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小説幻怪伝  作者: 蝦夷 漫筆
死線の果てに
120/122

父と子、交錯する絆

 暗黒の怨球が富士の火口に投げ入れられた。

 世界の破滅が始まった。

 かつてない地響きが富士を揺るがし、空気まで歪みはじめた。


 勝ち誇る閻魔卿。


 悦花は朦朧とする意識のまま、動くことも声を出すことも出来ない。

 「もう、終わり、か…」

 音次郎は目の前で焼けて灰になってゆく父親・雲仙の鉢金が熱にひん曲がってゆくのを茫然と見つめていた。

 「ちくしょう…」

 閻魔卿はゆっくりと音次郎に近づいた。

 「悔しいか、人間。お前らの血など所詮その程度、来る世に左様な軟弱な血は要らぬ」


 その時、閻魔卿は背後から聞こえたかすかな音に振り返った。

 「なにっ」

 一人の男が、富士の火口に立ちつくしていた。

 「雲仙…」

 その手にはしっかりと「願いの破片」が握られている。ニヤリと笑った。

 「変わり身の術に気付かぬとは、閻魔の名が泣くぞ」

 雲仙は煙幕を張った際に服を脱ぎ捨て、波動封じの布に全身をくるんでその場を逃れていたのだった。

 火口を覗き込む。マグマの中に渦巻く波動の中心に、怨球がバチバチと火花を散らしているのが見える。

 「ふふふ」

 雲仙はぐっと膝を屈めた。閻魔卿が叫ぶ。

 「まさかお主、自ら火口に」

 音次郎も叫んだ。

 「父さんっ」


 ゆらり、と雲仙は火口の中に身を投じた。

 マグマの飛沫が噴き上げる中、真っ直ぐに落ちてゆく。

 「願いの破片を直接ぶつけ、粒子崩壊の反応を止める」


 全身に引火しながらも真っ直ぐ目を見開いて怨球に突っ込んでゆく雲仙。

 「と、父さあああんっ」

 遠くに息子の叫びを聞きながら雲仙の腕が、肩口が、顔が、熱に溶けてゆく。

 しかしその意志が溶けて消えることはないと言い張るかのように、真っ赤な目は瞬きもせず怨球に狙いを定めている。


 閻魔卿は火口に立ち、落ちてゆく雲仙を見下ろした。

 顔色を変えぬまま義手の取っ手を引くと、ガチンという音とともに鋭利な刃が飛び出した。釣り針のような大きな返しが鈍く光る。

 「自らの命に代えて、など。実に苛立たしい思考だ」

 刃は長い鎖を後に引きながら火口に向けて放たれた。

 「邪魔者、め」

 黒光りする魔鋼にマグマの火を映す刃が、雲仙の首を串刺しにした。

 「ぐへっ」 

 火口の溶岩の上、首を貫かれた雲仙は宙吊りに。

 「ぐ、ぐう…」


 「父さん、父さん…」

 音次郎の叫びが虚空に響く。

 ほどなく雲仙は絶命した。足先から順に、熱が骨まで溶かしてゆく。

 

 雲仙の肉体が全て蒸発した後に残った「願いの破片」を、刃先に引っ掛けて引き上げた閻魔卿は、渾身の力で暗黒の波動を撃ち込み、これをバラバラに砕け散らせた。

 「俺には俺の、使命がある」


 火口から噴き上がる火柱を見つめる閻魔卿。

 その背後にまた新たな人影が近づいた。

 「また虫けらが・・・」

 振り返った閻魔卿は拍子抜けしたように声のトーンを落とした。

 「お、お前は?」


 「やっつけてやるっ」

 背筋を伸ばし、閻魔卿を睨みつける。

 まるで、彼女が慕う悦花の口調を真似するかのように。

 「姉ちゃんたちをいじめるヤツは、あたしが許さないからねっ」

 「な、なんだ…このガキは」

 胸を張る幼子。

 「仁美ひとみよ。幻怪衆の仁美」

 三尺ほどの木の杖をあたかも刀のように、いや悦花の大煙管のように構える。

 「ええいっ」

 閻魔卿の膝ほどにしか満たない背丈で、精いっぱいの力を込めて何度も何度も木の枝を叩きつけた。

 「おじいちゃんの仇をとってやるっ」

 仁美が手にする木の枝は、幻翁げんのおきなの形見の杖。

 「おいぼれの遺品、か…」

 閻魔卿はびくともしない。それでも仁美は諦める素振りも怖がる素振りも見せない。

 「あたしがお前を倒す。世界を救うっ」

 せせら笑う閻魔卿。

 「これが、こんなのが、お前たちの言う希望と云うやつか。偉そうに掲げる絆というやつか」

 ひたすらに、大粒の涙をボロボロと流しながら、仁美は木の杖を振り続けた。


 「こんな幼子を…」

 ほんの少しだけ、閻魔卿の目に悲しみが宿ったように見えた。

 「無垢な幼子を、血塗られた戦場に引きずり出すのが、お前たちの云う希望、なのか」

 あるいは、幸せな日々を戦乱によって引き裂かれた己の過去を、戦乱さえなければ、幸せに育ったはずの愛娘・悦花に姿を重ねていたのかも知れない。

 「希望を持つ、光を待つ、ということは悲しみを約束するに等しい。闇を待つに等しい」

 朽ちかけた杖も折れよとばかりに、仁美は泣きじゃくりながら杖を振り続けた。


 「おじいちゃんの思いは、わたしが果たすっ」

 一瞬、杖がわずかに光った。

 油断か、憐れみが生んだ隙か。杖が折れた拍子に、閻魔卿の喉を激しく突いた。

 「ぐっ」

 閻魔卿が喉を抑えてよろめく。

 「ええいっ」

 仁美は閻魔卿にのしかかろうと飛びかかった。

 「ガキだからと云って…」

 閻魔卿の目には冷徹な狂気が取り戻された。

 「いや、ガキだからこそ潰す。禍の芽は摘まねばならぬ。脅威の種は絶やさねばならぬ」


 「ひっ」

 閻魔卿の全身から発せられる黒いオーラに仁美は戦慄した。

 「恨むなら、幻翁を恨むがよい」

 義手の刃が無慈悲に光る。

 「この手で殺す」

 刃が唸りを上げた。

 「きやあああああっ」

 耳をつんざく悲鳴が空気を切り裂いた。


 死肉を求めて寄り集まった鴉たちが、声に驚き一斉に飛び立った。


 「お前、お前は…」

 閻魔卿は突き立てた刃を見下ろし、叫んだ。

 「誰だあっ、誰だお前は」


 仁美を抱きかかえ、身代わりに刃を受けた男は口から血を吐きながら嗄れ声を出した。

 「仁美…すごいぞ…父さんは、お前を誇りに思う…」

 わなわなと震えながらもその手はしっかりと仁美を抱きかかえている。

 冷や汗をダラダラと流しながら精いっぱいの笑顔を作って見せる父親、夫羅。

 「お前は、自慢の娘だ…」

 背中には深々と閻魔卿の刃が突き刺ささり、ドクドクと脈打つように真っ赤な血が噴き出している。

 「いい子だ…」

 血の気の失せた手が一度、柔らかく仁美の頭を撫でた。


 「えええいっ」

 閻魔卿は無造作に夫羅の背中に足をかけ刃を引き抜いた。

 「どいつもこいつも、格好つけやがって」

 夫羅の身体を踏みつける。

 「力も無いくせに気取りやがって。薄っぺらい絆だの希望だの、虫唾が走る」

 瀕死の夫羅をなお痛ぶる閻魔卿。

 「何が親娘だ、何が絆だっ」

 腹に刃を突き刺し、何度もかき回す。

 返り血を浴びながら、閻魔卿は目に涙を浮かべているようにも見えた。

 「愛や希望が無限の悲しみを生み出すということが何故判らぬ?」

 「ち、違う…逆だ・・・」

 血まみれの夫羅が、閻魔卿の目をじっと見た。

 「希望があるから、痛みや苦しみ、悲しみや絶望を和らげることが出来る」

 「何だと…」

 「生きるってことは、悲しみ、苦しみ、虚しさそのものだ。だから愛がなきゃ釣り合わねえ。そして絆は永遠に希望を紡ぐ。親から子、子から孫。そこに唯一、俺たちは永遠を見出すのさ…」


 ガタガタと震える夫羅の手が空を掴むようにまさぐるうちに、閻魔卿のローブをはらりと引きはがした。

 露わになった閻魔卿の焼けただれ傷だらけの顔を見た仁美は、きゃあと悲鳴を上げた。

 「見たか、俺の顔を」

 「そ、その顔…怖いっ…」

 「希望にさえ裏切られ、光に捨てられた顔だ」

 閻魔卿の唇が震える。

 「裏切りと悲しみの中で全てを奪われた俺は、強さだけが拠り所だ、と暗闇の中で悟った」


挿絵(By みてみん)


 夫羅はもう顔面蒼白。だが驚くほど柔和な笑みを浮かべていた。

 「違うよ…希望は誰にも奪えない。お前自身が投げ捨てたんだ。希望も光も、絆さえ…」


 歯軋りをしながら閻魔卿は、何度も何度も、夫羅を突き刺した。

 もうピクリとも動かなくなった夫羅に、まるで自分の忌まわしい過去そのものを相手にしているように、刃を浴びせた。


 「お父さん、お父さあんっ」

 仁美は血の海に横たわる夫羅に抱き付いた。

 黙して見下ろす閻魔卿を見上げる。

 「返せ、父さんを。返せ、おじいちゃんを。仲間も友達もみんな返せっ」

 

 閻魔卿は刃を振り上げた。

 「父親とは悲しい生き物だな…」

 鋭い切っ先を仁美に向け、真っ直ぐに振り下ろした。


 「お前に父親を語る資格なんか、ないんだよ」

 刃は激しく打ち払われた。

 「お前、いつの間に…」

 驚いて目を見開いた閻魔卿。


 眼前に立っていたのは悦花だった。


 つづく

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