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小説幻怪伝  作者: 蝦夷 漫筆
それぞれのミッション
26/122

鴻島の鍛冶職人

 雲ひとつない高い空をそのまま映した深い藍の水面。

 煌めかせるのは葉月の陽光。


 浪人笠に隠れた表情はうかがい知れぬものの、顎から時折滴り落ちる汗が暑さを物語る。右手には用心深くも握り締めた長太刀。

 腰帯にはもう一本の長太刀。いや、こちらに刀身は見当たらない。主を失った鞘のみが空虚に口を開けたままでいる。


 「船頭、沖へでてずいぶんになるがまだかかるのか?」

 「へえ、なぎってやつに掴まっちまったな」

 悪びれぬ船頭は掉をさす手もぞんざいなままに答えた。

 「あいにく風とお天気ばかりはあっしらの思い通りにはなりゃせんのです。ほれ、食いなさるかい。大手まんじゅう」

 薄汚れた手で喰いかけの饅頭を手渡そうとする。

 「要らぬ」

 そっけない答えに、船頭はボリボリと頭を掻きながら饅頭を頬張って言った。

 「こいつぁ失礼しやした。この辺じゃ名物なんですがね。お侍さん、ここいらは初めてですかね?」

 「いや、よく知った場所だ」

 「へえ、そうですかい。ここらは昔と変わらねえまんまだ」

 「ああ、変わってないな」

 浪人笠の男がため息をついてぼやいた。

 「昔の船頭はもうちょっと手際が良かったがな」

 しまった、とばかりに無駄口を閉じ船頭が恐縮した仕草をしてみせた。


 一刀彫の雅は瀬戸内にいた。讃岐の崇徳大天狗との戦いで失った愛刀「崇虎すうとら」の替わりを手に入れるために。


 挿絵(By みてみん)


 「何年ぶりかな…」

 かつて彼に崇虎刀を授けた伝説の鍛冶職人が住む備前へと単身、船を手配し向かっていた。

 「さ、旦那。着きましたぜ。しかしな、普通はこんな辺鄙へんぴな島、誰も寄りつきゃせんのじゃが」

 船頭は足場を下ろしながら言った。

 「ああ、気味が悪い。今回は駄賃をはずんでもらったけ、特別ですけの」

 雅から受け取った小判を、首に巻いた汗まみれの布で拭きながら船頭は卑しい笑みを浮かべた。


 鴻島こうじま

 瀬戸内に浮かぶ数多くの小さな島の一つ。元禄期より岡山藩の流刑地であり、役人たちの腐敗の温床でもあり殺伐とした空気が流れる。

 海の上にぽっかりと浮いた小山のような鴻島の南西部には、まるで山陽道に背を向けるようにひっそりとした洞穴がいくつかある。そのうちの一つに雅は入っていた。

 「ふっ、懐かしい音だ」

 カン、カンと、空気を裂くような甲高い音が一定のリズムを刻みながら奥から聞こえてくる。入口には看板もないが、ここが伝説の刀鍛冶の住処。


 ふいごの熱が洞穴内を吹き抜ける海風に乗って時折、顔に吹きかかる。汗だくの老人が入口に背を向けたまま一心不乱に刀を鍛造し続けている。

 「精が出ますな、名人」

 老人は振り返る事も、刀を打つ手を止めることもなく答えた。

 「名人などここにはおらん」


 雅は小さくため息をついた後、言った。

 「崇虎を世話になって以来、ご無沙汰しております」

 刀を討つ鎚が止まった。

 ゆっくりと振り返った刀鍛冶は立ちあがって雅に近づきながら言った。

 「この老いぼれに何の用じゃ?」

 真っ赤に日焼けした上半身、刻まれた数々の顔の皺に沿って流れる汗。その鋭い目が、ふと穏やかに緩み笑顔になった。

 「十年ぶりってとこか、はは、懐かしいじゃねえか」

 笠を脱いだ雅と抱き合い再会を祝すこの老いた刀鍛冶は敷衍ふえん。備前長船の流れにあると言われるが定かではない。

 洞穴内に並んだ刀身の輝きを見て雅が思わず唸った。

 「相変わらず素晴らしい腕だ…」

 確かに敷衍は飛びきりの腕利きには間違いないが、伝統に逆らう性分が災いして同業者たちの妬みを買い、厭世的になっていつしかこの島に独り住むようになった。

 「わざわざ刀を褒めに来たわけじゃなかろう」

  敷衍は海水を濾した水で淹れた茶を差し出した。

 「作州番茶だ。栄西以来の製法だからな、美味いぞ」

 雅は一気に茶を飲み干した。

 「ああ、もう一本要る。お前さんの打った崇虎が、もう一本要るんだ」

 一瞬眉をしかめた敷衍、雅の腰元をちらりと見た。

 「ほう」

 抜き身が失われた空虚な鞘。

 「あれは…崇虎は、決して折れることのない刀」

 「ああ、そうだ」

 「さすれば、崇虎を失ったか、奪われたか」

 「刀は侍の命、失うなどはあり得ぬ」

 敷衍は雅の顔を覗き込むように尋ねた。

 「誰じゃ、お前さんほどの腕前から崇虎を取り上げたのは」

 「訊いてどうなる、お前さんの仕事に関係あるのか?」

 二、三度軽くうなずいた敷衍、柔らかな笑みを浮かべて。

 「ふふ、雅らしいわい。ああ、何も訊くまい」

 雅はじっと洞穴の外、瀬戸内の穏やかな海面を見ている。


 額の汗をぬぐいながら敷衍は腰掛けた。

 「だがな、雅」

 懐から出した紙に煙草をくるっと器用に巻き、火箸で拾った炭で火をつける。

 「崇虎は…もう打んのじゃ。あれはもう二度と作れん。残念だが、な」

 雅は黙って目を閉じた。敷衍が続ける。

 「知っておろう。崇虎に使うのは通常の玉鋼ではなく幻鋼げんのはがね

 「幻鋼…」

 「吉備津にある名もなきお堂の地下深くに『鏡石』と呼ばれる奇妙な光る石がある。その光を浴びた溶岩が固まったものが幻鉱石、幻鋼のもと」

 「刀の作り方にゃ興味は無い。おれはただお前さんの撃った刀が欲しい」

 敷衍はやれやれ、という表情で続けた。

 「ああ、それはわかっておる。だがな、もう無いんじゃよ。その鉱脈が」

 「…掘り尽くした、のか」

 「違う。鏡石ごと、鉱脈が誰かに荒らされたんじゃ」

 雅は眉をひそめた。

 「誰かが光る石を…」

 目を閉じて敷衍は「ああ」とうなずいた。


 しばしの沈黙ののち立ち上がった雅は、立てかけてある打ちたての刀を物色するように眺め始めたが、ふと足を止めた。

 「光る石、波動の力が宿った石、か…」

 「ん?」

 雅を見上げて敷衍が言った。

 「ああ、とてつもない力を持った石。わしの妖剣はあの波動の力なくしては完成されん。残念だが、そこに並べてある刀はいずれも切れ味は保障するが、所詮ただの刀…」

 敷衍の言葉を遮るように雅が呟いた。

 「その石…俺たちが探し求めているものかも知れない」

 「俺たち?」

 首をひねりながら尋ねる敷衍。

 「お前さん『俺たち』と言ったな」

 「ああ」

 「ふっ、面白い。あれほど群れるのを嫌ったお前が誰かと手を組むとは…」

 苦笑いする敷衍をチラリと横目に軽くうなずいた雅。

 「確かにな…」

 敷衍は紫煙を大きく吐きあげて言った。

 「お前さん、一体何をやらかそうと…」

 言いかけて言葉を止めた。

 「まあ、敢えて訊きはせぬ。俺は刀鍛冶。打った刀をどう使おうと自由」

 刀を鍛えるための鎚を手に眺める敷衍。

 「崇虎を打ってやれんのは心苦しいがな」

 雅はふっ、とため息をついた後、隣に腰かけた。一瞥する敷衍。

 前を向いたままの雅にもう一本、紙巻きを手渡した。

 「今、俺は」

 火を分けてもらいながら、雅は自分の境遇を語った。

 修行の末、幻翁の下で幻怪に覚醒したこと、闇の帝国が勢いを増し世界の破滅が近いこと。

 敷衍は黙って話に耳を傾けた。あるいは、まるでお伽噺のように聞こえたかもしれない。軽く咳払いした後、口を開いた。

 「まあ、難しいことは俺には解らん」


 顔色を変えること無く敷衍は雅の顔を覗き込んで言った。

 「で、とにかく、強い刀がどうしても要る。そういうことなんだな」

 うなずく雅。敷衍は大きく息を吐き出して言った。

 「崇虎はもう打てんが…お前なら」

 「ん?」

 敷衍は雅の目を覗きこむようにして言った。


 「ああ、お前なら使いこなせるかも知れん、あの魔剣を」


つづく


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