幻翁は語る、暗黒の未来
鬱蒼と木々が生い茂る百々ヶ峰の七合目あたり、崖に囲まれ湿気に満ちた、ほの暗い場所にその古い屋敷はあった。ところどころ朽ち果て蔦がびっしり覆っている。小さな庭先には錆びかけの農具が無造作に置いてある。
「ヤッホー、元気にしてたか、じいさんよ」
蝦夷守が、身に付けた装飾品をじゃらじゃら揺らしながら駆け寄り、蝶番の壊れた戸を颯爽と開けたその瞬間。ガシャーン、と天井から三尺はあろうかという研ぎ澄まされた剥きだしの刃が落ちてきた。
「あ、あ…」
ギロチンは蝦夷守の鼻先をかすめ、色とりどりのトンボ玉の首飾りは四方に弾け飛んだ。思わず生唾を飲み込んで一言。
「用心深い、ってのはパラノイアと区別がつかん…」
すんでのところで断頭を免れた割にふざけてみたものの。蝦夷守は振り返って一刀彫に「先に行ってくれ」と目配せをしている。その時、ガサッ、と背後から草むらをかき分けて現れたのは小さな老人。
「相変わらず不用心なヤツじゃのう。ははは」
しわがれた声、曲がった背中、薄い頭と土汚れがこびりついた不精髭、あちこち破れたモンペはすっかり色褪せている。右手に木の枝を杖代わりに、左手にはおそらく木の実を集めた麻袋を持ったこの老人こそ、幻翁である。
「来ることは判っておったぞ。やけに賑やかな波動を感じたわい」
緊張が解けた皆を屋敷に招き入れた翁は収穫してきた木の実を囲炉裏の鍋にかけ、皆に茶を振る舞った。もっとも「来るって知ってるくせにあんな仕掛けしておく神経を疑うよ、全く」と怪訝そうに首をかしげながら小声でブツブツ独り言の蝦夷守は、悦花や一刀彫が口をつけるまで茶を飲むのをためらってはいたが。
「いよいよ、時が来たようじゃ」
唐突に翁が言い放った。
「閻魔卿が腰を上げた。世界が滅びる。誰かが止めねば全て死に絶える」
「ええ確かに。地殻や光、水の流れ、すべて狂いに生じている事は調査済みです。大きな闇のエネルギーが満ちこの世を乱していると考えられます」
森羅万象に精通する理論派の裕の言葉を受けて翁が語った。一同の和やかな空気が一転する。
「冥府の親玉、閻魔卿を知っておるか。ヤツの狙いはこの世の滅亡。我々と逆位相の強い波動、つまり闇の波動の使い手ゆえ、その力で世界の転覆、光と闇の逆転を企んでいるのじゃ」
「閻魔卿?」
仁美と煤には聞きなれない言葉であった。
「封印されたはずのその男が冥府を這い出、手下のオニどもを操り閻魔卿を名乗った。ああ、邪悪な波動を強く感じる。邪気は日に日に大きくなっている。闇の力がどんどん集まっているのじゃ」
「ばらまいた札もあちこちで溶けだしております」
夫羅の札は特殊な波動センサー。闇の波動で位相が干渉しあって溶けだすよう作られている。これを各地に設置し情報収集するのが密偵・札売りの夫羅なのである。
「怒りと恨み、妬みと絶望。これら邪心は波動を歪め逆転させる。闇の波動じゃ。この世でも最近闇波動が蔓延りつつある。人間はみな闇波動に溶かされるか、冥府の家畜になってしまうぞ」
「皆殺し、あるいは地獄の奴隷か。いずれにせよ全滅ってわけだ」
あまりのショックに仁美は脚が震えだすのを抑えきれずにいる。
「オニどもが次々に人間を襲って捕えているのを知っておろう。冥府に連れて行かれた人間は、閻魔卿によって舌を抜かれ、沈黙の奴隷として永遠に地獄で恐怖にさらされことになる。死よりも恐ろしい永遠の孤独と苦痛じゃ」
事こまかに調査内容と結果が記された分厚い台帳を見ながら裕が言った。
「私が調べたところによれば、ここ数カ月の闇の波動の増大はあまりに驚異的です。大きな計画が始まったのでしょう。予測するに、おそらく来年には何らかの波動の破綻が起きるのではないかと考えられます」
いつもながら緻密な調査と的確な判断をする裕のこと、こんな忌まわしき予測も間違いではあるまい。翁は茶を一気に飲み干すや言い放った。
「裕の言う通りじゃ。恐ろしいまでに闇の力が大きくなっている。閻魔卿は持てる力を結集し強力なる軍団を組織した。集まった邪悪なオニ、妖怪などは数百万に及ぶ。暗黒帝国の復活じゃ。帝国の野望に慈悲など無い。あと数年の間に天地は割れ海が暴れ風がすべてをなぎ倒し、地中から一斉に火が噴きこの世は暗黒に包まれることになる。ああ、光は地中に封印され闇がこの世を支配する」
少し斜めになった柱にもたれかかって話を聞いていた一刀彫が口を開いた。
「つまり、今のままじゃこの世は滅ぶ、何とか手を打たなきゃいけねえ。そういうことだな」
つづく。