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ジア戦記  作者: トウリン
第二部 大いなる冬の訪れ

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33/71

焦燥

 王宮の廊下を歩きながら、彼は二日前に黒衣の男から受けた報告を思い返していた。


 彼が契約を交わしている組織は、ありとあらゆる影の仕事を引き受けてくれる。


 ロウグ家の隠し子の情報をもたらしたのは組織の者だったし、他国の者が不穏な考えを抱いたと知らされれば、それなりの対処も依頼した。ゲルダを仕留めたのも彼らだ――もっとも、戦回避の為に試みた筈の行為は、娘が現れたことで結局意味のないものになってしまったが。


 彼女を殺したことへの微かな後悔は、彼の中にも確かにある。だが、あれも熟慮の上の決断だった。あの時は、それが一番の方法だと思ったのだ。


 この美しい国を美しいままで保つには、あらゆる手段を用いなければならない。

 優しい王、穏やかな国民、豊かで争いのない国。それらを護る為には、汚泥に手を突っ込むこともしよう――彼なりの正義に則って。


 彼にとっては、手段ではなく結果が全てだった。最終的に、このグランゲルドが平穏なままで保たれていればいい。


 殆どの場合、組織は期待に沿う結果をもたらしてくれた。数少ない例外はロウグ家の娘に関する依頼ばかりだったが、ようやくそれも成し遂げられたようだ。


 組織は、遠く離れた者と言葉を交わせるエルヴン――エルフィアとヒトとの間に生まれる存在のことも、彼はこの組織の者から教えられた――を擁している。その者の力によって、彼の依頼の首尾の報せは速やかに届けられた。


 彼女は、確かにあの毒を受けたという――彼女の母親の命を奪った、あの毒を。あれの効果は、彼もよく知っていた。ひとたび食らえば逃れる術はない。

 短剣は彼女の腕を削いだ程度だというから、今は怪我を気にすることもなく襲撃をしのいだことに胸を撫で下ろしていることだろう。だが、遅かれ早かれ、彼女の命は失われるのだ。


 念の為に、まだ刺客たちは彼女の近くに忍ばせてある。だが、敢えて刃で仕留めずとも、毒が効いてくるのを待てばいいのだ。


 常に娘の傍から離れずその身を護る者――オルディン。あの男は、腕が立つ。それもそうだ。かつて幼い彼女を殺そうとした時、組織の中で最も優れた者をと注文を出し、そして選ばれた男だったのだから。


 まさか、暗殺者が守護者に転じるとは、思いも寄らなかったが。


 力押しで彼女の命を狙えば、あのオルディンに阻まれるだろう。無駄に屍が増えるだけで、それは男の望むことではない。元組織の者とは言え、出奔して十年以上になる今の彼があの毒の解毒薬を持っているということはない筈だ。


 だから、ただ、待てばいい。

 待てばいいのだが――


 男の胸中は何故か落ち着かない。


「さて、どうしたものか」

 ポツリと呟く。


 確実に息の根を止めるなら、今が好機だ。二日経って、きっと、気が緩み始めている頃だろう。逆に、時間を置けば再襲撃への警戒心がまた高まってきてしまう。


 狙うなら、今。彼の短い合図一つで、男たちは直ちに動く。


 だが。


 ――あの毒を受けてなお生き延びるというのなら、それは天が彼女の側にある、ということなのかもしれない。


 彼の胸を、そんな考えがよぎる。

 と、不意に、中庭の方が騒がしくなった。


   *


 二日間、オルディンはスレイプを飛ばせ続けた。


 フリージア達を納屋に残し、オルディンがスレイプの背の上の人となったのは二日前のこと。それから彼らは不眠不休で王都を目指している。


「悪いな、スレイプ。だが、急いでくれ」


 そう呟いて広い背を叩いてやると、翼竜は答えるようにクルルと喉を鳴らした。


 この状況でフリージアを置いてこなければならなかったことは、オルディンにとっては身を裂かれるような思いだった。ロキスの腕は確かだが、あの刺客達全員を相手にするようなことになったら流石に勝ち目はないだろうし、そうなれば、きっとフリージアも剣を取るに違いない。

 それに、エイルの治癒の力もどれほど効果があるのかが判らない。あの毒を、怪我や病気と同列に考えてしまって良かったのだろうか。


 また、襲撃を受けたら。

 フリージアの身が取り返しのつかないほどに毒にやられてしまっていたら。


 ――自分が間に合わず、彼女が失われてしまったら。


 スレイプの手綱を握るオルディンの頭の中には、そんな嫌な考えばかりが浮かんでくる。


 だが、ロキスを馬で走らせては時間がかかり過ぎるし、翼竜を見たこともない者にスレイプは操れない。


 フリージアを一緒に連れてくるのが正しい選択だったのか。

 オルディンはそう考えて、首を振った。彼女の身体に入った毒の量によっては、体内の破壊は急速に進行する。やはり置いてきて、エイルに癒させるのが最上の手だった。毒がフリージアの身体を蝕むのに任せるよりは、きっとその方がいいに違いない。


 フリージアを連れて出る時にゲルダが口にした、台詞。


『生きる理由』。


 今のオルディンにとって、フリージアはまさにそれだった。ただこの身体を動かすことには何の意味もない。彼女の為に動くからこそ、その行動全てに理由と目的ができるのだ。


 フリージアが笑い、怒り、日々何かを吸収しながら成長する様。

 それを見ることができなくなったら、オルディンは他に何に目を向けたらいいというのか。


「ああ、クソッ!」

 思わず毒づいたオルディンを、スレイプが何事かと振り返る。

「いや、何でもない。もう少しだ――ああ、見えてきたな」

 スレイプに声をかけながら遥か前方へと視線を向け、オルディンは目をすがめた。


 霞んで見えるのは、白亜の宮殿。それは、グングン近付いてくる。


 平素なら、スレイプはフリージアの屋敷に置いてそこから徒歩なり馬で走るなりする。が、今はそんな時間をかけている暇はなかった。

 王宮の中庭へと乗り付けたオルディンは、低く飛ばせたスレイプの背から跳び降りる。失速しないようにとスレイプが大きく打ち振るった翼で木々の葉が嵐のように乱れ飛んだ。

 庭木を踏みつぶすことなく再び空高く舞い上がった翼竜にチラリと目をやり、オルディンは王宮の中へと駆け込んだ。


「ビグヴィル! ビグヴィル将軍はどこだ!?」

 静かな王宮内に彼の怒声が響くと、たちまち人が集まってくる。

「どうしたのだ、オルディン」


 真っ先に現れたのはミミルだった。老宰相は騒がしいオルディンに眉をひそめてそう問うたが、すぐにフリージアがいないことに気付いたようだ。青灰色の目が陰りを帯びる。


「ロウグ将軍は、どうされた?」

「ちょっと、まずいことになった」


 鋭い声でのその問いかけへ大雑把にそう答え、オルディンは続々とやってくる人の波に目を走らせた。スキルナもいる。サーガも、フレイも。だが、肝心のビグヴィルが見当たらない。


「ビグヴィルはどこだ? ラタも必要だ」

「オルディン、少し落ち着きなさい」

「のんびりとはしていられない。刺客に襲われてジアが毒を受けた――母親と同じものを」

「何!?」


 オルディンの言葉にどよめきが走る。ミミルはわずかに眉を動かしただけだが、フレイやサーガは蒼白で、今にも失神しそうなほどだった。


「それで――それで、あの子は、フリージアは今どこにいるの?」

 唾を呑んだサーガが、言葉を詰まらせながらそう問いかけてくる。

「あいつは大丈夫だ。だが、解毒薬を早く飲まさねぇと――」

「薬? だが、どんな薬も効果がなかったから、ゲルダ殿は命を落としたのだぞ?」


 ミミルのその台詞に、サーガがブルリと大きく身体を震わせた。そんな彼女を、フレイがそっと抱き寄せる。


「俺がビグヴィルに解毒薬を手に入れるように頼んでおいたんだよ。けどな、薬があってもさっさと飲まさなきゃ手遅れだ。だから、ビグヴィルは何処だと訊いている。将軍から薬を受け取ったら、ラタであいつの所にすぐ戻る。今はエイルの力で時間稼ぎをしてもらっているんだ。だが、さっさと毒を消さなきゃ話にならん」


 苛立ちを含んだ声で口早にそう告げたオルディンを、ミミルは数瞬見つめた――射抜くような眼差しで。そして、ふと息をつく。


「わかった。詳しい話はまた戻ってから聞くことにしよう。ラタはロウグ家におる筈だから、そなたは先に戻るがいい。すぐにラル将軍も向かわせる」

「では、私がラル将軍を探してまいりましょう。この時間であれば、恐らく黒鉄軍の訓練所におられる筈です」


 そう手を挙げたのは、スキルナだった。フリージアの身を案じている為だろう、彼の顔も硬く、わずかに血色が悪い。


「頼む」


 オルディンの短い言葉にスキルナは頷くと、身を翻して去って行く。それを見送ることなく自身も屋敷に向かおうと踵を返したオルディンを、震える声が引き止めた。


「オルディン」


 首を捻ってそちらを向くと、血の気の引いたフレイの顔があった。そこに浮かんでいるのは、自らが命を狙われたとしてもそれほど怯えることはないのではなかろうかと思わせるほど、強い恐怖の色だった。誰かの身を案じるいつもよりも色濃いその緑の目は、フリージアとよく似ている。


 そう、似過ぎている。


 ――そういうこと、か。


 不意に、オルディンの中にストンと何かが落ちた。

 幼い頃にフリージアが命を狙われた、その理由。きっとそれは、目の前にあるものだ。


 彼自身が、それを知っているのかどうかは、判らない。だが、王都から遠く離れた地でフリージアを育てていたゲルダが秘密を明かしたとは、思えなかった。

 フレイの蒼褪めた顔の中にあるのは、大事な臣下の命を案じる想いなのか、それとも、また全く別の存在に向けるものなのか。


 そしてまた、オルディンの考えていることが正しければ、刺客を放った者は城の中にいる算段が高くなる。皆一様にフリージアを案じる色で塗り潰されているように見えても、その中の一人は違うのだ。


 それは愛憎という感情的なものが動かしたものか、あるいは国を憂えるという理性からの行動か――


 オルディンは胸中に湧いた疑念を振り払う。今はフリージアの出生の秘密や犯人捜しよりも優先すべきことがあった。

 余計なことにかかずらっている猶予はないのだ。


「何ですか?」


 ぞんざいな口調で、オルディンは王に向かってそう返す。今は一刻も早くフリージアの元に戻らなければならない。言葉を尽くして皆の不安を解消してやる暇はなかった。


「頼む……あの娘を、必ず助けてやってくれ」


 フレイの口から絞られるようにこぼれたのは、至極当然な台詞。だが、オルディンにとってそんなことは言われるまでもない。フリージアの命が尽きる時は、即ち彼の命も終える時なのだから。


 王に対して無言で頷き、今度こそ、オルディンはロウグ家へ向けて走り出した。


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