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ジア戦記  作者: トウリン
第二部 大いなる冬の訪れ

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エルフィアの里へ

 紅や黄色に染まった木々の葉で、眼下はまるで複雑に編み上げられた敷物のようだった。


 秋も終盤を迎えたヨルムの背骨は、冬の眠りを迎える前の最後の彩りに溢れている。そしてそれは、もうじき儚く散っていくのだ。


 今、フリージア達はスレイプの背の上にいる。背中をオルディンに支えられ、腕の中には毛布にくるんだエイルを抱えた彼女は、目を凝らして深い森を見下ろしていた。その緑の目に、目当てものが入ってくる。


「あ、ほら、オルディン、あそこ!」

 フリージアは声を上げながら指差した。

「ああ、判ってる」

 答えながら、オルディンが手綱を引く。


 木々の間から細く立ち昇る煙の筋。それはフリージア達をエルフィアの里に導く為にラタが上げてくれている、道標の狼煙だ。スレイプを操るオルディンが方向を見失わないでいられる、絶妙な頃合いで現れる。


 王都を出てから今日で三日目の朝を迎えた。

 追い風だった所為もあってか、ここまでは予定よりも若干早く辿り着くことができている。あとはラタの目印を追って行けば、それほどかからずマナヘルムに着けそうだった。


「エイル、寒くない?」

 何度となく重ねた問いを、フリージアは腕の中のエルフィアの子どもに向ける。


 冬の寒空でも平気なフリージアやオルディンだけなら夜を徹しての強行軍や野宿上等やらの多少の無理がくが、今はこのエイルを連れている。スレイプの上では肉の薄い身体を厚い毛布でぐるぐる巻きにして、夜も野宿ではなく目に付いた村で宿を借りた。


「だいじょうぶ」


 小さな声での返事と共に、フリージアの顎の下で綿毛のような銀色の髪がフルフルと水平に振られる。出会った頃に比べればエイルの口数はずいぶん増えたが、まだ単語か、せいぜい三語文程度しか話さない。


「寒かったり辛かったりしたら、ちゃんと言ってよ? 言葉にしないと伝わらないんだからね?」


 フリージアが念押しすると、今度は綿毛がコクリと上下する。まあいいか、とこっそり息をつき、フリージアは再び森へと目を戻した。


 深い、森。


 スレイプの翼だから、ラタが上げてくれている狼煙を苦も無く追いかけることができるが、馬や徒歩ではかなりの困難を極めただろう。

 そんな森の奥に、エルフィアはいる。まるで世界とのつながりを拒むように。


「エルフィアって、人間が嫌いなのかな」

「ああ?」

 思わずポツリと呟いたフリージアに、オルディンが怪訝な声をあげる。

「だってさ、こんな所まで来るなんて、そう簡単なことじゃないでしょ? よっぽど、ヒトと会いたくないのかなって」

「そんな感情的なもんじゃねぇだろ?」

「まあ、マンナが豊富だっていうことは大きいと思うけどさ」


 遥か昔、エルフィアは安住の地を求めてここまで流れてきたのだと聞いた。誰かの土地を奪うのではなく、誰からも侵されない土地を探して彷徨って、その結果、ここに辿り着いたのだと。


 エルフィアはヒトにはない力を持つ。それはとても強大で、エルフィア達がその気になれば、人間なんて敵わない筈だ。それなのに、彼らはこんなところに隠れるように住んでいる。


「人間から、力で土地を奪い取ろうとは、思わないのかな。ほら、ニダベリルみたいにさ。おんなじように、『力』を持ってるわけでしょ?」


 フリージアには、そこが納得いかない。ニダベリルのように何でも力で推し進めようとするのもどうかと思うが、力があるのに何もしようとしない、というのもよく解からないのだ。


「……『力』があるから『強い』とは限らないさ」

「え?」

 オルディンの台詞に、フリージアは彼を振り返る。

「スゲェ力があったって強いとは限らねぇし、力があるからバリバリ戦えるってわけでもない」

「だけど、話に聞くような力をエルフィアが持っているなら、人間なんて一捻りじゃないの?」

「だから言ってるだろ? 力、即ち強さじゃねぇって」

「でも、オルは強いでしょ?」

「……戦えは、するさ」


 また、彼は解せないことを言う。戦えるということは、強いということの筈だろうに。

 フリージアは唇を尖らせて、首を捻る。


 と。


「オル、あそこ見て」


 肩越しにオルディンを振り返りながら、前方に見えるその光景を指差した。彼も気付いていたようで彼女に頷きを返してくる。


「ああ、アレだな、多分」


 フリージアは再びそれに目を戻す。ラタの道標が導こうとしている先にあるのは、なんとも不可思議な光景だった。


 今、彼女たちのすぐ下に広がっているのは、黄や紅に染まった葉を身にまとう木々である。もうじきそれらは枯れ落ち、寒々しい光景になるだろう。

 だが、フリージアたちが行こうとしているその先に見えるのは、緑だ。まるで彼女の目の色のように瑞々しい、緑。そこだけ丘のように盛り上がっているから、余計に目立った。


 北方の地には、冬でも枯れない木が生える。だが、それらはもっと重苦しい深い緑だ。それに、あの色の混じり方は種類の違う樹木が混生しているという感じでもない。

 色合いは、紅や黄色から黄緑色へ、黄緑色から緑色へと溶けるように変わっている。まるで、時の流れで移り変わる様をひと時のうちに眺めているようだった。


「やっぱり、あの緑のところかな」

「まあ、普通に考えりゃ、そうじゃねぇの? どう見ても不自然だろう」

「そうだよねぇ。スレイプが下りられそうなところがあるかな。だいぶ木が多いや」

 オルディンにそう答えながら、フリージアは目を凝らす。

「あ、あそこ! オル、あそこなら下りられない?」


 フリージアは立木が疎らで地面が見えている場所を指差した。緑の木々が茂る場所とは少し離れているが、歩いていけない程ではない。


「いけそうだな」


 頷いたオルディンが手綱を引くと、スレイプはまるで彼の心を読んだかのように翼を翻してその場所へと鼻先を向ける。少し枝を折ってしまったが、スレイプの巨体は何とか地面に降りたつことができた。


「少し歩くよ」


 フリージアは身軽く翼竜の背から飛び降りると、エイルに手を伸ばして下りるのを手伝ってやる。オルディンはその横で荷物をほどいて肩に担ぎ上げた。


「スレイプ、好きにしてろよ」

 オルディンがその太い首筋を軽く叩いてやると、スレイプはクルルルと甘えた声を出す。

「じゃあ、行くか。道案内も来たしな」


 そう言って彼が振り返った先には、ひっそりともう一人のエルフィアが佇んでいた。恐らく、彼らが下りようとしているのが地上から見えたのだろう。


「あ、ラタ、狼煙ありがと。ここからどれくらい?」

「そう遠くない」


 言うなり、ラタは踵を返して木々の間へと歩いていく。あのエルフィアの素っ気なさは、いつもの事だ。フリージアはエイルを見下ろして笑いかける。


「もうちょっとだから、がんばろう?」

「うん」


 コクリと頷くそのあどけない様子に、フリージアは更に笑みを深くした。


   *


 秋の陽光を遮る頭上の梢は、鮮やかな緑色の葉で覆われている。

 季節は秋、標高の高い山の上、そして陽の光を遮る森の中、と三拍子そろっているというのに、不思議と寒さは感じられない。温かく、まるで穏やかな春の日の草原にいるかのようだ。


 森の様子は、進めば進むほど、一本一本の樹が太く、高くなっていく。スレイプの背の上から見た時は地面が盛り上がっている所為かと思っていたが、そうではない。個々の樹が徐々に巨大化しているから、そう見えたのだ。


 きっと、これがエルフィアたちの力なのだろう。

 常春の地、マナヘルム。生命に満ち溢れた土地。

 そして、そこに棲まう不可思議な力を操る者達。


 フリージアはその光景に目を奪われながら、エイルとつないだ手に力を込める。


「あれが里の入口だ」


 その言葉と共にラタが手を上げ、前方を真っ直ぐに指差した。その先に目をやれば、木々の間に形ばかりの柵が見える。


「よし!」


 小さく呟き、彼女は自分自身に気合を入れた。


 腰ほどまでの高さしかない柵を通り抜け、フリージアたちはエルフィアの里に足を踏み入れる。

 そこには、不思議な光景が広がっていた。彼女もオルディンと共にグランゲルドの中をあちらこちら旅してきたが、こんなのは見たことがない。


 人が十人手をつないでも囲みきれないような巨木の間に建てられた、質素な木造の家々。殆ど『小屋』と言っていいほどの、雨露をしのげる程度の代物だ。大木の葉に遮られて陽の光は柔らかいのに、下生えは青々としている。


 村に入り込んだフリージア達に、住民の視線が集まった。


「何か、夢の中の世界みたい……」


 思わず、フリージアは呟いた。


 里の様子自体も幻想的だったが、そこに輪をかけて見える景色を現実離れしたものにしているのは、その住人だ。


 フリージアは何度か目をこすり、瞬きをして、見えているものが本物なのかを確認する。

 それほど、エルフィア達は美しかったのだ。容姿もそうだが、皆それぞれに、銀色を基にしてそこに赤や青、緑といった様々な色を含んだ髪をしている。ざっと見渡した範囲では、エイルやラタのように白銀色をした者は一人もいなかった。


 フリージア達に気付いた何人かが、彼女達を横目で見ながら囁き合っている。


「オル! ちょっとあれ見てよ」


 フリージアは自分の目が見ているものが現実かどうか自信が持てず、オルディンの袖を引きながらそれを指差した。

 そこにいるのは、一人の幼女だ。銀色に朱色が混じる髪の色、年の頃は五歳かそこらくらいか。彼女は少し年上の子どもたちの前でクルクルと手を動かしている。それだけなら、手遊びか何かをしているのだろうと、思うだけだ。


 だが、そうではない。

 あろうことか、幼女の前には、炎が浮かんでいたのだ――彼女の握り拳ほどの大きさの。

 幼女の手の動きに伴って、その炎が踊る。まるで、意思があるかのように。


「すごぉい」


 美しくも不可思議なその光景に、フリージアは思わず感嘆の声を上げる。

 と、そこへ。


「……ゲルダ?」


 不意に耳に届いた母の名前に、フリージアは振り返る。


 その先にいたのは、銀色に緑が混じった髪に柔らかな茶色の目をした男性だった。年の頃は、オルディンとそう変わらないように見える。男性――ラタもエイルも性別がはっきりしないが、ここのエルフィア達は性別がはっきりと見て取れる容姿をしていた。確かに皆非常に美しいのだが、男女の区別ははっきりとつく。


「貴女は、亡くなったと……」


 銀緑色のエルフィアが眉をひそめながら訝しげにそう呟くのへ、フリージアは彼を真っ直ぐに見上げて答える。


「あたしはフリージア。新しくロウグ家を継いだ者です」

 彼女のその返事に、エルフィアは目を瞬かせた。

「ゲルダに、娘が? ……確かに、良く似ている。目の色以外はまるで同じだ」

「よく、そう言われます」

 そうしてフリージアがニコリと笑うと、ふとエルフィアの目元が和らいだ。

「私はフォルスだ。この里の長をしている。そちらの――ラタは知っているが、他の者は?」

 フォルスは視線を薙ぐように走らせ、そう訊いてきた。


 彼のその様子に、フリージアは微かな違和感を覚える。何となく、彼はラタを真っ直ぐには見ようとしていないように感じられたのだ。彼の視線の動きが、オルディンに気を取られているから、ではなく、意図してラタを視界に入れないようにしているように見える。

 フリージアの勘繰り過ぎだろうか。内心で首をかしげながらも、彼女は自分の左右に立つ二人を紹介した。


「大きいのがオルディン、こっちはエイルです」


 フォルスはオルディンを見て――そしてフリージアを見た。エイルには一瞥もくれない。


 これは、いったいどういうことなのだろうかと、彼女は首を捻る。ラタもエイルも、彼らの仲間の筈だ。にも拘らず、まるで見えていないかのように振る舞うのはいったい何故なのか。

 さすがにおかしいと思ったが、フリージアがその疑問を頭の中でまとめようとしているうちにフォルスが問いを投げてきた。


「それで、何故ここに? ヒトがここまで来るのは、容易なことではなかったろうに」


 フリージアを見下ろすフォルスの眼差しの中に、咎める色はない。純粋に、疑問に思っているだけのようだ。

 その台詞に、フリージアは自分の中に生まれたモヤモヤしたものは、取り敢えず脇に追いやった。ミミルからもらった時間は、決して多くは無いのだ。まずは一番肝心な用件を切り出さなければならない。


 フリージアは顎を上げてフォルスを真っ直ぐに見つめながら、答える。


「ニダベリルとのことについて、王様から手紙は届いていますよね?」

「ああ……あれには、すでに返書を出した筈だ。使者に――そのラタに、しかと渡したぞ?」

「はい、届いてるらしいです。王様も、その返事でも仕方ないって」

「では、何故」

 フォルスが微かに眉根を寄せた。そんな彼に、フリージアははっきりと答える。

「あたしが、納得できなかったからです」

「え?」

「あたしは、あんなの全然納得いかないんです。だから、自分で訊きに来ました」


 怪訝な顔で見下ろしてくるフォルスに、フリージアはもう一度繰り返した。


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