人間とモノノケ
今にも憎き仇、閻魔卿を倒したい悦花を諭す幻翁。「時を待て、今は修行に勤しめ」と。強大な闇力を手にした閻魔卿はそう易々と倒せる相手ではない。修行を重ねつつ、仲間と共に切り札「願いの破片」を見つけ出さなければならない。
そしてもう一つ、悦花には仇と言える敵がいる。現世で独りぼっちの悦花を赤子の時分から育てた岐阜遊郭を焼き打ちにし皆殺しにした殺戮部隊。さらに悦花の恩師でもある聖の君も手に掛けた。
「ああ、尾張柳生。ヤツらはちと厄介じゃ」
幻翁も険しい表情をしてみせた。
「幻怪をはじめモノノケたちは人間たちと現世で共存し共に支え合って生きてきた。だがいつしか人間たちの中には自分たちこそがこの世の支配者と考えはじめる者がいた」
悦花はうつむいた。
「人間…この私をあんなに優しく育ててくれたのも人間、その人たちをあんな無残に焼き殺したのも人間…」
「ああ、そうじゃ。人間は能力の割に心が未熟な生き物よ…いつしか自分たちが現世の支配者だと考えるようになった。他の動物は餌もしくは奴隷、そしてモノノケは邪魔者と考えられ排除の対象になった」
「でも、人間なのに彼らは私の波動を完全に封じたわ。阿波で私は…」
悦花は思いだしていた。阿波の夜、突如襲撃してきた尾張柳生一党の攻撃で身動きえままならない程の蜘蛛の糸で波動を封じられ、聖の君も炎の中に沈んでいった光景を。
「あれは一体…」
「波動を封じる術を、ヤツらは手に入れた」
幻翁が答えた。
「かつて幻怪大戦で敗走し現世に逃げ込んだ冥界きっての妖術使いがいた。メフィスト卿という男じゃ。ヤツは古代河童族の生き残りを支配し、彼らが古より受け継いだ秘術に磨きをかけ『波動封じ』を完成させた。メフィストはその術が完成すると秘術の流出を避けるため古代河童族を皆殺しにした」
「そいつが操ってるの?」
「いや、メフィスト卿は死滅した。だが古代河童族には生き延びた者がいた。徳川に仕えた柳生一族の庶子、利蔵がそいつを捕えて秘術をひっそり書き残したという噂もあるが定かじゃない。とにかく、その利蔵の子孫はモノノケ狩りに特化した部隊になった」
「それが尾張柳生…」
「そうだ。特に今の頭領、柳生雲仙の代になって波動封じの技は完成した」
「雲仙…」
「ああ、雲仙だけじゃないぞ。人間というのはか弱いが小賢しい知恵を持つ。手を貸すふりをして近寄ったり、味方のふりをして油断させたり、とかく相手を欺く手口に長けた生き物だ、気をつけねば」
悦花の脳裏には、雲仙の息子と名乗った鴎楽のことが思い出されていた。あの優しさが、罠だったというのか。あれが演技だったとでもいうのか。むしろ疑ってかかることのほうが醜いとも感じた悦花。
「でも、全部の人間がそうとは限らない…仁美ちゃんや、夫羅のおやっさんは、本当の仲間だよ。それに、多分尾張柳生の中にだって…」
「甘いな、悦花。だが、たしかに人間は愚かであるがゆえに純粋でもある。その見極めも修行のうち」
「え、ええ」
早速、と云わんばかりに道場を指差しながら目配せをした幻翁。波動の力は、己の内に眠る力を最大限に引き出すだけではなく、自然の中に漂う波動の気をとらえて自らと一体化させて無限のエネルギーを得ることができる。厳しい修行はまだまだ続きそうだ。
屋敷の外では、引き続き夫羅と仁美の親娘が天才河童の煤の作った設計図をもとに秘密兵器の製作に精を出していた。
「ほう」
切り株に腰をおろして新しい「幻ノ矢」を削り出しながら、からくりの裕が声をかけた。
「すごいな仁美ちゃん。こんなスゴイ道具まで」
どいうやら爆弾の遠隔操作の装置を作っているようだ。目をよっぽど凝らさない限り見えないほどに細かくびっしり書かれた設計図を広げる仁美。
「あら、簡単よ。すうちゃんの見取り図はとっても読みやすいから」
感嘆する裕は、屋敷の横に置かれた一際大きな機械に気付いた。
「ん、あれはまた大きいな。かなり手の込んだ機械のようだが、一体なんなんだい、あれは」
仁美がにっこりと笑って答えた。
「ふふ、あれはね『かひいめいかあ』っていうのよ。すごいでしょ」
「ん、か、かひい…なんだろ、とんでもない大砲とか、なんか恐ろしい兵器なのかい?」
首をひねる裕。仁美が相変わらずの笑顔で答えた。
「実はね、あれは『かひい』っていう、南蛮の特別な飲み物を作る機械なの」
「は?」
「とっても美味しいんだって」
「は?」
「渡来船の密航者から豆を買って、あそこの、そう、上の入れ物にその豆を入れるだけで、すぐ出来上がるんだって、かひいが」
「は?」
「貯古齢糖にぴったりの飲み物だ、って。蝦夷にいちゃんが言ってた」
「…」
「あ、飲むと疲れが取れるから、戦の時には大活躍だ、って。そう言いなさいって言われてたの忘れてた」
舌を出して笑う仁美。裕は呆れたまま。
「…」
「うふふ、これで戦の時もみんな元気で大丈夫ねっ」
「…」
夏の暑さが、余計にうっとおしく感じる昼下がり。
「ところでその蝦夷、あいつ何処行った?」
裕の問いに、仁美が変わらぬ笑顔で答えた。
「陸奥の遠野に住んでる美女が光る石を持ってるって噂がある、って言ってたよ」
「で?」
「で、飛んでいきました」
「陸奥に?」
「陸奥に」
「…」
つづく