闇の中の妖孤
雪女の隠れ家のある姫神山の麓を目指す雲仙率いる尾張柳生一党と蝦夷守龍鬼たちは烏峠に陣取る冥府の軍団に気付いた。
彼らも雪女を狙っている様子、そう判断した雲仙たちは雪女の母である雪婆からの親書をもつ蝦夷守の策略に託した。冥府の軍団を騙し他の場所に誘導するという作戦である。
「ほう、こんなに雁首そろえやがって。暗黒帝国も本気だな、こりゃ」
峠に辿り着くと、まがまがしい鎧に身を包んだオニの兵士たちがずらりと並んでいた。
「さて、如何に欺くか…」
蝦夷守が腕組みをして思案していると、背後から低い声。
「なにを欺く、だって…?」
「うっ、ううっ?」
思わず振り返る。全く気配を感じさせずに蝦夷守の背後にすっくと立っていたのは妖しい毛並みが月夜に美しい妖孤。
「相変わらずのようだな…龍の字」
伸びた耳がヒクヒクと動いて周囲の気を探りながら、冷たい薄紫色の瞳が無表情のままじっと見ている。不規則に動く九本の尾が怪しく月光を反射し今にも襲いかかってきそうだ。
「お前、また何か企んでるな」
「久しぶりじゃねえか、だが龍の字なんて気さくに呼ぶんじゃねえよ。それじゃお前はタマちゃんとでも呼ぼうか?」
「戯言に付き合うほど暇じゃない。一体何しに来た、峠の下に人間の部隊が隠れていることもとっくに知ってるぞ」
「さすがだな」
ゆっくりと近づく蝦夷守。妖孤の毛がスッと逆立つ。フッと鼻で笑う蝦夷守。
「そう警戒するなって」
ポン、と妖孤の肩に手を置いた蝦夷守。肩当ての金属製防具がはひんやりとした感触。その手をぐいと握る妖孤。
「気安く触るな。なんなら今度こそお前と決着をつけてやろうか」
「いちいち面倒なこと言うんじゃねえよ、そんなのは後でもできる。ちょいといい話を持って来たんだ、どうだい、訊くか」
「お前が持ってくる話が良かった試しがない」
表情を変えない妖孤。蝦夷守は構わず話し続ける。
「物事を決めてかかると損をするぞ、ふふ、今回はマジでいい話だ。どうせお前さん達がここへ来た狙いは…」
じっと蝦夷守の目を覗きこんだ妖孤。
「ほう。わかるか」
「当たり前だ。なあ、妖怪軍団の考えることなんざ俺はお見通しだ。で、それをどうするんだ」
ニヤッと妖孤が冷たい笑みを見せた。
「フッ、とぼけるな。お前も幻怪の一味なんだろ。お前らがあの石を探している事は知ってるんだ。お前も探しにここまで来たんだろ。そうはさせない…」
背に差した長い剣を抜こうと手を掛けた妖孤。ほう、と二、三度首を縦に振った蝦夷守も笑みを浮かべて言った。
「残念だが俺たちが今争う意味は無い。あの石、光る石は、すでに人間たちの手に渡っちまった」
「なにいっ」
妖孤の眉間に深い皺が寄る。牙をむき出しにして声を上げた。
「いつの間にっ、そうかお前が手引きしたんだな、許さん」
サッと剣を抜いて振り下ろそうとする妖孤、身をすくめて手を頭上に掲げながら蝦夷守も声を上げた。
「待て待て、まてって。俺もあいつらに掴まってたんだ。石を手に入れて今帰り道なんだがお前達にバッタリ遭遇したってんで俺があんたらを騙して峠の向こうに連れていくって策略を仰せつかったってことよ」
「ならばお前を斬り殺してあいつらも皆殺しにして石を奪うのみっ」
いきり立って刀を持つ手を掴んだ蝦夷守が妖孤の目をじっと見て言った。
「だから慌てるなっての。あいつら予想以上に手強いぞ。波動妖力を無にする技を持ってる。迂闊に飛びこんだらヤバいぜ」
「どういうことだ」
「あいつらが使う捕り網は俺たちの波動を吸収しちまうんだ。多くの妖怪や幻怪が今までやられてきている。お前さんといえどもそう簡単にはいかないぜ」
考え込む妖孤。
「噂には訊いた事がある…妖怪狩りの忍者たち、か」
「ああ。その通り、やつらがそうだ。でなきゃ俺だって簡単にとっ捕まったりするわけがない」
「で、お前は一体何をしようと企んでいるのだ」
妖孤の問いに蝦夷守は答えた。
「とにかくここは共同戦線しかない、俺もヤツらに石を持っていかれたら困るしな」
「で、どうする?」
「なんか飛び道具はあるのか?」
「弓矢の部隊がいる」
「よし、ならば俺が尾張柳生の忍者たちを誘導してやるから、身を潜めて峠の下に隠れて待ってろ。ヤツらを目の前まで引き連れてきたら俺が両手を上げて合図する。一気に撃ちこめ。石はヤツらが持ってる、俺が奪うかお前が奪うか、そこで勝負だ」
「いいだろう。お前にゃ石は渡さんがな…」
睨みあう妖孤と蝦夷守。
「勝負だ。とにかく峠の下で待て、あそこに見える社の石碑が目印だ。あの裏に手下を隠して合図を待て」
さあ急げ、とジェスチャーしながら蝦夷守は妖孤軍団の陣を後に、尾張柳生たちの潜む草むらに戻った。
「大将、どうやら先を越されたようだ」
蝦夷守は息を切らしながら、泣きそうな顔で雲仙に告げた。
「雪女はもう、あいつら妖怪たちの手に落ちた」
「馬鹿なッ」
雲仙が顔を真っ赤にして怒鳴った。
「あいつらどうやって…」
「ハッキリとはわからんが…どうやら雪婆を拉致して囮につかったんじゃないか」
「畜生、雪婆の方をを手薄にしたのは不覚だった…よし、ならば是非もなし。一気に攻め入ってもろともに皆殺しにしてくれるッ」
神妙な顔で蝦夷守が言った。
「いやそれはマズイぞ。ヤツらは相当な数だ。加えて雪女もあっちの手勢に加わったとあっては勝ち目は薄い」
「ううむ…じゃあどうするんだ」
憔悴の滲む雲仙。蝦夷守はパチンと指を鳴らした。
「そこで、だ。幸いなことにヤツらはまだ俺たちの存在に気付いていない」
「と、いうことは?」
「と、いうことは、奇襲作戦が功を奏す。そういうこと」
雲仙はじめ忍者たちが身を乗り出した。得意げに語る蝦夷守。
「ヤツらは峠を降た。見ろ、もう旗が見えなくなっただろ」
遠眼鏡をかざす雲仙。
「確かに。烏峠から狐沢に下るつもりか」
「ああ。敵は妖孤の部隊だからな、狐沢にある妙見の社が本陣のようだ。だがあそこまでは距離がある。この烏峠の西側、越戸の村の手前で一休みしているようだ」
雲仙が鋭い目でニヤッとした。
「そこを一気に…」
蝦夷守もニヤリと笑い返す。
「そこを一気に」
月明かりから隠れるように覆面で顔を覆った尾張柳生一党は、夜風に揺れる背の高い夏草に身を紛れさせながら、峠の手前で進路を変えた。
「こっち、こっち」
中腰で先導をする蝦夷守が頭を下げるよう身振りした。
「あそこだ、あの石碑の裏にいる」
「あれか」
雲仙の目が暗闇に光る。蝦夷守が尋ねた。
「おい、飛び道具はあるのか?」
「ああ、弓矢の部隊を連れてきている。なんなら火矢で焼け野原にだって」
「よし、俺が合図したら一気に撃ちこめ。雪女も一緒にいる、煮るなり焼くなり好きにしろ」
草むらをササッと飛び出した蝦夷守が石碑の前で立ち上がり、両手を大きく上に突きあげ、大声で叫んだ。
「今だっ、やれっ、やれえいっ」
石碑を挟んで北の妖怪軍団、南の尾張柳生一党が一斉に立ち上がった。
「くたばれえいっ」
双方から雨あられの如く矢が飛び交う。狐火の矢と柳生の火矢が交錯し、あたかも真昼の如く陸奥の草原が照らされた。夏の乾いた草はたちまち燃え上がる。
「待ち伏せとは…謀ったなあの無宿者っ」
狐火の矢に倒れる仲間たちの横で雲仙が声を張り上げ、自ら弓を引く。対する妖怪たちも火矢に焼かれてゆく中、妖孤が叫んだ。
「奇襲とは…あの野郎、謀ったなあっ」
つづく




