運命を感じて
伝説の賢者、聖の君は悦花を前にその両親の話を続けた。
「そして鵺姫は空王と恋に落ちた」
食い入るように聞く悦花。その瞳をちらりと見やる聖の君。
「ああ、お前にそっくりだ、鵺姫は。些細な仕草まで、な」
悦花は我に返って少しだけ照れくさそうにしてみせた。その姿をみて柔らかに微笑んだ聖の君、しかしすぐに表情を曇らせた。
「激しい戦乱の中、鵺と空王は将来を約束し誓い合った。だが…」
「だが…?」
ため息をついた聖の君。重く口を開く。
「忌まわしき『幻界の乱』が、二人を、いや全てを引き裂いた」
静寂が時を包む。夏の夜だというのに、すきま風が冷やかに感じられた。
「運命は、時として非情なもの」
聖の君は眉をひそめながら語った。
「あれは鵺姫が身ごもったと知らされた直後のことだった。些細な事から幻界は二つに割れた。それまで同士として共通の敵と戦った仲間が殺し合った。裏切りと欺き、暴力に支配され多くの血が流れた」
「げ、幻怪どうしが…?」
「ああ。闇の帝国を滅ぼし平和を手にしたはずの幻界は血にまみれた。そしてこの戦乱で幻怪は死に絶えた…」
聖の君は目を閉じて、自らの心を鎮めるように深く大きな息をした。
「鵺姫は…?」
さらに一歩にじりよった悦花の問いに聖の君は低い声で答えた。
「あの戦火の中、誰も彼女を助ける事などできなかったんだ。許してくれ…息絶える寸前の鵺からお前を取り上げるのがやっとだったんだ。お前はわけもわからずただ啼いていた…」
少しの静寂の後、聖の君が口を開いた。
「輝ける土地、幻界は滅びた。そして追手は無慈悲な事に赤子のお前まで手にかけようとした。両親から引き継いだ強い波動を持っていると知れたらお前は、生きてはおれない。我の『封じ布』に包んでその力を隠したのだ」
「誰が私を、わたしと母を…」
ごくりと唾を飲み込んで、聖の君は答えた。
「今では『閻魔卿』と名乗る男…」
「ああ、まさに今、私たちが戦おうとしている敵…」
「そうだ。だが悦花、この話を聞いたとて、決して戦いに感情を持ちこんではならぬ。怒りが、恨みが、悔しさが己の波動を乱すもと。最悪の場合は波動が逆位相に転じて闇の道を辿る可能性もある」
悦花は握り締めた拳の力を思わず緩めた。
「は、はい…わかっています…」
怒りに震える悦花の心が少しずつ落ち着いてゆくのを見た聖の君は、一呼吸置いたのちに言った。
「閻魔卿と幻王の対決は凄まじかった。最後は二人とも大きな波動の炎の中に消えた。そして幻界は崩壊した。我は命からがら人間界に逃げのびたが他の仲間はほとんど…」
息をのむ悦花、深呼吸ののち小さく呟いた聖の君。
「死んだ…」
険しい、いや悲しい目で語る。
「ああ。閻魔卿もその炎で滅びたと思っていたが…やつが生きて今度はこの世を狙っていると知った頃だ。お前もまた人間界に落ちて拾われ、生きていると知ったのは」
聖の君の目が光る。
「運命。ああ、まさしく運命だ」
悦花も顔を上げて聖の君と目を合わせた。聖の君は力強く言った。
「お前だけが、あの男を倒せる力を持っている。この世を、あの幻界のように滅びさせてはならぬ。仲間とともに闘うのがお前の宿命」
「仲間…」
「ああ。お前と共にある三人は、我と同じく命からがら生き延びた幻怪の血を引く。そして協力してくれる人間たち。力を合わせて立ち向かうより他にない」
うなずく悦花。こわばった顔から笑みがこぼれる聖の君。
「我はこれからも、お前をここで見守っているぞ」
静寂を無粋な風が切り裂いた。ひゅうっ、と、やけに冷たい風が流れ込み、蝋燭の火が二人の影をゆらりと動かした。
「なにごとっ」
ますます風は強く巻き込んでくる。玄関の向こうで騒がしい声。ドカドカと土足で上がり込む無数の足音。
「あ、あれはっ」
障子の隙間から入口を見やった聖の君が叫んだ。
「やつらだ、やつらが来た」
つづく