激震、天狗岳
予期せぬ毒ガス攻撃の前にひれ伏した幻怪たち。その眼前に讃岐天狗の王、崇徳大天狗の魔鋼剣が妖しく光る。
「ふふ、苦しいだろう。すぐに楽にしてやる」
崇徳大天狗は薄笑いを浮かべながら舌なめずりしている。
「幻怪め、俺を甘く見たな」
高く掲げた巨大な剣。その切っ先は足元でうずくまる幻怪たちに向けられた。肌を突き刺すように刺激する真っ黒な毒の霧が少しずつ晴れ、視界が開けてゆく。倒れ込んで意識もおぼろにヒクヒクと痙攣する幻怪が一人、二人、三人…。
「三人?」
毒霧の中に、一人の男の立ちつくす影。
「だ、誰だっ」
思わず手で黒い霧を振り払う崇徳大天狗。目を凝らして霧の晴れ間に揺らめく男に近づいた。
「まさかお前」
「よう、大将」
少しくぐもった声の主は、からくりの裕。
「残念だったな」
トレードマークの防塵マスクが彼を神経毒から守った。そして同じく彼が常用しているゴーグル状の遮光眼鏡はその視界を毒霧に遮られるのを防いでいる。
「天狗め、俺たちを甘く見たな」
ニヤリと笑ったのは裕。
「えっ」
狼狽に思わず身を固まらせた崇徳大天狗、その頭部に向けて至近距離から裕の矢が狙いを定めていた。
「まさか…」
ギリギリまで引いた弓の弦がミシッと音を立てた。弾かれた幻ノ矢は湿気を含んだ重い空気との摩擦で発火しながらキーンと羽音を立て、真っ直ぐに天狗の眉間をとらえた。
「あ、あひいいいっ」
両目の真ん中を射抜かれた崇徳大天狗は矢の勢いに引っ張られるように、串刺しの脳天ごと後方に吹っ飛んだ。
「…」
瞬きの刹那さえ許されぬままに、天狗の王は煮沸するマグマの池に全身をうずめていった。真っ黒な邪気が溶岩溜の中でグツグツと泡立ちながら渦を巻く。バチバチと火花が散り、橙色の溶岩の飛沫が不規則に噴き上がる。
「ま…まず…い、ぞ…」
囚われの河童、煤の声がした。彼も毒霧放射の瞬間、咄嗟に岩場に染みだす水を含んだ布を口にあてがって一命を取りとめていた。
「早くこれを、みんなに」
煤は予め幻翁から預かっていた丸薬―薬草に波動を練り込み解毒と回復の効能を持つ―を三つ、裕に手渡した。
「ここが完全に、くずれる前に…」
一連の衝撃で洞窟内の岩盤には亀裂が入り、マグマの噴出でそれは一層大きくなった。ガラガラと音を立てて岩が崩落し始めた。
「あ、あれ…て、てんぐ…」
まだ朦朧とする蝦夷守が辺りを見回す。フラフラと立ち上がった悦花と雅もまだ状況が飲み込めていない様子。
「地震か?」
「天狗は死んだ。だがここはもう崩れる。あいつがマグマに落ちたら大変なことになる」
裕が指さす先には、真っ黒く渦巻く暗黒のエネルギー球体。崇徳大天狗たちが人間たちをさらって負のエネルギーを抽出して作成していた秘密兵器「天狗玉」だ。
「あれがマグマの中で爆発したら半径十里は焼け野原だぞっ」
牢から救出され蝦夷守に肩を借りながら、煤が叫んだ。
「食い止めなきゃ…」
焦る幻怪たちの前で、どんどん天狗玉は肥大し四方に紫色の稲妻を不規則に発し出した。エネルギー収支が不安定になり崩壊が始まっているのは誰も目にも明らか。
「まず、エネルギー暴走を止めねばな」
雅が崇虎刀の一本を抜いた。全身に力を込め刀に波動を送り込む。独特の白い光がうっすらと刀身を包む。
「醜いエネルギーの塊めっ」
大きく振りかぶって天狗玉めがけて光る崇虎刀を投げつけた。真ん中にグサリと刺さってやがて呑みこまれてゆくと同時に、天狗玉の不規則な振動と放電、不気味な黒いエネルギーの流出は収まった。
「だがこのままでは早晩マグマに落下し大惨事となる」
悦花はゆっくりと頭に巻いてあった極彩色の布~「封じ布」~をさらさらと解いた。
「冥府のやつらに送り返してやるっ」
悦花は、まだくすぶる天狗玉めがけて布を投じた。布の効果で表面の波動反応は抑え込んだ。
「はあっ」
悦花の全身がにわかに光る。撒きつけた布の一端を持ちマグマに投げ入れた。封じ布のお陰で波動エネルギーの爆発は免れているがそれも時間の問題。
「ど、どうするつもり…」
心配そうな煤を横目に悦花は渾身の力で波動を放ち、天狗玉をマグマの中、その奥にある地中深くめがけて押し込んだ。
「はあああああっ」
遠くで激しい爆発音。少し遅れて大きな揺れ。山のあちこちの岩盤の亀裂から紫煙が噴き出した。ついに洞窟の天井も崩落し始めた。もはや入り口も落下した巨大な岩に覆われ跡形もない。
「あそこだっ」
煤が見つけた岩の割れ目から光が差し込んでくる。その上でグラグラしている岩盤が落ちさえしなければ、その唯一の出口から脱出できる。
「さあ、逃げるぞっ」
蝦夷守の一声で全員が走りだした。どんどん崩れてゆく洞窟。足元も地割れでおぼつかないままに、全力で走った。真上の巨大な岩石が落ちる寸前、五人はその穴を走りぬけて外へ脱出した。
「え、えっ」
フワッと宙に浮いた五人の身体。えもいわれぬ寒気の様な不快な感覚が下半身から下っぱらにムズムズと駆け上がってくる。
「これって」
彼らが勢いよく飛び出したのは霊峰天狗岳きっての断崖絶壁。
「お、落ちてるじゃん」
あわてて両手両足をもがく悦花、だがさすがの幻怪もひたすらにスピードを上げて谷底へ向かってゆくしかない。自由落下、こうも激しく速い落下だとは。
「ちょ、ちょっと、みんな掴まって」
煤が叫ぶ。
「はやく、早くっての」
もう藁にもすがる幻怪たち。思わず手を繋いで煤に掴まる。
「ひも、ほら、この紐」
叫ぶ煤。答える蝦夷守。
「失礼なっ、この期に及んでヒモだなんて。俺はちゃんと自立して…」
「アホかっ、んなこと言ってないし興味もないっつの」
「だってヒモって」
「これ、この背中の紐。これだって、引っ張るの。早く、早くほら。引っ張ってっ」
「ん?」
煤の羽織の背中からちらっと飛び出した白い紐の先。蝦夷守は掴んで煤の顔を見る。「いいから早く」という煤の表情を見てあわててうなずき、ぐいと引っ張った。
「あわ、あ、あわあわっ」
「う、うおおおっ」
バサバサっという音と共に八畳、いや十畳はあろうかという巨大な布がく宙に広がった。四方の角から頑丈な紐が伸びて煤の腰帯に括りつけられている。ガクンと云う衝撃とともに落下速度は一気に緩やかになった。
「どうです?」
掴まった全員をあらためて紐で括りつけながら煤。
「自称天才のあたくしが考案した、飛行布。でございます」
「ほう」
幾つか布に繋がる紐を上手く操れば、方向も落下速度も自在に空を飛ぶことのできるこの装置。まさにパラシュート。
「さすがだな。カンペキ」
感心しきりの蝦夷守が答えた。
「緑、っていう色の選択以外は」
「あ、そ。そんな気に入らないっていうなら今すぐ降りてもらいましょうか…」
「いやウソ、冗談。マジいい色。センスいいよ。煤。ほんと。ほんと」
暑い夏。空も山も下に広がる平野も、心なしか明るさを取り戻したように思えた。陽の光に煌めく瀬戸内の水面を遠くに見ながら、飛行布と幻怪一行はゆっくりと、ゆっくりと高度を下げていった。
つづく




