲仙にジリジリと近寄る。両手の伸びた爪をしっかりと構え、長い耳が、全身の毛皮が周囲の空気の流れを読む。
「人間に破れるような私ではない。以前八万の軍勢に取り囲まれた事もあったが、殺生石を囮に生き延びたんだ」
雲仙も鎖鎌をいつでも投ずる構えのままにじり寄る。
「ふっ、過去の人間と我られも同じと思っているのか、馬鹿め」
いよいよ各々の武器は射程距離内に入った。妖孤が呟く。
「大人しく石を渡せ、さらば今回は見逃してやろう」
対する雲仙が言い放った。
「お前こそおとなしく雪女を引き渡せ」
「ん?」
妖孤の眉間の皺が緩んだ。
「雪女だと、んなものは知らん」
「そうだ、お前達が捕まえた雪女を」
「いや、ここにはいないぞそんなもん。それより、お前達が奪った光る石をこちらに渡すのだ」
雲仙も構える鎖鎌を持つ手を緩めた。
「いや、俺たちは石なんか持ってないぞ」
「…?」
「それってもしや、あの蝦夷守とかいう無宿が言ってた雪女一族のお宝のことか?」
「まさか」
「あいつ…」
雲仙と妖孤は戦場と化した夜の烏峠で怒りに任せて叫んだ。
「騙したなああっ」
その頃、蝦夷守は峠を降りて雪女の隠れ家の前にいた。
「ああもう、バカ二人の相手は疲れる」
姫神山の西の麓に小さな泉、その横にうっすらと明りが灯った古い小屋が建っているのが見える。
「婆さんの云った通りだ。よしよし」
遠くに尾張柳生と妖孤軍団の戦いの喧騒を訊きながら、静寂が支配する泉のほとり、小屋の扉に手を掛けた。すっと灯りが消える。
「ほう、痛いことしないから出ておいで。雪女ちゃん」
夜半の山中、真っ暗な小屋の中。手さぐりしながら中を進む。冷気と妖気に包まれた中、蝦夷守の眼帯スカウターも波動が乱れて使い物にならないようだ。
「さあ、どこだ。母さんから手紙預かってんだから、心配要らないって」
一番奥の部屋からすうっと、背筋も凍るような冷気が漂ってくる。
「こりゃぞっとするな…」
おずおずと近づく蝦夷守。奥の部屋の襖を開けると一気に妖気に包まれた。
「間違いない、ここにいる」
踏み込んで手さぐりするうちに、氷の様な冷たい手が触れた。ひやりとした冷気で一気に鳥肌がたつ。
「見つけたっ」
その手をぐいと握って引っ張り出す。
「さあ、大人しくしておくれ、雪女さんよ」
障子窓をガラッと開け、満ちた月の薄明かりが部屋に差し込む。
「あっ…」
蝦夷守は思わず息を呑んだ。艶やかな長い髪、潤んだ大きな瞳。この世のものとは思われぬ美しさ。ほのかに赤らんだ唇が震えているのは見知らぬ者への恐怖のためか。
「嬢ちゃん、あんた雪女だな」
「あ、あなたは一体…?」
突然の来訪者に身構える雪女。蝦夷守はその鋭い目をみてうろたえた。
「ちょ、ちょっと待ったあ。氷漬けは勘弁してくれ。怪しいもんじゃない。いや、見た目は怪しいかもしれないが、ほら」
「怪しいわ…なぜここに」
「細かい説明してるヒマないから、ほら」
逃げ腰のまま、蝦夷守は雪婆から預かった氷の親書を雪女に手渡した。雪女の息で、親書には雪婆の言葉が浮かび上がった。
「か、母さん…」
人間たちが雪女の殺害を企てていること、その居場所を知るために死期が近い雪婆を拉致し処刑しようとしている事。さらには生き延びて新たな遠野の守り神として生きるよう、手紙にはしたためられていた。
「そんな…」
雪女の目が驚きと悲しみで益々潤んでゆく様子を月光が照らし出していた。
「なぜ、なぜ…」
頬を伝う涙はたちまち氷に変わる。首を大きく横に振りながら座りこんでしまった雪女の嗚咽が小屋中に響く。
「とにかく」
蝦夷守は、うずくまったまま動こうとしない雪女の細い腰を抱き上げた。
「俺は、あんたを助けて匿わなきけねえんだ。婆さん、いやあんたの母さんと約束したんだ」
見上げる雪女、その透き通るような美しい肌に吸い込まれるような錯覚を感じる。何かを懇願するような潤んだ目を避けるように、蝦夷守が言った。
「勘違いするなよ、人助け…いや妖怪助けでも何でもない、これは契約だ。あんたの母さんとの、な」
怪訝そうな顔の雪女に向かって蝦夷守が言う。
「ああ、だから俺はあんたを助けて匿う。そして、契約の通り、あんたが隠し持ってる伝説の石を頂戴する。な、そう書いてあっただろ手紙に」
わずかに唇を噛みながら雪女は小さくコクリとうなずいた。そして蝦夷守が立つ真下の床を指さした。
「ん?」
下を指差す蝦夷守。ゆっくり何度か、うなずく雪女。
「それじゃあ」
畳を外し、短刀を引っ掛けてテコにしてその下の床板を外す。ギギイという音が静寂にこだまする中、階下の土間から眩しいほどの光の筋が幾つも溢れだしてきた。
「おお、これが、これが伝説の」
小躍りする蝦夷守。裾をまくってひょいと飛び降り、まるで鼓動するように明るい光を脈動させながら放つ石を手にした。
「間違いない、願いの破片。これで五つ目が揃ったってわけだ」
「え?」
不思議そうに首を傾ける雪女。まばゆい光に照らされてその美しさが引き立つ。
「あ、いや。嬢ちゃんは知らない話だ。とにかく、これは俺が頂戴するって約束だ」
腰元に下げた袋の中の鉛箱の中に石をそっとしまった蝦夷守は雪女の手を引いた。
「さあ、ズラかるぞ。ここも早晩ヤツらに見つかるだろう」
小屋の外に出た二人。蝦夷守が地図を広げて言った。
「ここだ、南に戻って北上川を渡って西、この社に匿ってやる」
眉をひそめて立ち止った雪女に蝦夷守が言って聞かせる。
「心配すんなって。石をいただいた以上しっかり約束は果たす。敵は今ちょうど峠でやりあってる、さあ、今を逃せば動きがとれなくなるぞ、行こう」
黙ったまま足を止め、蝦夷守をじっと見る雪女。ハアと大きくため息をついた蝦夷守は少し苛立った口調になる。
「急ぐぞ、って言ってんの俺は。敵が気付いて戻ってきたら母さんとの約束を破ったことになっちゃうじゃないの。な、ちゃんと結界用の札も持って来てある。三方が崖のあの社なら間違いなく安全だから、さあ来いって」
それでも全く動こうとせず、じっと蝦夷守を見ている雪女。
呆れて大声に。
「あのな、嬢ちゃん。聞こえてるかあんた。行くぞって…」
突然、言葉をさえぎって雪女が叫んだ。
「お母さんを助けてっ」
「…はっ?」
顔をしかめて雪女を覗きこむ蝦夷守にむかって、さらに大きな声で言った。
「お願いですっ、お母さんを助けてください。このままでは人間に殺されてしまうっ」
「殺されるって…ああ、火あぶりのことか…だがどっちみちあと数日の命なんだろ」
大きく首を横に、何度も振りながら涙の雫を氷にして撒き散らしながら雪女。
「ダメっ、そんなのダメっ。お母さんを助けなきゃっ」
「あのな、よく聞け。おれはその母さんから頼まれてやってきたんだ。母さんの望みは、あんたを助けて安全な場所に匿う事なんだ。わかるか?」
「とにかく、ダメっ。母さんを、母さんを…」
「わからんヤツだ。今戻ったらあんたも俺が持つ石も、文字通り飛んで火にいる夏の虫だ」
「お願い、お願いっ。母さんを…」
泣き叫んだまま再び座り込んだ雪女はもう一向に動く気配を見せない。
「ふざけんなっ」
蝦夷守は怒って雪女の手を突き離した。
「どっちみち雪婆さんは死ぬんだ。俺まで巻き添えなんてゴメンだっ」
つづく