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ジア戦記  作者: トウリン
第三部 角笛の音色と新たな夜明け

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混戦

「どうかな、こっちに来る人、いると思う?」

 四度(よたび)目にニダベリル軍を前にして、フリージアは真正面を見据えたまま、隣に控えるロキスにそう問い掛ける。

「さあな。来たい奴は多いだろうが、実際来られる奴はどれほどのもんかな。今を変えるのが怖ぇって奴は結構いるんじゃねぇの? ある意味、こっち側は未知の領域だしよ」

「まあ、そうだよねぇ……」

 ため息混じりにそう言ったフリージアに、ロキスはどこか愉しむ響きを滲ませた声で問い返す。

「それより、お前は不安じゃねぇのかよ。『転向者』の誰かがあっちに漏らしてたら、これ幸いとばかりにうようよ裏切り者を送り込まれるぜ? 守ってやるつもりで引き入れたら敵の塊でしたって羽目になるかもな」

 フリージアも、当然その危険は考えた。もしも懐に入り込まれたら、グランゲルドの守りは一気に瓦解する。だが、この目論見が成功すれば大きく形勢を変えられることもまた、事実なのだ。


 何か変化を与えて、グランゲルド側はまだまだやれるということをニダベリルに見せ付けてやりたい。


 フリージアは首を傾けて橋の向こうに居並ぶニダベリル軍からロキスへ目を移す。ニッと笑いながら、答えた。

「まあね、そこは、ほら、ロキスを信じてるから」

「何で、オレだよ?」

「ロキスが声をかけてきたのは、ロキスの仲間なんでしょ? だったら、その人とその人の仲間のことも信じるよ。誰も情報を漏らしちゃいないって」

 フリージアの台詞に、ロキスは口をつぐむ。そして、世にも奇妙なものを見るような眼差しを彼女に注いだ。まるで自分が珍獣にでもなった心持ちがして、フリージアは少し顎を引いてロキスを見返した。

「何? どうしたの?」

「いや、別に。オレも気を入れてかかろうかと思ったんだよ」

「え、いいよ、ロキスはもう休んでなよ。傷が開くよ?」

 ふと彼の脇腹のことを思い出して、フリージアは眉をひそめる。だが、ロキスは首を振った。そして彼女の提案とは真逆な要求を突き付けてくる。


「そのことなんだけどよ、オレを先頭に立たせてくれねぇか?」

「先頭って?」

「一番目立つところに行かせてくれよ。あいつらの目にすぐ入るように」

 ロキスが言うことは、即ち、黒鉄軍よりも前に立つということで。

 フリージアは首がもげんばかりに激しく頭を振った。その勢いで即座に彼の言葉を却下する。

「そんなの、絶対ダメだって! 危なすぎるよ!」

 重装備の黒鉄軍ならいざ知らず、軽装で押し寄せてくる大群の矢面に立とうなど、無謀過ぎる。だが、ロキスは譲らなかった。


「オレがグランゲルド軍にいる姿を見たら気が変わるのが出てくるかもだろ? 奴らが橋を渡りきる頃には後ろに引っこんどくさ」

「でも……」

「あんたは『でも』が多いよな。これが成功したら無傷であっちを減らせるだろ? あんたにゃそれが一番だろが」

 呆れたようなロキスの声。フリージアはそこに含まれたものに、気付く。もしかしたら、彼はフリージアのことを気遣っているのだろうか、と。それがニダベリルの民かグランゲルドの民かに拘わらず、血が流れることを厭う彼女のことを。

 だが、それを確かめる間もなく、彼の中指で額を弾かれた。


「ぃたッ!」

 抗議の声を上げようと口を開いたフリージアの耳に、この三日間で鼓膜に馴染んでしまった音が対岸から届く。ハッと顔を上げた彼女の肩をロキスが小突いた。

「おら、始まるぞ。さっさと定位置に戻れよ。お前にゃお前の仕事があんだろ」

「……わかった。けど、ホントに絶対に無理はしないでよ。約束してよ?」

「はいはい」

 念押しを繰り返すフリージアに、ロキスは片手を振って返す。

 橋の向こうでは砂煙が立ち始めており、それ以上グズグズしている暇はなかった。


「死ぬ気で生き残ってよね」

 そう言い残し、フリージアは手綱を繰って紅竜軍が控える後方へと走る。

 フリージアが紅竜軍の前に立ったのと最初の鋼の音が響いてきたのとは、ほぼ同時のことだった。



   *



 ヴァリはまだ迷っていた。

 もう二十年近く、自らの意思で何かを決めたことはないのだ。

 ニダベリル軍の中での暮らししか、知らない。

 命じられるがままに剣を振るうしかなかった彼にはそれまでの全てを捨てた先にあるものなど、まるで想像できなかった。


 隊列の最前列に並ぶ者は皆、『転向者』達だ。少なくともグイ大隊にいる者には、昨夜のうちにロキスの言葉が伝えられている筈だったが、彼らがどう考えているのかは判らなかった。ただ話を広めただけで、それについて話し合うことはしていなかったから。

 上からのお達しは何もなかったから、グランゲルドからの提案を正規軍の誰かに漏らした者は一人もいなかったのだろう。

 だからと言って、皆が皆、出奔したがるとも思えない。

 誰か一人が動けば、決壊するように次々に後に続くものが出てくるかもしれないが、その最初の一人になるには、かなりの勇気がいる。


 ヴァリには、その一人に自分がなれるとは思えなかった。


 ――どうしよう。


 剣の柄に手を置いて、彼は唇を噛む。

 そうやって、ヴァリが自分の意思も他の者の考えも定められぬままでいるうちに、突撃の角笛が吹き鳴らされる。

 殆ど条件反射のように、ヴァリは駆け出していた。血気盛んな騎馬兵達が足の遅い歩兵を追い抜いていく。

 彼が心を決めるのに充分なほどの長さは橋になく、グランゲルド軍は見る見るうちに近付いてくる。先に戦線に到達した騎兵たちは、すでに敵兵へと群がっていた。ヴァリはどうしようもなく剣を抜く。


 やはり、無理だ。戦うしかないのだ。


 ヴァリがそう思った時だった。

 ニダベリル軍の漆黒、グランゲルド軍の重装歩兵の黒銀の間に、紅いものが見え隠れする。それはグランゲルドの騎馬兵の色の筈だ。いつも、情勢をある程度見極めてから、慎重に戦いに参入してきていたのに。


 ――何故、単騎で?


 訝しんだヴァリは、次の瞬間目を見張る。


 黒髪に鮮やかな剣捌き。

 赤い竜が描かれた胴体だけを覆うその鎧を身にまとっているのは――ロキスだった。彼がその色の鎧を身に着けている姿は、昨日も見た。だが、今、同じ色の者はいない。何故、独りで戦闘の真っ只中にいるのか。


 重装歩兵よりも遥かに軽装の彼に、ニダベリルの騎兵が次々と向かっていく。ロキスはそれを捻じ伏せながら、その場に留まり続けていた。


 ――俺達の為か。


 ヴァリは不意にそう理解する。

 グイ大隊の中で、ロキスは知られた存在だった。そして今、誘いをかけてきた者が彼であることは『転向者』中に広まっている。それが真実であることを裏付けする為に、ロキスはその身を晒しているのだ。


 その瞬間、ヴァリは心を決めた。


 手にした剣を、近くの騎兵に投げ付ける。グランゲルドの兵士ではなく、ニダベリルの騎馬兵に。

「貴様、何を!?」

 仲間と思っていた者からの仕打ちにそのニダベリル兵は一瞬目を剥いたが、周囲で次々と同様の動きが見られ始めると慌ただしく前後左右に視線を巡らせた。

「貴様ら……!」

 憎々しげにそう呻き、ヴァリに向かって剣を振り上げる。それを防ぐ為の得物は、もう手にしていない。


 ――結局、ここで終わりか。


 不思議と、心は凪いでいた。どこかの民の命を奪いながらでは、こんなふうには逝けなかったかもしれない。

 騎兵の刃がその身を貫くのを、ヴァリは従容として待った。


 が。


 痛みの代わりに彼の耳を貫いたのは、鋼と鋼がぶつかる音。続いて、罵声。

「このボケ! 何を呆けてやがるんだよ!? さっさと奥に行きやがれ!」

「ロキス……」

 グランゲルド兵の剣を受けながら赤い眼差しを向けてくる男を、ヴァリは目を開いて見上げる。

「早くしろ!」

 怒鳴り声に鞭打たれたように、ヴァリは身を翻して駆け出した。黒銀の鎧を身に付けたグランゲルドの重装歩兵は、その脇をすり抜ける彼に目もくれない。


 ヴァリは走った。

 走ることにこれほど真剣になったことは、今までなかった。


 やがて、黒銀の甲冑の姿が無くなる。

 それでも、走ることは止めなかった。


 途中、一人の少女に率いられ、一斉に押し寄せてくる赤い装束の騎馬兵と擦れ違う。彼らもまた、ヴァリ達に構わず、一散に戦場へと駆けていく。

 ヴァリは息が切れても走った。胸が焼け付くような痛みを訴えても、まだ走った。

 その苦しさに、彼は生まれて初めて自分が『何か』をしているという実感を得る。

 いつしか剣戟の響きは遠くなり、ようやくヴァリは足を緩めた。ふと気付くと、戦いの最中さなかを通り抜け、数人のグランゲルド兵が佇む前まで辿り着いていたのだ。まだ若い、子どものような兵士と、他数名。


 立ち止まったヴァリの周りに、他の『転向者』達が寄ってくる。

「ヴァリ!」

「ベリング、無事だったのか」

「ああ、グランゲルドの兵士に助けてもらった」

「そうか……俺もだ。俺は、ロキスに助けられた」

 ヴァリの言葉に、ベリングが笑う。

「あいつ、戦ってたな。ニダベリル兵を相手に、やっぱり強いや」

「そうだな」

 ロキスの姿を目にした者は、多いのだろう。その場には、続々と武器を手放した『転向者』達が集まってくる。

 出奔した者は、かなりの数に上っていた。たった一晩で広めた話に、これほどの者が乗ったのだ。


 少なくはないだろうと思っていた。だが、これ程とは。

 ヴァリの隣のベリングも、呆気に取られた顔で黒山を見つめていた。

 そんな彼らに、年若の兵士がにこやかに呼び掛ける。

「皆さんがニダベリルからの亡命者ですね? 僕はウル、ウル・サージです。ようこそ、グランゲルドへ」

 ウルと名乗ったグランゲルド兵は、馬上から少し背伸びをするようにしてグルリとヴァリ達を見渡す。

「百五十名ちょっと、というところでしょうか? 予想よりも多かったな……まあ、何とかなるか。では、皆さんこちらへどうぞ」

 手を差し伸べられて、ヴァリは「ああ、やはり」と若干の落胆を覚える。やはり、ここでも自由を奪われるのか、と。だが、戦時に敵側からやってきた者を放置するわけにもいくまい。当然といえば当然のことだ。


 だが、ヴァリの心中を察したらしいウルは彼に向けて笑みを深くする。

「違いますよ、拘束するわけではありません。ただ、戦いが終わるまで一ヵ所に集まっていてもらうだけです。別に、縛ったり檻に閉じ込めたりはしませんよ。まあ……一応、『見張り』は付けさせてもらいますが」

「ああ……それは、受け入れる。信用してくれとは言えないからな」

「すみません。ロウグ将軍が戻られるまでは辛抱してください」

 敵か味方かもまだ判らないだろうに、本当に申し訳なさそうに、ウルは頭を下げた。そうして、更に後方へとヴァリ達を導く。


 やがて、ウルが足を止める。

「では、後は彼らの指示に従ってください」

 癖毛の少年兵は、そう言うと手で『彼ら』を示した。


 ――え?


 思わずヴァリは目を疑った。

 さぞや屈強な男達が待ち構えているのだろうとついていった彼らの前に現れたのは、三人の子どもと、怪我を負った兵士が数人だったのだ。見張りにしては、いささか心許ない面子だろう。到底、看守役には見えない。


 拍子抜けしたのはヴァリだけではなかったようだ。ベリングが肘でヴァリを小突いてくる。

「何であんな子どもが戦場にいるんだろう?」

「ああ……」

 戸惑う『転向者』に、ウルは朗らかな笑みを浮かべながら告げた。

「彼らが皆さんのお世話をします。何かあったら仰ってください。では、また後ほど」

 そう言うと彼は一瞬を惜しむように馬首を巡らせて、他のグランゲルド兵達と共に戦場へ戻っていく。後に残されたヴァリ達は、互いに顔を見合わせた。

 そんな彼らに、子どもの一人が歩み出る。不思議な朱銀色の髪を揺らして『転向者』達の前に立ち、胸を反らせて告げた。


「わたしはソル。こっちはエイルにラタ。見た目が子どもだからって、甘く見ないでね?」

 せいぜい五歳ほどにしか見えないソルと名乗ったその幼女は、甘い笑みを浮かべて釘を刺してくる。そんな彼女に、つい、ヴァリは尋ねてしまう。

「こんな子どもを見張りにとは……本当に拘束しなくていいのか?」

 彼の問いに、ソルはロキスよりも鮮やかな緋色の目をパチリと大きく瞬きさせると、首をかしげた。

「フリージアはロキスを信じてる。だから、フリージアはロキスが引き込んだあなた達も信じてる。彼女は信じた相手を縛ったりなんてしないわ。でも忘れないで。フリージアを悲しませたら、わたしが赦さないわよ?」

 その台詞と共にヒュッと小さな火の玉が周囲を駆け巡った。


「うわっ!?」

 ベリングが身を竦めて頭をかすめそうになったそれを避ける。

「エルフィア……」「エルフィアだ」

 ざわめきと共に、目の当たりにした異能に畏怖を含んだ囁きがあちらこちらでざわめき立つ。


「ね? 甘く見ないでねって、言ったでしょ?」

『転向者』達の視線を一身に受けて、ソルはにっこりと笑った。



   *



 前線が、にわかに騒がしくなる。

 ニダベリル軍が橋を渡りきったようだ。

 だが、明らかにいつもと動きが違っている。両軍は中央で揉み合っているように見えた。いつものように戦いが広がっていかない。


「ロキスの説得が効いたのかな?」

 フリージアの問いに、オルディンが頷く。

「どうやらそのようだな。どうする? もう少し様子を見るか?」

 黒鉄軍に混乱や押されている気配は見えない。

 ほんの少し考えて、フリージアは首を振った。


「ううん、行こう。こっちに逃げてくる人を助けないと。黒鉄軍だけじゃ、守りきるのは無理だ。一人たりとも、失わせやしないよ」

 そうして顔を上げ、スラリと剣を抜き放つ。


「第一陣、第二陣、出撃! 一番の目的は、武器を捨てたニダベリル兵を助けること!」

 その掛け声と共に手綱を振るった。と、即座にオルディンが隣に並ぶ。

「ちょっと、待て、お前も行くつもりか?」

「ごめん、ロキスが心配」

「お前な」

「先行くよ!」

 オルディンの小言に取り合っている暇はない。グッと馬の速度を上げて彼を引き離す。

 途中、手に何も持たないニダベリル兵とすれ違った。彼等は懸命に駆けている。


 ――守らないと。


 国を裏切るように唆したのは、フリージアだ。彼等を守る義務が、彼女にはあった。それを他人任せにするわけにはいかない。

 黒鉄軍の間を縫って、その防衛線の前へと躍り出る。今まさに、剣を捨てた自軍の歩兵襲い掛かろうとしていたニダベリル兵の剣を打ち払った。


「早く奥へ行って! 重装歩兵の間に逃げ込んで!」

 ニダベリルの騎兵は全て正規兵の筈だ。『転向者』とやらではない。歩兵にはうかつに手を出せないから、取り敢えず目についた騎馬兵へと剣を振るう。

 手綱を繰りながらではいつものようには動けなかったが、フリージアは馬を自在に操りニダベリル兵を切り伏せ、馬上から叩き落としていった。


 不意に、すぐ横で甲高い金属音が響く。


 チラリとそちらに目を走らせると、フリージア目がけて突進しようとしているニダベリル兵を二人まとめて薙ぎ払うオルディンの姿があった。

 ニダベリル兵の中には混乱と戸惑いがある。今なら、なし崩しに撤退に持ち込むのは容易な事だろう。ここは全力で押し切るのだ。


「行け! 一気に片を着けるんだ!」


 フリージアの鼓舞に、そこかしこから彼女に応じるときの声が上がる。目に見えんばかりに沸き立つグランゲルド軍の士気。


 次々と離脱していくニダベリルの戦力に、グランゲルドはより一層勢いを増していった。



   *



「王! 『転向者』共が寝返っております! あの恩知らず共が!」

「『転向者』が? ……そうか」

 アウストルの天幕に飛び込んできたイアンが、眉を逆立ててそうまくしたてる。まるでいつもの戦況報告を耳にしているような王の反応に、イアンの額にはくっきりと青筋が浮かんだ。

「そうか、ではありませぬ! 前線は大混乱ですぞ!? ダウ大隊を出してください。このままでは――」

「それほどの数か?」

「――かなりの数です」

 胡坐をかいて頬杖をついたアウストルの問いかけに、一転勢いを失ったイアンが気まずそうに頷く。『転向者』には牙を与えてはいたが、従順な羊のような存在の筈だったのだ。それが今やまるで翼を得たかのように、次々と離反していっている。


 これは、何の予兆なのか。


 表情には出さぬまま、アウストルはこの事態について考える。

 裏切り者どもが何を考えているのか、さっぱり理解できなかった。

 ニダベリルがグランゲルドに敗れると思ったのだろうか。それとも、勝敗が決した後には処刑されることになるのも厭わずに、束の間の自由を求めたのか?

 いずれにせよ、兵達の結束が揺らいでいることには間違いなかった。橋の向こうではまだ戦闘が繰り広げられている筈だが、これで生じた兵達の動揺は致命的かもしれない。


 ――まずいな。


 アウストルの心中に、予感めいた危惧が飛来する。

 兵の数が減ったことではなく、離反者が出たということが問題だった。戦って命を落とした者が出たのなら、復讐心を煽ることでむしろ兵達を鼓舞することができる。だが、ニダベリル軍を見限った者が出たとなれば、話が違う。士気を大きく減じかねない。


 控えていたフィアルが、眉根を寄せてアウストルを見つめる。

「王、そろそろご決断を。投石器の用意は整いました。急がせましたが、整備は万全です。問題なく使用できます」

 ただの報告以上の熱意を込めて、フィアルがそう告げた。それに答えぬ王に、彼は眉間の皺を微かに深める。


 ――アレを使うしか、ないのか。


 状況を考えれば、それが最善だ。


 だが。


「王? 何をお迷いです?」

 問われて、アウストルは自問する。これは迷いなのだろうか、と。

 確かに迷っているのかもしれない。確かに、過去の感傷に囚われ、今必要な決断を鈍らせていた。

 腿に爪を立てて、アウストルはその痛みを感じる。自らを目覚めさせるように。


「……兵を撤退させろ」

「では?」

「投石器の準備だ。火薬玉も全て出せ」

 彼のこの(めい)で、グランゲルド軍は――あの女将軍は打ちのめされるだろう。二度と立ち上がれぬほど、完膚なきまでに。

 そこには、公平さなど微塵もない。

 だが、そもそも戦に公平さなど必要ないのだ。重要なのは、どちらが勝つかということ。ただ、それだけだ。手段ではなく、結果だけが物を言う。


「直ちにだ。今日中に片を着ける」

 アウストルの宣言に、将軍二人が背を伸ばす。


「は!」


 一礼して天幕を出て行くイアンとフィアルの背を見送り、アウストルは小さく息をつく。気付けば、両腿には血がにじんでいた。


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