襲撃
虫の声だけが響く、月のない夜更け。
オルディンは暗闇の中で目蓋を上げた。
衣擦れの音をたてないように、上半身を起こす。と、その横ではフリージアがパチリと目を開けた。無言のままで、猫の目のような緑の輝きがオルディンの動きを追いかける。
夜明けが訪れる前に、出立する予定だった。だが、まだその刻限ではない。
互いに目配せをしながら、そろそろと己の武器に手を伸ばす。
二人の手がそれぞれの剣の柄を掴んだ、その時だった――納屋の扉が打ち破られんばかりの音を立てて開かれる。飛び込んできたのは、五人の黒装束だ。
はぜるように飛び起きて、パッと二手に分かれたオルディンとフリージアは、彼らを両側から攻める。
首尾よく寝込みを狙ったつもりでいた襲撃者たちは、意表を突かれた挟み撃ちに一瞬反応が遅れる。その数瞬の間に、突き出された鞘付きの剣で急所を突かれ、一番外側にいた二人が昏倒した。
残る三人をすり抜け、オルディンたちは扉へと向かう。
予想外の反撃に態勢を崩した黒装束たちだったが、次の瞬間には我に返り、二人の後を追って納屋から飛び出してきた。
外見から判断したのだろう、オルディンには二人、フリージアには一人が相対する。
オルディンはチラリと横目で彼女の相手を確認したが、すぐに自分の前の二人へと視線を戻した。あの程度の輩なら、問題ない。自らの剣を鞘から抜き去って、右手に鞘、左手に剣を携える。特に型はない。無形の構えだ。
黒装束の二人の手の中でも、月明かりを弾いて硬質な光が煌めいた。
一拍置いて、襲撃者が動く。その身のこなしで、二人のうちどちらの方が上手なのかをオルディンは瞬時に判断した。
右から水平に薙いできた長剣を鞘で弾き、左から突いてきた切っ先を刃で叩き落とす。
オルディンは横に抜けながら、バランスを崩した左の曲者の背後に回る。すれ違いざまに黒服に突き刺そうとした剣を、とっさに思いとどまってクルリと反転させた。そして柄を首筋へと叩き込む。鈍い呻き声と共に崩れ落ちた黒装束をしり目に、残ったもう一人へと向き直った。
こちらの相手は、明らかに格が違う。
だが、それはあくまでももう一人と比べて、というだけのことだ。
無言で切りかかってきた第一刃を難なくかわし、左手に持つ剣を真横に振り抜く。襲撃者の胸元を狙ったその一閃は、間一髪で、黒衣を裂いただけで終わる。だが、オルディンは手首を返しざまにすかさず一歩を踏み出し、敵の肩をめがけて剣を振り下ろした。
袈裟がけに切りつけようとしたオルディンを、襲撃者は肩口に水平に上げた剣で受ける。
ギィン、と、耳障りな音を立てて、銀色の閃光が一瞬目を射た。
ギリギリと、力任せに押し切ろうとするオルディンと、それを防ごうとする襲撃者の力が拮抗する。
切迫したつばぜり合いの最中、不意に、オルディンは口元を緩めた。彼の笑みに襲撃者の目の中に微かな戸惑いがよぎる。直後、オルディンは剣を跳ね上げた。それまで渾身の力で彼に抗っていた襲撃者の腕が、反動で高く上がる。がら空きになったその脇腹に、オルディンは固めた拳を叩き込んだ。肝臓をえぐられた襲撃者は、苦悶の声をあげてその場にくずおれる。膝を突き、むき出しになった脳天に振り上げた踵を叩き込んでやれば、もう呻き声すら洩らさなかった。
グルリと視線を巡らせると、首尾よく相手を倒したフリージアが駆け寄ってくるのが目に入る。
剣を鞘に納めたオルディンだったが、ふと耳を澄ませて眉根を寄せた。そして、おもむろに胸元から竜笛を取り出して、吹く。
「オル!」
「怪我はないな?」
オルディンは笛をしまい、目の前に立つフリージアの頭のてっぺんからつま先までを舐めるように見下ろした。指先で頬にかかった赤毛をよけ、言葉だけではなく、彼女に傷一つないことを確認する。
「大丈夫だよ」
彼の手をどかしたフリージアが唇を尖らせた。
「あんなのに遅れは取らないよ。あたし、荷物取ってくる。スレイプは呼んだ?」
「ああ。じきに来る。急げよ」
「了解!」
フリージアは言うなり身を翻して納屋に戻っていく。
残されたオルディンは背後の気配に向き直った。新手は五人、先ほどの連中と同様に、闇に紛れる黒衣に身を包んでいる。
「まったく」
小娘一人を殺すために、ずいぶんとつぎ込んだものだ。
ため息一つの後に再びオルディンは剣を手に取ると、ザッと広がった刺客どもに対峙する。見渡したところ、腕前のほどは先の連中とそう変わりがない。
だが、個々の腕は大したことがなくても、統制の取れ方はなかなかだ。
黒服は合図もなく、一斉に動き出した。
散開し、前後左右からオルディンを狙う。一糸乱れぬ動きのように思われたが、彼はその中でもわずかなずれを見い出し、自分に一番早く到達した者に向かった。
オルディンの得物は幅広の諸刃の大剣だ。だが、その一方は刃を潰してある。
彼に向けて繰り出された刃を力任せに弾き飛ばし、その勢いのまま潰した方の刃を叩き付けた。ひらけた一人分の空間を走り抜け、距離を取ってから一同に向き直る。真っ先に追い付いた刺客の体勢が整う前に再び剣を振るった。それは、『切る』のではなく、『殴り付ける』と言った方が正しいかもしれない。
刺客のアバラの辺りで、硬い木の枝が折れたような、鈍い音が響く。一つではなく、三ないしは四発。
これで、残るは三人。
続けて相手をしようと身構えたオルディンの前で、だがしかし、その三人はクルリと向きを変えた。そして、走る――納屋に、いや納屋から出てきたフリージアに向かって。
「チッ」
舌打ちを一つして、オルディンは追う者と追われる者の立場を逆転させる。なまじ距離を取ってしまったことが、仇になった。
黒装束の三人が、荷物をその場に落として剣を抜いたフリージアに迫る。あの程度の腕の者が三人でかかったところで、彼女がしくじることはない。そうは思っても、やきもきする。
オルディンが追いつくより早く、黒装束たちはフリージアに躍り掛かった。一人の切っ先を潜り抜け、彼女がサッと細剣を振るう。
もう少しで、辿り着く。そう思ったオルディンの足に何かが絡みついて、彼はつんのめった。転びそうになったのを危うく踏みとどまって見下ろすと、先ほど叩き伏せた刺客の一人が彼の足を掴んでいた。オルディンは嫌な音が響くほどにその背を踏み付けて、フリージアを振り返る。
オルディンの見る先で、彼女は三方を取り囲まれていた。
「チッ」
思わずこぼした舌打ちと同時に再び走り出そうとした、その時。
バサリと大気を打つ羽ばたきの音と共に、深緑の巨体が舞い降りる。
「キシャァ!」
空気を震わす威嚇の声を上げる獰猛極まりない飛竜の登場に、黒装束どもが慌てふためいているのが見て取れた。
そんな彼らを、スレイプはその太い尾で造作なく打ち払っていく。飛ばされた一人が納屋の壁に叩き付けられた鈍い音が、離れた場所にいるオルディンの耳にも届いた。残る二人は果敢に剣を構えたが、連中のやわな剣では、スレイプの分厚い皮に傷一つつけることもできない。
あっという間に、片は付いた。
オルディンは走る足を緩めて、スレイプの鼻づらを撫でてやっているフリージアの元に歩み寄る。
「大丈夫か」
「平気、余裕」
オルディンを見上げてニッと笑ったフリージアは、確かに余裕そのものだ。彼はひとまず胸を撫で下ろす。
「取り敢えず、こいつらが目を覚ます前にさっさとこの場を離れよう」
そう言いながら荷物を取り上げ、スレイプの背中に括り付ける。
「え? こいつらに話を訊かなくていいの? どっちを狙ったのか、とか、誰の差し金なのか、とか」
「お前を狙っているのは一目瞭然だろ? 誰の命令なのかは、拷問したって言わねぇよ。というより、そもそも、何も知らないさ」
「何でそんなの判るの?」
「判るさ」
襲撃者の動きに、オルディンは覚えがあった。嫌というほど見覚えがあって、消しようもなく彼の中にも染み付いている。同じことを教え込まれたが、腕が違うのは個人の資質だ。
「とにかく、行くぞ」
スレイプの背にヒラリとまたがり、フリージアに手を差し伸べる。不満そうな彼女は、それでも、彼の手を取った。
「なんかさ、やっぱり、まだ何か黙ってることがあるんじゃないの?」
オルディンの腕の中で、フリージアはブツブツとこぼす。返事の代わりに、彼はガシガシと彼女の頭を撫でてやった。
*
もぬけの殻の納屋には、明らかな乱闘の跡が残されていた。
ビグヴィルは呆然と入口に佇み、その様を見つめる。
血痕も、死体もない。ということは、彼女は無事だということなのだろう。
逃げたのは、襲撃者の為か、あるいは彼の申し出を拒んだ為か。
もしも後者だとすれば、再び居場所を掴むことはできるだろうか。
「ビグヴィル」
「ラタ。来ていたのか」
名前を呼ばれ、彼は振り返る。
そこにひっそりと佇んでいるのは、髪も目も銀色の少年だ。いや、実際は、少年なのか少女なのか、ビグヴィルには判らない。ヒトと同じ姿を持ちながらヒトとは異なる特異な能力を操る種族エルフィアは、一様に中性的な美しさを持っている。唐突に目の前に現れたラタという名の存在は、そんなエルフィアのうちの一人だった。
「逃げられたね?」
「いや、まあ……儂からお逃げになったのかは、判らんが……」
「当然、あなたからだ」
バッサリと言い切られ、ビグヴィルは二の句を失う。
確かに、突然見も知らぬ男から死んだと思っていた母親が実は生きていたことを知らされ、なおかつその母親はこの国の将軍だから亡くなった彼女の跡を継いで欲しい、と乞われても、「はい、わかりました」と頷ける者など殆どいないだろう。
「お前には、あの方を追えるか?」
「できるけれど、しない」
ラタの返事はにべもない。
ラタは、瞬間的に遠い場所へと移動できる力を持っている。ゲルダはあのオルディンという若者との連絡に、このエルフィアを使っていた。思うだけで、その場所へ行けるという力を持つラタを。
「何故だ。これは、ゲルダ殿の望みでもあるだろう」
「違う。『望み』じゃない。彼女の『望み』は、フリージアが平和で楽しく幸せに暮らすことだ。私が娘の様子を伝えると、彼女はいつもとても嬉しそうだった。決して逢えないのに――いや、逢いたいと望めばいつでも連れていったのに、決してそれを願わなかった」
ラタは、その冷ややかにも見える銀色の眼差しをビグヴィルに注ぐ。
「『母親』としてのゲルダの望みは、フリージアの幸せだ。けれど、『将軍』としてのゲルダの望みは、この国に住む者全ての幸せだ。彼女は、どちらも叶えようと思った」
「どちらも……」
ラタのその台詞に、いかにもゲルダらしいとビグヴィルは小さく笑う。彼女は貪欲な人だった。諦めるということを知らず、こうと決めたら何としても貫こうとした。
「娘御を都にお連れすることを、ゲルダ殿は心の底ではお望みではなかったのか」
「それは、少し正しくない。ゲルダは、『あなたが』フリージアを連れ帰ることも、そうしないことも、どちらも望んではいない。彼女が望んだのは、フリージア自身が自分の意志で自分の道を決めることだ。フリージアがロウグ家を継ぐことを選ぶのも、家に囚われず自由な生活を続けることを選ぶのも、どちらも同じように望んでいた――それが、フリージア自身が選んだことであるならば」
「彼女自身が選んだこと……そうか……」
ビグヴィルは呟き、目を伏せる。『将軍』としてのゲルダは崇拝していたが、『母親』としてのゲルダは、みじんも考えたことがなかった。実際、子どもがいるということをこれまで全然悟らせなかったのだから、当然のことなのだが。
「娘御は、都に来られるだろうか」
半ば自問するように呟いたビグヴィルに、ラタは小さく肩をすくめる。
「判らない。私はフリージアのことは、よく知らないから」
それは、ビグヴィルも同じだ。彼もフリージアのことをまったく知らないのだ。にも拘らず、彼女がロウグ家を継ぐことを当然の流れだと思っていた。
「そうだな」
力なく、ビグヴィルはそうこぼす。そんな彼の前で、ラタはふと視線を遠くに投げた。
「私は、フリージアのことは、知らない。けれど、彼女はゲルダの娘だ。私は、彼女が何を選ぶのか、判る気がする」
「ゲルダ殿の……ああ、そうだな」
フリージアの眼差しにあった、あの光。
あれは、まさしくゲルダの娘のものだ。
フリージアの母親であるゲルダは、確かに類い稀なる剣の腕を持っていた。だが、彼女の強さの本質は、それではないのだ。そして、フリージアというあの少女は、間違いなく母親と同じものを持っている。逃げることを、見て見ぬふりをすることを良しとしない、強い心を。
「ゲルダは、娘がどんな選択をするか、判っていたのではないかと思う」
「ああ……儂も、そう思う。儂らは、都で彼女を待つとしよう」
寛いだ微かな笑みを浮かべて、ビグヴィルはラタと、そして自分自身に向けてそう言った。彼の中から、不安は消え失せている。きっと、再び彼女とまみえることになるに違いないと、そうビグヴィルは確信していた。