眉月の出会い
伝説の幻怪、聖の君から真新しいしじら織の「封じ布」と新兵器「大煙管」を受け取り、両親の悲話を初めて聞かされた悦花。
だがそこに突如襲来した「モノノケ狩り」の刺客、尾張柳生忍者たち。
悦花は彼らの秘密兵器「蜘蛛の糸」に波動の力を発揮できぬまま逃亡せざるを得ず、彼女を庇って猛火の中に消えた聖の君を思い吉野川の辺に座り込んで嗚咽した。
「ひどい怪我だ。お嬢さん、大丈夫ですか?」
ふと聞こえた男の声。どうやら悦花は泣き疲れて座したまま眠りに落ちていたようだ。
「え、えっ」
「血が出ているではないですか」
ゆっくりと顔を上げる悦花の傍に腰を下ろしたその男。まだ暗闇に目が慣れない。
頭巾の下、端正な顔立ちの奥に優しげな瞳が、こちらをうかがっている。
「ほら、こんなに」
男の目線の先、悦花のふくらはぎはザックリと切れて未だ血が流れ出ていた。
「あっ」
何も言わぬまま男は袖を破き、それを包帯代わりに悦花の脚に巻きつけた。
「痛いっ」
悦花の足に刺すような痛み。
両親のこと、聖の君の死、あまりに突然のことが重なり、わが身の痛みを忘れていたようだ。
「ああ、これは申し訳ない…しかしお嬢さん、あちこち傷だらけじゃないか」
思わず悦花も自身の身体を見回す。確かに擦り傷や火傷だらけだ。
「ああ、いいものがある」
腰元に下げた袋から取り出した小瓶に入った膏薬を手にして言った。
「これは効きますよ」
男はそのまま悦花の身体のあちこちにその薬を塗りだした。
「南蛮渡来の極上の薬に独自の生薬が混ぜてある」
驚いて思わず身を引く悦花。
「いや、えっ、あの…」
だが確かに男が言う通り、傷の痛みは和らでゆく。
軽く微笑みながら「大丈夫ですよ」と小声で呟きつつ悦花の傷に薬を塗るその男。
改めてその着衣に気付いて悦花が息を呑んだ。
「はっ、その装束…」
黒の忍者服。羽織の背中には、間違いない。
尾張柳生一党の者を表す紋章がくっきりと描かれている。
「あ、ああ。名乗らぬのは失礼でしたね」
怯えるような悦花の目に少しだけ驚いた様子の男だったが、再び柔和な笑顔に戻り頭巾を外して言った。
「私は尾張柳生家、雲仙の息子、鴎楽です」
くっきりした目鼻立ち。
少し日焼けした浅黒い肌を、ほのかな月明かりが照らしている。
「私たちの使命は、この世を脅かすモノノケ、魔物たちを退治すること。そのために尾張からここまで遠征に来ているのです」
しばし無言の悦花。
尾張柳生こそ憎き仇、とばかりに思わず懐の大煙管に手を伸ばす。
にわかに険のある表情に変わった悦花を見て鴎楽は優しげに言う。
「だいじょうぶ、大丈夫ですよ。私がついています。どんなモノノケが襲って来ようと貴女を守って見せますから。さあ、安心して」
「えっ、いや、私は…」
あまりに無防備で屈託のない鴎楽に少々拍子抜けの悦花、武器を握る手が緩む。
「さあ、私が家まで」
「いえ、結構です…」
「貴女の様なお美しい方がこんな夜半に一人でいては危険です」
肩を貸そうとする鴎楽の手を振り払った悦花。
「け、結構ですっ。本当に。触らないでっ」
悦花の剣幕に思わず手をひっこめた鴎楽。
「あ、ああ、失礼いたしました。下心などではありませぬ。そうまで仰るなら…」
鴎楽を、いやその尾張柳生の紋章を強く睨みつけるように見入る悦花。
鴎楽は小さく溜息をついた後、言った。
「ええ、私はここで見張りを続けます、お気をつけてお帰り下さい」
振り向いて立ち去ろうとした鴎楽が思い出したように振り返った。
「そうそう、我らの仲間がこの先の山中に潜むモノノケを見つけ始末したらしいのだが、一人逃してしまった様子」
胸をえぐられたように感じた悦花。笑顔を残して立ち去った鴎楽。
「この辺り、もしかしたらその逃げた一人が潜んでいるやも知れません。十分に注意を」
手を振る鴎楽。
「なあに、大声を出したら私が駆けつけますから、ね」
怒り、いや違う何か。抑えきれない不思議な胸の鼓動に戸惑いながら、悦花はゆっくりと里を目指して歩いた。
「あいつ…」
ときおり、後ろを振り返りながら。
つづく