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ジア戦記  作者: トウリン
第二部 大いなる冬の訪れ

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32/71

 納屋を出ていくオルディンとロキスを見送ったフリージアは、エイルとソルに向き直った。


「大丈夫だから、ここでじっとしててね」

「何なの?」


 ソルが眉をひそめてフリージアを見上げてくるが、そこに怯えた色はない。多分、危害を加えられたことのない小鳥が平気で人の肩に乗ってくるのと同じだ。エルフィアの里という安全地帯で脅かされたという経験がなかったから、危険を感じることがないのだろう。

 怯えていないのなら、敢えて怖がらせる必要はない。


「ん、まあ、ちょっとね。でもオルディンに任せておいたら大丈夫だから。ほら、そっち行って」


 フリージアは笑いながらそう言って、二人をできる限り壁際にやった。そうして、彼女は自分の剣を抜く。


 やがて聞こえてきたのは剣戟の音。

 絶えることなく響いてくるそれから、戦いはかなり激しいものであると判る。


 敵の数を計ろうと耳を澄ましてみても、フリージアには予測もつかない。でき得ることなら自分も戦いたかったが、エイル達を守らなければならないのも事実だ。

 ちらりと視線を下に向けると、膝を抱えて座り込んでいるエイルと、その横に、外から聞こえてくる音に不安そうな色を浮かべ始めたソルの顔があった。彼女に向けて、もう一度ニコリと笑いかける。


 あまり大きな物音を立てていては、じきに村人が気付いてしまうだろう。そうなると、彼らに危害が及ぶかもしれない。


 ――それまでには片を着けて欲しいんだけどな。


 フリージアは小さくため息をつく。

 十中八九この襲撃はフリージアを狙ったものだから、もしも村人が傷付くようなことがあれば、それは彼女の所為でもある。


 関節が白くなるほどに力が入った剣の柄を握るフリージアの手に、何かが触れた。


 エイルだ。

 無表情なおもて――けれども、その奥に多くのものが渦巻いていることを、今のフリージアはもう知っている。


「大丈夫だよ」

 フリージアは微笑みと共にエイルにそう声をかける。


 その時。


 コトリ、と、微かな物音が耳に届いた。

 サッと振り返ったが、入口の扉は閉じたままだ。


 ――気の所為?


 フリージアは耳と神経を研ぎ澄ませて気配を探る。


 再び、今度はキシ、と木の軋む音。それは上の方から聞こえた気がして、フリージアは視線を上に向けた。

 目に入ったのは、小さな天窓。


 そして。


 ハッと思った時には、それはすでに放たれていた。


 燭台の灯かりに煌めく銀閃。

 迫る短剣を、手にしたその剣で払い落とせばよかったのかもしれない。フリージアには、その技があった。だが、技はあっても、彼女は歴戦の兵士ではない。


 咄嗟に取れたのは、理性ではなく感情に基づいた、全く別の行動だった。


 フリージアはクルリと身を翻して、エイルとソルを抱え込む。直後、腕に走った鋭い痛み。彼女の上腕を削いだ短剣は、鈍い音と共に壁へと突き刺さった。


「ッ!」

「フリージア!?」


 悲鳴のようなソルの声に答える余裕はなくフリージアは振り返り、天窓へと目を走らせる。そこには、もう何もなかった。ぽかりと開いた空間から、暗い夜空が見えるだけ。


「あれだけ……?」

 呟いてみても、いない者はいなかった。

「ちょっと、フリージア、その腕大丈夫なの?」

「え? これ? 全然平気。かすり傷だよ――エイル、ダメ!」


 フリージアは心配そうに声をかけてきたソルにニコリと笑い、傷に手を伸ばしてきたエイルをピシャリと制止する。


「こんな傷、放っておいてもすぐに治っちゃうんだから、力は使わなくていいの!」


 言いながらフリージアは腕を伸ばして傷の具合を確認する。本当に、たいした怪我ではなかった。三日もすれば、自然と塞がってしまうだろう。小さい頃、落ちた雛を軒下の巣に戻そうとして屋根から落ちた時の方が、余程大きな怪我だった。


 と、突然大きな音を立てて扉が開け放たれる。

 まさか、オルディン達が敗れたのかとフリージアの全身に緊張が走る。だが、目を走らせた先に見えた姿に拍子抜けした。


「オル?」

 彼は、無言で大股に近づいてくる。が、不意にその足を止めた。

「ジア……その腕は……」

 呆然とした声は、オルディンらしくないものだった。


「どうしたの? 外は大丈夫? ロキスは?」


 立て続けのフリージアの問いには答えず、オルディンは再び近付いてくる。彼の目は『彼女を』というより彼女の腕を――そこにある傷を凝視していた。


 フリージアの元まで来ると、彼女の腕を掴んで持ち上げる。


「この傷はどうしたんだ? 何で付いた?」

「え? ああ、そこの短剣。あそこの天窓から投げてきたんだけど、それだけで行っちゃったんだ。狭くて入れなかったからって、苦し紛れだったのかな」


 壁の低い位置に突き立った短剣へ視線を流しながらフリージアがそう答えると、オルディンの目もそちらへ移る。そして彼女の腕を放すと身を屈めてその短剣を抜き取った。その切っ先を見つめる彼の目がすがめられる。


「クソッ!」

 常の彼らしくない、切羽詰まった声での毒付きに、フリージアは眉をひそめた。

「どうしたのさ。かすり傷だよ?」

「ああ、傷はな」

 そう言ったきり、オルディンは口を閉ざして考え込んでいる。


 と、今度はロキスが入ってきた。


「あ、ロキス、外は?」

「何だか知らねぇが、消えちまった」

「え?」

 肩を竦めながらのロキスの返事に、フリージアは眉根を寄せる。彼は言葉を変えて繰り返した。

「サァッとな、逃げてきやがったぜ?」

「どういうこと? 何しに来たんだろ」

「オレに訊くなよ」

「そりゃそうだよね……」


 フリージアは腕を組んで首をかしげる。呆れた口調のロキスに代わって彼女の呟きに答えたのは、オルディンだった。


「目的は果たしていった」

 彼はフリージアが今まで見たことがない真剣な眼差しを彼女に向けている。

「でも、すぐ逃げちゃったよ?」

「これで充分なんだよ」


 オルディンは手にした短剣を差し出しながら、そう言った。フリージアはそれを受け取り、しげしげと見つめる。


「これ?」

「そうだ」


 フリージアには、何の変哲もない短剣にしか見えない。何があるのだろうと矯めつ眇めつしていた彼女の両肩に、不意にオルディンの手が置かれた。


「フリージア」


 険しい声で名前を呼ばれ、フリージアは顔を上げる。出合ったのは、怒っているのかと思うような彼の目だ。


「どうしたの?」

「お前、母親の事を聞いただろう? 母親が死んだ時のことを」

「母さん? うん……それが、何?」

「多分、同じだ」

「え?」


 フリージアは首をかしげる。と同時に肩の上のオルディンの手に力が入り、思わず彼女は顔をしかめた。


「それにはお前の母親を殺したのと同じ毒が塗ってある。だから、あっさりと引き上げたんだ。そうでなけりゃ、ここに奴らの死体が転がってるさ。奴らは前に来た雑魚とは違う。あいつらかお前か、どっちかの息の根止めねぇ限りは諦めやしない」

「でも、全然何ともないよ?」

「後から効いてくるんだよ」

 言い切ったオルディンはエイルに目を向けた。

「エイル。お前、スレイプに乗った状態で力を使えるか?」

「ちょっと待って、エイルの力は使わせないよ!」

「お前は黙っとけ。どうだ、エイル?」


 フリージアに向けてピシャリと言い、オルディンは重ねてエイルに確認する。エイルは少し考える素振りを見せ、首を振った。


「そう、か」


 オルディンの奥歯がギリリと立てた音が、フリージアの耳に届く。明らかに、彼は焦っている。フリージアはオルディンのそんな姿をこれまで見たことがなかった。


「オル……」


 名前を呼ぶフリージアの声にも、反応しない。オルディンは彼女を無視して、今度はロキスに向き直った。


「ロキス」

「何だ?」

「俺はしばらく留守にする。お前にこの場を任せていいか?」

「あ?」

「俺はスレイプで城に戻る。その間、こいつらを守って欲しい。行きはスレイプの翼だから二、三日かかるかもしれんが、戻るのはラタに頼む」

「あんたが? オレに任せるって?」


 ロキスのその赤い目が、この上なく愉快そうに煌めく。オルディンはその目を真っ直ぐに見返して続けた。


「ああ、そうだ。俺は今すぐここを発つ――エイル!」

 強い口調でオルディンがエイルを呼び付ける。そして、膝をついて銀色の目と高さを合わせ、言う。

「エイル。俺が戻るまで、お前の力をフリージアに使っていて欲しい」

 彼の言葉に、エイルは何の疑問も挟むことなくコクリと頷いてしまう。


「エイル、ダメだって!」

「黙れ、フリージア」

「でも、オル――」

「この毒には解毒薬がある。お前の母親の話を聞いた時、ビグヴィルに頼んで手配しておいた。俺は、今からそれを取りに行く。だが、取り返しがつかない程身体の中が壊れてしまっていては、解毒薬も意味がなくなるんだ。進行を止めておかなければならないんだよ」

「でも、そうしたらエイルの命が縮んじゃうんだ。それに、ラタだって」


 オルディンの両腕を掴んで、フリージアは訴える。自分の命の代わりにエイルやラタの命を使うなど、できはしなかった。エイルの事を護ると約束したのは、フリージアなのだ。


「あたしは大丈夫だから、ほら、ピンピンしてるじゃん。大丈夫、間に合うって。このまま皆で一緒に帰ろうよ」


 ニコッと笑って見せたフリージアだったが、オルディンは険しい顔のまま、彼女を見下ろしている。


 オルディンは一歩も引きそうにない。

 だが、フリージアもそれは同じだ。彼女の身体を癒す為にエイルがどれほど消耗するのか判らない。いずれにせよ、エイルの命はエイルのもので、それは他人が使うべきではないと思うのだ。


 ――オルディンが発ってから、エイルの治療を受けなければいい。母親も、毒を受けてから亡くなるまで、十日ほどかかったのだから、きっと、七日やそこらくらいはもつに違いない。

 唇を噛んでそう考え、フリージアは顔を上げた。そうして、オルディンに向けて笑って見せる。


「わかった。じゃあ、おとなしく待ってる。でも、帰りもスレイプでね? ラタを使っちゃダメだよ?」


 根負けした、と言わんばかりの口調でそう告げて、フリージアは彼に向けてヒラヒラと手を振った。が、その手が乱暴にグイと引かれる。「え?」と思った瞬間、彼女はオルディンの腕の中にいた。強く――強く抱き締められて、その力に、毒よりも先に窒息してしまいそうだ。


「オル、ちょっと、痛い、痛いってば」

 手のひらで彼の背中を叩いても、ビクともしない。そして耳元で囁かれた、苦しげな声。

「頼むから……心底から頼むから、俺の言うことを聞いてくれ。ニダベリルで川に落ちたあの時も言っただろう? お前に何かあれば、俺の心臓が止まる。いいか? 本当に止まる――いや、止めるからな」


 それは、フリージアが死ねばオルディンも死ぬと言われているも同然だ。いや、本当に、彼はその宣言を実行するかもしれない。

 彼のその声と言葉に、フリージアの胸はきつく掴まれたような痛みとも似た何かに襲われる。苦しいのに、甘くもある、何かに。


「オル……」

「お前の事だから、俺がいなくなれば適当にごまかしておきゃいいとか思ってんだろ?」


 どうやらフリージアの考えなどすっかり読まれていたようで、彼女の首筋に顔を埋めたまま、オルディンが言った。一瞬、その問いの答えも適当にごまかしてしまおうかと思ったフリージアだが、少し迷って、止めておいた。


「……ゴメン」

「まったく、お前は」

 ぼやき声と共に、オルディンの温もりが離れていく。

「とにかく、お前は俺が薬を持って帰るまで、体調万全に整えておけ。ロキス、いいか? いざとなったら頭ぶん殴って寝かしつけてでも治療させろ」

「へえ、そんなことしちゃっていいわけ?」

 ニヤニヤしながらのロキスの確認に、オルディンはキッパリと断言した。


「構わん」

「了解」


 何となく、ロキスの役割は護衛よりもそちらの方が期待されているような気がしてならないフリージアだったが、下手に何か言っても茂みを突いて毒蛇を誘い出す羽目になりそうで、敢えてそこは口を閉ざしておいた。


「オルも無理しないで、気を付けてよ? スレイプにも無理させないでよ?」


 全く何の不調もきたしていない自分の身体よりも、余程そちらの方が心配なフリージアである。


 彼を案じる色がその目に出ていたのか、オルディンが片手を伸ばしてフリージアの髪を乱暴に撫でる。言葉はなかったが、いつにも増して荒っぽいその撫で方に、彼の気持ちが出ているような気がした。


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