表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説幻怪伝  作者: 蝦夷 漫筆
第五の破片を求めて~盛岡・遠野編
38/122

幽閉された妖婆

 陸奥・盛岡藩。穀町から大清水小路へ抜ける会所場(かいしょば)横町の地下に、その病人房はひっそりと存在した。

 後三年の役で血みどろの内紛劇を巻き起こした清原氏が密かに掘った隠れ家を利用したこの秘密の洞穴には、自らを妖怪と名乗る謎の老婆が捕えられていると云う。

 遠野に棲む妖怪・雪女が持つと伝えられる「光る石」を目指して遠路やって来た幻怪・蝦夷守龍鬼えぞのかみりゅうきは、手がかりを掴むため労咳を装って地下の病人房への侵入に成功した。


 「誰じゃお前、何しに来た」

 暗がりからのしゃがれ声。

 背筋を凍らせるような風に思わず身震いする。まだ暗がりに馴れない蝦夷守だったが、右目の眼帯型妖気スカウターは既に反応している。


 「そっちこそ誰だい、妖怪婆さんってのはあんたのことか」

 おそるおそる歩を進める。洞穴の奥に何者かが微かにうごめくのが見える。さらに近付くと、凍りついた金属製の手枷に繋がれた薄汚い老婆。


 挿絵(By みてみん)


 「また、わしを痛ぶりに来たのか…」

 水浅葱色の瞳がおびえている。

 囚われの老婆の周囲の岩は凍りつき、天井から滴る水滴が作る氷柱の造形の美しさに目を見張る。


 「いや、年寄りをいたぶる趣味は俺には無い」

 蝦夷守が言葉と共に吐く息が白い。

 極寒のオーラをまとう老婆に尋ねた。

 「ところで、あんた遠野の妖怪だろ?」

 「ああ」

 「じゃあ一つ訊きたいことがある。雪女って知ってるか?」

 老婆がフッと笑みを漏らした。

 吐いた息は瞬時に美しい結晶を作って薄暗がりの洞穴を蝶のように舞う。


 老婆は蝦夷守の目を覗きこんで言った。

 「ああ、知っちょる」

 「そいつがどこにいるか教えてもらいたい」

 「ここじゃ」

 うむ、と眉をひそめて辺りをキョロキョロ見回しながら鼻でクンクン匂いを嗅ぐ仕草をして見せる蝦夷守。

 老婆は呆れたような目つき。

 「雪女は特に匂いはせんよ。というか、わしじゃ。わしが雪女」

 ぴたっと動きを止めた蝦夷守。

 「あのな婆さん」

 悪いものでも食べたかのような顔。

 「そういう冗談に付き合ってる心の余裕ってもんが今無いのよね、悪いが…」

 老婆は言葉をかぶせた。

 「正しくは『雪婆ゆきばばあ』じゃがな。ふふふ、何にも知らんのじゃなお前さん」

 からかうように笑う老婆の口に、数本残った歯が凍りついて時折キラリと光る。

 蝦夷守が喰ってかかる。

 「雪婆だ? ふざけるなっての。雪女ってのは、こう、ほら、若くてキレイで。そんな感じで相場は決まってるんだ」

 「兄ちゃんそりゃ絵草子の読み過ぎだ」

 「は、あんたが雪女? でもすっかり婆さんじゃないか。しかも囚われの身になっちまってる」

 「いかにも」

 「んじゃ雪女終了じゃねえか」

 苛立つ蝦夷守を諭すように老婆。

 「これだから無知は厄介だ…いいか、確かにわしは雪女、そりゃ二百年ほど前はうら若く美しかったものじゃ…そりゃイケてる男どもがもうたくさん…」

 水浅葱の澄んだ瞳を潤ませて回想する雪婆。

 やめてくれ、と手振りの蝦夷守。

 「大昔のノロケ話にゃ興味ねえっての」

 「ああ、失礼…だが妖怪雪女と言えども齢には勝てぬ。ゆえに、わしの娘が今は『雪女』として遠野の山中にいるのじゃ」

 首をひねる蝦夷守。

 「あん? なんだ雪女は世襲制かい」

 「まあそんなとこだ、雪女は遠野の守護神。年頃になった雪女は里に出て、気に入った男と交わる、そして山に戻って子を生み育てる。これを何千年と続けてきた」

 雪婆は噛みしめるように言葉を紡ぐ。

 「老いた母はやがて、姫神山の雪となって溶けて散りゆく、それが運命じゃ。雪女は山の神であり同時に人の子。そうやって自然と人間を取り持つ役目を果たしてきたんじゃよ…」

 「そうかい、ご苦労なこったな…だがなぜ、あんたは捕まっちまったんだい」

 雪婆の顔に険が立つ。逆立った髪の毛から真っ白な冷気が立ち上った。

 「昨今の人間が大いに勘違いしておるっ。人間の浅知恵ごときで悠久の自然を我がものに出来るなどと自惚れおってからに。『妖怪狩り』と名乗る連中がある夜突然現れてわしを捕えここに監禁したのじゃ」

 「ん? あんた遠野の守り神だろ。人間くらい簡単に追い払って…」

 「悔しいが、不思議な糸のせいでわしの妖力は封じ込められた…ヤツらには妖怪の力が通用せんかったんじゃ」

 蝦夷守が閃いたような表情で雪婆の肩を掴んだ。

 「妖怪狩り…不思議な糸。そりゃもしかして…うっ、しかし冷てえな婆さん、あんたに触れるとこっちまで凍っちまう。その連中、忍びの者だろ。尾張柳生って名乗ってなかったか?」

 首を横に振る雪婆。

 「そこまでは知らん」


 少し間を置いて、一際大きな声を上げた雪婆。

 「とにかく、娘が心配なんじゃ。わしはいい、なぜならもう寿命なんじゃ。わしはあと数日で雪の結晶となって消える運命なのじゃから、どのみち」

 「娘…雪女のこと、だな」

 「ああ、ヤツらの狙いは間違いなく我が娘・雪女じゃ。わしを拷問に掛けて居場所を訊き出そうと躍起じゃ。さらに…」

 苦い顔で聞いていた蝦夷守がおそるおそる尋ねる。

 「さらに?」

 「わしは明日、処刑される。はりつけにされるんじゃ。そしてこれはヤツらが仕組んだ罠。雪婆を公開処刑にとふれまわって、おそらく助けにやってくるであろう娘を捕えるのが目的」

 目を閉じる蝦夷守。

 「ひでえな。ヤツらのやりそうなこった…だが、どうせ数日の命だってことは娘さんも判ってるんだろ」

 「たとえ数日だろうと、親娘の絆とはそういうものなんだよ、お前さん」

 ふうん、ゆっくりと頷く蝦夷守。雪婆は身体のあちこちから水滴を垂れ落としている。寿命が近いうえ過酷な拷問がその身の朽ちるのを早めているのだろうか。

 

 「ところで…」

 「実は…」

 しばしの沈黙ののち、同時に二人が口を開いた。

 「ん、なんだい婆さん」

 「なんだい兄ちゃん、言ってみな」

 「いや、年功序列と女性優先レディファースト加算ダブルポイントだ、先に話せよ、婆さん。話、聞こうじゃねえか」

 ふっ、と笑みをもらしつつも固い表情で雪婆が言った。

 「一つ、頼みがある。娘を助けてはくれまいか…あの娘は、間違いなく明日やって来てヤツらに捕えられてしまう。わしに構わず、あの娘に絶対来ないよう伝えてかくまい、守ってやってはくれまいか」

 「ちょっと待て」

 雪婆の真剣な眼差しを逸らすように蝦夷守は答えた。

 「相手は妖怪のあんたでさえ歯が立たねえ強敵だろ、俺なんかが一人で太刀打ちできるはずも無え。藁にもすがる思いだってのは良く解るがな、残念だが…」

 「お前さんが只者じゃない事くらいわかるさ。何百年生きてると思ってんだい」

 ニヤリと笑う蝦夷守。

 「まあ買いかぶってもらえるのは悪くない。だが、そんな危ない橋をわざわざ他人の為に渡ろうなんて出来た心は持ち合わせちゃいねえんだな、俺は。そう安く見積もってもらっちゃ困る、報酬もなしに危険な仕事を…」

 今度は雪婆がニヤリとする。

 「賢い男よ。ならば交渉じゃ、見ての通りわしは囚われの身。残念だがお前に今くれてやるものは何もない。さらに遠野での暮らしも質素なもんだ、くれてやるものなど何も…」

 「じゃあしょうがねえ、交渉決裂ってことで」

 「慌てるな兄ちゃん。わしら雪女の一族だけが知る秘宝がある。姫神の山に伝わる『光の石』じゃ。果てしない力を秘めたあの石をお前にくれてやる」

 少々驚いた様子の蝦夷守。その目を見通すように、雪婆は言った。

 「確かにあの石の妖力が遠野をモノノケの郷として栄えさせてきた。じゃがヤツらの、お前の云う尾張柳生とやらの妖怪狩りのせいでもはや遠野は荒らされ妖怪は死に絶えた。もはや無用の長物、最後のモノノケの血筋、雪女一族を守ってくれると云うならお前にくれてやる」

 「そ、そんな大事な…」

 「ああ、かつて坂上田村麻呂が姫神に祀った立烏帽子神女たてえぼしひめが京の鬼を退治した伝説の秘宝じゃよ。人間の連中が血眼になって探し山を荒らしたゆえ密かに取り出して今はわしの娘が持っている」

 雪婆の目は真っ直ぐ蝦夷守を見据えていた。

 「さあ、どうじゃ。わしらを救い、雪女の行く末を見守ってくれ。これを、この手紙を…」

 雪婆は大きく口を開けた。奥歯に挟み込んだ小さな紙切れが見える。

 「な、なんだいそんなところに…」

 「さあ早く」

 雪婆の口の中に入れた手がたちまち凍りつく。「噛むなよ、噛むなよ」とゆっくりと紙を取り出し広げてみると、何も書いていない。白紙。

 「おいおい、かつぐのもいい加減にしろ、ただの紙っきれなんぞ…」

 「だから慌てるなと何度言わせる。その紙を広げてこっちに向けよ」

 雪婆はフウっと白い息を吹きかけた。

 「わしの思いは、今の息でその紙にしたためた。あの娘には読める、氷の息の念書じゃよ」

 「あのなあ、そんな子供だまし…」

 「いいか、わしはお前さんを信じる、だからお前さんはわしを信じろ。伊達に長生きはしとらん。とにかくその手紙で娘にはすべて通じる。ここには来るなと伝えよ」

 握る手が、いや腕まで凍ってしまいそうな冷たい手紙を丸めて収めた蝦夷守、今一度、雪婆の目を見て言った。

 「信じるぞ、婆さん。心変わりは無えな?」

 「ああ、ひっ捕まった時点であの娘に二度と会えない覚悟は出来てたんだ。わしも誇り高き妖怪、死にゆく婆さんの心を受け取ってくれ。そして、何としても娘を守ってやってくれ」

 蝦夷守は大きくうなずいた。

 ほんの少しだけ表情を緩めた雪婆は蝦夷守に伝えた。

 「その左奥の岩の下の窪みに抜け道がある。なあにこの辺は知りつくしておる、藤原氏の居城じゃった時代の隠し通路じゃよ。わしはこの手枷のせいで身動きも出来んが、お前さんなら抜け出せるはず」

 「わかった」

 「いいか、北上川に沿って北へ向かい烏峠と狼峠の間、姫神の山の西の麓に泉がある。その横にある小さな小屋が娘の隠れ家じゃ。くれぐれも頼んだぞ」

 「ああ、あんたの娘じゃキレイな子は期待できねえが、とにかく約束は果たすぜ」

 笑みを残して隠し通路へ。


 「ったくもう」

 やっと身体が通るほどの狭い通路。夏の湿った地下通路の中はウヨウヨと蠢く小さな生き物だらけ。長髪にまとわりつく得体の知れない虫たちを泣きそうな顔で払いのける。

 「俺、虫って苦手…」

 身体をくねらせよじらせ続けること四半刻、うっすら光る出口らしきものが。

 「やっとだよ、婆さんもロクな道を案内しねえな」

 行き止まりの通路、その下にぽっかり空いた穴に身を入れる。ドン、と木の板のようなものの上に着地した。

 「ん、ここは…屋根裏部屋?」

 顔にまとわりつく蜘蛛の巣を払いながら足元の板を少しずらす。しばらく暗がりにいたせいか、漏れる光がやけに明るい。

 「とにかく、急がにゃなっ」

 足元の板を三つほど外して颯爽と飛び降りた。綺麗に着地してしゃがみこむ、久しぶりの畳の感触。

 「さあ、一丁始めるかっ」

 すっくと立ち上がった蝦夷守、だが周囲をぐるりと取り囲む忍者服の男達に気付いた。

 「え?」

 怪訝そうな視線が集まる。ざわつきが大きくなる。

 「だ、誰だっ」

 「誰って、あんたたちこそ…」

 やっと明るさに馴れた目が、忍者の鉢金の紋章を認識した、尾張柳生。

 「や、柳生さんだよね、そうそう柳生さん…」

 「お、お前…」

 色めき立つ忍者たち。

 「ひっ捕えろっ、こやつ盛岡代官所送りになった無宿者だぞ。曲者だっ、捕えよ捕えよ」

 瞬時に始まった鬼ごっこ。通路の出口は藩屋敷の中、しかもよりによって妖怪退治にやってきていた尾張柳生一党の詰所。八畳間の中で押し合いへしあい、蝦夷守はついに囲まれ喉元に刀を突きつけられた。

 「おい無宿者、なにを一丁始めるって?」

 「それは言えない」

 「ふざけんな叩き斬ってやるっ」

 頭に血が上った忍者の一人が蝦夷守の頭上に刀を振り上げた。

 「まてまてえっ」

 蝦夷守は大声で言った。

 「慌てるな、よく聴け諸君っ。いいか、今日は俺様がとびきりのいい話を持って来てやった。殺すのはいつでも出来るだろ、話を聞かずに殺しちゃ勿体ないぞ。ほらほら兄さん、刀を降ろしなよ」

 ますます額の血管を膨らませる忍者を先輩格が制しながら蝦夷守に言った。

 「おい無宿者、一体どういう事だ。何をしにここまで来た」

 「だから、まずその無宿者っての止めてくんない、俺は蝦夷守龍鬼、いい?」

 尾張柳生の者たちは蝦夷守の両腕をガッシリと掴んで離さない。

 「早く言えっ」

 「急かすなあ、だからさ、こんな重要な話、あんたらじゃ通じねえっての。大将呼んでくれ、大将」

 

 「何事だ」

 部屋の障子をサッと開け、黒覆面の貫録ある男が入って来た。



 つづく

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ