慧牡、伝説の宝玉
さびれたお堂の地下には秘密の通路が。
「願いの破片」を求めて潜入した夫羅たち五人だったが暗闇から突如現れた西洋風甲冑の大男たちに取り囲まれたまま、奥の部屋に連行された。
「ど、どうなるの、私たち…」
まだ十二歳になったばかりの仁美が震える声で呟いた。振り向いたのは父親の夫羅。穏やかに笑って言ってのけた。
「大丈夫だ。父さんを信じろ」
額には冷たい汗を吹きださせてはいたが。
「す、すげえな、こりゃ」
奥へ進むにつれて洞穴の様な地中の横穴の天井は高くなってゆく。両脇には蝋燭が設置されその内壁を照らす。その美しさに思わず声を漏らした蝦夷守に煤が小声であいづちをうった。
「ああ、こりゃすげえぞ…」
「これが書院造ってやつか」
「バカ言っちゃいけねえ、これはロマネスク様式って言ってな…」
背後の大男が蝦夷守と煤のの背中にぐいと剣を押し当てる。ジロリと睨んだ目に肩をすくめる二人。
「はい、はい静かに、ね…」
二人、口にチャックのジェスチャー。
「さあ、入れ」
ぶしつけな声に続いて目の前に現れた巨大な扉が開いた。
「ああっ」
あまりに豪華絢爛なその部屋に圧倒されたのと同時に背中をドンと押され、思わず倒れ込みながら中へ。
「くっ」
立ち上がろうとするが、囲まれた五人の鼻先にはすでに逞しい衛兵たちが構える槍の先端が鈍く光っていた。
「だから俺たちは探し物を…」
「訊かれた事にだけ答えればいいっ」
尖った靴の先で腹を蹴りあげられた煤は思わずむせかえって転げた。
白壁を埋めるように描かれた絵はまるで生きているかのように躍動感にあふれ色彩も豊か。一方調度品は、毒蛇の文様が刻み込まれた洋酒の樽や、とても片手では扱えない程の大きな斧。使われる様を想像する事さえ恐怖に感じられる拷問道具、銀の燭台や黄金の魔人像など禍々しいものばかり。
「こんな地下宮殿があったなんて…」
「置いてある物や建前からして百年や二百年じゃねえぞ、ここは…」
ふと、さらに奥にある黄金の枠にあしらわれた重厚な扉が開いた。幻怪衆たちを取り囲む荒くれ達が背筋を正す。
「親方さまっ」
衛兵たちが跪き頭を垂れる。
「騒がしいぞ」
小さく言い放ちながら、煌びやかな着物に金糸の刺繍も鮮やかなマントを翻しながら一人の男が入ってきた。極彩色の帯に差した真っ赤な鞘から見事に磨き上げられた剣を抜きながら言った。
「幻怪衆を名乗り忍びこもうとした盗賊は、これまで数知れず」
男は金色の長い髪をたなびかせながら近づくと、女かと見まがうほどに端正な顔立ちの奥で目が鋭く光った。
「かような偽りは我らへの愚弄も甚だしい。その時は…」
ひゅん、と空気を切る音。手の内で転がすように男が剣を軽く振ると、蝋燭の逆光は大理石の円卓の上の林檎が噴いた細かい飛沫を照らし出した。
「この剣が貴様らの喉に大きな穴を開けることになる…」
男は、剣の筋さえ判らぬままに真っ二つになった林檎の上半分を手にして頬張り始めた。ゴクリと唾を呑む一同。
「俺は響の宮。泣く子も黙る蛮族、慧牡の民の噂は訊いておろう。その長が俺だ」
西洋仕立ての彫刻が映える椅子に腰かけながら続けた。
「俺が嫌いなものが二つある。一つは弱さ、そしてもう一つは嘘だ」
かじりかけの林檎を忌々しそうに投げ捨てた。
「さて貴様ら、幻怪衆と名乗るそうだが、幻怪衆が一体どんなものか知った上で自らをそう称するのか」
響の宮は語気を強めた。。
「かつてこの世の守護神たちが住むと云う幻界に起きた激しい戦、幻界大戦で、その幻界さえも滅亡に追い込んだ暗黒の帝国を打ち破り、世の秩序を守り抜いた伝説の幻怪衆。彼らはしかし、とうの昔に死に絶えた」
険しく眉をひそめる。
「冗談であっても、その尊き幻界の志士を騙ることは、世を愚弄する事に他ならぬ」
剣をぐいと握り締めて立ち上がった。
「我らが持つ宝玉を狙う盗賊はみな、ああなった」
剣先が示す巨大な祭壇の横に整然と並べられた髑髏はゆうに百を超える。
「幻怪衆などと名乗る者たちよ、その首が胴体と離れる前に一回だけ弁明の機会をやろう」
汗だくの側近が丸太の様な太い腕で首を掻き切る動作をしてみせてニヤリと笑った。目があった蝦夷守、もう一度ゴクリと唾を呑む。
「おそれながらっ」
衛兵の構える槍を押しのけて前に進んだのは夫羅。頭を垂れたまま、懐から取り出した書簡を差し出した。
「これをっ」
いぶかしげな表情のまま目配せをした響の宮。側近が夫羅に近寄り、黄ばんでところどころ破けそうな障子紙に書かれた手紙を奪うように夫羅の手から取りあげ、響の宮に差し出した。
「こ、これは…」
響の宮が手紙を開く手の、その紅に塗られた爪がかすかに震えた。仁美は、肩口を押さえ込む衛兵のむさくるしい手を振り払って一歩前に出て言った。
「私たちを導いて下さるお方からのお手紙ですっ」
「幻翁、幻翁と書いてあるではないか…」
驚いたのか、声を上ずらせた響の宮に向かって仁美が言った。
「オキナ、っていうのよ。もうお爺さんだけど、とっても強いんだから」
「ちょっと待て、幻翁と言ったら…」
一同の顔を見渡す響の宮は驚いた様な表情。蝦夷守が苦々しそうに言った。
「意地悪で薄汚いくそじじ…」
響の宮が言葉を遮る。やや興奮した様子で。
「伝説の大戦を知ると云われる長老、そして波動の極意を知る唯一の男…」
慌てて手紙の先を読みふける。煤が怪訝そうに呟く。
「そんな大した事ねえよ、あのじいさん、ねえ蝦夷さん」
うんうん、と真顔で頷く蝦夷守。
「この手紙が本当だと云うのなら…」
側近たちを一通り見回した響の宮。
「ついに、時が来た。そういうことだ」
側近も衛兵も互いに顔を見合わせてざわめき始めた。
「しかし」
響の宮は夫羅を睨む。
「幻翁の名を騙る盗人なら尚更許せぬ。これが真に幻翁からの書簡である、と如何に示してくれるのだ、お主」
詰め寄る響の視線から目を逸らさぬ夫羅、軽く頷きながら懐に手を伸ばした。
「んっ」
好々爺然としていたはずの夫羅が一転して見せる険しい表情。
一同に緊張が走る。衛兵はすでに槍の先を夫羅に向けた。
「これを見れば貴方さまも信じるのでは…」
懐から取り出したのは幾重にも密封された鉛の箱。おそるおそる取りあげた響の宮はゆっくりとその分厚い蓋を開ける。
「ああっ、なんと」
眩い光が箱と蓋の隙間からあふれすのと同時に、居合わせた一同には、なにか身体の奥底から湧き上がる武者震いのようなものが感じられた。ドクンと心臓が強く脈打つ。
「まさしくこれは…我らが守ってきた宝玉と同じもの」
「願いの破片と呼ばれる伝説の石。かつてこの世を救ったという究極の力を持つと云います」
夫羅の言葉に響の宮がゆっくりと頷いた。願いの破片を持つ手が震えるのは、その石の力のせいだけではない。
「理解したぞ、旅の者よ。お前達の云う事に間違いないことは、この破片を見れば解る…だが」
響の宮は、しかし若干表情を曇らせた。
「我らの宝玉が必要な事態になりおおせた、ということはつまり…」
同じく険しい表情の夫羅が頷いた。
「ええ」
暗い洞穴の中に太陽が出現したかのように光る「願いの破片」を手に、響の宮は言った。
「この世に破滅の危機が迫っている、と。そういうことか」
響の宮は、丁寧な仕草で破片を箱にしまいながら続けた。
「我らの遠い祖先は、神の石を持つ仙人に救われたという伝説を持つ。その仙人は『幻怪』と自らを名乗った。そして彼は『将来この石を求める者が現れたなら、その者に仕え共に戦え』と言い遺した」
「幻怪…?」
「ああ。我らが伝承には記されている。神の石が必要とされるときは、この世が危機に瀕する時だ、とも」
ゆっくりと、ブロンズ製のいすに腰掛けた響の宮は言った。
「幻翁だけがこの世を救う事が出来る、と記されている」
夫羅が答えた。
「ええ、しかし翁はもう寄る年波で…」
もう一度、幻翁からの書簡に目を通す響の宮。
「ああ、ここにもそう書いてある。ゆえにお前たちがその希望を託された、ということか」
二度ほど、おおきく溜息をついた響の宮。
「破滅を目論む闇の帝国、とは、かつての幻怪が言っていた亡者の帝国と同じであろう。我が一族の伝承と幻翁の手紙、お前達の行動が、今ここに繋がった」
「ならば」
響の宮はくるりと振り返り、奥の間に向かった。夫羅たち五人に後をついてくるように目配せをしながら。
「これは我が一族の長のみが代々、存在を知らされた蔵」
最深部に幾つかならぶ小さな岩の突起を、複雑な動きでまるで将棋の駒を操るように動かす。何十にも及ぶ行程ののち、ガシンと大きな音を立てて、岩でできた分厚い扉が開いた。
「神の石。諸君たちが言うところの『願いの破片』だ。これを守るため、我らが祖先は海を捨て陸に上がって今日まで数百年の時を過ごしてきた」
小さな神殿のような作りの石組の中に、その「破片」は収められていた。
「持って行くがよい。貴殿らは今日から我らと同胞となる」
響の宮は慧牡の民の一同を集め、力強く言い放った。
「時が来たのだ。伝承に従い我ら、戦に備えねばならぬ」
頑丈な鎧に身を包んだ逞しい男達のドスの利いた咆哮が洞穴内にこだまする。
「おおっ、親方さまっ」
丸太の様な太い毛むくじゃらの腕にはガッチリ握られた斧。各々が奇声を発しながらこれを振り上げ決起を露わにする。
慧牡の民たちの怒号の中で蝦夷守が呟いた。
「ちょっとおっかな過ぎやしないかい、この方たち…」
隣の煤が相づち。
「チェックのスカートでも履いてもらいますか」
小声で応える蝦夷守。
「おおアイドルみたいで愛嬌出るかもね。ユニット名でも考えますか」
「センターは誰がいいかな…」
夫羅たちの目の前には二つ並んだ「願いの破片」が。共振して光を増したように思える。今は、この光が世を救う希望の光と信じるしかない。
そんな中、テーブルの上でなにやら作業をする煤。
「さあ、これで設置は完了だ。必要な時は、このツマミを暗号通りに動かせば…」
天才・煤が設置したのは「あんていな」と名付けた電磁波情報送受信装置。
「ああ、ほらほら。装置は繊細なんだから、そんなゴツイ手でぞんざいに扱ったらすぐ壊れちまう。そうそう、そっとね」
煤の手元の小さな受信機がしっかりと反応するのを確認した。
「洞窟だからちょっと電波が弱いけど、まあなんとかいけるな」
かくして慧牡の民は幻怪衆の一員となった。
「うう、目が痛いな」
狭い通路を通って再び地上に出た一行。しばらく洞窟の中にいただけに夏の日差しが痛く感じる。
「ならば幻翁さまによろしくお伝え願う。我らの力、お主らに預ける」
送りだす響の宮と一行は固く握手を交わした。
「そうそう。最近この辺りには『肉吸い』と呼ばれる恐ろしい妖怪が出現するらしい。気をつけるがいい」
「物騒だな。これも闇の帝国の力が強まってる証拠だな」
「違いない。『肉吸い』は美女の姿で誘惑して骨まで喰らい尽くすらしい」
「美女…」
「ああ、絶世の美女らしい。たとえ声をかけられても、振り返ってはならん」
「大丈夫、大丈夫。美女だからってそう簡単に引っかかるわけないっての」
「…」
「おい、みんなで俺を見るなって」
冷やかな目の一同を見回したのは蝦夷守。
二つ揃った「願いの破片」と共にアジトに向かった幻怪衆。
残りの破片は、あと四つ。
つづく




