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小説幻怪伝  作者: 蝦夷 漫筆
それぞれのミッション
32/122

湖畔の決闘、無双瑞天流ふたり

 群青色から薄桃色、反射して光沢を放つ橙色の雲をところどころに配置してやがて深紅へ。黒く染まった山の端へと壮大な真夏の夕刻のグラデーションが大空を彩る。

 暮れ六つ、慇懃いんぎん池。

 こぼれ落ちて水面に溶け出す太陽があたかも灼熱に焼けた刀身の如く見えるのは剣士の性か。戦慄と共に妖しげな美が、そこにある。

 あやかしを斬るという伝説の剣、かつて天子がその手に握ったとされる秘剣が眠る慇懃池は高梁川の河口やや北西、街道から奥まった処にあるため人通りも滅多にない湿地帯に存在する。


 「遅いな」

 湿地に生える座禅草、そして背の高い葦が夕風になびく様を目で追う一刀彫の雅。羽織った長合羽が夕陽に映える。果たし合いの相手を待って早や半刻。

 「武蔵を気取る…か」

 彼を取り囲む因部いんべ利照としてるの手下たちの一人がぶっきらぼうに言う。

 「慌てることは無え、早く死にたいわけではなかろう」

 見るからに荒くれ者の風体のその男は、薄汚れた口髭を果汁に濡らして杏子あんずを頬張りながら尋ねた。

 「雅、って云ったな。お前さん、一体どういうわけで師を、鬼刀斎きとうさいを斬るなんて羽目になったんだい、怨みか、それとも金かい?」

 「…お主らは、人を斬るのに理由が要るのか?」

 目を閉じた雅が静かな口調で逆に訊いた。若干驚いた顔の荒くれ男は、その杏子の匂いがプンプンする顔を雅に近づけて言った。

 「はは、それもそうだな。いい事いうじゃねえか」

 「だからお主らはバカだというのだ…」

 荒くれ男は少々首をひねりながら「チッ」と舌打ちをした。

 「サムライてのは難しい人種だな」


 緋色から茜色、沈む手前の太陽を背にゆっくりと歩いてくる影が見えた。

 「やっと、来たか」

 見る見る大きくなるその影は叫んだ。

 「時間だ」

 ざんばら髪を南風になびかせながら、手に持った桐箱を誇示して見せる。

 「さあ、よく見ろ一刀彫の雅。持ってきたぞ、鏡石」

 もう息遣いが聞こえるほどに近づいた因部が箱を雅の目の前に投げてよこした。

 「さあ、開けてみろ」

 赤い太陽を背に、暗い影に覆われたままの因部の顔を一瞥した雅は、足元にしゃがみこんで箱を開けた。眼がくらむような光が雅を照らしだす。

 「これはまさしく、願いの破片かけらの一つ」

 「で、例の剣は、何処だ」

 腕組みをして立ちつくす因部の問いに、雅は首をちらりと池の方に向ける事で答えた。

 「池か。池の中、か」

 ゆっくりと一度、瞬きをして因部の目を見据える雅。しばしの沈黙の後、頷いた。

 「確かめさせてもらおう」

 因部は手下に「見てこい」と顎で合図をした。明らかに迷惑そうな手下の男。

 「ええっ、池の中見てこいっていうんですかい?」

 睨みつける因部の形相、そこには「本気」と書いてあるようだ。

 「いくら夏だって言っても…池に潜れだなんて親分もひでえや」

 男は、情けない顔で他の仲間の顔色をうかがいつつ小さくぼやきながら池に潜った。

 「一刀彫の、逃げるなよ」

 手下たちは雅を背後から押さえつけた。両の肩、そして首根っこ、三人の浪士。因部は雅の前に立ちつくした。

 

 挿絵(By みてみん)



 「なあ、一刀彫の」

 池に潜った手下を待つ間、因部は雅に話しかけた。

 「俺は昔っから貴様のことが嫌いでな。いや、個人的にどうのこうのって事はねえし、鬼刀斎を殺ったから恨んでる、なんてこともねえ。むしろあいつの意地の悪さにゃ俺も腹が立ってたくらいだしな」

 じっと黙したままの雅を見下ろしながら続ける因部。

 「ただな、あの討ち合い、覚えてるかい。ああ、あの広場でやった時だ、冬だったな。俺はお前に勝ってたんだ、だが雪に足を取られて転んじまったんだ俺は」

 「それも勝負のうち、だ」

 「ああ確かにな。だが貴様はその俺をイヤと云うほど蹴りつけた。足を捻って動けねえのをいいことに、顔が変わっちまうほど、あばら骨がバラバラになるほど長いこと痛めつけてくれたよな。ありゃ無えぜ。サムライの討ち合いだ、いっそ殺してくれと俺は心で叫んだよ」

 雅は因部を見上げた。憎悪に満ちたその顔を。

 「だが因部。あれは元はと言えばお前が道場の売上金を誤魔化して懐に入れようとしたのが発端。そんな輩がサムライを騙るなど笑止」

 「そりゃ言い掛かりだ…」

 その時、池から因部の手下が飛び出してきた。眼をまん丸にして叫んだ。

 「あった、本当にあったぞ、岩に。岩に光る剣がっ」


 声を聞いた雅は視線を上げた。見下ろす因部と目が合う。因部は表情ひとつ変えずに言った。

 「死ね」


 雅を押さえつける手下たちが、腕に力を加えようとした時、雅の長合羽の下ではばきを外し鯉口を外切りにするカチンという音、続いて崇虎すうとらの剣が刹那に夕陽を映して光った。雅がその場でぐるりと一周、剣の残像の円を描く。その間に大きく翻った合羽は真っ二つに切り裂かれ、その向こうで因部の手下たちの腕は切り落とされて地に落ちた。

 「うあああっ」

 噴き出す血飛沫を閉じ込めるように、千切れた長合羽を被せた雅が前を向く。因部は足で「願いの破片」の入った桐箱の蓋を閉めた。顔を照らしていた光が急に消え、西日が目を突き刺す。

 「うっ」

 目をしかめる雅の顔を覆った影は、因部が振り上げた袖。光と影の交錯が視界を惑わせる。ブンという空気を裂く音が頭上に迫る。因部の足元を刈るように一閃させた刀が空を切るや、雅は必死に身体を反らして後ろに飛び退いた。

 「惜しいな」

 沈みゆく太陽を背に因部の笑みが見える、ざっくりと切れた浪人笠の切れ間から。鋼鉄の筋骨ごと笠を切り裂くとは。

 「その刀は…」

 僅かに黄味を帯びた鎬筋、手元はあたかも虎のごとき文様。間違いない、因部の使う刀も崇虎刀だ。

 「どうやってその刀…」

 尋ねようとする雅の、すでに懐に因部はもぐり込んでいた。左足で踏ん張るようにして身体を伸ばし、左下から真上に斬り上げる。直交するように左から右へ、両者の崇虎刀が激しく当たり火花が舞う。勢いに押された雅は吹き飛んで大岩にぶち当った。

 「あうっ」

 顔をしかめる雅。前を向くとすでに癖毛のざんばら髪が逆立つように舞い上がり迫ってくるのが見えた。思わず身をすくめる雅の頭上で因部の一振りが背後の岩に当たった。鈍い音とともに二つに割れる大岩。

 「くっ」

 因部はそのまま足元の雅を蹴り上げた。二度、三度。転がって逃げる雅に因部が剣を振り下ろす。間一髪でかわす雅の耳元で石ころが砕け散る音が響く。

 「さあ行くぞ」

 やっと立ちあがった雅の喉元めがけて因部の突き、速い。襟元を切られながら雅は身体を斜めにして避ける。やり過ごしたところを上段から振りかぶるが、すでに因部は身を翻して刀を合わせてくる。一気に押し込んでくる因部。摺り足もままならず後退するより他にない。

 「どうした、一刀彫の」

 ニヤニヤしながら近づいてくる因部。


 自らを落ち着かせようと、着物のあちこちに付いた土埃を払い落し、一つゆっくりと深呼吸して雅が言った。

 「今度は俺の方からっ」

 言い終わる前に飛び出した雅。頭をぐっと下げ地を這うように一瞬で因部の足元へ。そこから刀を引き抜くように真上に斬り上げる瑞天流の奥義の一つ。一切の無駄の無い切っ先の軌道。

 「雨燕あめつばめ、か。そんな鈍さでは奥義も台無しだな」

 右へ斜に構えて身を反らしてやり過ごした因部が反対に右から横一文字に斬りつける。雅の左袖が切り裂かれてダラリと垂れ下がった。

 「ならば」

 返す刀で袈裟がけに。正面で受け止めた因部はまだ笑みを漏らしている。雅が怪訝そうな顔を見せた隙に、因部が膝頭を蹴りつける。ぐらつく雅、その剣を押し戻しながら右に払って滑らかな円を描いて反転した因部の刀身が雅の首筋に向かう。

 「舞鷺旋ぶしゅうせんかっ」

 首元の一寸先を刃先が駆け抜ける。摩擦で空気中の水分が小さな露の玉になって樋の溝をゆらゆらと流れる様がスローモーションのように見える。

 「まだだっ」

 掬い上げるようにして雅が小手を狙う。サッと刀を引いて避けた因部が今度は左からやや上へ斬り込む。刀身で合わせる雅。次は雅が引いて上段から振り下ろす。耳に痛いほどの金属音が骨にまで響くようだ。

 「な、なんだあいつら、化け物か…」

 見ている因部の手下たちはとても目で追いきれない。山の端に沈んだわずかな太陽の残り日でさえ眩しく反射する両者の切っ先の残像だけが、砂に書いた文字のように現れては消え。

 「刀が、刀が生きてるようだ…」

 獲物を狙って急降下する隼か、縄張りを守ろうとする獅子が繰り出す鋭い爪か、あるいは手当たり次第に噛みついて切り刻む鮫の歯か。幾度となく交える剣の音が鳴りやまぬうちに、辺りはすっかり鉄紺色の帳を下ろしていた。絹糸の刺繍のような天の川の輝きが二つの剣を照らす。

 「ふっ、互いに瑞天流、その奥義を極めた者どうし」

 まだ息も切らしていない因部が言う。

 「ならば勝負は…」

 八相に構えた因部。にじり寄りながらじわじわと腰を下ろしてゆく。その動きが止まった時、ぐいと踏み込んだ因部の足元の砂が激しく舞い上がった。

 「速さで決まるっ」

 低空で飛びこんで来た因部の上段に刀身を合わせて払う、しかし間髪入れずに中段、手首を返して再び上段。やっと振り払ったと思えば因部の刃先が円を描いて下段から斬り込んでくる。おそるべき速さ。

 「うああっ」

 ひるむ雅、因部は嵩に懸かって攻め込んでくる。正眼からの剣がジグザグを描きながら細かい押しと引きを加えて猛然と大きな弧で振り下ろされる。腕、足、あちこちに鋭い痛みが走り力が抜けそうになる雅を因部は待たない。つづいて下から、左右に細かい振りを加えながら振り上げ、また振り下ろす。

 「無双瑞天流の究極奥義、彗威武すいいぶ六閃ろくせん

 後ろにもんどりうって倒れた雅がやっと立ちあがる。両腕、両腿、胸や腹の着物の切れ目から鮮血が噴き出した。

 「ぐ、ううっ」

 足元がおぼつかないままに刀を構える雅の正面に対峙した因部が言った。

 「いいか、一刀彫の」


 ジリジリと歩を詰める因部。そのざんばら髪が夜風に揺れる。

 「速くなければ、意味が無い」



つづく

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