変革を望む者
フリージア一行の周りには、色取り取りのエルフィア達が集まってきていた。久方振りのヒトの姿を、彼らは遠巻きに眺めている。
四方八方からの視線を感じながら、フリージアはもう一度フォルスに繰り返した。
「エルフィアの人たちはフレイ王が決めたことに従うって、聞いてます」
繊細で優美なその顔を見上げて問うた彼女に、フォルスはピクリとも表情を変えることなく頷き返す。
「その通りだ」
それはまるで取るに足らない小さなことのような無造作な言い方で、フリージアにはやっぱりそれをすんなりと受け入れることができないのだ。
ニダベリルの要求通りかつて亡命してきたエルフィアを引き渡せば、彼らはきっとひどい目に遭う。フォルスも、あの国でエルフィアがどんな扱いをされているのかを聞いている筈だ。
――それなのに、抗おうとしないとは。
炎を自在に操り、大地をも動かせる力があるのであれば、それを使って拒めばいい。雨を降らせ、大風を吹かせて、追手を追い払えばいいだろう。
エルフィアは、そうできるだけの力は持っているのではないのか。
フリージアは眉間に皺を刻んで、更にフォルスを追及する。
「仲間の運命を王様に投げてしまって、それでいいんですか? エルフィアの事はエルフィアで決めようとは思わないんですか?」
「我々にそんな権利はない」
「え?」
即答してきた彼の言葉の意味を掴み損ねてフリージアは眉をひそめる。そんな彼女へ、フォルスは淡々と続けた。
「ここは、本来我々の土地ではない。貴女方グランゲルドの人間のもの、そうだろう? 我らはそこに『住まわせて』もらっているだけだ。ならば、そちらの言葉を聞くしかあるまいよ」
「違うでしょ? もうずっとここに住んでいるんだから、あなたたちはここにいる権利がある筈でしょ? イヤならイヤって言えるんだよ? そうする権利は、ちゃんとあるし、王様だってそう思ってるよ」
フリージアは言い募るが、フォルスは静かにかぶりを振るだけだ。
「いいや、我々にはそんなものはない。しかし、それでいいのだ。ニダベリルから逃れてきた者も、承知している。彼らが行くことで残る者が助かるのであればそれでいい、と」
「そんなの――」
「我々は、納得している。ニダベリルからの亡命者は十二名。もしもグランゲルド王が彼らを引き渡すと決めたなら、彼らと引き換えに残る百数十名は安泰だ。そうする方が、結局はエルフィアという種の為になる」
どこかで聞いたようなセリフだった。そしてフリージアは、それに大反対だったのだ。その考えがそう簡単に変わるわけがない。
「どっちもっていうふうには思えないの? どちらも護る為に自分ができる精一杯の事をしようって、思わないの?」
「もしも抗えばエルフィアはここを追われ、また安住の地を探して彷徨うことになるだろう。私が護りたいのは、エルフィアという『種』だ。『個』よりも『種』を優先する」
「でも、この里を作っているのは、一人一人のエルフィアでしょ? うまく言えないけど、でも……『その人』を大事にしなくちゃ、『集団』だって壊れちゃうよ。群れも大事だけど、一人一人だって、大事にしなくちゃ。ただの『数』の問題じゃないよ」
足りない言葉がもどかしくて、フリージアは拳に握った両手を振りながら、懸命にフォルスに説く。
フリージアもグランゲルドという『国』を大事に思っているが、彼女にとっては、それ以上にそこに住む『人』が大事なのだ。極論を言えば、国という形が無くなっても、みんなが変わらず幸せに過ごせるのなら別にそれでも構わない。
ニダベリルにおとなしく従えないのは、そうすれば今の幸せが壊れてしまうからだ。だから、それを護る為には戦うことも辞さない。戦わないで済むに越したことはないが、そうする必要があるのであれば、彼女の持てる力を全て尽くす。ダメだ、無理だと投げ出すのは、できることを全部やった後だ。
エルフィアだって、それは同じではないのか。
個々をないがしろにして種としての形だけを守ったとして、それが幸せだと言えるのか。ただ、『エルフィア』という種を保つだけに固執して、それで本当に『生きている』と言えるのだろうか。
こんな所に閉じこもって、ただ『数』を増やすだけだなんて。
「それは、なんか、違うと思う……」
目を伏せ、そう呟く。うまく説明できないが、フリージアにはそれが良いこととは思えない――納得、できない。
フリージアのその言葉に、すぐには返事がなかった。顔を上げると、フォルスの目はヒタと彼女に向けられている。いや、その目は深い翳りを帯びていて、フリージアに向けられているのに、彼女を突き抜けて他の何かを見つめているように感じられた。
その眼差しの中にあるものは――。
淡々としたフォルスの表情の奥に、チラリと何かが垣間見えたような気がしたのは、フリージアの希望に過ぎなかったのだろうか。
己に注がれている彼女の視線に気付くと、フォルスはゆっくりと瞬きを一つして、またすぐに元の静謐な顔を取り戻した。
「我々には我々の事情がある。長い時の流れを経てきた事情が。貴女の尺度に当てはめればおかしく感じられるかもしれないがな。貴女がどんなに言葉を尽くそうとも、エルフィアの答えは同じだ。『グランゲルドの王に任せる』、それ以外にない」
穏やかな口調でキッパリと言い切られ、フリージアはそれ以上の言葉が思い浮かばない。握った拳を身体の脇に下ろし、唇を噛む。
そんな彼女を一瞥すると、フォルスはオルディンに視線を移した。
「長旅で疲れていることだろう。空いている家を探させておくから、今日はここで休んでいくといい」
それだけ残し、あとは踵を返して立ち去って行く。結局彼は、エイルには一度も目をやらなかった。そして、それを皮切りに他のエルフィア達も彼女たちに背を向け始める。
「ジア」
立ち尽くしているフリージアの肩にオルディンの手が置かれる。
「しくじったか、な」
彼に確かめるまでもなく、失敗したのだ。それは、フリージア自身がよく解かっている。
多分、フォルスには青臭く浅慮な小娘として認識されてしまったに違いない。
「もっと、理性的に、『おとな』っぽく話をするつもりだったのに」
「……お前が? そりゃ、無理だろ」
「!」
呆れたようなオルディンの台詞に一瞬頬を膨らませたフリージアだが、すぐに視線を下げてうなだれた。
そんな彼女の手を、エイルがそっと握る。気遣ってくれる想いがひしひしと伝わってきて、フリージアはもう片方の手を上げてその白銀の綿毛を撫でた。
「ありがと、エイル。でも……うう……他にも、話したいことがあったのに……」
ため息混じりのフリージアのぼやきに、オルディンが「ああ」と声を上げた。
「エイルの事か? それなら、別に大丈夫じゃねぇの? その辺のヤツに頼めよ」
「それも考えなくちゃだけど……他の事」
「他?」
「うん、あのさ――」
眉を上げたオルディンに、フリージアが向き直った時だった。
「ねえ、ちょっと」
「はい?」
不意に呼びかけられて、殆ど反射的にフリージアは振り返る。が、誰もいない。
「こっち、もっと下だってば」
「下?」
言われるままに、視線を下げた。と、そこにいたのは、朱色の粉が振り掛けられたような銀色の髪に鮮やかな緋色の目をした、幼女だ。この里に入ってすぐに目に入ってきた、炎を操る子ども。少し吊り上り気味の大きな目が、フリージアを見上げてキラキラと輝いている。
「泊まれるところに案内するから、ついてきてよ」
「あ、うん、ありがとう」
子どもはニコッと笑うと、先に立って弾むように歩き出す。
あてがわれた空き家は里の少し奥の方にあった。住人がいないだけに、部屋の中には何もない。
「後で毛布持ってきてあげる」
「ありがと」
笑って返すと、子どもも同じように笑顔を返してくる。そのまますぐに出て行くのかと思ったら、彼女は首をかしげてフリージアを見つめてきた。
大きな目であまりに真っ直ぐな視線を向けてくるので、フリージアは少々戸惑う。
「何?」
五歳かそこらに見えるその幼女の眼差しは、妙に深みを帯びていた。そこにある色は、まるでフリージアの何倍も年経ているように見える。
しげしげとフリージアを眺めたあと、ようやく幼いエルフィアは口を開いた。
「あのさ、あなたって、さっきは何であんなにムキになったの? エルフィアの事は、あなたには全然関係ないじゃない。こっちが『差し出したかったらそうすれば』って言ってるんだから、素直に『ありがとう、それは助かるわ』でいいでしょ?」
彼女は大人びた口調でそう言うが、改めてそう理由を訊かれると、フリージアも答えに困るのだ。
「何でって、訊かれたってなぁ……うぅん……イヤだから?」
「嫌だから? そんな理由?」
子どもはもっとたいそうな返事を期待していたようで、どこか不満そうな声を上げた。そして、横からは呆れたようなオルディンのため息が聞こえてくる。
フリージアは彼を横目で睨み付けてから、言葉をひねり出そうと頭を絞った。
「えぇっと、えぇと……何だか、他人任せってのがイヤなんだ。自分たちの事なのに、何か他人事みたい。ニダベリルから逃げてきたエルフィアだって、仲間だろ? 何でそう簡単に諦めちゃうわけ?」
言っているうちに、段々フリージアの胸の中には先ほどのモヤモヤとしたものがよみがえってくる。
「渡したくないなら渡したくないって、言ったらいいじゃないか」
そうなのだ。
フォルスの目に一瞬だけ現れた翳り。
フリージアには、あれは苦悩か――慙愧か、とにかく、彼の心を苛んでいるものに見えたのだ。口ではああ言っていても、彼女には、それが彼の本心であるようには思えなかった。
フリージアは唇を噛んで口を閉ざす。
「『大人』はね、諦めることに慣れちゃってるのよ」
呟きは、赤い幼女からのものだった。
「え?」
目を瞬かせるフリージアに、彼女は視線を落として続ける。
「わたしはこのマナヘルムに来てから生まれたから、ここでの暮らししか知らないの。でも、外の世界を知っている大人たちは、みんな口を揃えていかに大変だったかって話をするわ。でも、どんなに大変でも、戦おうとはしなかった。その代り、諦めて、ずっと逃げ続けてきたのよね。で、最後にここに辿り着いた」
「そこが、解からないんだ」
「そこ?」
唇を尖らせたフリージアに、子どもは銀朱色の髪を揺らして首をかしげる。
「何で戦わないのか。さっき、君が火を操ってるのを見たよ? あんなことができるなら、その力で戦ったらいいじゃないか」
「そう単純にはいかないのよ」
「何でさ」
フリージアが返すと、彼女は言葉を選びながら答えた。
「エルフィアは、この力でヒトを傷付けない。それは、ある意味自衛の為でもあるのよ」
「戦わないことが身を守ることだって言うの?」
「そう。エルフィアはね、個としては強いけれど、種としては弱いの。なかなか、次の世代が生まれないのよ。絶対数が少ないうえに、一度失われたら元の数まで戻すのに、何百年もかかってしまう。この力でヒトを十人や二十人殺しても、その為にこちらが一人殺されたら、とてもじゃないけど追い付かないわ。ヒトは数が多いもの。大挙して押し寄せられたら、とうてい敵わない」
大人びた口調で、子どもが淡々とそう告げる。そして、真っ直ぐにフリージアを見つめてきた。
「わたしたちがヒトを傷付けることができるって知ったら、ヒトはわたしたちを追うでしょう? 敵として。だから、わたしたちは抵抗しないの。この力を利用しようとする者からも逃げて、隠れて、どんなにひどいことをされても歯向かわず、人畜無害ってところを見せるのよ」
幼い口には似合わない台詞だった。そこには、子どもの当てずっぽうだと安易に笑い飛ばせない響きがある。
彼女はしばし緋色の目を伏せていたが、やがてまた視線をフリージアへと向けた。その双眸を強く輝かせて。
「でも、わたしは、今のエルフィアのあり方を変えたいの」
「今の……あり方?」
彼女の台詞を繰り返したフリージアに、子どもは深く頷いた。
「そう。力を使って戦うってところじゃないわよ? それは、やっぱり難しい。わたしたちエルフィアは生まれた時から力でヒトを傷付けるなって刻み込まれ続けるから、口ではやれるって言えても、実際にできるかどうかは判らないの。変えたいのは、この、ここに引きこもり続ける生活の事」
そこで言葉を切ると、彼女はふと苦笑する。
「グランゲルド王がこのマナヘルムにエルフィアが定住することを許してくれたのは、二百三十四年前。最初にここに辿り着いたエルフィアは、それから一度も外に出ていないわ。とにかく、エルフィアが絶えてしまわないように、それだけに腐心して。穏やかと言えば穏やかだけれども、その二百年以上、何の変化もないの。わたしたち若い世代は外の世界を知らないから、ただ、考えが甘いだけなのかもしれない。外に出たら、三日で泣いて帰る羽目になるのかも。でもね」
でも、と彼女は繰り返した。
「それでも、わたしは、外の世界を見てみたいの。この閉じた狭い里でただ数を増やしていくだけなんて、嫌なの。もっと、世界と関わりたい。それにね、あなたも言っていたでしょう? 自分たちの事なのに、何で自分たちで決めないのかって。わたしもそう思うの。流れのままに生きるんじゃなくて、ちゃんと自分の力で行きたい方へ泳いでいきたい」
「そう思っているエルフィアって、他にもいるの? 君――ええと、名前は?」
「あら、ごめんなさい。わたしはソルよ」
「じゃあ、ソル、君の他にも同じように考えてるエルフィアがいるの?」
「ええ。ここ百年くらいの間に生まれたエルフィアは、殆どそんなふうに思っているわ」
ソルがサラリとあげた数字に、フリージアは目を丸くする。
「百年……? って、そんなにいるの?」
ヒトであれば、百年もあればものすごい数の子どもが生まれている。それこそ、一つの国ができてしまいそうなほどに。だが、ソルは苦笑と共に返してきた。
「エルフィアとヒトとでは時の流れが十倍くらい違うもの。それに、言ったでしょう? エルフィアは子どもが生まれにくいって。百年でも六人よ」
「十倍って、じゃあ、君ってそう見えて――」
「ええ。ヒトの時間では五十二年生きているわ」
「そうなんだ……」
呟きながら、フリージアは隣のエイルをチラリと見た。あれで五十歳超えなら、エイルは余裕で百歳を超えているということになるのだろうか。
フリージアの脳裏に、初めて見た時のエイルの姿がよみがえる。首輪をされ、鎖につながれ、窓もない暗い部屋の隅にうずくまっていた小さな姿が。
その長い時のうち、いったいどれほどの間、あんなふうに扱われていたというのか。
それを思うと、腹立たしく、悔しく、そして悲しくなる。
フリージアは殆ど衝動的に両手を上げて、エイルの白銀の髪をクシャクシャと撫で回した。彼女の唐突な行動に、エイルの目が丸く見開かれ、無言で「何?」と問うてくる。
「なんでもないよ」
笑いながらそう答え、止めとばかりにギュウとその細い身体を抱き締め、そして放してやった。
そんなフリージアに、再びソルの声が届く。
「ねえ、わたしを連れて行ってくれない?」
「ソルを?」
「そう。わたしは、外の世界を見てみたいし、人と関わり合いたいし、エルフィアのことを他人任せでもいたくない。だから、連れて行って欲しいの」
「でも……」
フリージアは戸惑いと共にオルディンを振り返る。
ソルは、実際は五十年以上生きているとしても、見た目は幼い子どもだ。それに、これから戦いになることは多分避けられないときている。
そんな環境に連れて行くのは、どうなのだろう。
助けを求めるフリージアの視線に、彼は肩を竦めて返しただけだった。好きにしろよと言わんばかりに。
「じゃあ、ニダベリルとのことにけりが着いたら、迎えに来てあげるよ」
フリージアのその提案に、しかし、ソルはかぶりを振った。
「言ったでしょう? エルフィアのことを他人に投げたままでいたくないって。この力でヒトを傷付けることはできないけど、何かの役には立つと思うわ」
「だけど、さ――」
「お願い」
言いながら、ソルはフリージアの手を両手で握り締める。小さな手のその力の強さが、彼女の決意の揺らぎなさを何よりも雄弁に物語っていた。
ソルの気持ちは、よく解かる。フリージアが彼女の立場なら、きっと同じことを言うだろう。
フリージアの逡巡はそう長いことではなかった。
「うん、わかった」
一つ頷き、そしてその手を握り返す。
「連れて行ってあげる。でも、ちゃんとお母さんとかに言ってきなよ? ダメって言われたら、ダメだからね?」
その言葉に、ソルの顔がパッと輝く。彼女が操る炎のように。
「うん、それは大丈夫。見た目はこんなだけど、ちゃんと話せるようになったら、エルフィアの中では『子ども』じゃなくなるのよ」
「へえ……」
内心で「どう見たって子どもなんだけどな」と呟きながら、フリージアはそう返した。
「ありがとう!」
満面の笑みでそう言ったソルに、フリージアはまあいいか、と笑顔になる。
「よろしくね、ソル」
中身はどうあれ、ソルはやはり幼子だ。それを連れ出すからには、フリージアには彼女を護る義務がある。そしてそれは、エイルに対しても同じだった。
ちゃんと、護ってあげないと。
二人に向ける笑顔の裏で、フリージアはそんな決意を新たにしたのだった。




