その理由
「ねえ? ジアってなんでいつも男の子の格好をしているの?」
それはある日お茶の席でソルがこぼした素朴な疑問だった。
「なんでって言われても……昔からこうだったからなぁ。ねえ、オル。オルが女の子の服買ってくれたことってあったっけ?」
自分の服装を見下ろし、フリージアがオルディンを振り返った。彼は小さく肩をすくめる。
「もしかして、今でもジアがドレス嫌いなのは、あなたの所為なのかしら?」
チラリと彼を睨んだサーガのその目には、少々険があった。
――確かに、フリージアは男児の服ばかりを着ていた。それは、服を買い与えていた彼の所為とも言えるかもしれない。
だが、それにはそれなりの理由というものがあったのだ。
*
フリージアが十歳になる頃だったか。
オルディンと彼女はある村に立ち寄った。
いつものように、村長の家で宿を求める二人。そんな彼らに村長の妻が言った。
「ちょうどいい時に来たね。三日後に祭りがあるんだよ。どうせなら見ていきな」
そうして、しげしげとフリージアを眺めて。
「あんた、可愛いねぇ。そんな男の子みたいなナリしてるの、もったいないよ。ああ、そうだ。祭りの日にはうちの娘が着てた余所着を貸してやるよ。遠慮しないでいいよ、もう着ないもんだしさ」
――一泊だけの滞在予定だった二人に是か非か問うこともせず、彼女はどんどん話を決めてしまう。
「えぇっと……どうする、オル?」
「いいんじゃないか? 別に急ぐ用もないしな」
実際、彼らの旅はこれといって目的もないものだ。この際、村の雑用をいくつかこなして少しばかり路銀を稼いでおくのも良いかとオルディンは考えた。
「じゃあ、お世話になります」
そう答えて、かれこれ三日。
オルディンはあちこちの家の修理やら何やらをこなして日銭を稼ぎ、フリージアはその日のうちに仲良くなった村の子どもたちと遊び回っていた。
祭りの当日になって、奥の部屋に引っ張って行かれたフリージアをオルディンは居間で待った。村長の妻は「可愛くなるわよぉ」とホクホク顔だったが、多少着飾ったところであの野生児が『可愛く』なるわけがない。放っておいたら最近拾った飛竜の子どもと一緒に泥だらけで転がり回ってオルディンに叱られてばかりいるのだ。
「ま、『女の子』にはなれるかもしれねぇけどな」
独りニヤリと笑ってそう呟いた時だった。
廊下を二つの足音が近付いてくる。
「よぉ、どう――」
振り返ると同時に、オルディンの口が固まる。口どころか、全身が。
――誰だ、こいつ。
彼の頭の中にパッと浮かんだのは、それだった。
「オル?」
耳慣れた声で名前を呼ばれ、彼はハッと我に返る。そこに村長の妻の笑い声が重なった。
「どうだい、この出来。可愛いだろう?」
そう言われても、オルディンには返す言葉がない。
何で染められているのか、その瞳の色と同じ新緑のドレスはきれいに結い上げられた真紅の巻き毛をいっそう鮮やかに見せている。柔らかな布は少女らしい肢体にぴったりと合い、今までオルディンが気に留めていなかった彼女の華奢さを明らかにしていた。
「ジア……」
名前を口にしても、しっくりこない。
ただ、髪型と衣装を変えただけ。
ただそれだけだというのに、彼の目の前に立っているフリージアは、立派に『美少女』の域に入っていた。
「何かこの服、足がスースーする」
呆気に取られていたオルディンの前で、フリージアが唇を尖らせた。そんな言い草はいかにも彼女そのもので、オルディンはなんだかホッとする。
気を取り直して椅子から立ち上がり、フリージアの前に立った。
改めて頭の天辺からつま先まで見下ろし、言う。
「悪くない。借りもんなんだから汚すなよ?」
「うう、なんか、このひらひらが脚に絡まって……破いちゃいそう」
不安そうにチラリと村長の妻を見上げたフリージアに、彼女はアハハと笑った。そうしてバンとフリージアの背中を叩く。
「いいさ、もう着る者もいないしね。気にしないで遊んできな」
そう言って、外への扉の方へと背を押しやった。
そちらに向かいかけたフリージアは、二、三歩進んだところでオルディンを振り返る。
「あ、オルも行く?」
「ん? いや、俺は――……ああ、そうだな。行くか」
実際のところ、祭りに全く興味はない。ついさっきまで、彼はここで待っていようと思っていた。
だが、不意に、何故かフリージアを一人でうろつかせたくないという気持ちがチラリと頭をよぎったのだ。
何故かは、判らないが。
平和なこの村で子ども一人がウロウロしていても、何が起こるとも思えない。
だが――
もう一度フリージアを見下ろすと、やっぱりどこか落ち着かない気分になった。
「じゃ、早く行こうよ」
フリージアが突っ立ったままのオルディンの手を取り促す。
人が動き始めているのか、少し前から、家の外からはざわめきが聞こえ始めていた。
「ほらほら、早く行っといで」
半ば追い出される勢いで村長の家を出た二人は、人の流れに乗って広場へと向かう。
それほど大きくない村の割りに祭りは盛大で、広場では大きな音楽とともに集まった村人たちが楽し気に踊り騒いでいた。
フリージアの容姿が目を引くこともあってか、次から次へと菓子や飲み物を差し出される。ひっきりなしにうまいものを頬張ることができて、彼女はご満悦の様子だ。
「よくまあそんなに食べられるもんだな」
呆れ半分、感心半分でオルディンがそう言うと、彼女はまた新たにもらった揚げパンをパクつきながらにっこりと笑った。
「まだまだイケるよ。どれもおいしいんだもん」
「ほどほどにしとけよ?」
言いながら、オルディンはフリージアの口元についた粉砂糖を指で拭ってやった。
まったく。
――服と髪型で見た目は変わっても、中身はやっぱりフリージアのままだ。
オルディンはやれやれと息をつく。
そうやって、彼も肩の力を抜いて祭りの空気に馴染み始めた頃だった。
隣を歩いていたフリージアが、突然立ち止まる。
「ジア?」
呼びかけてもピクリともしない。心持ち首を傾け、固まっている。まるで何かに耳を澄ませているようだ、と思ったら、突然走り出した。
「おい!?」
「ネコ!」
ちょこまかと人込みを縫いながら駆けて行く小さな背中に声をかけても、戻ってきたのはその一言だ。
――なんだよ、『猫』って。
心の中で突っ込んで、オルディンは彼女の後を追いかけた。が、人が多くて跳ねる赤毛とはどんどん距離が開いていく。
危うく見失いそうになったが、かろうじてオルディンの視界から完全に消え失せうる前にフリージアが足を止めた。彼女は巨木の前に立ち、かなり上の方を見上げている。
「ジア、急に何なんだ?」
「ほら、ネコがいる」
フリージアは上を見据えたまま、そちらを指差し、言った。
確かに、彼女が示す方からか細い鳴き声が聞こえてくる。目を凝らせば、茶色の枝と緑の葉の間に、黒い塊が動くのが見えた。
「ああ、いるな」
いるが、かなり上の方だから、オルディンの体重では枝がもたないかもしれない。
さてどうするか、と彼が考えようとしたとき、隣のフリージアが何の前触れもなくガバリとドレスの裾を捲り上げた。
「おま、何してるんだよ!?」
膝どころか、まだか細い腿の半分ほどまでもが丸見えだ。
布を破りかねないほどの勢いでそれを引き下ろしたオルディンに、フリージアが唇を尖らせた。
「もう、オル! 借りものなんだよ、破けたらどうするの」
「女が脚丸出しにするんじゃねぇよ!」
「はあ? そんなこと言ったって、この格好じゃ登れないよ」
「そういう格好をしている時はそんなことしないもんなんだよ」
「めんどくさいなぁ……」
ブツブツぼやいているフリージアは、悪びれる様子は微塵もない。
「いいか、女はスネから下を見せないもんなんだ」
「今までそんなこと言ったことないじゃんか」
確かに。
だがそれは、今までフリージアの性別を『女』だと認識したことがなかったからだ。
「これからは言う」
「いいよ、もうドレスなんて着ないし」
さっくり返してきたフリージアに、オルディンは頼むからそうしてくれ、と内心で呟いた。
そうすれば、彼も訳の判らないモヤッとした心配をしなくて済む。こんな格好をしている彼女は、何となく放置しておき難い。理由は彼自身にも判然としないが、着飾ったフリージアが彼の目の届かないところにいるという状況を想像すると落ち着かない気分になるのだ。
そんな不可解な葛藤にモヤモヤするオルディンの横で、フリージアがボソリと呟く。
「ネコ、どうしよ。ねえ、今だけだからドレス捲ってもいい?」
「絶対、駄目だ」
――結局、樹の上の仔猫は服を着替えたフリージアが助け下ろすことになった。
その時オルディンは、器用に樹を登り下りする彼女を見守りながら、もう少し恥じらいと常識というものを教えなければなるまいとため息をこぼしたものだった。
*
あの祭りからかれこれ五年以上経つが、この王都に戻りサーガの玩具になるまで、フリージアが女物の服を身に着けたことはなかった。
よって『女の立ち居振る舞い』なるものをオルディンが彼女に教え込む必要がなく、その役目はここの女性陣に引き継いでもらうことになったのだ。
もっとも、フリージアに甘い彼女たちが、どれほどの指導ができるかは、甚だ疑問ではあるのだが。
心持ち引いた場所から笑いさざめく一同を眺めながら、まあでも、フリージアにはドレスよりも剣の方が似合うよなと思ったりもするオルディンだった。




