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ジア戦記  作者: トウリン
第三部 角笛の音色と新たな夜明け
47/71

仕掛け

 フリージアの前にある布の塊がもそりと動いた。その隙間から、緋色の目が覗く。

「どう? 燃えてる?」

 スレイプの鞍にしがみつくようにして、ソルがフリージアに訊いてきた。

 燃える馬車の上空を通ると、その熱気が押し寄せてくる。全てを灰に、というわけにはいかないが、期待以上の成果は得られそうだった。


「うん、いけてそう。もう充分だよ」

 フリージアがそう答えると、外套の下でソルがホッと小さく息をつくのが判った。フリージアは厚い布越しにその頭を撫でてやる。直接ヒトを傷付けたわけではないが、やはりこういうふうに力を使うことに対する抵抗は大きいのだろう。


「行くぞ?」

「あ、うん、お願い」

 充分に火が点いたことを確認し、オルディンがフリージアに言う。彼女が頷くと、慌てふためく眼下のニダベリル軍には目もくれずに手綱を操った。南へと鼻先を向け、バイダルたちが待つ場所へと急ぐ。

 途中で振り返ったフリージアの目には幾筋も煙が立ち上る様が入ってきて、胸にチクリと小さな痛みを覚えた。それを無理やり押し込めて、また前を見る。

 そうして、きれいに隊を整えて待つ紅竜軍に目を向ける。彼女が負うべきは彼らであり、ニダベリルのことを入れる余裕はないのだ。


 オルディンは紅い鎧に身を包む兵士達の前にスレイプを着陸させる。先に彼がソルを小脇に抱えて飛び降り、次にフリージアが続いた。地面に立ってスレイプを見上げると、その首を叩いて労ってやる。

「ありがとう、スレイプ。さあ、もう行って。しばらく離れたところにいるんだよ?」

 フリージアのその言葉に、巨体の翼竜はどこかイヤそうに喉を鳴らした。

「スレイプが必要だったらすぐに呼ぶから。いい子だから、行って」

 彼女がそう繰り返すと、いかにも渋々と、了承の声をあげる。そうして一度顔をフリージアの胸にこすり付け、数歩後ずさって翼を広げた。いつもよりも聞き分けの悪い翼竜は、何か不穏な空気を感じ取っているのだろう。


「ごめんね。すぐに終わるから、そうしたらまた散歩に行こう」

 笑顔と共にそう言い含める。スレイプはそれでもまだ少しグズついてから、一声上げて、ようやく空へと去って行った。その姿を見送って、フリージアはオルディンの腕を離れて彼女の隣に立ったソルを見下ろした。

「ソルもありがとう」

「ううん。あれで良かった?」

「上出来」

 笑いながら、ソルの頭を撫でてやる。そうして、隊列へと目を向けた。


「ロキス!」

 端に立っている彼を呼ぶと、小走りで駆け寄ってくる。

 ロキスは部隊に組み込まれていない。元ニダベリル兵だったから――というわけではなく、彼の性格と腕を考えると枠に嵌めるよりも遊撃隊として使った方がいいと思われたからだ。それに、ソルを委ねる相手としても、彼が一番の適任に違いない。


「よう、どうだった?」

「結構大きな馬車が十台あって、半分くらいは燃やせたかな……多分」

「となると、あと十五から二十日くらいか。ニダベリルは食料は現地調達だからな。制圧したとこからぶんどるんだよ。勝つのが当然だから基本的に片道分しか持ってこねぇんだよな」

「砦の食糧は隠したし、ここらには村は無いから、手持ちの分だけだよね……あっちはどれだけ粘るかな。帰りの分も考えて、早々に帰ってくれると思う?」

 フリージアが小さく首をかしげて問うと、ロキスは肩を竦めた。


「さあな。オレがいた時は物資焼かれたなんてことはなかったからな。二進も三進もいかなくなって撤退するか、追い詰められて前に進むしかないと考えるか」

「お腹が空いたら戦うどころじゃなくなると思うんだけどなぁ……」

「ま、そこがニダベリルだからな。飢え死にするまで戦うかもだぜ? 気合と根性で」

「まさかぁ」

 冗談めかしたロキスの台詞だったが、フリージアは一抹の不安を覚える。


 防衛線を作って侵攻を阻めばそのうち食糧が尽きて自滅するだろう。だが、それにしても、戦が長引けば数が少ないこちらの方が不利になる。できるだけ期間が短くなるように、物資に火をかけたのだが。


 ――自分のあの選択に、意味があったのだろうか。


 フリージアの胸に、微かな不安がよぎる。意識せぬうちに視線がわずかに下がった。と、その顎を上げさせるように、オルディンが口を開く。

「まあ、どちらにしても、あいつらの足なら川まで十日以上かかるだろう? 戦い始めて十日もしたら、奴らは干上がる。大人数だけに、ここいらで食糧を集めるのは一苦労だろう。ニダベリルも、技術は優れていても兵士は人間だ。食う物が無くなれば力は落ちるさ」

「そうだな。糧がなければ戦えない。ニダベリル軍の食糧が尽きるのが早ければ早いほど、グランゲルドの勝機は増す」

 オルディンの言葉を後押ししたのはバイダルだ。フリージアの考えを支持しているということを暗に示しているのだろう。

「だといいな」

 フリージアは頷きながら二人に笑って見せた。迷いや不安はその笑顔で全て覆い隠す。


「なあ、フリージア。そういや、グイ将軍はどうだった?」

 ロキスがソルを片腕に抱き上げながらフリージアに訊いてくる。その赤い目は道の北の先に向けられていた。

「ああ……たっぷり怒らせたと思う」

「あのおっさん、短気だからな。ほら、見ろよ。作戦もクソもないだろ、あれ」

 言われて彼の視線の先を見ると、もうもうと土煙を立てた一群がこちらへ向かってきていた。

「うわぁ」

 全力疾走の馬に人の足が付いてこられるわけがない。当然、ニダベリル軍のうち、見える範囲にいるのは騎馬部隊だけだった。その数はおよそ三百。団子になってこちらに突撃してくる様子では、足元など全く見ていないに違いない。

「じゃあ、ロキス、ソルの事をお願いね」

「任せとけ」

 短く答えて身を翻すと、彼は自分の馬へと駆けて行った。


「お前も大丈夫だな?」

「大丈夫」

 オルディンの問いに力強く頷いて、フリージアも自分の白毛の馬にまたがった。そうして、刻一刻と迫る騎馬の群れを見据える。

 馬上の一人一人の顔が見て取れる程に近づいた時、フリージアは剣を抜き放った。

 迎え討たんとする紅竜軍を威圧するようにあげられた、鼓膜を震わす喊声かんせい

 敵に近付いたことでより一層猛り立ったニダベリルの兵達が更に馬の足を速めたのが判る。


 もう少し。

 もう間近だ。

 剣の柄を握るフリージアの手に力が籠る。


 ニダベリル兵の先陣が彼女達の元へ到達するまであと少しというところまで来た時。

 唐突に、一人が消えた。そして、また一人。「うわっ」という、少々間の抜けた声を残して。


「よし、引っかかった!」

 フリージアは思わず声を上げる。

 一散に馬を駆けさせていたニダベリル軍は混乱で大きく足並みを狂わせた。何が起きているのか、咄嗟には理解できなかったに違いない。

 その間にも、被害は増していく。


 次々に、道の各所に口を開いた深い穴に、ニダベリルの騎兵は嵌っていった。

 ニダベリル軍を待つ間、紅竜軍総出で、道のあちこちに落とし穴を掘らせておいたのだ。それに気付いても、全力疾走させてきた馬はそう簡単には止まらない。


 ギリギリまで待った甲斐があって、次々にニダベリル兵士は罠に嵌ったり、あるいは急遽止まった味方にぶつかり転倒したりしていった――が、敵もる者。


 じきに、状況を理解した後続の者は穴を避け、こちらに向かってくるようになった。

 減らせた数は、予想よりも少なかった。せいぜい二、三十――多くて五十というところか。

 姑息な手を使われて彼らはより一層激昂したようで、仲間の犠牲で粗方の穴が露わにされると、更に馬を奮い立たせてこちらに向かってくる。


「やる気満々だな」

 フリージアの隣でオルディンが呟く。それは彼女も同感だった。一目散に逃げるには、少々時機を逸してしまったかもしれない。

 わずかな迷いがフリージアの中に生じる。


 ニダベリルの馬は瞬発力や機敏さはないが、長く走らせることができる。

 グランゲルドの馬は短時間の足の速さは優れているが、持久力はない。


 いつまでも食い下がられると、いずれ背から攻撃を受けることになる。


 残った騎馬兵だけが相手なら、数的にはグランゲルドの方が有利になっていた。だったら、この場で戦って返り討ちにした方がいいのかもしれない。

 そんな考えがフリージアの胸中をよぎり、皆に号令をかけようとした、その時だった。

「我らが殿しんがりを務めます!」

 響いた声と共にヒュンと風を切る音。そして、最も近付きつつあったニダベリル兵の一人に、矢が深々と突き刺さる。


「シグド!」

 彼は両手で弓を構え、足だけを使って馬を操りフリージアの横につけた。シグドの他、彼の配下十名が同じように弓を携えている。

 シグド達はミドルガドの民――一日の殆どを馬上で暮らす、騎馬民族だった。グランゲルドやニダベリルのように剣や槍だけではなく、馬に乗りながら弓も巧みに扱うのだ。彼らなら、距離を取りながら攻撃することができる。


「シグド……うん、任せた。お願いね」

「承知」

 顎を引くように頷きを返したシグドは、眼差しを鋭くして矢をつがえる。彼らが絶え間なく放つ矢の雨に、落とし穴を回避しつつこちらに近付こうとしていたニダベリル軍の足が鈍った。

 追手の追撃を阻むことができていることを確認し、フリージアは馬首を巡らせる。


「よし、じゃあ、ルト川まで撤退するよ!」

 フリージアが駆け出すとバイダルが彼女の指令を復唱し、一糸乱れぬ動きで紅竜軍が続く。

 チラリと肩越しに後ろへ目を走らせると、矢を放ち、ニダベリル軍を牽制しながらシグド達も遅れずについてきている姿が見えた。追手との距離は着実に開いてきている。

 視線を前に戻し、フリージアはホッと息をつく。

「シグド達がいてくれて助かった」

「ああ、そうだな」

 彼女の安堵の混じった台詞に、並走するオルディンが頷いた。

 まともに剣を交えていたら、何人かはこちらにも怪我人が出ていただろう。取り敢えずは、無傷で目的を達することができた。


「もっと減らせるかと思ったんだけどな」

 それに、もう少し余裕もある筈だった。

「こっちに注意を引かなきゃならなかったから仕方がないけど、ちょっと危なかったし。もう少し早めに撤退するべきだった」

 ブツブツとフリージアはぼやいたが、オルディンは肩を竦める。

「まあ、こんなもんだろう」

「でも、もっと確実な方法を取らないと」

 一歩間違えたら被害が出るような戦い方は、フリージアはしたくない。彼女の選択一つで、それが決まるのだということを、実感する。本当に、今まさに戦っているその場では、ほんのわずかな時間でも迷っている暇はないのだということを。

 フリージアは手綱を握り締める。


 そんな彼女にオルディンが物言いたげな眼差しを注いでいることに、真っ直ぐに前だけを見ていたフリージアは気が付かなかった。



   *



「で? 状況は?」

 天幕の中、面前にひざまずいたイアンにアウストルが訊く。

 いつも通りの彼だが、だからこそ、恐ろしい。その胸中は、イアンにもフィアルにも読むことができないのだ。


 今、ニダベリル軍の進行は止まっていた――道にいくつも掘られた穴の所為で。それを埋める為、今日はここでの足止めを余儀なくされていた。


「は……グイ大隊の食糧は三分の二が焼かれました。追撃により戦闘不能な怪我を負った兵士は五十三名、馬は二十七頭が使えなくなりました」

「この『悪戯』の所為でか?」

「多くは、そうです。穴はかなり深く掘られており……脚や腕を折ったものが大半で。後は矢傷です」

 イアンは事実だけを述べる。下手に『言い訳』を口にしようものならより一層アウストルの不興を買うことは、判りきっていることだった。

 その報告に、アウストルは物憂げに問う。

「馬に乗りながら弓を射てきたと言っていたな?」

「はい。馬の扱いがとても巧みで」

「ミドルガド、か」


 それは、かつてニダベリルが滅ぼした部族だった。降伏しようとしなかったあの騎馬民族は、根絶やしにした筈だった。確かに、馬を自在に操る彼らには多少手こずったが、結局は『ミドルガド』という部族は消滅した――と思われていた。


「確か、グランゲルドの東方の土地だったな。ここに流れてきていたのか。まだ刃向う気になろうとは、どうやら叩き方が足りなかったと見える」

 アウストルは頬杖をついて人差し指でこめかみを叩く。わずかに伏せたその深い緑の目は、まるで底のない沼のように彼の心の奥を覆い隠していた。

 失態に、怒りを見せているわけではない。ただ眉間の皺を深くした王に、イアンもフィアルもただこうべを垂れて控えるだけだ。


 天幕の中には二人の将軍を押し潰しそうな空気が垂れ込めた。


 しばしの沈黙。

 と、不意に、それがフッと軽くなる。


 アウストルは身体を起こすと将軍二人に指示を出した。

「まあ、いい。脚を折った馬は楽にしてやれ。食糧の足しになるだろう。怪我人は足手まといだ。本国に帰らせろ」

「は」

「穴をさっさと埋めさせろ。一日でやれ」

「すぐに」

 イアンとフィアルは即座に首肯すると、余計なことは言わずに天幕を出て行った。


「あちらも何やら考えてはいるようだな」

 アウストルは独り呟く。

 この道の先には川がある。そこにかかる橋は、十六年前にこのニダベリルが造ったものだ。あの時もその橋を挟んで戦い――敗れた。

 今彼が目指しているのも同じ場所だ。


 多分、グランゲルドは同じ場所で防衛線を築くだろう。以前敗れた場所で再び戦うのは、落馬した後に再び馬に乗ろうとするようなものだ。今回勝利すれば、過去の敗北は抹消できる。

 行く場所が決まっているならば、必然的に、進路も決まってくる。通る道を予測されているということは、その分危険も多い――今回のように。

 それでもこの道を行くのは、新たにこれだけの道を切り拓くだけの手間をかける余裕がない、というのが一番の理由だが、もう一つ。かつて敗れた相手を完膚なきまでに力でねじ伏せる必要があったからだ。どんな手を打たれようと、ニダベリルは純粋な力で叩き伏せるのだ。


 一度は敗れた同じ相手を、今度こそ、屈服させてみせる。


 アウストルはそう考えて、ふと唇を歪めた。

「いや……『同じ』にはならないか」

 ゲルダ・ロウグはいないのだから。

 彼女がいないグランゲルドなど、今のニダベリルにとって地を這う虫よりもたわいないものだ。兵の数も、戦った経験も、手にしている武器も、ニダベリルはこの十六年で大きく発展した。

 かつてと同じようにグランゲルドがニダベリルを阻もうとしても、今の彼らには投石器もある。どんなに強固な防衛線も、一溜まりもないだろう。


 通るだけで踏み潰せる。

 だからこそ、完璧な勝利を手に入れなければならない。


 その筈なのだが。


「剣戟の響きを聞かぬうちに五十名余りが失われるとは、な」

 落とし穴とは、まるで子どもの遊びのような手だった。ふざけた仕業には違いないが――効果はあった。ニダベリルにとって五十人の兵士など大した損失でない。しかし、それを失った経緯が、アウストルには気に入らなかった。


 ニダベリルが成長したように、グランゲルドにも何か変化が起きているのだろうか。


 そんなふうに考えて、彼は頭を振る。

 それがどんな変化であるにしろ、こんな姑息な手段を用いるということは、大したものではない筈だ。グランゲルドも切羽詰まっているのに違いない。


 いずれにせよ、ニダベリルの勝利は揺るぎない――そうでなければ、ならなかった。


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