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ジア戦記  作者: トウリン
第三部 角笛の音色と新たな夜明け

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ロキスの提案

 夕食前のフリージアの天幕には、彼女の他にビグヴィルとスキルナの両将軍、バイダルにオルディン、ロキスと、彼の希望でラタも呼ばれていた。

 各軍の戦況報告がそれぞれの将軍の口からなされる。その日、グランゲルド側に出た死者は二名だった。いずれも紅竜軍で、右翼の第三陣として出撃していた兵士達だ。軽装で接近戦を行う紅竜軍は、どうしても手傷を負う者が多くなる。他にも数名重傷者がいて、今も医師達が懸命に手を尽くしているところだ。

 戦いで人が死なぬ筈がない。それは自明の理だが、それでもその結果に空気はぐんと重さを増した。天幕の中を、一瞬沈黙が支配する。それを破ったのは、いささかわざとらしさを含んだビグヴィルの咳払いだった。


「まあ……あの状況でその被害なら、上出来だろうて」

 気遣うようにビグヴィルが言うのへ、フリージアは淡い微笑みすら浮かべて、頷きを返した。その反応に、彼はホッとしたように頬を緩める。


 一見、フリージアは何らいつもと変わりがないようだった。

 だが、彼女の斜め後ろに座るオルディンの目には少し強張っている彼女の頬と、関節が白くなるまで硬く握られた拳が映っている。


 手を伸ばして慰めてやるのは簡単なことだ。しかし、真っ直ぐに伸ばされたフリージアの背は、それを望んでいない。


 オルディンは立てた片膝を抱えてフリージアを見守る。細いその肩が一度小さく上下して、彼女が一つ息をついたのが判った。


「……そうだね。二人だけで――良かった」

 わずかな逡巡の後に付け加えられた最後のその一言で、拳が更にきつく握り込まれる。そして続いた、朗らかな声。

「でも、あそこで青雲軍が出てくれて、助かったよ! ありがとう、スキルナ将軍。あの人達、いつから隠れてたの?」

 フリージアに水を向けられたスキルナが微笑んだ。

「初日からです。紅竜軍や黒鉄軍を信じていないわけではなかったのですが、万が一の時の為にと潜ませておきました。ニダベリル側に悟られぬよう、お二方にもお伝えしませんでした。申し訳ない」

「我らが気付かなかったのに、ニダベリルが気付くわけがありませんな」

 そう言って、ビグヴィルが笑う。


 確かに、紅竜軍の者なり黒鉄軍の者なり、そこに青雲軍が控えてくれていると知っていれば、誰かがチラリと目を走らせてしまっていたかもしれない。

 橋の不寝番を黒鉄軍、川の上流の警戒を紅竜軍、そして下流の警戒を青雲軍が担っていたのだが、そう言えば、真っ先に下流の担当を希望したのはスキルナだったなとオルディンは思い出す。はなから伏兵を忍ばせておくつもりだったのだろう。


 ――つくづく、隠し事の好きな男だな。


 オルディンは半ば呆れ、半ば感心する。眺めやるとスキルナと目が合い、彼はいつもと変わらぬ柔らかな笑みを返してきた。

「こっそり伏兵っていうのはもう通じないよね。明日からは、最初っから青雲軍にいてもらおうかな。牽制にはなると思うんだけど」

「そうですね、今日のような突撃はしなくなるかと思います」

 フリージアの提案に、スキルナが頷く。

「百ほど並ばせましょう」

「黒鉄軍に護衛についてもらった方がいいよね」

 だが、今度の彼女の言葉には、彼は首を横に振った。

「いいえ、不要です。黒鉄軍には中央の守りに徹してもらいましょう。我々も自分の身は自分で守れます。確かに近寄られたら攻撃はできませんが、防御はしっかり身に付けさせてありますから」

「でも……」

 フリージアは更に言い募ろうとしたが、力を分散させる余裕がないことは事実である。わずかな逡巡の後、顔を上げた。


「わかった、任せる」

 そう言って、彼女は笑顔を作る。そして表情を改めた。

「で、話はもう一つあるんだけど……ロキス」

 フリージアに呼ばれたロキスが、天幕の隅から身体を起こす。

「ああ」

「今日のニダベリル軍を見て、どうだった?」

 首をかしげたフリージアに、ロキスは肩を竦めて返した。

「あっちも結構消耗してるぜ、あれは。バイダルのおっさんもオルディンも、一日目と二日目、そんで今日。何か気付かなかったか?」

 ロキスが実動部隊である二人に問い掛けた。二人とも、三日間通してニダベリル兵と剣をまじえている。オルディンは少し考えて、答えた。


「歩兵の動きが違ったな」

 彼の台詞に、バイダルも小さく顎を引いて賛同の意を示す。

「お、流石に鋭い」

「何が違うんだ?」

「まずは、ニダベリル軍の中身を説明するわ。オレがいたグイ大隊とダウ将軍の方とではちょっと違うんだけどな、まあ、直で戦ったのはグイ大隊だからそっちで話をするぜ」

 ロキスの前置きに皆が頷く。一同を見回し、彼が続けた。

「騎馬兵、重装歩兵、弓兵はグランゲルドと同じなんだけどな、ニダベリルで多いのは、歩兵なんだよ。騎馬兵三百、重装歩兵二百、弓兵四百、歩兵六百ってとこかな。今回の状況だとあっちの弓兵はなかなかこっちに出てこないだろうから、取り敢えず外しとこう。で、騎馬兵と重装歩兵は、グランゲルドと同じように根っからの軍人なんだ――ニダベリル生まれ、ニダベリル育ちの。けどな、歩兵はそうじゃない。軍人は中隊長くらいだな。あとは平民からの徴兵と、もう一つ、『転向者』って呼ばれる連中なんだよ」


「『転向者』?」

 耳慣れない呼称に、フリージアが眉をひそめる。他の面々も同じような表情だ。ロキスは彼らに向けて肩を竦めてから説明を付け加える。

「ニダベリルもあんだけ戦ってばっかじゃ、すぐに兵士が尽きちまうだろ? だから、制圧した部族やらの戦災孤児を拾って、兵士に育て上げるんだよ。ちなみに、オレもそう」

「でも、そんなの、ニダベリルの為に戦う気になんかならないんじゃないの?」

「まあ、他に行けるとこもやれることも無いからな。戦うしかないだろ? オレみたいに好きで戦ってた奴もいたけどな、だいたいはそれしかないから戦ってた感じだぜ?」

 ロキスは当然のようにそう言う。後ろにいるオルディンにはフリージアの表情を見ることはできなかったが、さぞかし納得がいかない顔をしていることだろう。ロキスの苦笑がその証拠だ。


「とにかく、ニダベリルの歩兵はそんな感じなんだよ。で、『転向者』の方が、当然、平民からの徴兵よりも腕が立つ。日がな一日訓練してるってこともあるけどな、何より弱い奴はどんどん淘汰されてくから、日が経つにつれて手強くなってくってわけ。三日もすれば、残ってんのはこれまでの戦いも生き延びてきた経験豊富な『転向者』なりってな。多分、初日もそうだったろうけど、今日倒したニダベリルの歩兵も徴兵された奴らか、まだ未熟な『転向者』のどっちかだろうな。大方、ダウ大隊からでも補充されたんだろ」

「何か……食物倉に芋でも足してくみたいな感じ……」

「同じようなもんだろ、特に『転向者』の方はな。そんなだから、ニダベリルへの忠誠心なんざありゃしねぇ。それこそ、何も知らねぇ赤ん坊の頃から育てられたってんなら別だけどよ、ニダベリルもそこまでの手間はかけねぇからな。普通は、自分達の身に起きたこと――自分の親達がどうなったかってことを知ってるし、覚えてる。それでも、どうしようもねぇだろ? ガキの頃は逃げりゃ飢え死に、言うこと聞かなきゃ処分。自分の食い扶持くらい何とかできるような年になっても、脱走兵は即処刑だし、そもそも、戦うことしか教えられていねぇしな。殆どの奴は、『戦う羊』だよ。羊飼いに連れ回されるままにあっちこっち行かされて、戦って、死ぬ。自分たちが捨て駒だってのは重々承知の上だが、やるしかない。――けどな、だからこそ、そこにつけ込む隙がある」


「つけ込む?」

 首をかしげたフリージアに、ロキスがニヤッと不敵に笑った。ニダベリル軍の中で、彼はさぞかし浮いた存在だったことだろう。ロキスが従容と引きずり回される姿など、オルディンには想像もつかなかった。


 そんな彼の内心は知らず、ロキスは続ける。

「ああ。『転向者』の奴らをこっちに引き入れるんだよ」

「引き入れるって……裏切らせるってこと? そんなのできる?」

「裏切るってのとはちょっと違うだろうな。裏切るには多少なりとも忠誠心ってやつを持ってんのが前提だろうが、言っただろ? 『転向者』にゃそんなのありゃしねぇよ。ただ、こっちに『居場所』を保証してやりゃいいだけだ」

「でも、そんなに何日もかけるわけにはいかないよ。その人達だって、気持ちを決めるのに時間がかかるでしょ?」

 フリージアは首を振ってロキスの考えに渋い顔をする。オルディンも同感だった。白兵戦が繰り広げられるのは、あと一日二日というところだろう。『転向者』がどうするか迷っているうちに、投石器が持ち出されるか、こちらの手駒が尽きるか、どちらかの事態を迎えるに違いない。見ればビグヴィルも腕を組んで頷いている。


 その中で、スキルナが思案深げに口を開いた。

「いえ……試みてみる価値はありますね。ロキス、どうやってその『転向者』達を寝返らせるのだ?」

「オレがあっちに忍び込んで顔馴染みと話してみる。ミミルのじいさんに言われて、ニダベリルの軍服を持ってきてんだよ。あん時ゃ何でそんなもんをって思ったけどな、どうやら役に立ちそうだ。それを着てたら誰も気付かないだろ」

「しかし、潜入方法は? 泳いで渡るつもりか?」

 橋の向こう、ニダベリル側には弓兵がずらりと並んでいる。橋に一歩踏み出せば、たちまちあの強力な矢で蜂の巣にされるだろう。


 眉をひそめてビグヴィルが問うと、ロキスは何故かチラリとフリージアに視線を走らせた。そして、言う。

「それはラタと話をつけてある」

 その言葉にフリージアが黙っている筈がなかった。即座に声が上がる。

「ラタの力を使うつもり? スレイプに乗せてもらったらいいじゃない」

「あいつじゃ目立つだろ」

「でも……」

 フリージアは当然のごとく納得しない。だが、更に言い募ろうとした彼女を、静かな声が制した。


「フリージア、私自身が決めたことだ。私はゲルダが護ろうとしていたものを護る為にこの力を使う。そう、決めている」

 ラタの眼差しは鋭く、フリージアの反論を封じている。その決意を崩すことは容易ではなさそうだ。

 銀と緑の視線がぶつかり、火花を散らす。どちらも譲りはしないだろうと思われた。


 が。


 フリージアが大きく息を吸い、止め、そして吐く。

「わかった」

 彼女の口からこぼれたその一言に、皆が一瞬目を丸くする。その場の誰もが、彼女はもっとごねるだろうと思っていたのだ。彼らの反応に、フリージアは唇を尖らせる。

「確かに何かあった時スレイプじゃすぐに逃げられないし、ラタの方が目立たないし……ラタがするって言ってるなら、あたしにはダメって言えないし。仕方ないじゃない」

 いかにも渋々ながらといった風情で、フリージアが言う。次いで、眉をひそめた。

「でも、こっちにおいでっていう話をしたとして、どのくらいで気持ちを決めてくれるかな。三日くらい? いくら忠誠心がないとか言っても、やっぱり迷うでしょ?」

 彼女のその意見には、スキルナがかぶりを振った。


「受け入れるのは明日のみとしましょう。今晩のうちに話を広めておき、明日の戦闘中にこちらに逃げてこさせるのです」

「明日!? それは無理なんじゃない?」

「いえ。グズグズ迷うということは、それだけニダベリルに未練があるということです。常日頃から逃げ出したいと思っていれば、すぐに食いつくでしょう。初日でしたらニダベリルの勝利は絶対だと思われていたでしょうけれど、この三日を見ていて、その自信も揺らいできている筈です。それに、人間は『今しかない』と思うと考えが浅くなりますからね。第一、三日もかけていたら情報が洩れます。逆手を取って間者を仕込んだり、罠を仕掛けてくるかもしれません。それに、場合によっては、脱走の恐れがある者が処刑されてしまうかもしれません――見せしめとして」

「そんなこと、する?」

「可能性は高いです」

「そっか……」

 この中で、ニダベリル側に最も似通った思考回路を持てるのはスキルナだろう。


 フリージアは視線を伏せてしばし考え、そして顔を上げた。

「わかった。じゃあ、ロキスはすぐに行って。グランゲルドは亡命者を受け入れる。こちら側に来たい者は、明日の戦いが始まったら武器を捨てて投降するように、と伝えてよ」

「武器を捨てて、か?」

「うん」

 難しい顔をしたロキスに、フリージアが頷く。

「武器を捨てた者には、絶対、攻撃しない。こっちに逃げ込んでくれれば、絶対に守るからって伝えてよ」

「そんなの、信じるかよ……」

 ロキスが絶対無理だろ、と言わんばかりの口調で呟く。そんな彼に、フリージアはにっこりと笑顔を向けた。

「そこは、ロキス次第でしょ? 頑張って信じさせてよ。何なら、あたしも一緒に行ったってい――」

 彼女の台詞を、オルディンは最後まで言わせなかった。


「駄目だ」

 ピシャリと遮るように断言した彼を、フリージアが振り返る。睨み付けたオルディンに返ってきたのは、呆れたような彼女の眼差しだった。

「冗談だよ。ホントに行くわけないじゃん」

 肩を竦めたフリージアを半信半疑どころか一信九疑の目で見たオルディンに、彼女はふと真面目な顔になった。

「自分がどうするべきかって、もう、あたしはちゃんと解かってるよ」

 一瞬、オルディンにはフリージアとの距離が数倍にも伸びたように感じられた。あるいは、二人の間に見えない幕が下りたように。

 が、それは、フリージアがニッと笑った瞬間に掻き消える。


「ま、正直言うと、今すぐアウストル王の所に飛んで行って横っ面殴り飛ばしてさっさと帰れって言ってやりたいけどさ」

 笑いでごまかしたフリージアに、しかし、オルディンはとっさに応えることができなかった。いつもなら即座に叱責を飛ばしてくる筈が黙ったままでいる彼を、フリージアがしげしげと覗き込む。

「オル?」

 フリージアはみるみる変わっていく。それは一軍の将として必要な変化だ。それに戸惑いを覚えるのだとは、明かしてはならないのだろう。


 オルディンは新緑の目を見返しながら、短く答える。

「何でもない」

 そんな彼をフリージアはもの問いたげに見つめてきたが、結局何も言わなかった。また前に向き直ると天幕の中の一同をグルリと見渡した。

「よし、じゃぁ、ロキスは早速行ってきて。帰ってきたら、教えてね。無理はしないように。危なそうだったら、すぐに帰ってきてよ? 変に粘らないでさ」

「わかってるって」

 ロキスがヒラヒラと片手を振る。と、ラタがその手を握り――次の瞬間、二人の姿は消え失せた。急な出立にフリージアが小さく息を呑み、そして拳に力を入れる。小声で何かを呟いたが、オルディンの耳には届かなかった。

 何と言ったのか、声をかけようとしたオルディンの機先を制してフリージアが明るい声をあげる。


「じゃ、一時解散! ロキス達が帰ってきたら、もう一回集まろう」

「そうですな。彼には悪いが、先に夕食を摂るとしようか」

 ビグヴィルが膝に手をついて立ち上がり、他の面々もそれに従った。じきに、天幕の中はフリージアとオルディンだけになる。


「ジア?」

 背後から呼びかけても、すぐにはいらえはなかった。再び名を呼ぶほどの間はおかず、フリージアが振り返る。

「自分で動く方が、遥かに気が楽だよね。でも、大丈夫、ロキスは気が回るし、ラタがいたらすぐに逃げられるし」

 口早につらつらとそう言ったのは、きっと、オルディンに聞かせる為ではないのだろう。彼が何も返さずにいると、フリージアは口を閉じ、視線を下げた。


 赤毛の天辺のつむじが見える。

 オルディンは無意識のうちに手を伸ばしそうになったが、再び見上げてきたフリージアにその手を止めた。ほんの一瞬、目と目が合う。

 わずかに揺れた、新緑の眼差し。


 ――抱き締めてやりたい。


 そんな気持ちがオルディンの胸の中をよぎる。が、まるで彼の心の中だけのその声が聞こえたかのように、フリージアはわずかに身を引いた。


 そして、不意に笑う。


「あたし達もご飯にしよう? エイルとソルもお腹すかせて待ってるよ」

 そう言ってヒラリと立ち上がり、オルディンを待つことなく身を翻して天幕を出て行った。まるでいつもと変わらぬ様子で。

 フリージアが彼の手の中に再び戻ってくることがあるのか、オルディンには全くわからなかった。


 独り残された天幕の中、オルディンは肩を揺らして深呼吸をする。それをもう一度繰り返して、フリージアの後を追った。


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