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ジア戦記  作者: トウリン
第二部 大いなる冬の訪れ

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23/71

訓練場にて

 紅竜軍訓練所


 そこに響き渡るのは鋼と鋼のぶつかる音――ではない。金属の立てる音は殆どしていなかった。代わりに聞こえるのは、激しく土が踏みにじられる音と空気が切り裂かれる音。


 今、紅竜軍の士官達は、自分たちの将軍とその護衛の男が剣を交える様を、言葉もなく見守っていた。

 とにかく、早い。そして、容赦がない。


「何度言えば解かる! 足を止めるな!」


 オルディンが飛ばした怒号に、兵の間にはまるきり同じ考えがよぎる。


 即ち、「そりゃ無理だ」というものである。


 フリージアとオルディンは、かれこれ半刻はやり合っていた。しかも、ほんのわずかも息をつく間もなく、まるで本当の戦場のような激しさで。


 大剣のオルディンに対してフリージアは細剣だ。絶え間なく彼女目がけて振り下ろされるオルディンの太刀をかわしつつ、フリージアも舞うような軽やかさで剣を繰り出している。

 オルディンの腕前が桁違いであることは、普段バイダルと彼が手合せするところを見ているから充分に知っている。だが、フリージアが剣を握るところは、彼らは初めて目にしたのだ。

 フリージアとオルディンとは体格の違いが歴然としているから、バイダルとの時の様にまともに打ち合うことはない。だが、速さと正確さから言えば、フリージアはバイダルよりも上だろう。


 ニダベリルから戻った翌日から、フリージアとオルディンはこうやって訓練場でやり合うようになった。繰り広げられる彼女の身のこなしを見るに、多分、ここの士官の五、六人が束になってかかっても歯が立たないに違いない。

 年端もいかない華奢な少女の剣技に、兵士たちは息を呑むばかりなのだ。


「ニダベリルに行った時も、敵兵三人をあっという間に倒しちゃったんですよ。すごかったです」

 勇姿を思い出しているのか、ウルが陶然とした眼差しでそう言った。


「本当に、すごいな」

 ウルよりもゲルダのことをよく知る壮年の兵が、呟く。


 太刀筋は全く違うが、赤い髪をなびかせ舞うように剣を振るうフリージアのその姿は、まるでゲルダが再び彼らの前に戻ってきてくれたかのようだった。

 士官たちの誰もが、フリージアのその外見をもって彼女を偶像化していることを自覚していた。フリージアは見た目こそゲルダと瓜二つだが、今まで戦いとは全く関係なく、平和に暮らしてきたただの少女に過ぎないのだということも。


 だが、それでもすがらずにはいられなかった。


 ニダベリルという強大な戦闘国家と戦いになるかもしれないというこの時期の、ゲルダの死。それは、兵たちにとって、木切れすら浮いていない大海原に放り出されたも同然の事態だった。


 そんな時に現れた、ゲルダそのものの少女。

 初めてフリージアが紅竜軍の前に姿を見せた時、ずらりと並んだ男たちを前にして、笑った。屈強な男たちの視線が集まる中で、パッと、まるで大輪の花が開くように笑ったのだ。ゲルダがかつてそうしたように。


 その瞬間、彼らの心は掴まれた――見た目だけ同じ、だが中身は全く別物であるはずの彼女に、彼らは情けなくもすがったのだ。


「フリージア様は、僕が川に落ちた時、何のためらいもなく助けてくれました。敵の兵士を前にした時も、あの方よりもずっと大きな男たちを前にして、少しも怯むことなかった。僕は何があっても、あの方についていきます。あの方の為なら、この命だって、惜しくない」


 最も年若な士官は、目を輝かせてきっぱりと言い切った。


 フリージアは、ただのお飾りではない。

 彼らの新たな支柱となってくれるに違いない。


 ――そんな期待を抱いてしまう。


 固く両手を握るウルから目を離し、兵たちは再び訓練場の真ん中へと向ける。

 と、彼らが目にしたのは、オルディンの放った回し蹴りでフリージアが吹き飛ぶところであった。


   *


「足を止めるな!」


 後ろに大きく跳んでオルディンの剣をかわし、思わず一つ息をついたフリージアに、即座に彼の声が飛ぶ。


 息が乱れ始めたフリージアに対し、オルディンは平然としている。


 悔しい。


 フリージアは唇を噛んだ。身体が違うのだから持久力が違うのは当然と言えば当然なのだが、それでも悔しかった。


 一瞬にして再び距離を詰められ振り下ろされたオルディンの刃を膝を屈めてかわし、伸ばすその勢いでフリージアは彼の懐に跳び込んだ。


 突き出した刃。

 だが、それは彼の腕の皮を薄く削いだだけ。


「どこ狙ってんだ? そんなじゃ仕留められねぇだろ!」

 フリージアの剣を打ち払い、オルディンが嘲笑う。


 これまで、彼が教えてくれていたのは『相手を殺さず自分の身を護る剣』だった。どこを狙えば人の命を奪えるかということを教えてくれたが、それは、うっかりそこを傷付けて殺してしまわないように、教えられたのだ。

 だが、この紅竜軍を率いることになったフリージアが更なる強さを求めた時、オルディンが彼女に命じたのは、その急所を狙うことだった。


「どこをやったらいいか、ちゃんと教えてあるだろうが。しっかり狙え!」


 オルディンの叱責に、フリージアは唇を噛む。そうは言われても、やはりためらいが生じてしまってわずかに剣先が鈍るのだ。フリージアは大きく息をついて剣を握り直すと、再び彼に向かう。


 首、胸、腹。

 各所にある致命傷を与える場所めがけて次々と切っ先を繰り出した。


 フリージアの細身の剣は、斬るよりも突く方が適している。正確さが求められる剣だった。彼女の狙いの確かさも突き出す速度も充分で、なまじな兵士であれば一瞬にして勝負がついていたことだろう。

 だが、オルディンはそれらをことごとくかわし、払っていく。


 ――ああ、もう!


 フリージアが心の中で舌打ちをした、その時だった。

 わずかに乱れた剣筋の隙をついて、オルディンが身体を捻じる。


 ――しまった!


 そう思った時は、遅かった。


 繰り出された回し蹴り。

 とっさにフリージアは胴を腕で防御し、彼の脚が迫るのとは逆の方に跳んだ。が、勢いを殺し切ることはできない。


 下ろした腕に感じた衝撃と共に飛ばされ、もんどりうって地面に転がる。


「ったぁ……」


 痛むのはオルディンの脚を受けた左腕なのか、それとも地面に打ち付けた背中なのか。いや、両方かもしれない。


「隙見せてるんじゃねぇよ」


 見下ろしてくるオルディンに呆れた声で言われ、地面に仰向けになったままフリージアは呻いた。


「だって……全然ダメなんだもん……」

「そういう時こそ、冷静になれって言ってんだよ。イラついてよくなることはねぇんだから」

「そうなんだけどさぁ」


 ぼやきつつ身体を起こしたフリージアに、オルディンが手を伸ばす。痛みのない方の腕を掴んで引き起こしてくれた。


「お前が痣作るとあいつらがうるさいんだよな」


 立ち上がって左腕をさすっているフリージアに、オルディンがボソリと呟いた。彼の目は、蹴りを食らったその場所に注がれている。


『あいつら』とは家令のグンナや侍女頭のフリン達のことだ。サーガにも、フリージアが怪我をしているのを見つかると騒がれる。

 確かに、彼らに怪我を見られると毎度毎度蜂の巣を突いたような大騒ぎになるが、オルディンが渋い顔をしているのは、それだけではないに違いない。


 多分、彼は、フリージアが『戦う為の力』を手に入れたがっていることを良く思っていない。最初に護身の為に剣や体術を教え始めたのはオルディンだというのに、「強くなりたいから鍛えて欲しい」と頼んだフリージアには、いい顔をしなかった。


「戦場で戦うなら、俺がやる。お前にゃ必要ねぇだろ」


 絡み付くフリージアに手を振りながら、オルディンはその一点張りだった。そんな彼を何とか説き伏せて訓練は始まったのだが、かなり手厳しい。今まで旅の空の下でも護身術を仕込まれてきたが、こんなに痣だらけになったことはなかった。


 もしかすると、そうやって、フリージアが音を上げるのを待っているのかもしれない。だが、そうはいかないのだ――彼女は強くなることを諦めるわけにはいかないのだから。今の彼女では、まだまだ足りていない。どれだけ強くなったら充分と言えるのか、フリージア自身にも判らなかったが、とにかく今のままでは駄目なのだということだけは判っている。


「そろそろみんなの休憩時間が終わるから、どかないと」

「そうだな……歩けるか?」

 苦い声で、オルディンが訊いてくる。何だか彼自身が怪我をしているようだ。

「大丈夫だって。こんなのかすり傷だよ」

 そう言ってフリージアが笑うと、彼は少し顔を歪めた。


   *


 訓練場から引き揚げてロウグ家に着いたオルディン達だったが、フリージアはすぐには中に入ろうとしなかった。両開きの扉を細く開けて中の様子を窺っている。


「何やってんだ?」

 オルディンがそう訊くと、フリージアは彼を振り返って鋭い眼差しを向け、「シッ」と人差し指を唇に当てた。


「見つかっちゃうでしょ」


 どうやら、家の者に姿を見られたくないらしい。だが、砂にまみれ、ところどころ擦り切れた服を洗濯に出せば一目瞭然なのだ。結局、フリン達に腕や背中にできた痣を見られるのは免れない。


「無駄なことしてないでさっさと入れ」

 言いながら、オルディンはフリージアの頭越しにグイと扉を押し開く。

「あ、ちょっと、オル――」

 慌てたフリージアの声は背中で聞き流した。


 彼女のひそめた声を聞きつけたのか、それとも気配を察したのか、さっそくエイルの白い姿が現れる。


 このエルフィアの性別は、結局未だに謎のままだ。本人からの申告はないし、かといって男か女かを確かめる為に全裸に剥くわけにもいかない。フリージアの「どっちでもいいか」の言葉で放置され、服はゲルダの子ども時代の物をあてがわれていた。もちろん、女児用のひらひらしたものではなく、いたって質素な少年用の服だ。


「フリージアは?」

 オルディンの横にその姿がないことに、エイルは首をかしげる。

「ああ、あそこにいるぜ」

 玄関の方を指差ししつつ、オルディンは答えると、「あ、バカ」と呟く小さな声が聞こえた。フリージアはまだ往生際悪く扉の陰に隠れている。


「フリージア」

 タタッと駆け寄るエイルに、扉から覗いたフリージアが小さく手を振る。


「……怪我、した?」

「全然、平気」

 呟くようにそう問うてくるエイルに、フリージアは笑う。


 と、そこへ、悲鳴といってもいい嘆き声が、扉の向こうで――フリージアの背後で響き渡った。


「まあ……まあ、フリージア様、そのお背中は……!」


 扉の隙間から、口を両手で覆って目を見開いているフリンが見える。その位置からは、フリージアの背中が丸見えの筈だ――土埃にまみれ、少々生地が擦り切れた背中が。

 彼女のその声にビクンと肩を震わせ、恐る恐るといった風情でフリージアが振り返る。


「フリン……ただいま」


 フリージアの愛想笑いには取り合わず、フリンは彼女の襟を引っ張って背中を覗き込むと深々とため息をついた。


「ただいまじゃありません! ああ、もう……こんなに毎日毎日怪我をお作りになって……お若い頃のゲルダ様でさえ、三日に一回程度でしたのに! バイダルに加減するように言っても全然聞かなくて。まあ、じきにあの子なんて歯が立たなくなってしまいましたけれどね」


 フリンとバイダルは姉弟で、彼女たちの母親がゲルダの乳母だったが、数年前に他界している。無愛想でいい年をしたバイダルを『あの子』呼ばわりするのは、フリンくらいだ。士官たちに聞かれたら、きっと失笑が漏れるだろう。フリージアも口元がにやけてしまうのを抑えるのに苦労する。


 そんな彼女には気付かず、フリンは続けた。


「治る間もなく次の怪我をされて、消えなくなったらどうするんですか。私は今度こそ、フリージア様の晴れ姿をこの目で見たいのです。なのに、こんなに傷だらけになってしまっては、お婿の来手がいなくなってしまいます……!」

「あはは。じゃ、そうなったらオルにもらってもらおうかな」

「冗談で言っているんじゃないんですよ? この手であなた様の花嫁衣装を縫えることを、楽しみにしてるんですから」


 フリンはゲルダが夫を迎えなかったことがよほど心残りであったと見えて、しばしば同じことを口にした。フリージアは軽口で応じて流しているが、オルディンは侍女頭の嘆きを耳にする度胸やけのような不快感を覚える。


 フリージアが将軍家を継ぐということは、一軍を背負うというだけでなく跡継ぎをもうける義務も負うということなのだ。それはとりもなおさず彼女が他の男のものになるということで――


「平気だよ、エイル。治さなくっていいってば」


 フリージアの声で、オルディンは物思いから引き戻される。見れば、彼が蹴った腕の辺りに伸ばされたエイルの手を、フリージアが掴んで遠ざけようとしていた。


「こんな大したことのない怪我にわざわざ力を使わなくてもいいんだよ。放っておいたって治るんだから」

「でも、痛い」

「痛いから、次こそ頑張ろうと思うんだよ。もっとうまくやろうってね。治してくれようとするのは嬉しいけど、これはこのままでいいんだ。ありがとね」


 笑顔と共に、フリージアはエイルの髪を撫でている。そこへ、フリンが思い出したように声をかけた。


「フリージア様、そろそろ王妃様のところへ行かれるお時間では?」

「あ、そうだった、行かなくちゃ。オルとエイルも行こうよ」

「俺たちが?」

「うん。サーガ様はいつでも連れてきていいって言ってたし」


 グランゲルドに戻ってから七日。


 その七日間、フリージアは毎日サーガに呼び出されていた。することは『お茶会』だ。フリージアもニダベリルへ偵察に行ったことで彼女に心配をかけたという引け目があってか、サーガの道楽にマメに付き合っている。


 茶を飲んで菓子を食べるだけだから、お堅い会ではない。

 茶も菓子も好きなわけではないが、まあいいか、とオルディンは頷いた。


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