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ジア戦記  作者: トウリン
第三部 角笛の音色と新たな夜明け
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フォルスとフレイ

 マナヘルムにあるエルフィアの里は、その日、意外な客を迎えていた。


「フレイ王?」


 数名の供だけを連れて目の前に立つフレイを、フォルスは本当に彼なのだろうかと我が目を疑いながら見つめた。


 このエルフィアの里の長であるフォルスでも、彼に会うのはこれが初めてである。

 エルフィアがマナヘルムに定住してからフォルスがグランディアに呼び付けられることは無かったし、フレイがこの里を訪れることも無かったのだ。フレイが即位した時は、祝辞を送っただけだった。フォルスがマナヘルムに入ってから会った人間と言えば、ゲルダと先日のフリージア達くらいだった。

 二百年以上前にこのマナヘルムに移ってきた時、フォルスはまだ赤子だったが、その時に見たグランゲルド王の顔はうっすらと覚えている。彼は、今目の前にいるフレイ王と、よく似た面差しをしていた。


 その繊細な頬は濃い疲労の色を隠せていなかったが、フレイは背筋を伸ばしてフォルスの前に立っている。


「何故、貴方が……」


 驚き以上に戸惑いの色を浮かべて、フォルスが問う。今のフレイの印象は、フォルスが抱いていたものとは、少し違っていた。伝え聞いた限りでは、もっと風に吹かれてそよぐ枝のような、ゆるりとした雰囲気の持ち主だと思っていたのだが。

 そんな彼の前で、フレイが端的に告げる。


「ニダベリルとの戦が始まった」

「そう、ですか」


 一瞬固まり、そしてフォルスは視線を落とす。その戦の一因は、彼らエルフィアなのだ。グランゲルドの民でもない自分達はこの安全な地に引きこもり、彼らを守る為にグランゲルドの人間が戦いに赴いている。

 フレイはフォルスの頭の中の声が聞こえたかのように、やんわりと微笑む。


「そなたらが責任を感じる必要はない。戦うことは、余が決めたのだ」

「……ありがとうございます」


 フレイにそう言われても、フォルスはやはりいくばくかの罪悪感を覚えてしまう。グランゲルドの民を戦いに駆り出させたことを。そして、その決断をフレイ一人に押し付けたことを。


 もちろん、戦の原因はエルフィアの事だけではない。だが、当事者であるにも拘らず傍観者に徹しようとしている自分達を、不甲斐なく思う気持ちは否定できないのだ。

 だから、彼はフレイ王の目を真っ直ぐに見返すことができない。


 フォルスは、エルフィアさえ守れればいいと思っていた。殻に閉じ込め、細々と、だが絶え間なくこの血をつないでいければいいのだと。

 長になってから百年以上もそれだけを考えてきた彼の信念が揺らいだのは、あの緑の目に射抜かれた時だった。彼の十分の一も生きていない、エルフィアにとっては赤子のような少女に畳み掛けるように質問を重ねられて、あの時の彼は返す言葉をろくに持っていなかったのだ。

 そして、フリージアのその問いに答えられなかっただけではない。彼女の言葉に心が震えたことを、フォルスは否定できなかった。


 ふと気付くと脳裏にあの鮮やかな緑の眼差しが浮かび、彼女の言葉を反芻している時が幾度もあったのだ。


「フォルス」


 名を呼ばれて、彼は我に返る。頭の中の残像を打ち消して、フレイに目を向けた。ヒトの王は穏やかで包み込むような優しさを湛えるその眼差しを、フォルスに注いでいる。


「フリージア達はルト川に到着した頃だろう。さほどかからぬうちに、ニダベリル軍も国境を越える」

「そうですか」


 フォルスは言葉少なにそう返す他なかった。そんな彼を、フレイが真っ直ぐに見つめてくる。

 そして、問い掛けてきた。


「そなたらは、今のこの状況に満足しているのか?」

「どういう、意味でしょう?」


 フォルスは眉根を寄せてフレイに問いを返す。

 王が言わんとしていることが、フレイには判らなかった。いや、判っていても、答えを返したくないだけかもしれない。


「そなたたちは再び世に出たいとは思わぬか? 世界と関わって生きていきたいとは?」


 穏やかなフレイのその言葉に、フォルスがこれまで踏み固めてきたものが再び揺れる。

 それを感じ取ったかのように、フレイは続けた。


「もしもそなたらにその気持ちがあるのであれば、余から話したいことがある。これは、フリージアからの伝言でもあるのだ」

「あの、ゲルダの娘の……?」

「そうだ」


 唇を引き結んだフォルスを、フレイは黙って見つめている。彼は答えを迫ったりはしなかった。


 フレイの言う『フリージアの伝言』を聞いてしまえば、何かがガラリと変わってしまう気がしてならない。


 フォルスは今のエルフィアの状態を変えたくなかった。今の彼らの生活は、フォルスが経験してきた中で一番平和で落ち着いているものだ。ずっと、彼が望んでいたものだった。

 今以上の生活があるとは、フォルスには思えなかった。


 押し黙ったままの彼に、フレイはその春の木の芽のような色の目を向けている。それに、燦々と太陽を浴びて生い茂る緑のような、真っ直ぐにフォルスに切り込んできた少女の眼差しが重なった。


 フレイはただ「話がある」と言っただけだ。

 そしてフリージアは疑問をぶつけてきただけだ。

 どちらも、フォルスに『要求』はしてこない――『依頼』すらしてこない。


 エルフィアがここに受け入れられてから、その数はずいぶんと増えた。皆穏やかで、満ち足りた顔をしている。

 それは、フォルスが幼い頃から切望してきたエルフィアの有り様だった。


 変化は、恐ろしい。このまま何も変えずにいれば、同じ幸せを甘受したままでいられる。


 けれど。


 フォルスは一度目を閉じ、そして開いた。そうして、フレイを見る。フォルスの眼差しを、ヒトの王は黙って受け止めた。


 しばらく視線を絡ませ、フォルスは小さく息をつく。


「こちらへ」


 短くそう促し、彼は裾を翻して踵を返した。


   *


 一夜が明けて。


 フレイ王が去った部屋の中で、フォルスは彼が残した言葉を頭の中で繰り返していた。


 フレイから聞かされた、彼が――フリージアが成したいと望んでいることは、エルフィアの未来を大きく塗り替えるものだった。

 フォルスの決断一つで、エルフィアは再び悲惨な境遇に転がり落ちるかもしれない。以前と同じか――あるいは、それよりもひどいことになるかもしれないのだ。


 ヒトには、散々な目に遭わされてきた。

 両親も祖父母もボロボロだった。

 この地に落ち着いてからも、長い間、小さな物音に怯え、夜には誰かが眠らず番をしていた。

 里の中に笑い声が響き、子ども達を自由に走らせることができるようになったのは、ここ百年ほどの事である。


 ようやく安らぎを得られた皆から、再びそれを奪うことになるかもしれない。


 フォルスは立ち上がり、落ち着きなく部屋の中を歩き回る。


 グランゲルドの王は――民は、信じるに値する人間である。

 そう思っても、フォルスには一歩を踏み出すことができない。


 エルフィアの全てが彼の両肩にずしりとのしかかってきていた。今ほど、その重さを感じたことはない。

 だが、フォルスは決断を下さなければならないのだ。王であるフレイがそうしたように、それが、長たる彼の為すべきことだった。


 フレイは一つの提案を残していったが、最後まで彼の考えを述べるだけで、「こうして欲しい」という言葉を口にすることはなかった。断るのも、承諾するのも、どちらもフォルスに一任していったのだ。


 フレイが成そうとしていることが実を結べば、それはエルフィアの前に新たな未来が拓かれる。だが、もしも失敗したり、あるいは裏切られたりしたら――


 どうすることが、一番エルフィアにとって良いことなのか。

 フレイを信じて先の見えない扉を開くことか、それとも、今のまま、閉ざされた世界で種を繋いでいくことか。


 迷う彼の耳に、戸を叩く音が届く。

 恐らくエイギルだろう。彼がフォルスの結論を確かめに来たのかもしれない。


「入れ」


 視線を上げ、戸口にそう声をかける。


 やがて入ってきたのは確かにエイギルだったが、他にも数人が部屋の中に姿を現した。

 フォルスは眉をひそめて彼らを見渡す。皆、せいぜい百歳を越したくらいの、年若いエルフィア達だった。それが、四人ほど。ソルも含めて、かねてからフォルスの元に直談判に訪れていた者達だ。エルフィアはマナヘルムから出てヒトと交流するべきだと、彼らは何度も訴えてきていた。


「何だ?」


 重大な決断を下さねばならないという時に、子どもの相手をしている暇はない。

 出て行くように言いかけたフォルスに先んじて、中の一人が口を開いた。子ども達の中では一番年長な、銀青色の髪をした、風の力を使う子だ。


「僕たちが戦場に行くことを許してください」

「何?」

 唐突な訴えに眉間に皺を寄せたフォルスを見上げて、少年は迷いのない口調で言う。

「ソルが戦場に付いて行ったと、昨日の王様のお供の人から聞きました。僕達も行かせて欲しいんです」

「エルフィアの力を、戦に使う気か?」


 フォルスはまなじりを厳しくする。

 力を使って他者を害する――それは、長い間エルフィアでは禁じられてきたことだった。


「それは……判りません。もしかしたら、使うかも」


 少年は一度視線を下げたが、またすぐにフォルスを見据えてきた。


「ソルとは大人達を説得するって約束したけど、待ってられない。僕達も動きたいんです。エルフィアだって、この世界の一員なんだ。僕達エルフィアのことでヒト同士が争おうとしているのに、ただその結果を待っているだけだなんて、イヤなんです」


 怯えも不安もない、その眼差し。

 子ども達は、外の世界を知らない世代だ。上の世代がいかに辛酸を舐めてきたか、伝え聞きでしか知らないのだ。同じ経験をしていたら、きっとこんなことは言えないに違いない。


 無知ゆえの、勇気。それは蛮勇というものではなかろうか。


 ――だが。


 そんな子ども達のことを、フォルスは鼻で笑い飛ばすことはできなかった。


 大人達が囚われている負の記憶。それをいつまでも子ども達に継がせていくべきなのか。

 フォルス達は、それを『教訓』だと思っていた。

 しかし、果たしてそうなのだろうか。本当に、何かを教え諭していることになっているのだろうか。いつしか、ただの怯懦な言い訳と成り果てていなかったであろうか。


 子ども達は確かな意志を込めた眼差しをフォルスに注いでいる。彼らは、暗い過去を持たない、明るい未来だけが待っている世代だ。

 そんな子ども達の為にできること――するべきこととは何なのか。


「フォルス」


 不意に、それまで口を閉ざしていたエイギルがフォルスを呼ぶ。そちらに目を向けると、彼は穏やかな笑みを浮かべていた。


「この里の者は、あなたの決断を全面的に受け入れます」

 そう言って、彼は銀水色の髪を微かに揺らして頷く。


 フォルスは自らの両掌に目を向けた。多くのものが委ねられているその手を見つめ、ゆっくりと握り締める。


 そうして、エルフィアの長は彼らが採るべき新たな道を決めた。

 その先に何が待っているのかは判らない。


 けれども、もう一度だけヒトを信じてみようと、彼は決めたのだ。


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