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ジア戦記  作者: トウリン
第一部 戦乙女の召還
7/71

流浪者

 いつものように他人の目が無くなった場所でスレイプを呼び出して、騎上の人となったフリージアとオルディンは、グエンからの依頼を果たすべく、空から牧草地帯に目を凝らしていた。

 すでに丸三日と半日を費やしているが、岩羊ほどの大きさのものが落ち込んでしまような穴や、うっかり気付かず転げ落ちてしまうような切り立った崖はない。


 岩羊はオルディンが四つん這いになったよりも、まだ大きい。そんなものが落ちて周りから気付かれないような穴となったら、それなりの大きさと深さがある筈だ。だが、牧草地はなだらかな隆起があるくらいで、なんら危険な場所はなさそうだった。


 あるいは、やはり獣でも出るのだろうか。

 そう考えて、いいやと、フリージアは首を振る。


 岩羊は、大きい。それを食らうような獣なら、群れを作っているか、捕食者の方もかなりの大きさを持っているということになる。そんな危険な獣が出没しているなら、岩羊たちにも何らかの兆候が見られる筈だ。けれども、思い思いに草を食む岩羊たちは警戒する素振りなど全く見せず、眼下はのんびりほのぼのそのもので、危機感など微塵もない。


「何もないねぇ」


 最初は目を皿のようにして異常を見つけようとしていたフリージアだったが、のどかな風景が続くばかりで、次第に気分もだれてくる。


「まあ、何もない、というのも結果の一つだ。柵もないし遠くへ逃げ出したのかもしれんな」

「んん、でも、柵がないのは前からなんでしょ? 何で今さら逃亡羊続出になるんだろ?」

「さあな。羊は仲間につられる生き物だから、一頭が逃げおおせて、道がついてしまったのかもしれないな」

「そうかなぁ……そんな理由で、いいのかなぁ……」


 納得のいかないフリージアは、少し身を乗り出して下を覗き込む。


「こら、危ないだろう」

 言いながら、オルディンは片手を手綱から放して彼女の腰に腕を回した。


「大丈夫だよ。ちゃんと掴まってるもん。……やっぱり、何もないな」


 眼下にいるのは草を食む岩羊のみ。


「前回羊がいなくなったのは、何日前だっけ?」

「七日前だ」

「その前は五日開いたって言ってたよね。大爪熊おおつめぐまか何かかな」

「こんな所にか? ありゃ、山に生息するもんだろ」

「だよねぇ」


 迷い熊だとしたら、いったいどれほどの方向音痴なのだという話になる。と、二人がそんな会話を交わす中、不意に、スレイプが方向を変えた。


「どうした、スレイプ?」


 オルディンが声をかけて手綱を引いてみても、スレイプは構わずその方向に向かうだけだ。ヒトよりも優れた竜属の五感で、何かを見つけたらしい。


「あ、あそこ! あれ見て!」


 フリージアは指さしながら声を上げた。スレイプが目指しているその先に、何かが動いている。目を凝らしていると、距離が縮まるにつれてそれが五人の人間と一頭の岩羊であることが判り始めた。


「見つけた! でも、もしかしたら村の人かもだよね。ねえ、スレイプ。ちょっと先回りして降ろしてよ」


 フリージアの依頼に、スレイプは静かに旋回する。羽ばたきをせずに、滑空して連中が進もうとしている先に舞い下り、二人を降ろした。ちょうどちょっとした丘になっているから、相手には気付かれずに済んだ筈だ。


 やがて、丘を越えて先頭に立つ人影が見えてくる――男だ。年の頃は三十を少し超えたくらいだろうか。オルディンよりもいくつか年上だろう。そして、彼の漆黒ほどではないが、この国ではあまり見られない暗色の髪をしている。同じような色の、同じような年頃の男たちが、五人。

 どちらかというと、前よりも後ろの方を気にしている風情だった彼らだが、フリージアたちに気付くと、その足が止まった。肌の色の濃い浅い顔立ちは、やはりこの国の人間とは違う。恐らく、もっと東の方に住む者だろう。それが何故、こんなところで羊泥棒をしているのかと、フリージアは首をかしげた。


「ねえ、その岩羊、おじさんたちの?」


 彼女の問いかけに、彼らは互いに顔を見合わせる。

 通じなかったのだろうかと、フリージア思いかけた時だった。頷き合った男たちが、次々に腰に差した剣を抜き放った。


「穏便に行きたかったのになぁ」

 そうぼやいたフリージアの頭を、オルディンがくしゃくしゃとかき回す。

「充分予想の範囲内だろう? ほら、やるぞ」

「うう、やだなぁ。大爪熊相手の方がまだマシなのに」

「愚痴るな」

「わかったよ」

 フリージアは渋々ながら、細剣の柄に手を置いた。


 どんなふうに二人を見切ったのか、羊泥棒たちは一対四の二手に分かれたようだ。

 それぞれがどちらに狙いを付けたのか、その視線を見れば判る。オルディンの方へは四人、フリージアの方へは一人――最初に彼女たちに気付いた男だ。オルディンには質より量、フリージアには量より質でかかることにしたのか、あるいは、彼女が年端もいかない少女だから一人で充分だと思ったのか。


「いいか、足を止めるな。まともに剣を合わせるなよ?」

 この期に及んで指導を入れるオルディンに、フリージアはムッと頬を膨らませる。

「判ってるって!」

 ピシャリとそう残し、フリージアは駆け出した。そうして、彼女をヒタと見据えている男へと向かいながら、剣を鞘から解放する。


 この国に、野盗や強盗などは滅多に現れない。フリージアたちは様々な雇われ仕事をしてきたが、人間退治は未経験だった。オルディン相手の稽古は毎日欠かさず行っているが、他人とまともにやり合ったのは先日の襲撃の時くらいだ。


 人との真剣勝負の経験は乏しいフリージアだが、負ける気はしなかった。何故なら、オルディンが彼女に「大丈夫か」とは訊いてこなかったからだ。フリージアに勝ち目が無いとみれば、彼は「下がっていろ」と言う筈だった。


 ――オルディンが勝てると判断したなら、自分は勝てる。


 フリージアは柄を握る手に力を込めて、胸中でそう呟いた。


 細剣を提げて立つ彼女の前で、ゆっくりと長剣を構える男。

 予測通り、他の四人の男たちは彼女を完全に無視して、オルディン目指して駆けていく。


 彼らにはチラリとも目を移さず、フリージアは目の前の男だけに意識を集中した。

 得物は長剣――オルディンの大剣よりも、少し短い。フリージアは細剣だから、オルディンが言った通り、まともに打ち合えばあっという間に彼女の剣は折られてしまう。

 ここは、いつもオルディンとやり合う時と同じだ。オルディンの大剣とは幅も全然違うから、重さもずいぶん軽いだろう。けれど、剣の振りがオルディンよりも速いとは思えない。彼よりも速いとなったら、それこそ、目で追うのは不可能になる。

 体格も、オルディンの方が大きい。つまり、この男の間合いの方が近いということだ。オルディンとやる時は、彼の懐に入るのにフリージアはいつも苦労する。


 そんなふうにつぶさに観察をしていて、フリージアはちょっとした違和感に気付いた。


 殺気が、ない。


 野の獣と相対した時、漏れなく奴らは剥き出しの殺意を向けてくる。殺してやるという感情は、まるでいくつもの針のように、ピリピリと皮膚を刺すのだ。いつかの黒衣の襲撃者共は、目に見えるのではないだろうかと思うほどの殺気を漲らせていた。

 それが、この男からは感じられない。


 ――単に、殺気を封じ込めているだけ? それとも、殺す気はない?


 未熟なフリージアには、その二つを見分けることができない。できるのは、相手を倒した後に言葉で確認することくらいだ。


「行くよ」


 そう宣言し、彼女に剣の扱いを教えたオルディンと同じように、無造作に右手に剣を提げて距離を詰める。


 ヒュッと空気を切り裂き、最初の一閃を繰り出した。

 彼女のその剣さばきが、予想外に鋭かったのだろう。身を引いてそれをかわした彼の目が、一瞬にして鋭くなる。


 フリージアは、思わずニッと笑みを刻む。オルディン以外と剣を交えるのは、初めてだった。だが、彼との鍛錬の間に身にしみついたものが、思考を巡らせるよりも先に、彼女の身体を動かす。


 剣を持つ彼女の右腕を狙って繰り出された切っ先を避けざまに、フリージアは再び剣を突きだした――彼の右腕を狙って。彼の動きも早いが、オルディンに比べれば全然だ。

 猫の爪のように襲い掛かるフリージアの刃が、男の服を切り裂く、が、浅い。ジワリと滲んだ深紅の染みに、男が小さく舌打ちをした。


 フリージアは繰り返し剣を振るう。

 彼女の技は重くはない。その分、速さがあった。

 切り裂き、引く。繰り返し。

 男の長剣は、フリージアにはかすりもしない。完全に、彼女は男の動きを見切っていた。おそらく男もかなりの使い手なのだろうが、オルディンや野生の獣の動きには比べるべくもない


 防戦一方の男には、徐々に傷が増えていく。


 攻防は、いつまでも続くかと思われた。

 が、一際深くフリージアが踏み込んだ、その時。

 パッと男の手元で血しぶきが散る。


「ッ!」


 彼女の切っ先は、剣の柄を握る彼の手の甲を狙い違わず貫いた。腱は傷付けていないが、かなり深い筈だ。

 男が、剣を取り落す。すかさず、フリージアは彼の喉元に刃を突き付けた。


「殺せないだろう?」

 どこか馬鹿にしたような声で、男が言う。フリージアがその気になれば、一瞬で彼の首の血管を切り裂くことができる構えだ。にも拘らず、彼の目の中にはほんのわずかも怯えの色はない。それは、こんな少女が人を殺せる筈がない、と高をくくっているからなのか、それとも、また別の理由からなのか。


 もとより殺す気など更々ないフリージアは肩を竦めて返すと、すんなりと剣を納める。

「まあね。どうする、オル?」

 そうして彼女は肩越しに振り返り、自分の相手をとうに片付け終わって高みの見物を決め込んでいたオルディンにそう問いかけた。


 少し前から、気配には気付いていたのだ――『見物』というよりも、『観察』するような彼の眼差しにも。きっと、彼は自分の訓練の成果を確認していたのに違いあるまい。


「取り敢えずは縛っておけよ」

 そう言うと、オルディンは縄をフリージアに放り投げる。彼が来た方へ眼をやると、そこには縄をかけられた四人の男が転がされていた。


「手を後ろにやってよ」

 言いながらフリージアは男の背後に回る。そこで、まだ血を流している彼の手に気付いて眉をしかめた。

「動かないでよね」

 釘を刺しておいてから、腰に下げた袋から血止めの薬草と乾いた布とを取り出して、大雑把に手当てする。ごそごそと背後で動くフリージアに、男は怪訝そうな声をあげた。


「何をしている?」

「何って、怪我の手当てに決まってるじゃないか」

「何故」

「怪我してるからだろ? 何もなかったらしないよ」


 男の質問の意図が解からないフリージアは、至極当然なことを呆れた声で返す。その返事に納得したのかしていないのか、男はそれきり押し黙った。


 オルディンが彼に縄をかけ、他の四人のもとへと引っ立てる。フリージアも彼の後に続いて四人の近くに寄ってみると、彼らは皆意識を失っていた。


「どうしよう、七人もスレイプに乗せるのは無理だよね」


 羊泥棒五人を前に、フリージアは首をかしげる。まさか、こんな結果になろうとは思っていなかったのだ。


「俺がこいつらを見ているから、お前はあいつで一度村に戻れ。村長に言って馬車を手配してもらえ」

「ん、わかった。じゃあ、待ってて」


 オルディンが差し出した竜笛を受け取りながら、フリージアは力強く頷く。スレイプはすぐ近くで待っていたのか、笛の一吹きで姿を現した。


「すぐ戻るよ。気を付けてね」

「いいから、さっさと行け」


 気遣ったのにシッシッと手を振られてフリージアはムッとするが、オルディンの言う通り早いところ迎えを連れてくる方が先決だ。


「じゃあね!」

 一声言い置いて、手綱を握った。


 独りきりで空に戻り、フリージアには考えることに割く時間が訪れた。


 彼らは、いったい何者なのだろう。このグランゲルドでは、犯罪行為を見ることはごく稀だ。他人の物をくすねようという者は、滅多にいない。


 フリージアの素性を報せた、老将軍の訪問。

 これまで見たことのなかった、盗人の出現。


 この国には、何かが忍び寄りつつある。それは、まだ明白なものではない。けれど、平和この上なかったこの国を、確かに何かが侵し始めているのだ。


 フリージアは小さくため息をつくと、晴れ渡った空を見上げた。


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