烏峠へ向かって
弓弭の泉から流れ出る、と言われる北上川の清流。盛岡藩屋敷以北はだんだん細くなって曲がりくねっている。両脇に雄大な山々が連なる景色の中、蝦夷守龍鬼を従えた尾張柳生一行は北を目指す。
「あれが古間木の沢。向こうに見えるのが赤坂山だ。その先の源座久保山の向こうに見えるのが烏峠。さあもうすぐだ」
土地勘のある若い忍びが呟いた。雪女の隠れ家は近い。
雪婆からの親書の封印は蝦夷守にしか開けられない。雪女を差し出すのと引き換えに蝦夷守はお宝を手に入れるという取り引き。
「しかしな」
蝦夷守が道中、隣を歩く尾張柳生の頭領・雲仙に向かって話しかけた。
「じき雪婆は死ぬんだ。雪女の居場所も判って俺があんたに引き渡すんだから、なにも殺さなくていいんじゃね? 婆さんの火あぶりなんて、年寄りイジメても楽しくないぜ」
覆面の下の厳しい表情が伺える雲仙。
「その甘さが命取りになる。そんな甘いコト言ってるようだからお前は簡単に捕まったりするんだ。尾張柳生は一切の隙も許さない」
「しかし婆さんも可哀そうに…」
ブツブツと云う蝦夷守をジロリと睨んで雲仙が言った。
「だいたい、お前があの婆さんを裏切ったんじゃないか。自分の腹黒さを棚に上げて偉そうな口を訊くな」
しまった、と肩をすくめる蝦夷守を挟み、反対側を歩く若い男が、声を荒らげて言った。
「そうだそうだ。お前は雪婆の言う通り外道。お宝に目がくらんで年寄りと雪女の命を売った。この最低野郎、恥を知れ」
急に現れた正義漢に驚いた表情を見せつつ、蝦夷守が少しばかり反論した。
「なんだ急に、若いの。横からしゃしゃり出てきやがって。だがちょっと待て、お前らだって妖怪と見りゃ手当たり次第に殺してゆく。その殺生は正道だって言うのかい?」
「そ、それはしかし…」
口ごもる若い男。蝦夷守が嵩に掛かって言う。
「な、結局お前さんたちも自分の都合のいいように物事を解釈してんじゃねえの」
反対側から雲仙が若い男に向かって言った。
「おい、こんな無宿の言葉に惑わされるなよ、鴎楽。人間が妖怪を殺すのは至極正道だ。害虫を駆除するに情けは無用」
真ん中の蝦夷守が言う。
「いや害虫ってのは人間にとってそうだと云うだけで、あっちからしたら人間の方がよっぽど…」
雲仙が言葉を遮る。
「人間は太古の昔からモノノケというヤツに散々苦しめられてきた。我らの生殺与奪を意のままに操り愚弄してきた。時に信じさせては騙し、祈らせては裏切り」
「けどな…」
蝦夷守が言いかけたところで、こんどは反対側の鴎楽の言葉が蝦夷守を遮った。
「いえ父上、そうは言いますが、モノノケを一括りに災厄の元凶と断じるのは時に間違いかと…」
うなずく蝦夷守が言いかける。
「確かにモノノケと云って…」
今度は雲仙が口を開いた。
「一つ一つの小さな事象に囚われて大きなものを見失うでない、息子よ。時に非情にならねば守れぬものがある」
次は鴎楽の意見が蝦夷守の頭上を飛び越えて雲仙へ。
「非情だけが解決とは思いませぬ、話し合って解り合う事もある」
雲仙は首を横に振る。
「話し合いなど逃げ口上。情にほだされ判断を狂わせるだけだ」
食い下がる鴎楽。
「いえ、現実に私は先日出会ったモノノケと話をして、決していがみ合うだけでは無いと知った。私はモノノケと知らずに接していたが、その心は人間と何ら変わらず、むしろ優しい心を持っていた。私は心を通じ合わせることが出来たと思っています。
厳しい表情で雲仙が声を上げた。
「バカめが。女妖怪の容姿に惑わされおって。それがヤツらの常套手段、色仕掛けにお前がまんまとハマっただけのこと。親として恥ずかしい失態」
鴎楽も声を張り上げる。
「見てもいないのにどうして判断出来るのです。父上はいつもそう、常に自分が正しいと考えなさる。あなたの驕りは人間というものの驕りそのものだ」
雲仙も額の血管を膨らませて言い放つ。
「知りもせずにものを言っているのはお前の方だ。我ら一族がモノノケにどんな目に遭わされてきたか忘れたか」
鴎楽も負けていない。
「だからといって憎しみに任せて殺し合うことは次代の憎しみを生むだけではないですか。解り合う道をさぐってこそ…」
雲仙も叫ぶ。
「解り合おうとして今までの悲劇が…」
頭上で飛び交う激しい議論。蝦夷守は右を見てうんうん、左をみてうんうん、と頷きながら、遂には二人の肩に手を掛けた。
「あのな、どっちも正論。うん、正しい」
両者の顔をそれぞれに見て、呆れた顔で言った。
「だが、親子喧嘩なら家でやれ。風呂にでも入った後に」
二人は苦々しい顔で互いにそっぽを向いた。
「親方さまっ」
露払い役に前を往く手下の忍者が慌てた顔で戻って来た。
「なにやら不穏な連中がこの峠の上に…」
表情をこわばらせた雲仙。親子の論争もそこそこに遠眼鏡を取り出した。勾配の急な峠の上に幾つかの旗が夜風にたなびいているのが見える。
「どういうことだ…」
睨まれた蝦夷守、ノドをゴクリと鳴らして呟いた。
「マズい…マズいぞ」
そわそわする蝦夷守を尾張柳生の忍者たちが取り囲む。
「こんなの訊いてないぞ」
「いや俺だって訊いてない」
眼帯スカウターで旗印を読み取ると、こわばった顔で振り返って雲仙に告げた。
「あれは冥府の軍団、暗黒帝国の部隊に間違いない」
蝦夷守は一同に頭を低くして身を隠すよう手振りをした。
「ヤツらが現世を征服しようとしているのは知ってるだろ、その手先がやってきたんだ」
「なぜここに」
「わからん。だが雪女に関係していると見ていいだろう。おそらく相当な軍勢がやってきているに違いない」
雲仙が尋ねた。
「ヤツらは何故雪女を狙うんだ」
「捕まえて兵力にするに決まってるじゃねえか。いいか雪女が本気出したらひと山まるごと氷に変えることができるんだぜ」
険しい表情の雲仙の顔を蝦夷守が覗きこむ。
「雪女をナメちゃいけねえぞ。今は人間と妖怪の間で中立の立場をとっているが、帝国の手先なってみろ。闇の力を借りてますます恐ろしい存在になるぞ」
雲仙は臍を噛む。
「何とかしてあいつらより先に雪女を見つけ出して抹殺せねば…おい、何とか迂回して先回り出来ないのか」
「無理だな、この烏峠と狼峠の間を通らんことには目的地には辿りつけない、このままじゃ先を越されるか、鉢合わせだ」
「ううむ…」
考え込む雲仙。一緒に腕組みをしてしかめっ面をしていた蝦夷守が、閃いたように頭を上げた。
「よし、俺がいっちょ何とかしてやろう。お前さんたちみたいな如何にもといったナリでは怪しいが俺なら何とかできる」
「お前が、か。大丈夫なのか」
あまりアテにしていない風の雲仙だが、どのみちこのままではラチがあかない。蝦夷守の提案に耳を傾けた。
「幸い俺は雪婆からの氷の親書を持ってる。だから俺は雪女のニセの居場所を言ってヤツらを誘導する。向こうの狼峠を降りると、ここの獣道は視界の外になるはずだ、その隙を狙って先に雪女を確保するしかない」
「ううむ…」
「大丈夫だ、任せろ。それに今あいつらと正面切って戦っても勝算は未知数。危険因子は回避するに限る、だろ」
「もしお前が戻ってこなかったらどうする」
「信じろ。俺もお宝を手に入れないままには帰れないんだ」
じっと目を見たまま雲仙がゆっくりとうなずいた。
「とにかく今は危険だ。俺がヤツらを騙して戻ってくるまでここで身を潜めてろ」
小声で囁いた蝦夷守は身をかがめながらゆっくりと峠の上にいる冥府の妖怪軍団に近づいていった。
つづく




