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ジア戦記  作者: トウリン
第二部 大いなる冬の訪れ

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34/71

強襲

「ねえ、エイル。いいから少し休みなってば」

「イヤ」

「でも、ほら、あたしはこんなにピンピンしてるんだからさ」

「ダメ」


 フリージアとエイルの間で何度となく繰り返されたやり取りは、やっぱり実を結ばない。フリージアはため息をつきつつ空を見上げる。


 オルディンが出発してから、二日目だ。村長には「ちょっと事情ができて二、三日滞在を延ばしたい」と伝えたら、その『事情』も訊かずに二つ返事で快諾してくれた。どうせ、行事がなければ納屋には近寄る者もいないのだから、と。


 オルディンも、明日には王都グランディアに着く頃だろう。


 ――無理してないといいけどな。


 この時すでに彼は王宮の中庭の土を踏んでいたとは露知らず、そんなふうに思いながらフリージアは北の空――グランディアのある方へと視線を向けた。


 これまで半日かそこらくらいの別行動を取ることはあっても、数日単位でオルディンと離れるのは初めてのことだった。常に背中にあったどっしりとした壁が消え失せてしまったような心許なさが付きまとう。

 無意識のうちに、また、小さく吐息が漏れた。ため息の数も、この二日間だけでこれまでの人生でついてきた分を超してしまっているに違いない。


 そんなフリージアに、ロキスが声をかけてくる。


「なあ、あんなムサイのと四六時中一緒にいて、嫌にならねぇの? 城じゃいつもビッタリだよな」

「まあ、昔からずっとそうだから」

「ああ……命狙いに来たのに逆に連れて逃げることになったって言ってたな」

「そう」

「それって、ガキの頃の話なんだろ?」

「うん、あたしが三歳の時」


 実を言うとその当時のことはもう殆どフリージアの記憶にはないのだが、オルディンからはそう聞いていた。大抵の場合、そこに子育ての苦労譚をくっつけられて。


「三歳って、ヒトでもとても小さい頃よね?」

 首をかしげてそう訊いてきたのはソルだ。

「そうだね、まあ、子どもかな」

「なら、何で命を狙われたりしたの?」


 眉間にしわを寄せ、ソルはいかにも納得がいかなそうだ。子どもを大事にするエルフィアでは、有り得ないことなのだろう。そこにロキスも同調する。


「確かにな。将軍の隠し子なんて、まあ、外聞が良くねぇといやぁ良くねぇけどさ、殺されるほどのことじゃねぇだろ。現に、兵はあんたのことを諸手を上げて歓迎したみてぇだし。王様が他所で作ったってんなら別だけどよ」

「今になって邪魔だ! と思われるのは、当たりが付くんだけどね」

 顎を抱えるフリージアを見下ろしていたロキスが、不意に「あ」と声をあげた。

「何?」

「いや……そう言えば、アウストル王は緑の目をしてるよな、と思ってさ」

「ニダベリルの王様が?」


 そう言えば、ナイで出会った少年ソリンからニダベリル王の『凄さ』は聞いたが、容姿に関しては覚えがない。


「ああ。あんた、今十五? 六? 前の戦がそのくらい――十五、六年前だったよな。まあ、確かに顔は全然似てねぇけどよ、緑の目ってのは珍しいだろ?」

 突然、ロキスがポンと手のひらを拳で叩いた。


「もしかして、あんたの父親、アウストル王だったりして、とかさ」

「あはは。まさかぁ」

 あまりに突飛な考えに、フリージアは思わず笑ってしまう。

「いや、こっそり戦場抜け出して逢引とかさぁ」

「それはないでしょ」

「結構イイ線いってると思うけどよ?」

「ないない、絶対ないって。あたしの母さん、町によく出てたっていうからさ、きっとそこで出会った誰かだよ」


 フリージアは笑いながら手を振る。と、唐突に、ザワリと首筋の毛が逆立った。細かい針で突かれているように、肌がざわついている。隣を見上げればロキスの目は茂みの方へ向けられていて、その眼差しはつい今しがたまで軽口を叩いていた時のものとはガラリと変わっていた。


「来やがったな」

「あいつら?」

「ああ。今度は殺気ビンビンだ。この間はのらりくらりとやってたクセによ。第一、いくら村の外れったって、真昼間だぜ? よっぽど焦ってんのかよ」


 軽い口調で言いながらも、ロキスの針のように鋭くなった視線は、ヒタと一点に注がれている。そうして姿を現したのは、黒衣の男四人。先日は天窓からフリージアを狙ったもう一人がいた筈だが、見当たらない。


「二人ずつだね」

「ああ……イケるか?」

「多分」

 フリージアは答え、剣を抜く。

「エイルとソルは、納屋に入っていてよ。出てきちゃダメだよ?」

「でも……」

「大丈夫。あたしもそこそこ強いから」


 フリージアがニッコリ笑うと、ソルは少し逡巡した後、エイルの手を引いて納屋に走り込んだ。その姿が消えるのを待って、ゆっくりと一つ深呼吸をする。


「さあて、と」


 一度しっかりと剣を握り直し、フリージアは男たちを睨み据える。

 中の一人と視線が合った――と思うと同時に、男たちが走る。先だっての戦いでロキスの腕前も評価しているのか、フリージア一人に集中せず、二対二に分かれて彼女たちに迫ってくる。


 あっという間に間合いを詰められ、フリージアめがけて左右から振り下ろされた剣。

 それを後ろへ跳んでかわし、すかさず左へと回り込む。腕の腱めがけて突き出した切先は相手の剣で振り払われた。が、それは予想の範囲内だ。弾かれた勢いに逆らわず腕を返して今度は足元を狙う。


 フリージアの刃が男の踵の辺りを削ぐ――が、浅い。手ごたえはあったが、充分ではない。浅いとは言え痛みはあるだろうに、男は負傷した脚を庇う素振りも見せない。

 彼の後ろから乗り出すように、もう一方の男がザッと土を蹴立てて踏み込んできた。フリージアの胴を薙ごうとした長剣を、彼女は紙一重でやり過ごす。少し服は斬れたが中身は無事だ。男は諦めることなく、右へ振り抜いた剣をそのまま高く振り上げフリージアを真っ二つにしようとする。


 彼らの動きは、何故か手に取るように読めた。

 スイ、と横に動くと、一瞬遅れた三つ編みの先が削がれてパッと赤いものが舞う。

 二人の攻撃をひとまずしのいだフリージアは、彼らから少し距離を取った。


 ――オルと似てるな。


 ふと、そんなことを思った。太刀筋が、オルディンと似ているのだ。けれど、彼よりも遅く、彼よりも軽い。


 ――やれる。


 フリージアはそう確信する。気持ち柄を握り直して誰にともなく頷いた。

 そして、地面を蹴る。


 標的は無傷の男の方だ。一足飛びに距離を詰めた彼女の肩を狙って振り下ろされた男の剣は、その腹を弾いて脇へ流す。反動でクルリと細剣を翻すと、フリージアは男の膝の上を斬り裂いた。今度は、真一文字に十分な深さで。柄を握る手に伝わってくるのは、湿った、何とも言えない嫌な感触だ。


「ッ!」


 男が押し殺した呻き声を漏らし、膝からガクリとくずおれる。立ち上がろうとしているが、太ももの筋肉が断裂した状態では無理だろう。

 その男は足を止めた――だが、息をつく暇はない。仲間を気遣う様子は微塵も見せず、今度は先に一太刀浴びせておいた方の男が向かってくる。動きは素早く、やはり、脚の怪我のことは全く苦にしていないようだ。


 オルディンの大剣ほどではないが、フリージアの細剣よりは遥かに重いであろう長剣を、男は縦横無尽に操っている。

 最小限の動きでそれをかわしながら、フリージアは相手の隙を待った。が、そうやすやすとは見せやしない。


 このまま機をうかがうべきか、それともさっさと打って出るべきか――


 フリージアが決めかねていた、その時だった。

 不意に、男が動きを変える。剣を翻し、横から飛んできた何かを斬り捨てる。それはパッと煌めき、次の瞬間形を残さず消え失せた――熱だけを残して。


 ソルが放った炎の玉だ。

 目くらまし程度の些細なものだったが、フリージアには充分だった。視界の片隅に納屋の奥へと引っ込む朱銀の輝きを引っかけながら、フリージアは無防備に晒された男の腕へと刃を走らせる。


 フリージアの手に確かに伝わった、ブツブツと何かを断ち切る感触。

 唇を強く噛み締め、一気に振り抜く。

 男の手背から飛び散る血しぶき。

 ガラン、と、長剣が地面に転がる。

 男は腱を斬られて動かなくなった自分の利き手を一瞬だけ見つめたが、すぐに無事な手を腰に手をやりそこに挿されていた短剣を握った。そして間髪を入れずにフリージアに迫る。


 最初の一撃は剣で弾き飛ばした――が、速い。男は長剣の時よりも格段に素早い動きで攻撃を繰り出してくる。


 フリージアの一番の強みは速さだった。それを取られてしまったとなると、実戦経験のない彼女には少々不利になってくる。当たりが軽い分だけ防御は楽だが、かと言って、なかなか攻撃に転じることができない。


 恐らく男は、フリージアの体力が底をつくのを待っているのだろう。そう柔ではないが、いつまでもこうしてはいられない。


 ――どうしようかな。


 フリージアがそんなふうに思った時だった。一歩後ろに引いた右足が、何かを踏み付ける。一瞬落とした彼女の目に入ったのは、男が落とした長剣の、柄。


 いつしか、彼に誘導されていたのだ。

 フリージアの身体がグラリと揺れて、思わず膝を折る。

 顔を上げると、目に入るのは迫る切っ先。

 咄嗟に剣を上げ、フリージアはそれを払おうとした。


 が。


 手を上げきる前に彼女の耳に届いたのはズブリというやけに耳障りな音と、それに続く何かが落ちた音。


「グ……ッ!」


 フリージアが負わせた手傷では全く堪えた様子を見せなかった男が、呻き声を漏らす。それを聞きながら、彼女は自分の目に見えているものが信じられなかった――いや、見えるべきものが見えていないことが。


 ――腕が、ない。


 消えた腕の代わりに滴り落ちる血は信じられないほど多い。


 フリージアは見開いた目をずらし、地面に向け、そこに転がる短剣を握り締めたままの腕を見つめた。そして再び顔を上げ、苦悶の声を上げる男の向こう側に立っている者に目を向ける。


「オル……」


 呆然と彼の名を呼んだフリージアを、彼は視線を投げるように見返してきた。いつも彼女を見守ってきてくれた、その眼差し。だが、今フリージアに向けられているオルディンのその目には、冷やかさだけがあった。


 見慣れぬその色に、フリージアはヒクリと息を呑む。そんな彼女を一瞥すると、オルディンは踵を返して未だ二人の刺客相手に剣を振るっているロキスの元へ走って行く。

 立つ力を奪われた男と腕を失った男はもう戦力外だ。フリージアはふらふらと立ち上がると、腕を落とされた男に近寄った。彼の服を切り裂き、それで生々しい断面を見せる傷の上をきつく縛る。流れ出す血の勢いは、弱まった。


「……ごめん」


 思わず、フリージアはそう呟いていた。

 彼女のその一言に、男が微かに目を見張る。


 それも当然だろう。

 命を狙った相手から謝られることなど、有り得ないだろうから。だが、フリージア自身、何に対しての謝罪なのか、よく解からなかった。


 男に取り返しのつかない怪我を負わせてしまったことか。

 あるいはオルディンにその手を汚させてしまったことか。


 振り返れば、オルディンはすでに一人を叩き伏せ、もう一人をロキスが押さえ込んでいる姿が目に入った。二人はそれぞれ黒衣の男を引きずって、フリージアのもとにやってくる。だが、間近に立っても、オルディンは無言のままだ。


 四人の暗殺者を一ヶ所に集め、オルディンは彼らの前に立つ。チラリと腕を切られた男に手当てがなされているのに目を走らせたがフリージアにそれを問うこともなく、短く言い放った。


「失せろ」

「黒幕訊き出さなくていいのかよ?」

 ロキスが目を丸くしてオルディンに確認する。

「無駄だ。何も言いやしない。それよりも村人に気付かれたら騒ぎになる」

「ていうか、この血溜まり見ただけで卒倒するんじゃね?」

「土でもかけておけ」

「なんか、ニイさん怒ってる?」


 いつもよりも更に素っ気ないオルディンの口調に何かを感じたのか、ロキスが眉を上げて余計なことを口にした。案の定、オルディンから与えられたのはより一層鋭くなった眼差しだ。


「その口閉じて、やることをやれ」

「へいへい」

 いつにも増して取りつく島もないオルディンのその態度に、ロキスは肩を竦めて撤退する。


 オルディンは再び黒衣の男達を見下ろすと、言った。

「貴様らはとっとと戻って雇い主に報告するんだな。何度狙おうと、無駄だと」

 オルディンのその台詞に男たちは顔を見合わせている。


「この場で死のうとは思うな。死体が邪魔だ。拷問してまで雇い主を訊き出すつもりはねぇ」


 彼らの意図を察してオルディンが先回りした。と、そこへヒュッと短く口笛の音が響く。それは、先日聞かれたものと同じだった。恐らく退却の合図なのだろう。男たちは互いを庇いながら立ち上がる。そうしてオルディンを見つめたまま後ずさりで距離を取った後、背を向けて去って行った。


「オル……」


 フリージアは、敵の姿が消えても振り返ろうとしないオルディンの背中におずおずと声をかける。彼はその声を無視してまだ地面に転がったままの腕を拾い上げた。


「オル?」

 フリージアはもう一度名前を呼ぶ。


 ようやく、オルディンは彼女の方を向いてくれた。そして、唐突に血の気の失せた腕をグイと彼女の目の前に突き出す。


「!」


 思わず息を呑み一歩後ろに下がってしまったフリージアを、オルディンの低い声がとどめた。


「何故、急所を狙わなかった?」

「え?」

「やろうと思えばすぐに仕留められただろう? 俺は、敵に躊躇するなと言った筈だし、そのすべも教えた筈だ」

「それは……」


 正直、フリージアの頭の中からオルディンのお達しは消え失せていた。いや、正確には、頭の片隅に押しやっていたというべきなのかもしれない。命を奪うことなど、彼女には思いも寄らなかったのだ。


「お前は戦う道を選んだのじゃないのか? なら、お前の進む先にあるのは、これだ」


 言い捨て、オルディンは腕をフリージアの足元に放り投げる。どさりと音を立てて転がる、もう人肌の色ではなくなっている、まるで作り物のようなモノ。

 フリージアは唇を噛んだ。そんな彼女を瞬きいくつかの間だけ見つめ、オルディンは立ち去ってしまう。離れていく背を引き止める言葉もなく見送るフリージアに、ロキスが苦笑いと共に言った。


「怒ってんねぇ」


 オルディンのことだから、遠くには行かないだろう。けれどフリージアには、あの眼差しの後に距離を取られたということに、彼の拒絶の意思がひしひしと感じられた。


「さっさと謝っちまえって」

 気軽にそう言うロキスに、フリージアは俯く。

「だって……どれに怒ってるのか、判らないよ」

「そんなの、ゴメンナサイって言っちまえば、あっちが勝手にしゃべり出すだろ」

「でも、それじゃ謝ったことにならないじゃない」

「いいんだよ、こういうのを処世術ってんだ。ほら、いいから行ってこいって」


 そう言うと、ロキスはフリージアの背中を押し出した。一歩を踏み出し、最初はのろのろと、次第に駆け足で、フリージアはオルディンの後を追う。


 彼を見つけるのは、そう難しいことではなかった。

 村を囲う柵に両手を置いて、オルディンは俯いている。その背中に、フリージアはそっと声をかけた。


「オル?」


 彼はすぐには振り向かない。肩の動きで、何度か深く息をしているのが判った。

 そうして、ゆっくりとフリージアに向き直る。


 さっきまでオルディンの目の中にあった冷たい色は、消え失せていた。代わってそこに満ちているのは、満身に傷を負ったかのような、痛みの色。

 それを目にして、フリージアの心臓は強く握り締められたような苦しみを覚える。誰よりも強い彼を、誰よりも痛めつけているのは、自分なのだ。


「ごめん……ごめんね、オル」


 その言葉が、自然と、フリージアの口から零れ落ちた。


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