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ジア戦記  作者: トウリン
第二部 大いなる冬の訪れ

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遭難

 山の中を走り慣れているフリージアでも、転がる石に足を取られないようにするにはかなりの注意を必要とした。


 グランゲルドの山中は、落ち葉や下生えに足を取られる歩きづらさだ。その歩き方は、会得している。だが、ここはグランゲルドとはまったく違っていて、足を下ろす度に石がごろつき、気を付けていても転びそうになる。


 左側は切り立った崖で、その下は川になっている。濁流ではないが、そこそこ大きな川だ。


 ――結構、高いよな……


 胸中でそう呟きつつ、フリージアは横を走るウルが気になった。崖に近過ぎる。多分、足元に集中するあまり、段々進む方向が曲がってきているのだろう。気付かぬうちに、崖に近づいていっているのだ。


 彼に、もう少し崖から離れるように注意しようとした、その時だった。

 ウルの足が大きめな石を踏み、それが揺れる。


「あ!」


 崖の方に倒れ込んだ彼に向けて、咄嗟に手が伸びていた。オルディンの声が聞こえたような気がしたけれど、何と言っているのかは、聞き取れなかった。

 フリージアの手はしっかりとウルの腕を捉える。だが、彼女よりも体重のあるウルを引き止められる筈がない。


「しまった」と、思う暇もなかった。

 落下するウルに引っ張られ、フリージアは彼共々宙に投げ出される。

 一瞬の浮遊感――次いで、墜落。このまま落ちたのでは、二人揃って怪我をする。彼女は瞬時にそう判断すると、ウルの手を放した。そうして、できるだけ真っ直ぐに着水できるように身体を伸ばす。


「ウルも真っ直ぐになって!」

 声をかけたが、反応はない。


 もう一度彼に声をかけようとして、間に合わないことを悟る。


 足に衝撃を感じ、そして次の瞬間、フリージアは水の中にいた。落下の速度は緩んだものの、崖上からの距離の分だけ、沈み続ける。

 水深があるのが、幸いした。川底に叩き付けられることなく、水がフリージアの全身を包み込む。彼女はそのまま潜るに任せ、浮く力が加わったところで足をばたつかせて水面を目指した。


 縦泳ぎで頭を水の上に出し、荒い呼吸を繰り返しながらせわしなく周囲を見回す。


 ――いた。


 探していたウルの栗色の頭が、フリージアの少し先を流れていく。


「ウル!」


 名前を読んでも振り向かないのは、聞こえていないのか、それとも、意識を失ったのか。

 フリージアは抜き手を切ってウルの元を目指すと彼の背後から近づき、腋の下に片腕を回した。


 彼の顔を覗き込めば目は閉ざされていて、眉間にしわを寄せている。どうやら気を失っているらしい。彼の胸に置いた手からは確かな鼓動と呼吸の動きが伝わってきて、取り敢えずは命があることに、フリージアはホッと一息ついた。


 溺れた人間の助け方はオルディンに叩き込まれている。もっと流れが急な川で、彼を相手に練習したのだ。遥かに華奢なウルなら、それほど苦ではなく抱えて泳ぐことができる。溺れて混乱している者を助けようとするとしがみ付かれて共倒れになることがあるから、いざとなったら相手を気絶させろとオルディンには教えられていた。ウルがさっさと気を失ってくれたことは、むしろ幸いだったのかもしれない。


 フリージアはウルと共に川の流れに身を任せたまま、川岸の左右を見比べた。

 落ちたのは左側からだったから、そちらに上がった方がオルディン達とも合流しやすいに違いない。だが、追手もそちら側にいるのだ。手負いのウルを連れて遭遇したら、まず逃げられない。


 少し考えた後、フリージアは右側の岸に上がることを決める。オルディン達なら、きっと彼女の考えを読み、見つけ出してくれる筈だ。


 水流は急ではないが、それでも、それに無理やり逆らって進もうとすれば体力を消耗してしまうだろう。フリージアは一度ウルの身体をしっかりと抱え直し、ゆっくりと川下に流されながら、岸を目指して泳ぎ出した。


   *


 ラタが見つめる先では、フリージアがウルを岸辺に引きずり上げていた。


 少し前に彼女たちが流されているところを見つけたのだが、何ぶんにも川の中のことで、ラタにできるのは崖の上から二人を見守ることだけだった。


 追手を警戒したのか、フリージアはラタがいるのとは反対側の岸へと向かっていった。自分よりも大きな身体の少年を抱えながら彼女は全く危なげなく泳いでいて、ラタが手を貸す必要など、まるでなかった。


 無事に岸に辿り着き、フリージアはウルを横たえて彼の身体を確かめ始める。逞しいものだと感心しながら、ラタがそんな彼女の元へ跳ぼうとした、その時だった。


 川の上流側から二人に駆け寄る、一人の少年の姿が目に飛び込んでくる。年の頃は十歳かそこらだ。彼の他に、人影はない。


 まだずいぶんと離れたうちから、いち早く少年に気付いたフリージアが立ち上がるのが見える。

 距離がある為に声は聞こえてこないが、悪い雰囲気ではない。一点だけ気になるのは、フリージアの頭を包んでいた布が外れて、彼女の際立った赤毛が晒されていることだった。あれは、さぞかし人の記憶に残るに違いない。


 後々厄介なことにならなければいいのだが、と眉をひそめるラタの前で、フリージアと少年は会話を続けている。


 ラタは少し考え、この隙にオルディンの元へと戻ることを決める。意識のないウルがいるから、わずかな時間で見失うほど遠くへ行ってしまうことはないだろう。ラタは一人だけなら連れて跳ぶことができるから、オルディンをこの場に運んでくることができる。


 ラタはもう一度フリージアたちを見やり、危険がなさそうなことを確認して、姿を消した。


   *


 寝転がしたウルは、気が付く気配もない。


 フリージアは彼の頭、腕、足、胴体と、一つ一つ丁寧に確認する。

 頭には目立った外傷はない。落ちた時にも打ったふうには見えなかった。

 腕も、大丈夫だ。

 脚は――ひどく腫れている。もしかしたら、折れているかもしれない。

 胴体も、骨は無事だし、腹を強く押しても痛みで呻くこともなかった。

 まずは、脚の副木になるような物を見つけないと。


 そう思って顔を上げようとしたフリージアの耳に、背後から軽い足音が届く。


 剣の柄に手をかけ、振り向きざまに立ち上がったフリージアの目に映ったのは、彼女よりもいくつか年下だろう、一人の少年だった。


「ちょっと、ねえちゃんたち、川で流されてたよね。大丈夫?」


 駆け寄ってきた少年は、横たわったウルを覗き込みながらそう訊いてくる。フリージアは手を下ろすと、頷いた。


「多分。でも、怪我してるんだ。あたしはフリージア、この人はウルって言うんだ」

「おれはソリン。この近くの村に住んでるんだ。木の実拾いに来たらねえちゃんたちが流れてくのが見えてさ。ねえちゃんたち、二人だけ? どこから来たの?」


 ソリンと名乗った少年は、フリージアに向き直って首をかしげる。彼女は無理のない設定を、まことしやかに口にした。


「あたしたちは旅の者なんだ。流れで獣を獲って暮らしてるんだけど、彼が川に落っこちちゃって。あと二人、連れがいるんだけど、はぐれちゃったんだ」

「へえ……そんなふうに暮らしてるヤツなんて初めて見たよ。そんな髪の色も、見たことないや。真っ赤じゃん」


 物珍しそうに目を丸くして、ソリンはマジマジとフリージアを見つめてくる。


「そうかな、うちの親も同じ色だったよ」

「ふうん」

 ソリンはさしてそこに突っ込む気はなかったのか、鼻先で頷いただけで、あとはコロリと話を切り替える。

「でさ、ねえちゃん――フリージア、金持ってんの?」

「え?」

「金だよ、金。この人、このままここに転がしとくわけにもいかないだろ? 金目のものがあるなら、おれの村の大人を呼んできてやるよ。村なら医者もいるから、治療してもらえるし」


 真っ先に金銭のことを言われて、フリージアは目を白黒させる。


「あ、うん、いや、今はないけど、連れが持ってるよ。多分、ここで待ってたら川を下って探しに来てくれると思うんだ。いざとなったら、あたしが何でもやるし」

「じゃ、いっか。誰か呼んでくるから、待っててよ」

「ありがとう」


 フリージアの礼にヒラヒラと手を振ると、ソリンは走り去っていった。彼女は呆気に取られたまま少年の背中を見送る。


 何かしてもらったら礼をするのは当然だけれども、まずそれを要求されたのは、初めての経験だ。これも、『国民性』というものなのか、それともあの少年だからなのか。


「うぅん……」

 フリージアは腕を組んで考え込んだ。が、ハタとウルのことを思い出す。

「あ、そうだ、副木だ」

 ポンと拳で掌を叩いて、顔を上げる。応急処置だけでもしておいてやらないと。そうして身を翻した彼女の名が、呼ばれた。


「ジア!」


 耳に馴染んだ、声。

 その声の方へ振り返り、フリージアは名前を二つ、口にする。


「オル! ラタ!」


 そこに立っていたのは、フリージアの期待を裏切らず、庇護者の青年と銀色のエルフィアだった。


 駆け寄るオルディンに、笑いながら「心配かけてゴメン」と、言おうとしたフリージアだった。が、それよりも先に腕を取られ、硬い胸に痛いほどに抱き締められて、言葉を封じられる。


 ギュウと骨が折れそうなほどに全身を締め付けられたのは、ほんの一瞬のことだった。

 オルディンはフリージアの両手に肩を置いて突き放したと思うと、眉を吊り上げて一喝する。


「この、バカ! 落ちるあいつをお前が引き止められるわけがないだろう! 何考えてんだ、このバカが!」


 バカ、と二回も続けて言われた。あまりに頭ごなしの言い方に、いくら申し訳ないと思っていたフリージアも売り言葉に買い言葉で咄嗟に反抗してしまう。


「しょうがないじゃないか。頭で考えてどうにかなるもんじゃないだろ!?」

「やかましい! 考える以前の話だ!」

「反射みたいなもんだったんだから……あたしだって、ちょっと、しまったって思ったよ」

「『ちょっと』じゃねぇよ、『ちょっと』じゃ」

 声を落としたオルディンは、口の中でブツブツと続ける。

「まったく……どんだけ心配させりゃ、気が済むんだよ……」

 ため息混じりの彼のその声に、フリージアも視線を落とした。


 本当は、自分が馬鹿な行動を取ったということは、彼女自身、重々承知なのだ。だから最初に謝ろうとしたのに、初っ端から叱り飛ばされてその機を失ってしまっただけだ。


「……ゴメン。ホントに、そう思ってるから」

「『もう二度としません』、は?」


 ギロリと睨んで、オルディンが言う。だが、それには頷けないフリージアだった。同じ状況になったとして、手を伸ばさずにいられる自信が、ない。

 押し黙ったフリージアに、オルディンがまたため息をつく。彼とて、同意の答えを求めていたわけではなかったのだろう。十年以上も共に過ごしていて、フリージアの性格を彼女自身よりもよく知っているくらいなのだ。


「……ゴメンね」

 そっと見上げると、眉間に深いしわを刻んだ彼と視線が絡む。やがて彼は頭を振って、言った。

「俺の心臓が止まりそうだったことは、覚えとけ」

「うん……判ってる」

 そう答え、フリージアはオルディンに抱き付く。その胸に頬を摺り寄せると、彼はようやく表情を和らげて、フリージアの頭を撫で下ろした。

「本当に、解かってんのかよ」

 ボソリとそうこぼしてから、彼はもう一度ため息をついた。


「で、ウルはどうなんだ?」

 話を振られ、フリージアは腕をほどいて一歩下がる。


「もしかしたら、脚が折れてるかも。あ、でも、さっきね、この近くに住んでるっていう子が、誰か呼んできてくれるって」

「……はあ?」

「村にはお医者さんがいるんだってさ」

「ちょっと待て。お前、状況解かってんのか?」

「解かってるよ。ウルは怪我をして、治療が必要。でも、あたしたちは追われてる」

「解かってるなら、さっさとずらかるんだよ。あいつは応急処置しといたらいいだろ?」

「でも、他に怪我があるかもしれないじゃない」

「優先順位を決めろよ。今は逃げる方が先決だ」


 言いながら彼は周りを見渡して木切れを拾うと、ウルの方へと足を向ける。その彼の後を追いかけながら、フリージアは更に食い下がる。


「怪我もそうだけど、元々の目的も果たせるじゃないか」

「元々の目的?」


 彼女の言葉を繰り返し、オルディンは心の底から嫌そうな眼差しを向ける。だが、フリージアはそれに頓着せずに続けた。


「そう。だって、ニダベリルに来たのはここの国の人のことを知る為だったじゃないか。今なら怪しまれずに村に入れるよ。ここの人の生活を、見られる」

「おい……おいおい! 状況を理解してくれよ」

「ちゃんと解かってるよ。その子には無理のない説明しておいたし、ヘルドは向こう岸だよ。追手が来るとしても、まだ少しかかるでしょ?」

 首をかしげて、フリージアはオルディンを見上げる。だが、彼は彼女の訴えをにべもなくはね付けた。


「予定は変更だ、帰るぞ」

「ヤだよ。ヘルドを遠くから見ただけじゃ、ただ、この国の武器のスゴサを知っただけだろ。あたしが知りたかったのは、そんなのじゃないもん」

「聞き分けろ。事情が変わったんだ」

「変わってない。あたし独りでも残るよ」

「ジア……」


 これ以上は交渉の余地なしとばかりに唇を一文字に引き結んだフリージアに、オルディンはほとほと呆れたという気持ちが手に取るように表れている眼差しを向ける。


 しばし、睨み合いが続いた。互いに言葉もなく、相手の目を見据える。

 だが、こうなった時、折れる方はいつも決まっているのだ。


「くそ」


 オルディンが小さく毒づいた。彼の渋面に、フリージアはパッと顔を輝かせる。


「いいか、怪しい動きがあったらすぐに逃げるからな。いざとなったら、ウルを置いていくぞ」


 彼はこの上なく腹立たしそうだ。だが、フリージアは笑う。今はそんなことを言っていても、彼女が嫌がることを、オルディンがする筈がないのだ。


「ありがと、オル」


 晴れやかな笑みと共にそう言うと、オルディンは肺腑の空気を全て絞り出すかのように、深々と息を吐いた。


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