天子が遺した伝説の魔剣
幻鉱石の失われた今、妖刀・崇虎はもう手に入らない。鴻島を立ち去ろうとする幻怪・一刀彫の雅だったが、伝説の刀鍛冶・敷衍の一言に足を止めた。
「魔剣だと?」
雅は浪人笠の奥の瞳を輝かせた。
「だが『崇虎』なんていう妖剣を世に甦らせたくせに、神仏など全く信じない貴殿の口から『魔剣』とは」
半信半疑の雅と目を合わせニヤッと笑った敷衍。
「大昔、この世を救った六人の天子がいた。恐ろしき闇の魔物たちを倒し、この世を守った」
まるで見てきたかのように敷衍は語る。
「だが彼らは力に酔い、力に溺れ天界に争乱が起きた。哀れなものよ。以来、力を失った天に変わり人間が世にのさばり始めた」
「くだらん前置きはいい。魔剣の話を訊こう」
はやる雅をなだめるように敷衍が話を続けた。
「まあ慌てず最後まで訊け。その天子の一人がこの世に残した剣がある、と云ったらどうする?」
「お伽噺だな、そんなのは」
すぐに切り返す敷衍。
「いやお前の話だって十分お伽噺さ。いいか、かつて雷を自在に操り、海をも割ったと云う剣だぞ」
まだ首をひねっている雅を見て敷衍は立ち上がり、書棚の奥をゴソゴソと探った。そこから取り出した幾枚かの紙を雅に手渡した。殴り書きの文字と地図が記されている。
「こんな面白い話を訊いて黙ってると思うか、妖刀作りの鍛冶屋が。俺は徹底的に調べ上げたのさ。その魔剣、倉敷の慇懃池の底に実在する」
数多くの古文書からの引用が所狭しと書き連ねてある。
「カビの生えた文献など当てになるものか」
ろくに目を通しもせず、ため息をついた雅。少し間を置いて敷衍は雅に近づいてその肩に手を掛けて言った。
「いいか雅」
温和な鍛冶職人の顔は魔剣作りに心奪われた伝説の男のそれに変わった。
「俺は、実際にこの剣を見たんだ…」
「なにっ」
「とてつもない光のオーラに包まれていたさ」
雅の顔色が変わった。
「だが…なぜそれをその時持って来なかった。腑に落ちん」
「良く見ろ、古文書の写しを」
黄ばんだ資料には書いてあった。「天子の血引かざる者持つこと適わず、負の心触れたるは即ち滅びん」と。敷衍はやや声を張り上げて言った。
「血にまみれた天界の争乱で無念の最期を遂げた天子は、死にゆく際にその剣に忌まわしき呪いをかけた、とある」
古文書を奪い取るようにして見入った雅。
「天子の血…そして呪い?」
「この世には天子の血を受けた者がいるらしい」
敷衍は汗まみれの顔でじっと雅を覗きこんだ。
「それこそ、お前さんの云う『幻怪』ってやつじゃあねえのかい」
うつむいてしばし沈黙の後に雅は言った。
「天子、なんて血は俺には無縁だ」
「だがな雅、天子たちは光を操って闇の妖怪を退治したって話だ。呼び名は違えど一緒のことじゃねえか。それにお前さん、本当の親は…」
言葉を遮って雅は、敷衍を半ば睨むようにして言葉を吐き捨てた。
「もういいその話は。俺にとって親と呼べるのは舞久場の兄い、ただ一人だ」
「けっ、その舞久場を手に掛けたのが…」
再び話を遮る雅。
「とにかく、俺は天子だのというお伽噺にも、俺の過去にも興味は無い。だがその魔剣、そいつの事が知りたい」
敷衍は古文書の一部を指差しながら言った。
「剣の呪い。剣を握るものの生命の波動を吸い取って果てしない力を得る、とある」
「生命の波動?」
敷衍が雅の不思議そうな顔を見上げながら言った。
「この剣は飢えてるんだ、命に。命の波動に、な。持ったやつ、斬ったやつの命を吸い取って剣自身の力に変える。つまり半端者が握ったらあっと言う間に命を吸い取られて屍になっちまうんだよ」
「そんな馬鹿な事が」
敷衍は真顔で言った。
「じゃあ試してみるか、お前さん」
無言のまま、紙巻き煙草の先から紫煙がゆらめく。
「実は」
沈黙を裂いたのは敷衍。
「俺は慇懃池に潜ってその剣を見た時、近づいてちょっとだけ、ほんのちょっとだけ触れてみたんだ」
驚いたように敷衍を見入る雅。すっ、と視線を外すようにして敷衍は続けた。
「一瞬。ああ一瞬だ。身体中の震えが止まらず、雷にでも討たれたようなもんだった。おぞましい吐き気と脳みそが飛び出すんじゃねえかって程の頭痛」
「で、どうなったんだ」
「ああ、ビビりまくった俺はすぐに手を離したさ。だがその時触れた指先にゃ今も火傷みてえな痕が残ってるし、その後一気にほら、こんな白髪になっちまったんだ」
「ほう…」
うなずくような仕草、そして笑みを漏らした雅。
「面白いじゃねえか」
その雅の言葉に、ふと我に返った敷衍は慌てて雅に言った。
「いや、悪いことは言わん。やっぱり止めとけ」
悪戯っぽい笑みのまま、雅は敷衍に向かって言った。
「あんたが薦めた話じゃねえか。だいたい、こんな面白い話を訊いて捨て置く俺じゃねえことは知ってるだろ」
「あ、ああ…」
敷衍は呟く。
「あの時と同じだな。お前さんが十七の夏だ。崇虎刀を手にして、ここを出ていったあの夏だ。今日と同じ、ひどく暑かった…」
「そうそう、単なる偶然かもしれないが」
急に真顔になった敷衍。
「不穏な刺客が最近ここらを荒らし回ってる」
「刺客だと。一体誰を、何を狙ってる奴らだ?」
「詳しくは知らん。根尾倉団と名乗る連中だ。一度ここを訪ねてきたんだが、どうやら連中も例の魔剣を探しているのかも知れない」
「なぜそう思う」
「連中、俺の仕事場を荒らした揚句『伝説の刀はここに無いのか』と怒鳴って訊いてきたんだ。あの魔剣の話は刀鍛冶なら耳にしたことはあるだろうし、俺はこの通り、偏屈な妖刀作りとして知られちまったから、誰かが魔剣はここにあると吹き込んだんだろう」
雅は敷衍に険しい目つきを投げかけて尋ねた。
「で、慇懃池を教えたのか」
首を横に振る敷衍。
「まさか。連中は剣士じゃねえ。ただの殺戮者だ。あの態度を見りゃわかる。俺はな、鏡石を盗んだのも連中の仕業じゃねえかと睨んでる」
雅は「ああ、わかった」という仕草で紙巻きを草履で踏みつぶした。立ち上がって去ろうとする雅に向かって敷衍が言った。
「なあ雅よ。教えといて何だが、その根尾倉の連中にゃ関わるなよ、いいか」
「さあな」
「連中、やたら腕が立つって話だ。恐ろしく速いらしい…」
「速い?」
雅が血相を変えた。
「お前さん、誰に向かって…」
「いいか雅、連中も『瑞天流』の使い手だ」
雅は言葉を途切れさせた。無言でゆっくりと息を吐く。敷衍は雅に渡航の手形を渡しながら言った。
「因部利照。根尾倉の親玉はそういう名前だそうだ。速さこそが力、速さこそが正義と嘯いてやがるらしい」
「因部、か…」
雅は奥歯をぐっと噛みしめた。そんな険しい表情の雅を覗き込みながら敷衍が念を押した。
「いいか、関わるんじゃねえぞ、根尾倉の連中に。いいか雅」
「ああ、わかったよ。世話になった、敷衍どの」
小舟で鴻島を後にした。
「またいつ会えるか判らぬが…」
「ああ、達者にな」
穏やかな瀬戸内の水面はキラキラと輝いていた。
つづく




