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ジア戦記  作者: トウリン
第三部 角笛の音色と新たな夜明け

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雌雄を決する時

 一歩一歩着実に近付いてくるニダベリルの王を、フリージアも足を止めることなく見据えた。体躯はオルディンと並ぶほど屈強で、その一挙手一投足から他者を圧倒する何かが放出されている。同じ『王』だというのに、フレイと相対する時は包み込まれるような柔らかな温かさを感じるが、アウストルからは、触れることを拒絶するような、全てを跳ねのけようとするような力を感じた。


 フリージアはゆっくりと息を吸い、吐いて、剣を抜く。

 見ればアウストルもその手に剣を携えていた。それは、ロキスの扱う得物とよく似ている。フリージアの長剣よりも大きく、オルディンの大剣ほど大振りではない、両刃の剣。


 無言のままに近付いて、どちらからともなく、互いに五歩ほど離れたところで足が止まる。一、二歩の跳躍で相手の懐に飛び込めるだろう距離だ。フリージアのすぐ横には、横倒しになった投石器の残骸がある。


 その距離まで近付いて初めて、フリージアはアウストルの目の奥を覗き込んだ。

 それは、暗さを帯びた深い緑色――ニダベリル王のその目は、まるで新月の夜の沼のようだ。


 ――やりにくいな。

 フリージアはこっそり独りごちる。

 こんな小娘が生意気なことを吹っかけてきたことに対する憤りや侮り、そういった気持ちが見えてくれれば対処方法が選べるのだが。

 挑発するのは、意味がない気がする。イアンのようには乗ってこないだろう。かといって、慎重に隙を窺っても、そう易々とは晒してくれないに違いない。

 立ちはだかるニダベリルの王を、フリージアは睨み据える。


 彼が最終的に望んでいるものは、果たして何なのだろう。

 戦って相手を屈服させるという権勢欲を満たし、そうすることで他者に己の力を示すことだろうか。

 それとも、豊かな実りを得られる肥えた大地を手に入れ、民に安定をもたらすことだろうか。

 前者はフリージアには与えることはできないし与えるつもりもないが、後者なら叶えられるかもしれない――彼女がアウストルに敗れることではなく、勝利することで。


 いずれにしても、彼に勝たなければ話にならない。


 フリージアは決意を更に固くする。

「あなたが力しか信じないというのなら、あたしもあなたと同じ側に立ってやるよ。でも、それであたしが勝ったら、今度はあなたをあたしの側に引っ張り込んでやるから」

 彼女のその宣言に、アウストルは唇を歪めただけだ。

 彼には彼の、勝たねばならない理由があるのだ。フリージアのような子ども相手でも、決して手は抜くまい。無言で放たれる闘志がそれを物語っている。

 どうしてもフリージアを傷付けられないオルディンとは違う。彼女自身もアウストルの命を奪う覚悟でかからねば。

 そう自分に言い聞かせて剣の柄を握り直した時だった。


 刹那、気合の一つも発することなく、唐突にアウストルが動く。

 ただ、一跳び。それだけでフリージアと彼を隔てていた距離はなくなった。


 空気を切り裂く唸りをあげて、アウストルの刃がフリージアの首を狙う。咄嗟に頭を下げた彼女のすぐ上を銀閃が薙いでいく。その気配に、フリージアのうなじの毛が逆立った。

 振り抜かれたアウストルの剣は、そのまますぐ傍にあった投石器の一部を叩き折る。砕かれた支柱から飛び散る木端がフリージアの上に降りかかる間を与えず、彼女は屈んだまま横っ飛びに距離を取った。

 剣捌きはロキスとよく似ている。だが、その速度と力はオルディンに匹敵しそうだ。まともに食らえば骨を砕くだろう。

 フリージアが体勢を整えるだけの余裕を与えず、アウストルが身体を捻って再び彼女に迫る。

 縦に横に繰り出される剛剣を、フリージアは紙一重でかわしていく。かすりでもしたら、その風圧で肉が裂けそうだった。

 投石器を盾にしてみても、アウストルの剣速は全く鈍らない。障害物も構わず砕き、フリージアを執拗に追う。


 逃げながら、フリージアはアウストルの剣を読み続けた。彼の手の振り、腰の捻り、足の踏み込み、それらを冷静に吸収していく。

 ザッと、土を蹴立ててアウストルが踏み込んだ。水平に走る刃。

 フリージアの胸の辺りを狙ったその切っ先を彼女は一歩後ろに引いてかわし、間髪容れずに前に跳ぶ。そうしながら、空いた彼の脇腹を狙って剣を繰り出した。


 が。


 返ってきたのは、鋼鉄同士がぶつかる音。そして、手の痺れ。

 フリージアの攻撃は、瞬時に切り返したアウストルの剣によって妨げられる。しかし、彼女にもそれは予想の範囲内のことだ。

 跳ね返される直前に力を逃したフリージアは、体勢を崩すことなくアウストルの追撃が来る前に後方へ跳び退(すさ)った。


 再び、二人の間には互いの切っ先が届かぬ距離が生じる。


 やはり、正攻法ではアウストルに一撃を食らわせるのは難しいようだ。

 がむしゃらに攻撃を繰り出しても、体力を消耗するだけで実を結びそうにない。


 ――さて、どうしよう?

 フリージアは自問しながらチロリと上唇を舐める。


 一瞬考え、彼女は意を決した。


 短く一呼吸。

 そして、一気に飛び出した。


 アウストル目がけ、息もつかせぬ速さでフリージアは攻撃を重ねていく。彼の背が高いだけに、低所を狙う方が効果的な筈だ。だが、それらはことごとく阻止される。

 二人の動きに一瞬たりとも乱れはなく、その攻防は殆ど舞いのようだ。剣と剣がぶつかる音が、伴奏さながらに律動的に響き渡る。

 明らかに体格の違うフリージアがアウストルの剛剣を受け止められるのは、彼女の『力』ではなく『技』故であった。絶妙な間を読んで、彼の剣を弾かなければならない。


 フリージアは全身の神経を目の前のアウストルに集中させる。

 今、この時、世界には彼と彼女の二人きりしかいないかのように。

 ある種の一体感のようなものが両者を包む。


 と。


 不意に、何の感情も映し出していなかったアウストルの目が、和らいだ。


 ――笑った……?

 それは、嘲笑ではなかった。ごく自然な、楽しくて、つい漏れ出てしまった――そんな笑み。

 フリージアのわずかな戸惑いは、彼女の動きを狂わせる。


 ――しまった。

 そう思った時には遅かった。


 一際大きな金属音が、辺りの空気を震わせる。

 フリージアの手に残ったのは、痛みを伴うほどの痺れのみ。

 弧を描いて弾き飛ばされた彼女の剣は、二人から離れた場所に落下する。

 とっさにトンボを切って、フリージアはアウストルと距離を取った。

 フリージアと、彼女の剣と、そしてアウストルは、きれいな三角形を描く。


「降参するか?」

 戦端を開いてから初めて、彼が声を発した。切っ先をフリージアに向けたまま、そう問い掛ける。彼女はそれに、艶やかな笑みと共に返した――簡潔に、明瞭に。

「まさか」

 そして、チラリと、地面に転がったままの己の剣に目を走らせる。

 フリージアがフッと微かに身体を揺らすと同時に、彼女が剣を取りに走ると読んだアウストルも動いた。


 が、しかし。


 アウストルの重心がわずかに傾いた瞬間、フリージアは剣ではなく彼に向けて地面を蹴る。一歩目が地に着かぬうちに、彼女は背に回した右手で腰に潜ませておいた短剣を抜き放った。

 短剣の刃渡りは、フリージアの腕の長さの半分弱というところ。アウストルの長剣を比べれば玩具のような代物だが、紛れもない刃だ。

 フリージアの動きに気付いたアウストルが、即座に彼女に向き直った。彼の長剣が閃き、フリージアに肉薄する。


 直後右腕に走った、焼け付くような感覚。

 フリージアを一太刀で二つに切り分けようとしたその刃は、しかし、わずかに遅かった。逸早くアウストルの懐に跳び込んだ彼女の上腕を削ぐにとどまる。

 痛みの強さが傷の深さを知らせてくるが、フリージアはより一層強く短剣の柄を握り締めた。そして、体当たりするようにそれをアウストルの身体に刺し込む。


 右の胸、アバラとアバラの間。

 下から上へ向けて突き刺した鋭利な刃は、一瞬にして全て彼の中へと埋まる。


「グッ」

 呻き声を噛み殺してアウストルがフリージアの襟首を掴む。引きはがされぬうちに、彼女は先端に弧を描かせるようにして、短剣を捻った。

 プツプツとフリージアの手に伝わってくる、細かな泡を潰していくような感触。その切っ先が心の臓に届く前に、止める。


「動かないで。死ぬよ」

 彼女を掴んだその手に力を込めたアウストルを見上げ、短く制した。その言葉が偽りではないことが知れたのか、彼の動きがピタリと止まる。

 フリージアは短剣の柄を握る手に込めた力を緩めることなく、アウストルに命じる。


「ゆっくりと、膝をついて。そろそろ息苦しくなってきたでしょ?」

 アウストルは爛々とその深緑の目を光らせながらフリージアを睨み付けてきたが、彼女の台詞は図星な筈だ。やがて、その指示に従った。途中で小さく咳き込み、口元を拭った手に鮮やかな赤色を見て眉をしかめる。

 彼に向けて口を開こうとして、フリージアの視界の隅に、こちらに駆けてこようとしているニダベリルの将軍二人が入り込んだ。


「それ、抜いちゃダメだよ? 死にたくなかったらおとなしくしてて」

 胸に短剣を突き立てたまま地面に横たわったアウストルにそう言い含め、フリージアは再び立ち上がり、彼らに向けて言い放った。

「来ないで! アウストル王はまだ生きている。でも、それ以上近寄るなら、すぐに息の根止めるよ!」

 まだ年端もいかない少女のその声がこけおどしではないことを察したのか、二人の足がピタリと止まる。それを確認して、フリージアは再びアウストルへと目を戻した。


「あたしの勝ちだよね?」

 無意識のうちに斬られた右腕を左手で押さえながら、フリージアは確認する。いや、それは宣言と言ってもいい。腕は痛み、左手の指の間を伝うヌル付きは気持ち悪かったが、彼女はにっこりと笑って見せた。

 激しい戦いの後で、しかも軽くはない怪我を負っているにも拘らずあっけらかんとしたその笑顔に、アウストルは一瞬微かに目を見開くと、再び渋面になった。


「ああ」

 声を発するのも苦しいらしく、彼は短く答える。

「後で、やっぱ負けてないっていうのは、ナシだよ?」

「そんなことは言わん!」

 自尊心を傷つけられたのか、息も絶え絶えだろうにアウストルは語気荒くそう断言した。フリージアはそれに深く頷くと、クルリと身を翻して二人の戦いを見守っていただろうグランゲルド勢に向き直る。

 見れば、オルディンとバイダルは随分こちらの方に近付いてきていた。バイダルがオルディンの腕を掴んでいるのは、戦いに割って入ろうとしたのを止めていた為か。


「オル!」

「お前、腕!」

 距離があっても、オルディンの血相が変わっているのが見て取れた。バイダルの拘束を振り払ってこちらに駆けてこようとしている彼に、フリージアは慌てて手を振って追い返す。

「待って、待って! エイルを連れてきて!」

 オルディンはハタと気付いたように後ろを振り返ったが、フリージアの言葉にバイダルが応じて動き出したのを目にして、再び彼女の元に走ってくる。

 遥か後方に人を送らずとも、エイルは、すでにそこにいた。誰が報せたのか、屈強な兵士の間に、エイルとラタ、それにソルもいる。目が合った、と思ったら三人の姿は掻き消えて、直後、フリージアの隣に現れた。


「やぁ」

 何事もなかったかのように、フリージアは三人に向けて声をかける。

 彼女の笑顔にソルもホッとしたように口元を緩めたのも束の間、血が滴る右腕に気付いて小さな悲鳴を噛み殺した。紅潮していた頬から、サッと血の気が引く。

「フリージア、それ――!」

 すかさず無言で手を伸ばしてくるエイルを、フリージアは遮る。

「あたしはいいよ、大丈夫」

 にっこり笑って見せて、彼女はエイルの両肩に手を置いた。右腕を持ち上げるのは難儀だったが、苦痛を奥歯で噛み潰す。


「あの人を見て」

 言いながら、フリージアはアウストルを振り返る。そしてエイルに目を戻すと、その白銀の頭を訝しげにかしげて返した。濃い銀色の目を覗き込みながら、フリージアは説く。

「あの人はニダベリルの王様だよ。これから、ニダベリルとグランゲルドは一緒に歩んで行こうと思ってるんだ。あの人は、その国の大事な人」

 エイルはフリージアの言葉にジッと耳を澄ませている。その視線をしっかりと捉えながら、彼女は続けた。


「放っておいたら、あの人は死ぬ。そうすると、ニダベリルはぐちゃぐちゃになっちゃうかもしれない。グランゲルドと仲良くするどころじゃ、なくなっちゃうかもしれないんだ」

「……フリージアは、このヒトをエイルに治して欲しい?」

 エイルがアウストルに視線を移してそう訊いてくる。フリージアはそれにかぶりを振った。

「ううん、あたしはどっちでもいいよ」


 だが、その言葉は嘘だった。

 今、ニダベリル国内が混乱すれば、グランゲルドと共存など夢のまた夢だ。ニダベリルが落ち着くのを待つうちに一時的な和平協定は終わりを迎え、いずれまた、グランゲルドや他の国に手を伸ばし始めるのだろう。再び一からやり直しになる。


 フリージアは、そんな事態は嫌だった。だから、アウストルを生かしておきたい。さっさと、未来への礎を築いてしまいたかった。

 だが、エイルに向けて「助けて欲しい」とは決して言わない。

 エイルには、もう色々な物事を考えられるだけの頭がある。

 フリージアの為ではなく、ちゃんとエイルが考えた上で決めて欲しかった。


「このヒトを治すことは、グランゲルドを治すのと同じ? そうしたらグランゲルドを護れるの?」

「多分、そうなる」

 エイルの問いに、フリージアは頷く。エイルは思案するように唇を引き結んだ。

 もしもアウストルの命が助かったなら、たとえ彼が渋っても、首根っこを押さえこんででも彼女が描く未来図の中に彼を引きずり込むつもりだった。たった十年の平和など、フリージアには意味がない。それを足掛かりにして、百年、二百年の平和が欲しいのだ。


 エイルが一つ瞬きをする。ふと顔を上げて周囲を――グランゲルドの大地を見回し――しげしげとアウストルを見つめた。そして、彼の元に歩み寄り、ひざまずく。

 エイルはアウストルの全身にザッと目を走らせると、無造作に短剣を抜き去った。


「ッ!」

 傷口からは一気に血が溢れ出し、アウストルは唇を噛み締める。そんな彼を全く労わる気配なく、エイルが両手を上げる。横たわる大きな身体にエイルがその小さな手をかざすと、二人を柔らかな輝きが包み込み始めた。

 その様を見守るフリージアの右腕が、そっと取られる。途端にそこから全身に走った痛みに、彼女は思わず呻き声を上げそうになった。だが、ここでフリージアが痛みを訴えれば、エイルはアウストルなど即座に放り出してしまうだろう。


 フリージアは咄嗟に唇を噛み締め、痛みを思い出させた張本人を睨み付ける。

「オル、痛いって」


 だが。


「お互い様だ」

 囁き声での文句にムッツリと呟き返され、彼女はそれ以上は何も言えなくなる。血に塗れたフリージアの袖を裂き傷をあらためるオルディンの顔は、彼女よりもよほど強い苦痛にさいなまれているかのようだった。

 フリージアの腕に黙々と清潔な布を巻き付けていくオルディンに、彼女の胸は腕の傷よりも痛む。その痛みは、胃の底を掴まれるような苦しさも伴っていた。


「……ゴメン」

 短く、だが万感の想いを込めて、フリージアは囁く。

 消え入りそうなその声は確かにオルディンの耳に届いたようで、彼はふと手を止めた。そうして、身を縮めた彼女をジッと見つめてくる。やがて彼は強張っていた口元を微かに緩めると、小さなため息を漏らした。


「オル?」

「お前が死んだら、俺を殺すことになるんだからな?」

 冗談なのか、本気なのか、何とも判別し難い声音で、彼はそう言う。だが、オルディンはそう簡単には殺されやしないだろう。


「そんなことにはならないよ」

 眉をひそめて答えると、彼はもう一度ため息を漏らし、片手を伸ばしてフリージアの赤毛をクシャリとかき回した。


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