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小説幻怪伝  作者: 蝦夷 漫筆
それぞれのミッション
28/122

京に蠢く暗黒の匂い

 七件の芝居小屋が並び、美しい提灯を七色に光らせている。

出来たばかりの加茂川の堤から張り出すように設けられた床から夏を満喫する人々の賑いが漏れ聞こえてくる。


 ―京・四条河原ー

 

 何度ここで空を見上げたことだろう。からくりのひろは回想していた。


 忌まわしき記憶も、時が経てば「数ある想い出」の一つになり、心の奥の棚の奥にひっそりと置かれるようになる。

 その引き出しに堅固な錠前を掛け封印するのか、折りに触れ開けるのか、選ぶのは自分であって自分でない。

 「あの時以来、か…」

 時に、運命がその引き出しに手を触れることもある。


 「もう来ることはないと思っていたが」

 幼少期、まだ覚醒前の裕にとってこの河原が遊び場だった。

 「あの時、以来か」

 あの時見たのは真っ赤に染まった川。耳をつんざくオニたちの雄叫びが渦巻く中、母に手を引かれ河原に掘った穴に身を潜めた。

 「もう一度、向きあう時がきた、のか…」

 怒号と絶叫が永遠に続くように感じた。まっ暗い穴の中、いつしか堕ちた眠りから覚め這い出た時には、もはや炎さえ静まっていた。濛々たる黒煙の中に横たわる無数の亡骸だけが点々と連なる光景。

 絶望と悲しみ、そして怒り。裕はその時失った「何か」を埋めようとひたすら走ってきた。幻翁の下で負の感情を制御する術を教わるまでは。

 「いや、過去は過去。今は俺がやるべきことをやる、それだけのこと」

 遠ざけていた故郷。その忌避はあるいは、せっかく培ってきた今の自分に悪夢がよみがえる事で、幻怪としての崇高なはずの使命に迷いが生ずるのではないかという怖れからくるものだったのか。


 挿絵(By みてみん)


 あの時と変わらぬ空、月、山並みが描く曲線。

 「何かが、違う…何かが、変わった」

 裕が感じる違和感。それは「時の流れがそうさせた」などという感情論ではないようだ。この場所を覆う波動が彼に異変を知らせていた。

 夏の夜風を受けながら河原を下りた裕が加茂川の水を掬い取った。腰にぶら下げた布袋から幾つかの試薬を取り出し分析を行う。波動物理学から薬学、地学に至る知識豊富な裕の分析に間違いはない。

 「疫病…」

 天候不順著しいこの夏、確かにあらゆる疫病の蔓延は考えられることだ。だが裕の分析は、もっと恐ろしい結果を示していた。

 「ただの流行り病なんかじゃない」

 幻鉱石を砕いた後、波動草と練り合わせて煮詰めた特殊な液体を祖川の水に一滴落とした瞬間、真っ黒い波動の煙が立ち上った。

 「うっ、うあっ」

 水の中から一匹のミミズのような妖虫が裕の顔めがけて飛び出してきた。長さは五寸もないほど。鋭い牙を向いた大きな口、目は無く短い角のような触角がピクピクと動いている。

 「なんだっ」

 カギ状の足を顔の皮膚に食い込ませ容易には払い落ちてくれない。ピチャピチャと音を立てながら裕の鼻の穴に侵入しようと這いずってくる。

 「忌々しいっ」

 波動液を自らの顔にかけてやっと河原の石の上に落下した虫だったが、まだ身体をバタバタとくねらせながら裕の足に這いあがろうとしてくる。

 「こいつは…」

 素早く首根っこを押さえ、えびらからサッと取り出した幻之矢で串刺しにした。

 「応声虫おうせいちゅうじゃないか」

 当時は方々でよく見かけられた応声虫。たいていは欲深い人間に寄生し、腹の部分から声を出して餌を要求するなどという生態をもつ。

 「それにしてもやけに妖度が高いな」

 他愛もない悪さしかしないはずの応声虫にしてはあまりに凶暴。ふと、裕はここへ来る途中の茶屋で訊いた噂話を思い出した。「川を上る光の群れ、その一つ一つは喰われた人間の魂だ」という。

 「もしやこの応声虫が人間に入り込んで魂を飲み、食い破って…」

 裕は川にそって上流へ歩き始めた。月明かりが足元の丸みを帯びた石を優しく照らし、その上を歩む裕の下駄のカランカランという音が静寂にこだまする。

 「あれか…」

 時折、妖しい光がぽつん、ぽつんと川に落ちる。風に乗ってかすかに聞こえる人間の悲鳴の様な声。光は揺らめきながら、穏やかな川の流れに逆らって時々小波を立てて上流を目指す。漂う黒いオーラがうっすらと見えた。

 

 「虫までが人間を殺める時代か」

 ゆっくり近づいていく。紛れもない負の波動を感じる。闇の帝国の手がここまで伸びている、裕は実感した。矢櫃に手を掛け弓取り出した。

 「今なら間に合うかも…魂を取り返して主に戻してやれば…」

 その時、裕の真後ろでガラガラっと地響きがした。振り返る間もなく地中から飛び出してきたの八尺もあろうかという車輪。一気に炎を上げ裕に体当たりしてきた。

 「うがっ」

 思わず倒れ込んだ裕を見下ろしながら、車輪の中央にある鬼面がふてぶてしく高笑いした。

 「なーにをしておる、がははは。この辺りをうろついてはならぬと所司代さまからもお達しがあったはず」

 「お、お前はっ…」

 裕の鋭い眼光が鬼面を見据えた。腰をかがめて弓矢を構える。

 「なんだこら、お前。ん、どっかで会ったか、あーん?」

 「くっ」

 一瞬ひるんだ裕めがけて鬼面は火を噴いた。夜の河原は火に包まれ、高熱は川の水さえ煮立たせる。猛火の中、車輪はもう一度裕に体当たりを喰らわせた。

 「あああっ」

 散らばる幻之矢。吹っ飛んだ裕は加茂川に落下した。

 「な、なんだっ。こ、こんなに虫がっ」

 おびただしい数の応声虫が裕に群がる。激しい飛沫が水面を賑わす。身体のあちこちに噛みついてくるのを必死に降り払う裕を見下ろす車輪の鬼面がニヤニヤしながら言った。

 「お前、この片輪車かたわぐるまを知らんのか、よそ者だな。まあいい、虫に食われて跡形も残らんわ」

 京にその名を知られた伝説の妖怪、片輪車。せせら笑いながら河原に散らばった裕の幻之矢を一本一本踏み潰して焼き払い、ゴロゴロと地響きを立ててその場を去っていった。

 「ううっ、ううっ」

 群がる応声虫の重みで沈んでいきながら片輪車の高笑いが聞こえてくる。体中に施された刺青~幻鉱石の細粒が顔料に含まれている~のお陰で全身を食い破られるのを免れているようだ。

 「こいつら、光の波動は嫌うんだな…そうだ」

 小道具作りの天才、煤が持たせてくれた携帯用の小型波動弾が役に立った。安全棒を引き抜いて水中で炸裂させると応声虫たちは一気に融解し消滅した。

 びしょ濡れのまま川から上がった裕が片輪車を探す。しかし敵はもはや再び地中に潜ったようで後を追う事はかなわなかった。


 「片輪車め…いや、取り乱してはいかん」

 フーッと一息吐いて乱れた呼吸を正した裕。

 その場に座り込んで思案を始めたが、側に生えていた夾竹桃きょうちくとうに気付き、パンと手を打った。

 「これは丁度いい」

 道具袋から取り出したのは乳鉢。夾竹桃をむしってはすり潰し、さらに幻鉱石の粉を混ぜた上で馬の油を加えて練る。

 「どんなもんだ」

 ほくそ笑む裕。夾竹桃の毒性と光の波動で、応声虫を寄せ付けない絶妙の濃度の軟膏をその場でこしらえ、全身に塗り込んだ。

 「さあ、これなら大丈夫」

 裕は腰に下げた携帯用の酸素ボンベの管をガスマスクに接続し、しっかりとゴーグルを装着して勢いよく加茂川に飛び込んだ。

 強い魂の匂いにつられて応声虫がウヨウヨと集まってくるが、即席の虫避けの効果は十分なようだ。

 「アジトがどこか教えてもらおうか」

 人間の魂を咥えて川を上る幾つかの応声虫を追いかけながら、水面に姿を現すことなく川底を潜行する裕。どんどん北上して分岐を東へ。鞍馬川に入ってまだ北上する。

 「ずいぶん山手に向かうな。もうすぐ鞍馬山か。天狗の仕業か…いや先日天狗王を倒したばかりだが」

 宝ガ池を超え貴船川へ。社を超えさらに一里ほど北上しただろうか。川が大きくうねる場所の窪地に集まる強い負の波動を感じた。

 「ここだな、闇の帝国の前線基地か」

 川面にひょいと潜望鏡を出す。鬱蒼とした森は月明かりさえ寄せ付けないようだ。小さな虫が飛び交う影だけが時々照らされて動く以外、動きは見られない。

 「あっ、あれだな」

 森の木々の隙間から、怪しいかがり火が見えた。水面から顔を出しただけで感じる闇の妖気がぐっと身体に圧迫感を与える。

 「待ってろ妖怪ども」

 川を出た裕は息を殺し足音を立てず、暗い森の奥にある敵のアジトへ向かって闇に身を溶け込ませた。


つづく

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