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ジア戦記  作者: トウリン
第二部 大いなる冬の訪れ

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25/71

王の為すべきこと

「今度はマナヘルム、ですか」


 会議室内に響いたのは、宰相ミミルの声だ。それは至極淡々としたもので、その台詞だけでは反対なのか賛成なのか、判断が難しい。


 ミミルがロキスからの情報収集を終え、ようやく再開となった会議のその席で、フリージアは自分の要望を挙げた。エルフィアの里、マナヘルムに行きたいという、要望を。


 フリージアは彼が更に何か言い募ろうとするのよりも先に、続ける。


「スレイプに乗っていくから、多分、七日――かかっても十日もあれば、戻ってこられると思うんだ」

「あの、エイルという――エルフィアの為ですかな? ならば、他の者に任せればよいでしょう。子どもを送り届けるのに、わざわざ一国の将が出向く必要など、ありません」

 それは婉曲だけれども明らかなダメ出しで、フリージアは卓に両手を突いて身を乗り出した。

「エイルを連れて行くのも理由の一つなんだけど、もう一つ、エルフィアの偉い人に会ってみたいんだ」

「エルフィアの、長に?」

 ミミルが眉根を寄せて問い返す。


 それもそうだろう。

 彼でさえ、エルフィアと顔を合わせたのは、エルフィアがグランゲルドに亡命してきたその時だけだったのだから。


 エルフィアは同じグランゲルドの国土に棲んでいても、違う世界にいるようなものだ。互いに不干渉なのは、暗黙の了解だった。それを覆そうとした者は、これまでいない。


 むっつりと黙ったままのミミルにフリージアは首をかしげる。

「だって、これはエルフィアの問題でもあるんじゃないの? こんなふうにあたしたちだけで話し合うのって、なんか違う気がするんだけど」

「彼らは山を下りては来ませんよ」

「でも、ニダベリルに引き渡すっていう選択肢を取っていたかもしれないんでしょ? 決まったら、はい、出て行けって、言うつもりだったの?」

 不満そうなフリージアに、ミミルは平然と頷く。

「それも仕方のないことですな」

「そんな!」

 抗議の声をあげようとしたフリージアを止めたのは、穏やかにかけられたフレイの言葉だ。


「ロウグ将軍、こちらも、彼らに文は送ったのだよ。この事態を伝える文を。答えは、余の決断に従う、というものだったのだ」

「でも、王様。そんな手紙一本で、こんな大きなことを決めちゃうんですか?」

 不満そうな彼女の台詞に、フレイは少し困ったように微笑みを返す。

「エルフィアは、そうやって生きてきたのだ。与えられた状況のままに、苦難も従容として受け入れてな。ニダベリルからの亡命は、彼らの唯一の反抗と言ってもいいかもしれない。そんな彼らがようやく手に入れた安住の地を、奪いたくはないが……」

「でも、自分たちの事なんだから――自分たちの居場所の為なんだから、自分たちで決めて、自分たちで守ればいのに。……ううん、そうするべきじゃないの?」

 フリージアは眉間に皺を刻んだが、フレイは首を振った。


「彼らがそう生きるというのなら、仕方がない。それも、彼らの選択の一つなのだ」


 フリージアは彼の言葉にムッと押し黙る。

 自分自身の未来を、他人に委ねる――そんなのが選択の結果だなんて、それでいいのだろうか。

 彼女には、納得がいかない。

 そうして、フリージアは、ふと気が付いた。


「王様、つらくないんですか?」


 唐突な彼女の問いに、その意味を掴み損ねたフレイが眉をひそめる。


「何?」

「あたしとミミル宰相がどんなに揉めたって、結局、最後に決めるのは王様なんでしょう? 戦争の事はもちろんだけど、エルフィアの事も。それって、『任せる!』『任された!』ってわけにはいかないじゃないですか。戦争をするかどうかはまだしも、エルフィアたちの将来も、なんて――そんな重いもの背負わされて、つらくないんですか? だって、戦争をしない為にエルフィアを差し出すことを選んだら、それって、エルフィアを見捨てたってことになるんですよね? あたし、ニダベリルでエイルが――エルフィアがどう扱われているのか、見てきました。あんな生活に追いやるなんて、王様、できるんですか?」


 フレイは、フリージアの言葉に微かにその若葉色の目を見開いている。だが、やがて、彼は小さく息をついた。


「そうすることが必要ならば。選び、決めること、それが余の為すべきことだ」

 穏やかなフレイの眼差しの中に、一瞬、硬質な光が宿る。


 ――そんなの、重過ぎる。王の決して広くはない肩に、それは大き過ぎる。


 フリージアの目に、優しげなフレイの姿は、あまりに多くのものを背負わせては潰れてしまいそうに見えた。と、彼女のみぞおちの辺りがキュッと締め付けられる。


 ――この人を、支えよう。


 不意に、フリージアの胸の中に、そんな気持ちが湧き上る。

 初めて対面した時から、妙に心惹かれる人だった。オルディンに対する気持ちとは違うけれども、無性に慕わしく、逢うべき人に出逢えた――そんなふうに感じたのだ。


 多分、それが、『王様』というものなのだろう。

 フリージアは、内心で頷いた。そういう無条件に人を引き付ける力のようなものがあって、それが、王を王たらしめているのだろう。


 この人は、唯人とは、違うのだ。


「あたし、マナヘルムに行ってエルフィアの意思を聞いてきます。一緒に戦えっていうのは無理なのかもしれないですけど、自分たちのことくらいは自分たちで決めてもらわないと」

「ロウグ将軍……」


 頑固なフリージアに、フレイが少々持て余し気味に彼女の名前を呼ぶ。と、その隣でミミルが声を発した。


「まあ、ロウグ将軍の仰ることも、一理あるかもしれませんな」


 真っ先に反対しそうなミミルにそう言われ、フレイは眉をひそめる。


「宰相?」

「確かに国内の移動であればさしたる危険もありますまい――気を緩めさえしなければ。翼竜であればマナヘルムまでの険しい山道も問題ないでしょう」

「うん。マナヘルムって、ヨルムの背骨にあるんでしょ? 近くまでは行ったことがあるんだけど……ラタならマナヘルムの場所を知ってるよね、きっと」


 ヨルムの背骨とは、グランゲルドの南方に連なる山脈だ。険しい山がずらりと連なり、まるで伝説の巨竜ヨルムの背骨のようだということで、その名が付いている。そこを超えることは人の力では困難で、その山脈の更に南にどんな土地が広がっているのかを知る者はいない。

 マナヘルムは、そのヨルムの背骨のどこかにあると囁かれていた。


「知ってはいるでしょうな」

「じゃ、ヨルムの背骨に入ったら、ラタに案内してもらおう」

 名案だ、とばかりに頷くフリージアに、ミミルは何故か難しい顔をしている。

「どうかしたの、宰相?」

「いえ、別に……まあ、ラタを連れて行っても、里に入れてもらえん、ということはないでしょう」

「え、何で?」


 ラタはエルフィアにとって同族の筈だ。むしろ、フリージアたちだけで行く方が、拒まれるのではなかろうか。

 そんな彼女の疑問に、ミミルはかぶりを振る。


「彼らにも色々あるのですよ。色々」


 そう言うと、その青みがかった灰色の目に浮かんでいたどこか憂えるような色を払拭し、ミミルは続けた。


「期限は十日ですぞ。移動に片道四日、向こうにいるのは長くても二日。あちらで二晩が過ぎたら、けりが着いていようがいまいが帰ってくるように」

「ん、わかった」


 フリージアはグッと頷く。ミミルの奇妙な含みは気になったが、彼が進んで話さない以上、突っ込んでみても返答はないだろう。


「フレイ様も、それでよろしいですかな?」

 ミミルに水を向けられ、フレイはしばしフリージアの顔をジッと見つめていたが、やがて小さく息をついた。

「出来得ることならば、ここでおとなしくしておいて欲しいものだがな」

 渋々ながらも婉曲な承諾の台詞に、フリージアはパッと顔を輝かせる。

「ありがとうございます!」


 ペコリと下げた彼女の頭が元に戻るのを待って、ミミルは告げた。

「では、ロウグ将軍。ヨルムの背骨は、あとひと月もすれば雪が舞い始めます。可及的速やかに出発するようにしてください。いくら翼竜でも、吹雪の中を飛ぶのは容易ではないでしょうからな」

「うん、明日には出るよ」


 フリージアにとって旅は慣れたものだから、準備にも手間取らない。往復十日の行程なら、用意するのもそうたいしたものは必要なかった。

 彼女の言葉にミミルは無言で頷きを返すと立ち上がり、部屋を出て行く。


 それが合図になったかのように他の者もそれぞれに椅子を鳴らし、動き始めた。

 その中で、ビグヴィルはフリージアの元へやって来ると呆れたような感心したような複雑な色をその目に浮かべて、言う。


「まったく、貴女は……まるで空を舞う鳥のようですな」

「それって、嫌味?」

「いいえ、自由で羨ましい、ということですよ」

「だって、今までがそうだったから」

「うむ……オルディン殿は意外に子育ての才能があるようだ」


 オルディンが聞いたら抗議の声をあげそうな台詞を口にしたビグヴィルだったが、ふとフリージアの背後に目をやって無言で一礼した。

 何事かと振り返ったフリージアの目に、サーガの姿が映る。その向こうでは、フレイが会議室を出て行こうとしているところだった。


 マナヘルムに向けて発つ前に、彼とはもう一度言葉を交わしておきたいと思っていたのだ。だが、彼を引き止める台詞が思い浮かばず、結局その姿は扉の向こうへと消えてしまう。


 落胆に肩を下げたフリージアを、サーガが呼んだ。


「フリージア」

「サーガ様」

 笑顔で応じると、可憐な王妃は少し唇を尖らせた。

「もう。せっかく帰ってきたというのに、また、行ってしまうだなんて」

「すみません。でも、今度はすぐに戻りますから。危険もないし」

「そんなことを言って。安全だからと油断せずに、くれぐれも気を付けてね?」

「はい」

 素直に頷くフリージアを、サーガはジッと見つめてくる。

「そんなに色々しようとしなくても、あなたは将軍の座にいるというだけで、充分なのよ? ただ、いる、というだけで、皆の支えになれるのだから」


 彼女のその台詞に、今度はフリージアが口を引き結ぶ。それは、常々、口を変えて言われることだった。


「そんなの、イヤです」

「でも……」

「それに、ただ、お飾り人形でいるのがイヤだっていうだけじゃないんです。なんか、こう……王様を見ていると、何かしたくなるんです」


 こんな言い方は不敬だろうかと、終わりの方は少々声が小さくなってしまうフリージアだ。彼女のその台詞に、サーガが微かに目を見張る。

 言葉が足りなかったかと、フリージアは慌てて付け足した。


「あ、いえ、頼りないとか、そういうわけじゃないんです。ただ、えぇっと……」

 何だか、余計に墓穴を掘ったような気がする。


 もっといい言い方はないかと模索するフリージアに、サーガが苦笑混じりに言った。

「あの方は、一見か弱げでしょう?」

「はい、え、あ……そんなことは……」

 言葉を飾らぬサーガの台詞に頷いてしまい、咄嗟に言い繕おうとするフリージアを、彼女が笑う。

「構わなくてよ。わたくしも、そう思いますもの」

「サーガ様」

「ふふ、本当に、なかなか決断を下せませんし、ミミル宰相に頭が上がりませんし」

「……」


 夫であり王でもある相手を、そんなふうにけなしていいものなのだろうか。フリージアは賛同も否定もできず、無言で通す。

 そんな彼女の前で、サーガは続けた。


「でもね、ただ争いを嫌い、波風を立てずにいるというのであれば、わたくしはとっくの昔に愛想を尽かせておりましたわ。もちろん、ゲルダ様もね」

 フフッと、サーガはいたずらっぽく笑んだ。そして、それを一掃する。


「十六年前、エルフィアをこの国に受け入れることを決めたのは、あの方なのです。その為に戦うことも。当然、ミミル宰相を筆頭に、皆反対しましたわ。でもね、そんな周りの反対を押し切って、王はエルフィアを受け入れることをお決めになりましたの。そのままでは彼らは滅びてしまうから、と」


 フリージアには、ミミルとやり合うフレイの姿など、全く思い浮かばない。一言宰相に「ダメだ」と言われたら、フレイはすぐに引き下がってしまうに違いない。

 そんな疑念が顔に浮かんでいたのだろう、サーガがクスリと笑って言う。


「本当よ? 嫁ぐ前でしたからわたくしはまだその場にはおりませんでしたけれど、会議に参加されてたゲルダ様が、それはそれは毅然としてらっしゃった、と仰ってましたもの。とても、誇らしげに」

「母さんが?」

「ええ。だからね、今はお迷いになっていても、時が来ればちゃんとお決めになるわ。他の者に委ねたりせずにね。どんなに儚げに見えても、あの方は決して逃げないし、潰れもしなくてよ。お優しくて、そしてお強い、そういう方なの、フレイ様は」


 普段はあっさりしているように見えるサーガの意外なほどの想いの深さに、フリージアはいくつか瞬きをする。と、そんな彼女の前で、サーガはチラリと舌を出した。


「というのは、ゲルダ様の受け売りでしたの」

「え?」

 フリージアはきょとんと返してしまう。そんな彼女に、サーガはクスクスと忍び笑いを漏らした。

「フレイ様との縁談が持ち上がった時、迷っていたわたくしにゲルダ様が仰ったことなの。だって、その頃はわたくしも貴女と同じように思っていましたから。なんて頼りなさそうな方なんでしょうって。でも、ゲルダ様のそのお言葉で、わたくしも心を決めましたわ」

「そうなんですか……」


 先ほどの台詞を口にしている時のサーガからは、愛情と尊敬の念が溢れ出ていた。母の王に対する崇敬も、相当に強かったに違いない。


 そんなことを考えていたフリージアの頬に、そっと温かなものが触れる――サーガの手だ。

 彼女はフリージアの目を覗き込みながら、言った。


「だからね、貴女はそんなに何もかも背負おうとしなくてもいいのよ? 大丈夫、フレイ様はちゃんと立っていられるから」


 ね? と、サーガが微笑む。だから、フリージアは安全なところでおとなしくしていたらいい、多分、そう言いたいのだろう。朗らかそうに見えても、ゲルダという大切な存在を喪ったばかりの彼女にはフリージアのことが案じられてならないに違いない。

 そんなサーガの気持ちをひしひしと感じながら、フリージアは「でも」と返した。


「そうですね、自分の王様なんですから、ちゃんと信じないとですよね。うん。でも、それとは別に、あたしがエルフィアと話をしてみたいんです。やっぱり、ちゃんと彼らの考えを聞いてみたい」

 きっぱりと言い切ったフリージアに、サーガは一瞬息を止め、次いで苦笑する。

「本当に、貴女は、自分の目で確かめないと気が済まない子ね。ふふ、でも、そういうところも、好きよ」

 そうして、彼女はフリージアの両頬に触れるだけの口付けを残す。


「もう、いいわ。いってらっしゃいな。わたくし、貴女が帰るのを、首を長くして待っていますから。貴女が帰るまでに、ドレスをたくさん仕立てておきますわ」

「え……」


 意趣返しにも取れるようなサーガの楽しげな台詞に、フリージアは固まった。お披露目の時に裾の長いドレスを着させられたが、苦しいわ動きにくいわ、散々だったのだ。彼女が不平たらたらだったことを、この聡い王妃が忘れてしまった筈がない。


「うふふ、楽しみですこと」


「――」


 ニダベリル行きで心配をかけ、それから間を置かずに今度はマナヘルム行きだ。ここはおとなしく彼女の着せ替え人形になるべきなのだろう。


「お手柔らかに、お願いします……」


 弱々しい声でのフリージアのその心の底からの言葉に、サーガは一際鮮やかな笑顔を浮かべた。


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