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ジア戦記  作者: トウリン
第二部 大いなる冬の訪れ

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生を望む者

「で、結局逃げられたということなのか? 何者なのだ、そいつらは」


 ――知るか。


 小隊長の叱責に、ロキスは内心でそう返す。


 ヘルドに張られた天幕のうちの一つの中で、ロキス以下五名は居丈高な小隊長の前に並んで立たされていた。


 彼らが所属しているのは、ニダベリルの歩兵小隊である。

 ニダベリル軍には、ざっと数えて、千人の歩兵、五百人の騎馬兵、五百人の重装歩兵、そして千人の弓兵がいる。


 技術や体力のいる騎馬兵や重装歩兵は全員職業軍人だが、一方で、素人でもなんとかなる歩兵、弓兵はそれぞれ九割、五割が平民で、いざ戦の際には国中から徴兵されるのだ。

 遠征ともなれば、他にも攻城兵器を運ぶ為の者が百人程度、様々な物資を運ぶのに同じく百人程度、そして投石器やらの点検や修理などをする技術者が五十人ほど必要になり、それらは全て民間からかき集められた者達で構成される。


 ヘルドはニダベリルの軍において、非常に重要な位置を占めている。新しく開発中の武器もあるし、優秀な技術者が集められているので、ここが襲撃されるようなことがあったら、ニダベリル軍にとって大きな打撃となる。

 その為、厳重な警備が必要なのだが、山奥にある為、騎馬兵や重装歩兵が隊列を組んでやってくるのはなかなか大変だ。なので、身軽な歩兵部隊の職業軍人百名が、訓練がてら、持ち回りでこのヘルドの警備に就くことになっていた。


 ロキスが兵士となって八年。何度もこの任務に就いてきていたが、何か異変があったことはなかった――今日までは。


「大分追いかけたんですけどね、途中で馬の蹄の跡が見つかりました。もうかなり遠くまで行っちまったんじゃないかと」

 ロキスの台詞に、小隊長は更に眉を吊り上げる。

「この役立たずめが! それでのこのこと帰ってきおったのか!」

「スンマセン」


 人が馬の脚に敵うわけないだろうがと心の中で毒づきつつ、ロキスが首を竦めるようにペコリと頭を下げると、他の四人はビシリと腰を折る。


 他四名はいいとして、ロキスのあまり誠意の感じられないその所作に、小隊長はと言えば、顔を赤くして肩を震わせている。


「貴様ら、真剣味が足りんのだ! よいか、このヘルドは王都に次いで、ニダベリルで最も重要な町なのだ! 我が国の技術を盗まんと、各国は虎視眈々と狙っておる。間者は常におるのだ!」

「今後は重々気を入れます」


 ロキスたち五人は神妙に頭を下げることで、嵐をやり過ごそうとする。

 そんな彼らに小隊長は忌々しげに鼻を鳴らすと、次の指示を出した。


「もう一度、この周辺を見回ってこい。何か痕跡を残しているやもしれん。ああ、それと、ナイにも行け。よもや間者があの村に立ち寄ることはないとは思うが、住人が不審人物を見かけた可能性はあるだろう」

「わかりました。直ちに!」


 この説教から解放されるなら願ってもない。どうせ何の情報も得られないだろうが、ここにいるよりは遥かにマシだ。


 ロキス達は姿勢を正すと、今度は表情を引き締めた礼をして、小隊長の天幕を後にした。



   *


「さて、どうするか」


 外に出たロキスは、伸びをしながら、仲良く説教を食らっていたヴァリ、オト、ヒュン、ベリングに水を向けた。四人は互いに顔を見合わせていたが、やがてオトが口を開く。


「もう夕方だし、ナイの方は後回しにして、まずは周辺をもう一度洗い流してみるか? まあ、何も見つからないとは思うけどな。でも、雨でも降ったら、それこそ、痕跡もクソもないだろ?」

「確かにな」

 そう頷いたベリングに、一同も続いた。


 ナイはヘルドの北東にある村だ。小さな村なのだが、『腕の良い医者』がいて、殆どの怪我や病気を一瞬にして治してくれる。

 実はヘルドよりも昔からある集落なのだが、その頃はごく小さなものだった。この辺りの土壌に豊富な鉄鉱石が含まれていることが判明したことで兵器の研究施設を兼ねたヘルドが作られ、その影響により成長した村だ。中には、移り住んできた技術者の家族もいる。前述の医者のことも含め、ヘルドができたことで、ナイは色々恩恵を受けているのだ。


 ヘルドとナイの間の直線距離はさほどではないが、両者の間には川が流れていて、切り立った崖にもなっている。訪れるには下流にある橋を渡るしかない。あの不審者達は上流の方へ逃げて行ったから、ナイとは逆の方向になる筈だ。


 そのままでは暗い中での山中探索になりそうだったが、ロキスはふと違和感に気づいた。


「あいつら、何人だったかな。四人?」

 自分の記憶をたどりながら彼が他の者に確認すると、戻ってきたのはまちまちな答えだった。

「三人じゃないか?」

「いや、五人いたような気がする」

「樹が邪魔で、あんまり見えなかったんだよな……何度か見失いそうにもなったし」

「俺も四人だったと思うぜ?」


 どうにも定まらないが、少なくとも三人、多く見積もって五人というところだ。ロキスは少し考えて、言う。


「あいつら、本当に間者なのか? 普通、こっそり様子を探るのにそんなゾロゾロ仲間を連れてこないだろ。目立って仕方がない」


 それに、思い出してみると、やけに華奢な、子どもの様な者も混じっていたような気がするのだ。ロキスの台詞に、一同も頷く。


「そう言われると、そうだな……」

「だろ? もしかすると、本気であの村の奴がウロついてただけなのかもよ? 追われて、つい逃げちまったとか」


 ヘルドには、基本的には許可のある者しか近付けない。ナイの村人はそれをよく承知しているから、この近辺に足を踏み入れることは滅多にないのだが。

 村人だとすれば戻るのに時間がかかるだろうし、村人でなければ、そもそも二度と戻ってこないだろう。


「どうする? これからナイに行ったら、着くの夜中だぜ?」


 村は寝静まっているだろうし、夜の山を歩くのも嫌だ。今夜は半月だし、山の木々は殆ど裸になりつつあるから暗闇にはならないだろうが、夜の山中はやはり獣たちのものなのだ。

 言外に明日にしよう、と提案したロキスに、しかし、他の者は首を振った。


「けどな、俺らがのうのうと天幕で寝てることがバレたら、また小隊長にどやされるぞ?」

「そうだよなぁ。飯抜きとか、有り得るな」

「あるいは、走り込みを増やされたりとかな」


 そう言って、頷き合う。ロキスを除く四人は、皆、夜のうちの移動の方に傾きつつあった。

 そして、じきに決着する。


「一応、今晩のうちに行っておかないか?」


 オトの提案は、ロキス自身は正直言ってうんざりだが、他の者が一致した意見なのなら仕方がない。彼は肩を竦めて賛同を示した。


「じゃあ、支度をして、またここで」


 四人はそれぞれに手を振り、去って行く。

 ロキスも野営の装備を取りに自分の天幕へと向かった。道中、やれやれと頭を振りながら。


 ロキスとしては、こんなふうなつまらない仕事をする為に軍にいるわけではない。彼は、戦うことが好きだった。だから、軍にいる。


 元々ロキスはニダベリルの人間ではなく、この国が滅ぼした小国の生まれだった。とは言え、彼がこの国のことを『仇』と思ったことはない。そう思えるほど、生まれた国の記憶はないからだ。

 ロキスが子どもの頃のことで覚えているものといったら、自分に覆い被さっていた母親の身体を押しのけ、その下から這い出したことくらいだろうか。それも明瞭なものではないから、もしかしたら夢か何かなのかもしれないが、現実にあったことだとすれば、彼はまだ五歳にもなっていなかった時のことだろう。


 それ以外のことは、殆ど覚えていない。


 ニダベリルに連れ帰られ、厳しい訓練を受け、兵士となった。


 戦場にいる時、ロキスは自分が生きているということを強く実感する。

 死と隣り合わせの生。

 すぐ横で誰かが命を落とした時、ロキスは自分の命がまだこの身の中にとどまっていることを、まざまざと感じるのだ。まさに、血沸き肉躍るというやつだった。


 だが。


 ロキスは、ふと視界の隅に入り込んできた木と鉄の塊に目を向ける。


 あの投石器とやらが改良を重ね、威力を増していくごとに、めっきり戦はつまらなくなった。ただの石を投げていた時は単なる牽制に過ぎなかったのだが、火薬玉を使うようになって、その威力は激増した。あれの威力を目にすると、敵は一気に戦意を喪失してしまうのだ。中には、戦わずして降伏してくる国もある。圧倒的な力の差に、初めから白旗を上げてしまうのだ。


 そんな戦いには、ロキスは興味がなかった。

 絶望的な戦いを、味わってみたかった。


「壊してやろうかな」


 ロキスは、口の中で呟く。実際にそんなことをすれば、減棒どころか処刑されるかもしれない。だが、今のような腐った生活をただ続けていくよりも、その方が遥かにいいような気が、彼はした。


「つまらねぇな……ホントに、つまらねぇ」


 誰にともなく、そうこぼす。その呟きを聞き止める者は、今、この場にはいなかった。


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