暗黒の焔に立ち向かえ!
富士の七合目で待ち受けた暗黒参謀・ヌラリヒョンは圧倒的な力と姑息な手段によって幻怪衆の切り札「願いの破片」を奪った。
さらに暗黒の力で大地に穴を開け大量のマグマを噴出させ、富士の裾野を地獄絵図に変えた。
マグマの川に囲まれた島に取り残された幻怪戦士たちに伝説のモンスターたちが襲いかかる。
怪鳥・虞狸奔、牛人・美濃太右郎、合成獣・奇舞羅、火炎竜・炎奴隷狗。
「ううっ」
虞狸奔の妖術超音波を、煤の機転で食い止めたものの、硫酸を含む羽毛の乱れ撃ちを受けた一刀彫の雅。
恐るべき集中力でこれを次々かわして渾身の力で斬り込んだが虞狸奔の固い嘴にかすり傷さえ与えることができず、前足の爪による一閃で吹き飛ばされて身を横たえた。
その頃、からくりの裕は因縁浅からぬ美濃太右朗と対峙していた。
幻ノ矢の間合いをぐっと詰められて攻め込まれた裕は、灼熱の溶岩流を背後に崖っぷちまで追い詰められていた。
「ぐふふ、そのまま溶岩に落ちて骨まで溶けるか、その首を跳ね飛ばされてから落ちるか、さあ。どっちにするんだい」
狂気を宿し爛々と輝く美濃太右郎の眼が近づいてくる。もう後がない。
「どっちにしろお前は死ぬ」
美濃太右郎が大きな斧で突きにかかってきた。裕はその細やか筋肉のうねりから敵の動きを察知し、一瞬早く飛び上がった。
「どっちも嫌だね」
裕は斧の刃の上に飛び乗った。
「うっ」
そこからさらに斧の刃を蹴って飛び上がった裕、美濃太右郎の頭上を越えて背後をうかがう。
「そうはいかん」
恐るべき美濃太右郎の反射神経。すかさず飛び上がって裕の胸元めがけて長い角を突き出した。
「くっ」
肉を裂き食い込む角先、裕が両手で握って押し戻す。
「ぐはは。お前の鼓動がこの角の先に伝わってくるぞ」
あと一寸、たった一寸も深くえぐれば裕の心蔵は突き破られてしまうだろう。
「うううっ」
再び押し戻され崖っぷちへ。何とか爪先で踏ん張るものの、どんどん身体は傾いてゆく。
「さあ、もう後がないぞ」
マグマの熱で裕の裾に火が付いた。
「くうううっ」
ジリジリと皮膚まで熱が伝わる。さらに押し込まれる。
「えええいっ」
思い切り美濃太右郎の腹を蹴り上げた。
裕の全身に光が帯びると同時に渾身の力で手を伸ばす。
「あ、あややっ」
美濃太右郎の巨体が持ち上がった。崖っぷちの土俵際で仕掛けたうっちゃりの投げ。
「ふん、悪あがきめ。突き落としてやる」
美濃太右郎は、薄ら笑いを浮かべた。
「そんなドサクサ紛れの技じゃ俺を殺せないぜ」
斧の柄の先が思いっきり裕の胸元を突いた。
「ぐはっ」
血を吐く裕の頭を踏みつけて飛んだ美濃太右郎は、よろめきもせず地面に着地。
「落ちたか…」
マグマの川を覗き込む美濃太右郎は、しかし眉をピクリと動かした。
「逃げ足の速いサルめ…」
「ウシよりはマシさ」
裕はバランスを崩しながら、咄嗟に断ち切った長弓の弦の一方を高枝の先に投げて括り付けて身を吊り上げて落下を防いでいた。
「木の上なら安全、とでも思ったのか?」
美濃太右郎は巨体に似合わぬ素早い身のこなしであっという間に大木に登ってふたたび裕の前に立ちはだかった。
「まさか逃げようなんて、思ってねえよな。あ?」
真っ赤な鱗を逆立たせて嘶く巨竜・焔奴隷狗、その足元で悦花は次々撃ち出される火の玉を避けるのに精一杯。
「ちくしょう、時間が無いってのに。こうやっている間にも閻魔卿は…」
大きな翼が羽ばたくたび、無数の火球が降り注ぐ。高熱で岩をも溶かす火の玉を一つ一つ、幻鋼の大煙管で打ち払いながら、少しづつ間合いを詰めてゆく。
「今だっ」
翼を翻す一瞬の隙に、悦花は焔奴隷狗の懐に飛び込んだ。光る大煙管。
「ぶった斬ってやるっ」
舐め上げるような一閃、だが焔奴隷狗は大木のような後ろ足のカギ爪で地面を蹴って空に舞い上がった。
「ちっ」
空を切った大煙管の先を見つめる悦花に再び降り注ぐ火球の雨あられ。
「うああっ」
火だるま。肌を刺し、焦がす灼熱の炎。悦花は体内に満たした波動を全身の皮膚表面から放出させ、火焔地獄を脱した。
相手が上空ならばこちらも、と身構えた悦花に飛び上がらせる時間を与えることなく、今度は炎奴隷狗が急降下。自らを炎に包んで前足の爪を突き出して襲い来る。
「くっ」
無我夢中で身体を丸めて転がった悦花の首筋のすぐ横を大きな爪が通り抜ける。
「ふう」
辺りを炎に包まれながらも、冷や汗が流れ出る。
「あの時みたいに…あたしに力が湧いてくれれば」
手に、腕に、足に、そして腹に力を込めてみる。全身に光が帯びる。
「いや…こんなもんじゃねえんだよ。あの時みたいな…覚醒って言うのか。うううっ」
声を出してみる。高い声、低い声。だが全身を覆う光はかえって不安定に。
「ちくしょう、どうなってやがる。早くしねえと…」
気付くと目の前に降り注ぐ火球たちが迫る。
「ああ、もう。肝心なときに役に立たないなんて、自分の身体だっていうのに」
火球だけではない、焔奴隷狗の口からは広範囲に向けて炎が吐き散らされる。暗黒の波動を含んだ炎は万物の粒子さえ塵に変える。
飛び退いてかわす悦花の袖に引火した暗黒火炎。あわてて波動を含んだ息で吹き消す。
「時間が無えってのに…」
「慌てるな、焦るな…波動が乱れれば何事も為せぬ…」
「えっ」
辺りを見回す悦花。誰もいない。
「確かに、声が…あれは幻翁の」
地下から噴出し続けるマグマと焔奴隷狗が吐き散らす炎にゆらめく熱く乾いた空気の中、かすかに通り抜ける涼やかなそよ風に乗って。
悦花が右腕に巻いた幻翁の形見の腕輪が脈打つように光っている。
「お前の身体は、お前のものであって、お前だけのものではない」
「お、翁…」
「万世一切に波動がある。己のみ前に出ればその繋がりは隔てられる…」
ますます鱗を逆立てた焔奴隷狗が低空飛行で迫ってくる。
「来るっ」
前かがみに構えた悦花が全身の力を振り絞る。
「力を、あたしに力を…」
うっすらと光りだす悦花の目。
「はああああっ」
しかし、うねりながら、木々を焼き尽くしながら、焔奴隷狗の暗黒火炎はいとも簡単に悦花を包み込んだ。
「ぐっ、あ、熱いっ、熱いいっ」
細胞という細胞が破裂しそうに不規則な振動に襲われる苦痛は他に体験しえない。
「たあっ」
視界さえ閉ざされたまま、悦花はがむしゃらに飛び上がった。かろうじてその身を覆っていた光の波動と風圧が暗黒火炎を吹き消した。
「危なかった…」
まだ、危機は終わっていない。
木の枝に身を潜めるようにして、地面を覆う黒煙と炎のなかに敵の影を探す。
「こっちから仕掛けてやる」
その瞬間、ふわりと悦花の身体が持ち上がった。
「えっ」
すでに敵は上空にいた。大きな前足がガッチリと悦花の胴体を掴み、その鋭い爪が腹に、胸に食い込む。
「くそっ、ちくしょうっ、ああっ」
もがいても爪は食い込むばかり。身体から発する光の波動さえ、焔奴隷狗の真っ赤な鱗が帯びる暗黒波動に撥ね返されてしまう。
「ぐはっ」
掴まれたまま、急降下した炎奴隷狗の下敷きに。胃が飛び出るかと思うほどの衝撃。かなり強く頭を打ったのか、景色がぼやけて見える。周囲が赤黒く染まってゆく。
「ああ、あああ」
それは暗黒火炎のせい。
「もう、もうダメか…」
カギ爪で地面に押さえつけられたままの悦花を、焔奴隷狗の暗黒火炎が激しく包み込んだ。
ふっ、と、再び風が流れ込んだ。
「えっ」
右の腕輪にブルブルと衝撃。続いて、脈打つような腕輪の光がどんどん大きくなる。
「ま、眩しい…」
その光はやがて悦花だけでなく焔奴隷狗までをも包み込んだ。
かすかに、震えるような声が聞こえた。
「波動は無限、そして永遠。目に見える形は失われても、その繋がりは途切れない…」
「お、翁…?」
一気に、身体中を貫くような激しい振動に襲われ、辺りは真っ白に。続いて風が逆流するように、細かな振動がぐるぐると渦を巻いて収束した。
「あっ」
目の前で、焔奴隷狗は身体から噴き上がる炎を失い、逆立つ鱗を蒼白に変えていた。戸惑いながらも火炎を吐こうと大きな口を開ける。
「火が、暗黒波動が無けりゃ、ただの大蜥蜴じゃないか」
もはや火炎を吐くことの出来ない炎奴隷狗の腹にめがけて掌をかざした悦花が、光る波動弾を撃ち込み風穴を開けた。
「グエエエッ」
嘶きながら白い目を上に向け、逃げようと羽ばたく炎奴隷狗。
それよりも早く飛び上がった悦花が敵の太い首根っこに幻鋼の大煙管を叩きつけ、斬り落とした。
炎奴隷狗の亡骸は次第に侵食してくるマグマの流れの中に消えていった。
カシャン、と足元で音がした。
「あっ」
バラバラに割れた腕輪、幻翁の形見。
「翁…」
それは復元することを拒否するかのように、完全に粉々に朽ちた。
つづく




